3月17日 11

「ただの肋間神経痛。じっとしてればなおるから。前にも、なったことある」

 一息に、安心させるために言い切った。

「動かしても、だいじょうぶ?」

 うなずくと同時に、その右手が私の背中にまわった。ここじゃ寒いからと、居間に逆戻り。歩くと振動が伝わるのが辛いけど、彼はそのへんもよくわかっていたみたいで、抱き支えてそろそろと歩いてくれた。ソファに座らせられて、ジャケットをかけられた。ミズキさんは待ってて、と言い残してとなりの部屋から毛布を二枚も運んできた。それから暖房をつけて、毛布にくるまった私の横に腰をおろした。

「僕、いま、整体の勉強してるんだけど、いい?」

 いいっていうのが、なにかわからなかった。荒い息をしたままうなずいて、それで毛布をつかんでいた手をそっと握られたとき、びっくりして首をふった。

「いや? 僕の手、ロミロミ・マスターのお墨付きだから楽になると思うよ」

 ろみろみというのが何なのか、そのときにはわからなかった。痛くて頭がまわっていなかったのだ。ハワイでね、と言われて、それが「ロミロミ」だということが理解できた。

 ミズキさんは私の右手をそっと握り、頬のすぐ横で囁いた。

「あったかいでしょ。三十人くらいで習ったんだけど、僕ともう一人しか気を受け取れなかったんだよね。それで今、その気を受け取った友達のお母さん、まあその彼の師匠でもあるんだけど、そのひとから筋骨調整法っていうのを習ってるんだ。そのひとがそりゃあ凄いんだよ」

 こちらが尋常じゃない息遣いをしている横で、ミズキさんは心配そうに眉を寄せていながらも、なるべくいつもの調子を変えないようにしているのがわかった。私がこれ以上、緊張しないように気をつかっているのが。

 震える冷えた指先を、あたたかな手にくるまれるのは気持ちがよかった。たしかに男のひとの大きな手だけれど白くて爪の形も綺麗で、絵にかきたいようだった。

 私の目の焦点があったのだろう。ミズキさんが毛布のうえから肩を撫でた。

「だいじょうぶだよ」

 ほんとに子供にするようなやり方だった。目を閉じた。自分の苦しげな呼吸を聞くよりは、この声を聞いていたほうがいい。

「ごめんね。寒くて冷えちゃったんだね」

 ごめんね、と彼はもう一度くりかえして、私の頭をなでた。自分の頭も痛みで緊張していたことに気がついた。

「姫香ちゃん」

 ミズキさんは私を自分の腕のなかに入れてしまうと、肩から肩甲骨のあたりを幾度か撫でた。痺れていてあまり感覚はなかったけれど、でも、温かみは感じた。

 私のジャケットのなかに右手をさしいれた彼は遠慮がちに、こちらの顔をのぞきこんだ。

「姫香ちゃん、あのね」

 そう言いながら、右の胸のしたもたしかめるように指を這わせた。

「……これ、いつ、折ったの? 肋骨、ここ」

 ある一点をなぞられて、私は高い声をあげて身体全体を震わせた。反射的に逃げようとしたらしい。彼はそれをわかっていて、両手をはなした。

「そこ、折れてるよ。曲がってる。僕にもういちど触られるのは嫌だろうから、自分で右と左、比べてみて」

 なにを言われているのかわからなかった。ミズキさんは眉を寄せ、ゆっくりと、くりかえした。

「左の肋骨が折れてる。だいぶ派手にやってるみたいだから、自分で触って確かめてみて」

 動けなかった。

「姫香ちゃん?」

「う、ん」

「知らなかったんだね」

 うなずくこともできなかったけど、彼は理解していたようだ。

「そりゃあ痛いよ。そんなに曲がってくっついてるのに本人気がつかないんじゃ身体がかわいそうだ」

 私はそろそろと自分の右手を左胸のしたに這わせた。曲がってる? わ、わからない。いや、まがっていたのは知っている。でも、それが折れているせいだとは……。

「左じゃなくて、右をさわってみて」

 言われるままに、右をさわって驚いた。角度というものがない。するりと、猫の腹をさわったときのようにやわく、まるい。

 あ、と声がもれたのを、ミズキさんが頷きながら聞いていた。ウソ、と続いたところで、彼は肩をすくめて引きついだ。

「嘘じゃなくて。姫香ちゃん、ついでにそれ、いつ折ったか思い出せる?」

「え」

「思い出せない? 思い出すと、もっと楽になるはずだよ」

 その声に誘導された。

「あ、あ……」

 フラッシュバックってこういうのを言うんだというほど完璧に思い出した。

「……覚えてたね。よかった」

 ミズキさんが微笑んでいた。

「話せる?」

 それは、イヤだった。

「できれば今、僕に話したほうがいい」

 私はたぶん、すごく疑り深い顔をしていたにちがいない。けれど、目の前のひとはそれに対して不愉快な思いをしていないようで、辛抱強く続けた。

「言葉にできなければ、ほんとうに理解したことにはならないから」

「でも」

「話したくないのはわかるよ。でも、呼吸と同じで、まずは吐き出さないことにはなにも入れられない」

 理由としてはもっともだった。けれど。

「僕が信用おけないというんなら別だけど」

「そうじゃないけど……」

「じゃあ、いくつのとき?」

 私が黙り込むと、ミズキさんは苦笑した。

「姫香ちゃん、たぶん、それを折ったときに君はかなり痛い思いをしたはずだ。そこだけ折ってるふうじゃない。全身、つよく打撲してるんじゃないかな。もしかすると、頭も打ってるかもしれない」

 そうまではっきり言われてしまうと、返答に困った。

「交通事故っていう感じでもないし」

 ミズキさんに、次から次へと言い当てられるのは癪に障ったのだと思う。

「落ちたの」

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