3月23日深更 43
冗談のような、本気のような、どうとも取れる言いっぷりに反応できなかった。
「あ、フリーズしてる」
くすくすと、いつもの可愛い顔で笑っているのを見て肩を落とした。頬にかかる髪を耳にかけながら叱るつもりでいた。
「ミズキさん、あんまりそういう冗談は」
「冗談でそんなこと言ったらセクハラだよ。君のことを想って夜の高速アクセル踏みっぱなしで飛ばしてきちゃうくらい、そこは本気」
目が、笑ってないんだけど、このひと。
「姫香ちゃん、こんな夜中に男を家に入れちゃダメでしょう」
「待って。ゲイだって」
「そこはこないだ否定した。この十年くらいたしかにずっとゲイだけど」
今日はいったい、大殺界かなにか? 絶対、なんかオカシイよ。
さっきの、とんでもないモノを家にあげてしまったという気持ち、ペローの童話を思い出した。森で襲いかかってくる狼よりも、優しく刺々しくなく家のベッドのそばにやってくる狼のほうが危険だって、ちゃんと本に書いてあったのに!
「姫香ちゃん、僕は」
「浅倉くんのこと」
「今、その名前をここで出すのは賢明な君らしくないんじゃないかな」
ミズキさんの声が低くなる。この声は、本気の声だ。まずい。緊張に喉が狭くなるのを感じて立ちすくむと、私の携帯電話が高らかに鳴った。
「浅倉かな。あいかわらずいい勘してる」
彼が笑って口にした。
「出なよ。君のランスロットだ」
ランスロット? それはなんか、違う気がする。いくらなんでもそれはないだろう。全世界の騎士道物語ファンに袋叩きだ。
ミズキさんが心中を読んだように唇を半月につりあげ、その長い腕を伸ばして卓上の携帯電話をとりあげた。彼はケータイを握ったまま私を見おろす。
「浅倉は、僕が君を好きだって知ってる。君が浅倉を好きだっていうのなら、僕はこれを返しておとなしく出ていくよ。浅倉を呼べばいい。荷車ですっ飛んでくる」
「それで、ミズキさんはどこへ行くの」
思わずそう、訊いていた。だいたい『荷車の騎士』って突っ込みどころ満載だよねっていう方面に話を流したかったのに、失敗した。まさかアヴァロンってわけじゃないはずだけど、このひとにはどこか、神隠しにあいそうな雰囲気がある。好きだと言われたことよりも、そのことが、私を不安にする。
ミズキさんは眉を寄せてなにか口にしようとしたみたいだったけれど、電話が切れて、ふたりして静かになった物体を見つめた。
私は身体をかたくしたまま、立ち尽くしていた。その緊張に気づいたのか、彼はケータイの待ち受け画面を見つめて口にした。
「なに、このダチョウ」
話をずらしてくれて、心底ありがたかった。
「可愛いでしょ、小鳥さんと呼んであげて。昔よんだマンガから名前をもらったの」
マンガのタイトルは忘れたけど賢くて勇敢でシニカルで素敵な駝鳥さんだったから、農場で私に求愛したトリを、勝手にそう呼ぶことにした。
「ああ、明智抄の」
知っていて当然というふうに漫画家の名前をつぶやかれた。
「なんで知ってるの?」
「僕、高校生のころ仲のいい女の子に少女マンガばっかり借りて読んでたから。かなり詳しいよ」
何故だか鼻が高そうだった。そこでそっと目を伏せて、いかにも昔を懐かしむという風情で語ってくれた。
「あんまりお琴は上手じゃなかったけど面白い子で、けっこう好きだったんだよね。大島弓子のファンで、制服も可愛くてさ」
制服がかわいいという言葉が目の前のオトコの口から出ても違和感を覚えなかった。浅倉くんの言葉に裏付けが山のようにできていた。いや、ミズキさん自身がちゃんと否定したのに、信じなかったのは私の不手際か。しまったな。
あいかわらず、携帯電話は彼の掌に握られている。さて、どうやってこの展開を切り抜けようかと思案して、マンガに話しをもっていくべきか、どんな女の子だったの、と問うべきなのか悩んだのが間違いだった。先手をとられた。
「僕の行方を気にするのは責任感?」
先ほどよりはだいぶ声の調子はやわらかかったものの、インターバルを置いたというのに話はちっともずれていなかった。
「責任感というか、心配なの」
「だけど僕と寝る気はない」
「ミズキさん」
「もっと他の言葉を選ぶつもりでいたんだけど、君が眉をひそめるのを見るとそそられるんだよね」
ご要望どおりに眉をひそめそうになって、あわてて背筋をのばした。
「君たち二人が抱き合ってるかと思うと、たまらない気持ちになったよ」
聞かないふりを決め込もうとすると、ミズキさんが笑った。
「それでひさしぶりにオナニーして」
な、なにこのひと。いきなり何でそんなこと言い出すの?
「あ、嫌がってる」
うれしそうな笑みがこぼれたのを見て頭にきて声があがった。
「なんでそういうこと言うのっ」
「なんでって、姫香ちゃんに知ってもらいたいから」
あっけらかんと口にされたので、こちらも同じようにこたえることにした。
「私は知りたくないってば」
「だめ。聞いてくれなきゃ」
「ダメって、だってそういうこと、ふつう、言わないでしょ?」
「往生際の悪い」
「ミズキさん」
「ちゃんと、最後まで聞いて」
最後まで?
彼がそこで、電話を置いてソファへと歩いていった。そのままの場所で私が振り返ると、うつむいて軽く、唇の端をあげて笑った。奇妙な、あんまり見たことのない笑い方だった。
「姫香ちゃん、EDって知ってる? Erectile Dysfunction」
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