3月23日深更 42

 あわてて首をふる。

「違う。女の子たち。美少年キャラっていう感じで人気あったの」

 ふ~ん、とミズキさんが鼻を鳴らした。それじゃ買い戻すっていうわけにはいかないね、と口にした。 

「……どうして、わかるの?」

「何が」

 なにが、ときたよ。わかってるくせに!

「それ、どうして私だって思うの? 金髪だし男の子だし顔だってぜんぜん似てないし」

「画家の自画像って見ればわかる」

 こともなげにこたえられた。たしかに。

 年齢ごとにどれも素晴らしいレンブラント、美女よりも色っぽいナルシスティックなクールベ、なんだかイッチャッテル感じの正面向きのデューラー、傲岸不遜なベルニーニ、皮を剥がれた男のミケランジェロ。

「でもまあ、姫香ちゃん自身の理想なんだろうなっていう気がするからかな」

 さらりと言い当てられて、へこみそうになる。

 自画像は、究極的には画家の「理想」だというのがしっくりしないでもない。

 サンドロ・ボッティチェルリの自画像だとされている、《東方三博士来訪図》の右端に立つ、金髪に威風堂々、こちらを睥睨する男。あれはきっと、外向きの営業用。フィレンツェ上流社会のメディチ家サークルに出入りする新進気鋭の画家としての理想の自己像、もしくは豪華公の取り巻きでもあった長兄の姿ではないかと私は考えている。

 税務記録に「病弱」だと残る彼の風貌として、弟子のかいた肖像のほうが正直なように思う。でなければ、弟子だけが知る内向きの顔か。

 ただし、売れっ子画家だからこその気の強さ、矜持、透徹とした意思、それが彼に備わっていなかったとは思わない。はからずも、彼が生粋のフィレンツェ人であるところの絶妙な批判精神があれによく出ている。

「姫香ちゃんの絵は、なにを見ても後ろにお話がある感じがするよね」

 それはいつも、みんなに言われるかも。

「この線は墨に、ペンじゃなくて」

「葦ペン。アラビア語の先生がくれたの。ほら、あの飾り文字かく」

 横長の画面に、デザイン化した薔薇の花綱模様とアラビア文字をからませている。その円の右側半分に膝をかかえた少年が座っていた。この頃は中近東にはまっていたせいか、『幸福の王子』のように金髪碧眼のくせに砂漠の王様のような服を着てるのがおかしい。  

 あ、やだ、右手のデッサン、狂ってる。この曲がり方は短縮法として下手すぎる。

「それにしても、絵を見れば見るほど、君ってほんとに自信家だよね。この絵みたら、個展なんてできない、自信がないって顔赤くして首ふってたのって誰も信じないよ」

「自信ナイって言ってるじゃない。美大も出てないんだよ?」

「そうかなあ。だって君、ほんとに自分の言いたいことだけ、描きたいことだけ、余計なもの入れ込まないでそれだけをきちっと寄越してくるよね」

「だって、要素を多くいれるってことは、それだけ画面構成能力がないといけないもの。あの完璧なベラスケスの絵を崩せるピカソみたいな力がないと、たくさん描きこむなんてできないよ」

 ごくあたりまえのことをこたえると、彼は真顔で返した。

「それが、なかなかできないんだよ。自信がないから不安になって画面に余分な物を入れて線をひいたり色を増やしたりする」

 もともと私は構成能力に欠けているので、ごちゃごちゃすると見るひとが疲れてしまうと考える。だから画面が空いていてもかまわないし、見て欲しいところだけに視線を集められたらラッキーと思っている。自信があるのとはチガウ。ないから、そうしてるのだ。

「この絵を僕に見られて、どうして恥ずかしいの」

 頬を、質問が撫ぜた。腰をかがめて後ろに立つミズキさんの体温に心臓が跳ねあがり、私はさりげなく彼に絵がよく見えるような姿勢で身体をひいた。

「金髪碧眼の美少年な王子様だよ? そりゃあ恥ずかしいでしょう」

 せいぜい威勢よくこたえると、彼は私のこたえに頓着せずに次をきいた。

「いつも彼は単独でしかかかれないね。それはどうして」

 頬に手をあてて首をひねる。

「この頃は日付がないね」

 三叉の鋒か、イエズス会のマークのようにHを隣に重ねたマークのそばに日付はない。

「うん。日付入れるようになったのはピカソの本を読んでから。かいた順番が大事だって書いてあってそれを真似したの」

 胸を張る勢いでこたえたけれど、彼はこちらを見ていなかった。

「僕、美少年趣味みたいなのはないけど、この子はいいよね。素っ頓狂な感じといい、頭悪くてひ弱そうな感じといい」

「それ、褒めてない」

 右手をあげると、ミズキさんがようやく頭をおこし微笑んだ。

「もう、かかないの?」

「さいきんはかいてないな。女の子かくほうが楽しい」

「まあ、そのほうが売れる気がするけどね。姫香ちゃんのかく女性、どれも本人に似ず、ものすごく色っぽいから」

 どうせ色気はありませんよ。そう思って睨み返すと、ミズキさんは笑っていなかった。

「似てる似てないはともかく、それは絵の魅力というより、既存の物語や絵画の力に頼っているだけのことだよ」

 厳しい言葉だった。思わず息をのむと、彼は視線をはずし、それからこちらをむいて言い継いだ。

「もっと言えば、君はたくさんの絵の約束事、その魅力やコードのようなものを知っている。それは決して悪いことではないし、絵の力になっていると思う。でも、そこから先には行けない」

「先って……」

「それは、僕は知らない。ただ、そこから先へ行かないことにはしょうがないんじゃないかな」

 謎かけのようなことを言われ、私は彼を見あげた。すると彼はしごく決まりの悪いような顔をしてから、なだめるように、または優しく叱る調子で口にした。

「そんな、縋りつくような目でひとを見ないこと。弱気は姫香ちゃんらしくないよ」

「だって」

「姫香ちゃんのためなら、何でもしてあげたくなる。してあげたくなるっていう言い方を君は好きじゃないだろうけどね」

 目の前のひとのこわいように整った顔を見ながら、絵の話ではなくなったな、と何処かで冷静に思っていた。いや、これもきっと絵の話なのだ。彼は私の絵のコレクターでパトロンなんだからと懸命に思い込もうとしているのに。

「どうして僕を家に入れたの」

「ひとりでいたくないって言ったから」

「僕が泣いてお願いしたから?」

 皮肉っぽい調子で問われても、私にはこたえる用意がない。ミズキさんの気分の上下に、その揺れに、いいように翻弄されるわけにはいかなかった。今日はきっと、銀座のお店の件でただでさえ落ち着かないに違いない。それをたずねて聞き役にまわるほうがいいのか考えてから、やっぱり横になってもらったほうがいいと判断した。 

「姫香ちゃん」

 焦れた声を流すように、なるべく穏やかな声で告げた。

「ミズキさん、すこし眠ったほうがいいよ。疲れてるんだから」

 彼の表情がわずかに動く。それは、こないだ私がいわれたことばだ。彼はゆっくりと首をふり、それから額に手をあててつぶやいた。

「眠れない」

「うん。お濃茶なんて飲んで眠れないよね。ごめんね」 

「欲求不満で」

 は?

「姫香ちゃんと寝たいって言ったら?」

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