第5話

「……本当にナギさんとは、なんにもなかったんだね!?」

「だから、そう言っているだろう。大体、あいつは酒こそ呑めるが、見た目は子供だぞ。それも、小学生でも通用するほどのだ。そんな女と間違いが起こってたまるか」

「でも、見た目は子供でも中身は大人だよ? 人間は見た目より中身なんだよ!」

「付き合い程度の仲なら、俺は見た目を重視したい」

「マッキー、ひどい!」


 朱美の姿を見るや否や、ナギサが姿を消したため、真季の一日は朱美の説教を一身に受けることから始まった。

 学校のある平日でも、毎朝必ず真季の事務所に顔を出すことが朱美の日課であった。そして今日、酒につぶれた真季の姿を見て、この日課は今後も続けていこうと心に誓った朱美であった。



 幸い真季は酒に強かったため、酔い潰れはしたものの、二日酔いになることはなかった。

 コンビニで買ったスポーツドリンクをその場で飲み干したあと、真季は霧島篤の情報収集に取り掛かった。

 朱美が学生なので、平日の日中は真季が単独で依頼にあたるのだが、隣から賑やかな声がしないと耳が寂しい。そのため、一人で行動するときは、朱美と共に行動するとき以上に周囲に対して敏感になる癖が付いてしまっていることに、真季は気付いていなかった。


 真季は、霧島篤の行きつけの店の常連客からも話を聞いたが、皆が口を揃えたかのように「霧島篤は愛妻家である」という情報しか集まらなかった。

 行き詰った。

 真季は雲を吹き飛ばすかの如く、青空にため息を吐いた。

 情報を集めれば集めるほど、霧島篤の浮気の可能性が否定される。

 真季たちにとっては都合の良い展開ではあるのだが、一方で、霧島聡子が持ち込んだ『浮気の証拠』に関わる情報が全く見つからないことに、もどかしさを感じていた。


(それに朱美が霧島篤から聞いた『家族と映画館に行く』という発言はどうなる。霧島夫婦には子供がいない。ペットの猫がいるだけだ)


 ひゅう、と気持ちの良いそよ風に乗って、一枚の新聞紙が真季の足にくっついた。


「まったく、読み終わった新聞くらいきちんと処理出来ないのか――うっ」


 依頼で溜まったストレスを吐き捨てるようにぶつくさと文句を言いながら新聞を拾った真季の目は、一つの記事を捉えてしまった。

 

『アグリ星人、接客中に捕食』


 記事を要約するとこうだ。

 飲食店で働いていたアグリ星人は、無銭飲食を図ろうとした客とトラブルになった。

 当初、アグリ星人は、店長を交えて客を説得しようとしたが、その客は説得に応じず、テーブルに置いてあった灰皿で店長の頭を殴打し逃走。その末にアグリ星人は、無銭飲食を図ろうとした客を契約違反者と判断し、捕食した。

 

(何故よりにもよって、こんなときにこの記事を目にしてしまったんだ)


 真季は自分がアグリ星人に捕食される姿を想像してしまった。

 アグリ星人は、標的を捕食するときに背中から伸びる触手を用いるらしい。

 その触手は、先日真季に襲い掛かったドラゴンの口より更に大きな口を持ち、標的を丸のみするという。

 

(くそ。そもそも、霧島篤が浮気を疑われるようなことをするから、こうなったんだ。どう転んでも捕食ならば……戦うか? こちらから手を出せば犯罪だが、向こうが捕食動作に入った直後に攻撃すれば、正当防衛として認められるはずだ。……アホか、俺は。そんなことすれば、探偵としての信用がなくなり、仕事が出来なくなるだけだ)


 頭を振って、妄想を振り払う。今、自分がすべきことは、現実逃避ではなく情報収集だ。


(そういえば、霧島篤が浮気相手と行ったという映画館を調べていなかったな)            


 朱美経由の情報通り霧島篤が『家族』と映画館に行ったのなら、その姿を誰かに目撃されているはず。

 スタッフが全ての客の顔を記憶しているはずがないからと聞き取りの対象から外していたが、集めた情報に偏りがある以上、足を運ばないわけにはいかない。

 真季は新聞紙をゴミ箱に捨て、調査を再開した。



 あらまほ市には、いくつもの映画館があるが、その中で最大の規模を誇るのが『あらまほシネマキングダム』であった。

 大型ショッピングセンターを丸々映画館として改装した経緯を持つシネマキングダムは、とにかくデカいのだ。

 真季が敢えてここを聞き取り対象から外していたのは、この規模が原因である。施設内の劇場総数四十八、座席総数一万八千。更に飲食店などのテナントも多数入っており、曜日ごとに学生・家族・性別・友人同士などあらゆる層を対象とした割引サービスデイも設けているため、シネマキングダムの中には常に人が溢れかえっていた。

 まさに「映画好きの映画好きによる映画好きのための王国」である。


「この中から、霧島篤の目撃情報を集めるのか……」


 劇場総数四十八。即ち真季はこれから少なくとも四十八箇所の劇場を回りスタッフから情報収集をしなければならないのだ。

 しかも、スタッフが霧島篤の顔を覚えている可能性は限りなく低く、そもそも、あの日彼らが足を運んだ映画館はシネマキングダムではないかもしれない。

 探偵である以上避けられない仕事であるとはいえ、大海から一粒の塩を探し出すに等しい作業に真季は途方に暮れた。

 だが、やるしかない。それが依頼を受けた自分の責任であり、使命なのだ。そう言い聞かせて、真季は映画の王国に足を踏み入れた。

 しかし、真季の気合いに反して、その塩の一粒はいとも簡単に見つかった。

 

「――ええ、このお客様は覚えています。先日、娘さんと家族割引をご利用された方ですね。きっと娘さんは初めてシネマキングダムにいらっしゃったんですね。当店のあらゆる設備に目を輝かせていましたので、印象に残っています。え? 娘さんのご年齢ですか? 実際に確認はしていませんが、恐らく高校生だと思います」


 シネマキングダムからの帰り道。真季は心沈む思いを隠せず、がっくりと項垂れていた。

 あの受付スタッフから得た情報が呼び水となったかのように、あれから続々と霧島篤の浮気に関する情報が真季の元に転がり込んできたのだ。

 霧島篤が女子高生と一緒に一八時から上映されていた『暁のポヨヨン』を観ていたこと、一九時三〇分頃にフードコートにて食事をとっていたこと、その後、シネマキングダム内のテナント店を回っていたことなど、浮気の証拠としては十分な情報が集まった。

 これだけ詳細な情報があれば、例え霧島篤の浮気現場を押さえられなくても、霧島聡子に文句を言われずに済むだろう。それは自分たちの身の安全と同時に、霧島篤の死を意味することであった。

 真季はその場で足を止めた。

 何かを得るためには、何かを犠牲にしなければならない。

 しかし、

 確かに浮気は非倫理的行動ではある。だが何故、浮気をしただけで殺されなければならないのだろう。何故、浮気に関わっただけで、命の危険に晒されなければならないのだろう。

 浮気に寛容になれ、と言っているのではない。しかし、アグリ星人の性質とはいえ、浮気をされただけで捕食するのはおかしいだろう。異星人とはいえ地球に住んでいる以上、地球のルール、地球の価値観に従うべきではないのか。

 そう思うと、真季は霧島聡子に対し無性に腹が立ってきた。

 とはいえ、仕事に私情を挟むわけにはいかない。真季には探偵として依頼を受けた以上、それを全うする義務と責任がある。だが、ならば。


(報告の前に、もう一度霧島聡子と話をしよう。浮気の情報は入手したが、それ以上に霧島篤がどれだけ彼女を愛していたか、その証言も集まっているんだ。証拠写真がない以上、情報の伝え方をできるはずだ)


 そうと決まればと腕時計を確認すると、既に一七時を回っていた。


(そろそろ、霧島篤の帰社時間か。彼女と話をするのは明日だな)


 まだ、浮気調査は続いている。霧島篤が今日も真っ直ぐ帰宅することを願いつつ、腕時計から目を離し頭を上げた。

 霧島篤が、女性と仲陸まじく手を繋いでいる姿がそこにあった。

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