3月22日 27

飄々と言い切られて、絶句した。自分が怒りに震えているのがわかった。拳で殴ってやろうとふりあげた手をつかまれて見あげると、しずかな、こちらを観察するように落ち着いた、腹の立つほどもののわかりきった顔つきに出会う。

「殴ってもいいけど、それだけのことしたし。でも、センパイの手のほうが痛くなりますよ」

「じゃあ蹴る」

「はあ」

 はあ、って何だ。

 彼は私の手首をつかんだままトイレのほうを横目にし、とりあえず、人に見られないとこに行きますかね、とつぶやいた。

 え、と思う間もなく、引きずられるように五メートルほど歩かされる。この間、いちおうは抵抗を試みているのだけど、びくともしない。意に介さないというか。大声をあげて逃げてやろうかと思いながら、それはさすがにできかねた。

 非常口の扉が開いたのに息をつめた瞬間、そのまま背中をおされた。きゅうに薄暗いところに入ってくらくらした。いちど目を閉じてから用心してまわりを見回すと、非常階段だというのにそこは椅子や段ボール箱が積み重なって置かれていた。ああ、これじゃ火事がおきたら大変などと、こんなときだというのに気になってしまう。そして、さっきの竹はこっから入れたのだと納得した。

 浅倉くんは手首をつかんだままずんずん奥へと進み、狭いから気をつけて、と振り返りながら階段に足をかけた。

 気をつけて、じゃないだろ!

「アサクラ君!」

 昇ってやるものかと両足を開いて踏ん張ると、邪気のない顔でにこりと笑われた。

「屋上、行きませんか。高いとこ好きでしょ」

 もう、なんでそういうこと一々おぼえてるんだか。そういうことじゃなくて。だいたい開いてるの?

「たぶん、開いてるはずです。うえでタバコ吸う奴がまだ働いてたんで」

 淡々と、疑問にこたえてくれたが私の言いたいことはそういうことじゃないんだよ。

「人が来ないほうがいいっしょ」

「あのね」

「オレ、今日はもう、誰にも絶対、邪魔されたくないんで」

 そんな決然と意思表示すればいいってもんじゃないだろう。私の言い分はどうなるんだ。

「そんなに怖がらなくてもいいですよ。センパイが自分をごまかして逃げようとしなければ、オレも追いかけませんから」

 なんだそれは。

 むっとしたのが伝わったのか、彼がすんなり手をはなした。離されて、私はそこで背中を向けるべきだと思った。けれど、そうしなかった。できなかったというべきか。

 とりあえず、浅倉くんを相手にいいかげんやごまかしが通用しないことを、私は知っている。きちんと、とにかくちゃんと説明しないと子供みたいに納得しないのだ。

「浅倉くん、今日はこの後、仕事ないの?」

 彼はすこし頤をひいて、黙って深くうなずいた。時間制限なし、か。これは参った。

 本来なら、飲み始める前に確認すべき事柄だった。腑抜けている。いや、甘えている。

 アマエテイル。

 私は肩にバッグをしょいなおしてため息をついた。相手に判断を委ねようとした自分が悪い。向こうがこう来たら、自分がどうこたえるかで事態を把握しようとしたのがそもそもの誤りだ。考えたくないというのは、礼を失している。

「私、もう少しほんとうに自分で考えたいの」

 顔をあげて言い切った。すると。

「ダメ」

 浅倉くんはコワイ笑顔でこちらを見おろして、くりかえした。

「それはダメ。考えても結論は出ないって」

「でも」

「でもじゃなくて、今までのパターンだとどうせまた同じこと言って逃げるからダメです」

「ちょっと待て。さっき、わかりましたって言ったじゃない」

「あんなこと言われて待てないっしょ」

「あんなって」

「それ、オレに言わす? けっこう恥ずかしいよ」

 この浅倉くんに恥ずかしいという概念があったとは。というか、その彼に恥ずかしいと思われるようなことを言ったか? 言った? やだ、それはムチャクチャ恥ずかしいことのような気がする。

 にやけた顔が憎らしくて、地団駄を踏むような声で告げた。

「とにかく、私は考えたいの!」

「だから、考えたってダメだって言ってるんだよ」

 むう、とする。そりゃあ浅倉くんは常に出たとこ勝負で計算も何もしないかもしれないけど、私は違うの。違うし、ミズキさんのこともあるの。彼のあんな顔をもう見たくない。知らないふりで、見過ごせないの。知らなければいいけど、私はだって、気がついちゃったんだもん。

 喉許まで押し寄せる言葉の嵐に翻弄されそうになって頤をひくと、浅倉くんがすぐ目の前に、たん、とおりた。

「なに、考えてる」

「考えちゃダメなんでしょ」

 憎まれ口を返すと、真剣な表情でこたえられた。

「ひとりで苦しくなるまで抱えるなって言ってるんだよ」

「そういうわけにはいかないの」

 反射的に口をついて出た声に、彼はもっともらしい顔でうなずいた。

「知ってるよ。でも、そういうふうな顔のときはたいてい、自分のこと後回しじゃん。ミズキのこと気にしてるんじゃないの?」

 思わず、まじまじと見あげていた。

 浅倉くんは吐息をついて髪をかきあげた。

「やっぱり。センパイ絶対、ミズキのタイプだから」

 何故、そうなる。

「つきあうかどうかセンパイに言ったの、それ、あいつには冗談じゃないんだよ」

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