3月22日 28
「ちょっと弱ってて、甘えたがったみたいだけど」
彼はもう、私の言ったことを聞いていない風だった。
「ミズキ、昔からセンパイのかいた絵が気に入ってっていうか一目惚れで。だから会わせるの、やばいと思ってたんだ。無茶苦茶熱入れてるし」
「それはだって、絵のことで」
「ああもう、分刻みで仕事してるようなあいつが絵のことだけで毎日電話して小まめにメールする? オレ、ミズキが誰かのために奔走してるの見るの、初めてっすよ」
私はこのニブイ男が憎らしくなった。今ここで、ミズキさんが好きなのはアンタなんだってば、とその細い脛をヒールで思い切り蹴飛ばして言ってやりたかった。
「でもってセンパイ、ミズキと相性いいし」
かもしれない。あちらはどうかしらないけれど、ミズキさんといると楽だ。彼が自分を脅かすことがなくて、それでいて何かあったら絶対に守ってくれると知っている。弟や父親といるような安心感があって、女友達といっしょのときの気安さと楽しさを感じ、それと同時に、異性だからこそ狎れあいに陥る手前の緊張感がある。とは思ったものの、口では違うことを言った。
「ミズキさん、画廊つくるのが夢だって言ってたから作家を集めておきたいんでしょ」
「それだけセンパイのこと、本気ってことじゃん」
はあ? という言葉は飲み込まれた。なんというか、いまの口調に違和感をおぼえたのだ。胸の奥底に渦巻いていた疑問が一気に押し寄せて噴き出しそうになるのを感じた。もう、我慢するのはやめた。そういう気分だった。
「ねえ、さっきから、私に妬いてるように思えるんだけど」
心底、意味がわからないという顔をされたけど、私は姿勢をただしきちんと向き合って、ずっと聞きたかったことを聞くつもりでたずねた。
「浅倉くんこそ、ミズキさんのこと、どう思ってるの?」
「どうって、友達だよ」
間髪入れず、か。即答するのはこういうとき相手に失礼だよ。すこしは考えろ。
「大事な友達、でしょ? 今度は浅倉くんが考えて」
「なにを」
「どうしてさいしょに私とミズキさんが付き合ってるかどうか確認したの?」
「や、それは、そう聞いたから」
このオトコはまったく。いいかげん、ちゃんとモノを突きつめて考えることを覚えたほうがいいと思うぞ。呆れて吐息になりそうなところをどうにかこらえ、睨みつける。瞳は動かないものの、こちらの気迫にいささか気圧されているようだった。そうしてふるふる首をふったところへ畳み掛ける。
「聞いたからじゃなくて。こないだ告白した時だって再会した次の日に私にカレシがいるかどうか確かめもしないで、だいたいこの年だったら結婚して子供だっている可能性もあるのに、いきなり、鰻屋さんの前で信号待ちしながら言ったじゃない。じゃあ、今回はなんでワンクッションおくわけ?」
「や、それはオレの知ってるやつで」
「つまり、友達だからでしょ?」
「そりゃそうですよ。誰だって、そこは考えるでしょう」
そこで彼は自分が正しいことを言っているという顔つきで、大きく出た。
甘い。甘いよ、浅倉くん!
君はソコまでしかいつも考えないのだとここではっきりと露呈してるぞ。
「考えないひともいるよ? それに、自分の知らないひとなら何してもいいの?」
「や、そういうわけじゃないけど」
両手をあげてものすごい勢いで頭をふった。ほんとかな。なんだかあやしいけど、まあ、今は保留にしよう。
「友達のカレだろうとおかまいなしなひとはいるし、もちろん悩んで苦しんで我慢するひともいるよ。それでどうにもならなくてぶちまけるひともいるし、この世には他人の幸福を邪魔したくなるっていう厄介なひとだっているんだから」
「それは、あんまりにも人非人じゃ」
「つまり、浅倉くんはミズキさんと私が交際していたら、なんにも言わないでいたというわけね?」
声をつまらせて、浅倉くんは一歩、退いた。
「自分とミズキさんの間に私が割り込むのが嫌なんじゃないの? 私に邪魔され」
「いいかげんにしろよっ。何度も好きだって言ってるのに、なんでそういうこと、言うんだよ」
切れぎれに、怒り声が弾けた。がつんと音がしたのは、彼が階段横の壁を蹴ったからだ。身を縮めるように震えた私を見おろして、彼はどうにかして声を制御しようとしていたようだった。
「……なんでいっつもそういうこと、言うわけ? どうしてすぐ、ひとの気持ちを違う風に受け取るんだよ」
「だって」
「オレは、ミズキとなら、オレといるよりのびのびして楽しそうだったから」
そこで、浅倉くんはしゃがみこんだ。え、と思う間もなく、彼は顔を右手で覆った。
「あ、アサクラ、くん?」
「すごく、お似合いだっ……て思っ」
な、わ、なんで、泣くの?
あ、私? 泣かせちゃったの?
横を向いたせいで涙は見えなかったものの泣くのを我慢しているのは間違いなくて、私は腰をおろしたくなるのを堪えて喉をつまらせたまま、相手を見おろした。
「センパイが、幸せなら、オレ、それでいいんだよ。オレじゃなくても……」
そこまで言われて、どうしろというのだ。
こんな有り難い、いや、文字通り、大変貴重な、稀有な言葉を聞いているというのに、私の気持ちはなぜか、頑なだった。
というか、泣きながら言わなくてもいいんじゃない? これじゃ私がすごい悪人のようじゃないか。
全世界から駆逐されそうな勢いで、自分が人でなしだと罵られているような気持ちになった。つまるところ、居心地が悪くてぞっとした。加害者のくせに被害者ぶりたくなって、おのれの根性なしかげんに嫌気がさした。胃の痛みに耐えかねて蹲りそうだ。
荒い呼吸をおさえようとしたところで、浅倉くんが手をおろし、鼻のしたをこすって苦笑した。
「すみません。オレ、絶対うざったいヤツになってますね」
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