3月22日 29

「……そうじゃないけど」

「いいっすよ。気ぃつかわなくて」

 座ったまま、彼はハアと息をついた。

「学園祭の、あの花火のとき」

 それは初めて、告白されたときのことだ。

「酒井さんと付き合ってるってセンパイが言った後、オレ、この人にこんな、泣きそうな声あげさせちゃうほどヤな思いさせたんだなって思ったらもう、あの場で穴掘って自分を埋めたいくらいの気持ちになったんすよ」

「それは、ごめんなさい。でも」

「センパイが謝ることじゃなくて。来須にも後で、センパイ泣かせたって跳び蹴り食らう勢いで叱られたし」

「……浅倉くん、来須ちゃんにいっつもヒドイ扱い受けてたよねえ」

 そこで彼はくすっと笑い、すん、と鼻を鳴らして告げた。

「来須、センパイのこと好きだったんですよ。知ってました?」

「女子高ノリっていうか、いわゆる憧れのお姉様みたいなものでしょ?」

 実際は、どちらが姉かというとあちらがそうだったという気もするが、まあそこはそれ。

 彼は背をのばして言った。

「センパイはいつでもそうですよね。相手のこと受け入れて理解してくれて、だから期待しちゃうって来須が言ってましたよ」

 ちょっと待て。もしかしてあの様々な告白はみんな、本気だったの? 

「でも彼女、大森くんとずっと付き合ってたし、彼と結婚したし」

「ヘテロはヘテロなんだと思いますよ」

 しらっと浅倉くんがこたえたので、安堵して肩をおとしたところで、

「でも、そういう感情に名前をつけて別扱いするのは当人じゃなくて、他人のすることじゃないっすか」

「浅倉くん」

「責めてるわけじゃないんですよ」

「ウソ」

「ほんとうです」

 子供に言い聞かせるような声だった。

「他にもセンパイのこと好きだっていう男がいるのに、どうして酒井さんなのかなって来須とよく話したんだけど」

 あんた達はよくそうやって話してたのね、と呆れ気味だった。その表情を見透かしたのか、視線をはずして続けられた。

「龍村さんとは話せない。あの人、酒井さんのこと好きだったから」

 表情を変えないでいられたと思ったのに、

「あ、それは知ってたんだ」

 浅倉くんがそう、悪戯っぽい顔をした。少し、意地の悪い調子だった。私は馬鹿にされたようで悔しかったのだろう。白状した。

「本人から聞いたから」

 ゲイというわけではなくて、手に入らないものが欲しくなるという性癖の持ち主ならしいと本人が自己観察していた。父親の再婚相手の連れ子である妹も好きだと告白し、おれは変態だと言うので否定しようとしたところで、嘲弄された。深町サンにはわかんないですよ、と。

 わかってもらいたくないという拒絶だと知っていたから、うなずいた。同情という名の理解より、非理解というものを欲しがることも、ひとにはある。

「酒井さんなら、センパイが傷つくことないじゃないですか」

 そんなことはない、と反論しようとしてできなかった。私は私で弱かったはずだけど、別れ際に彼は私に傷つけられて惨めだったと告白したのだから。

 その無言をどう解釈したものか、浅倉くんが斜めをむいて告げた。

「センパイ、オレといると緊張するでしょ」

 どうこたえていいものか。逡巡はそのまま、肯定になる。

「ただ緊張するんじゃなくて、任せるとこ任せてくるから、頼りにされて、意識されてるようで自惚れる」

 自嘲するように語尾が掠れた。

 そうはっきり言葉にしてしまわれると、こちらもそれにこたえる用意があることくらい伝えておく必要があった。

「だから考えさせてって言ってるの」

「もう考えるのは終わりにして」

 力ない声だった。ひどく疲れた声。もともと掠れているところへきて、震えていた。

「でも」

 それ以上、続けられなくて黙ってうつむくと、彼が立ち上がった。

「あんなにもてて、どうして今も独りなの」

「学生時代のこと言ってるの? あのころモテたって」

「センパイ、酒井さんのあとだって彼氏の一人や二人どころか、いっぱいいたって聞いてますよ。なのにどうして今、誰のものでもないんすか」

 なんだ、このオトコ。そんなこと誰に聞いたって、来須ちゃんだとはわかったけど、言うに事欠いて、ひとを欠陥品のように! さらには誰のものでもないって、モノじゃないよ!

「あのね、十代後半から二十代前半でもてない女なんていないわよ。生物学的にも社会的にもそうなってるの。それに、ニコニコしてお化粧して髪が長くてスカートはいてればそれだけでオトコは満足するの」

「それ、本気で言ってる?」

 またしても、浅倉くんの怒り声を聞かされた。なんだなんだ。失礼なことを言ったくせにひとを叱るつもりか。

「だって、そんなものでしょ」

「あんまりなめるなよ」

 低い声で、腕をつかまれた。

「なめてるのはそっちじゃないっ」

 声が裏返りそうになったのが気に入らない。その気持ちが、口惜しさだった。

「結婚できないのは私が悪いの? してもいいかなって思うと相手がダメだっていうし、むこうがしたいときは私がしたくないし……だいたい選択権は本当に私にあるの? 私、いつだってイエスかノーか、どうにかこうにか選ぶだけのことしかさせてもらえないんじゃないっ」

「センパイ?」

「だって仕事したかったんだもん。おっきい企画で新しいブランドで、そりゃべつに私じゃなくてもできるひといたし、それでもやりたかったんだもん。それでどうして、男のひとだけ結婚しなくても心配されないでほっといてもらえるの? 善意でも悪意でも、うるさいし失礼だし対応に困るの。正論を言えばかわいくないって反撥くらうのはわかってるし、黙ったりごまかしてるとお見合いの話もってこられたり、もう、いいかげんにしてほしいの。かと思うと三十過ぎるとパタって無視されたり心配されたりするのも腹立つし、そんなに女って消費期限つきのナマモノなの? それとも私が悪いわけ? 今回だってはなから結婚前提で付き合ってってむこうが言ったのに、それでもダメで……ならもう、ほっておいてほしいの。ほんとは結婚なんてめんどくさいし、したくないから。どうせもうすぐ四十だし、ろくなキャリアもなくて自立してなくて、人並みなことなんにもできなくて、子供もいないし、私なんてなんにも、ほんとに何にもなくて……」

 言ってしまってから、後悔した。これは、このひとの前で言うセリフじゃない。

 と、取り消して。

 誰か、今の言葉を取り返してきて。

「あの……今の、聞かなかったことに、してくれない?」

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