第4話 情報収集/浮気旦那の愛を探せ?

 週明けから、霧島篤の浮気調査がはじまった。

 浮気現場の決定的瞬間を収めるため、彼の動向を逐一探る。いわゆる尾行である。

 とはいえ、霧島篤は職業柄、仕事をしている間はずっと会社に籠りっきりなるため、真季が彼の動向を探れるタイミングは、自宅から職場までの行き帰りの時間に限られている(休日は霧島聡子と過ごしているため、尾行する必要がない)

 なので、彼の勤務時間中は手が空くため、真季と朱美――今日は平日だが、朱美の学校が創立記念日であるため休校となっていた――は、その空き時間を利用し霧島篤と馴染にある場所を回っていた。

 

ペットショップ『かぞく』


「ええ、霧島さんですよね。よくウチにいらっしゃいますよ。本当に仲がよくて、ちょっと妬けちゃいますね。初めていらっしゃったのは、一ヶ月ほど前だったかな。野良の猫ちゃんみたいなんですけど、変わった猫ちゃんを連れて来られて、お世話の仕方や飼育に必要なものを教えてほしいって言われたんです。霧島さんご夫婦とはそれからの付き合いですね。ところで最近、新しく惑星シーエットの宇宙猫ちゃんがウチに来たんですけど、一匹いかがですか? ……え、いらない?」


 BAR HANABI


「篤さん? ええ、ウチの常連よ。よく部下を連れて来ては、お酒を奢っているわ。……ウチにはね、あたし目当てに来る男も多いんだけど、あの人は本当にお酒を楽しみに来てて、正直、好みよ。ま、逆に言えば、あたしにそれほど興味ないってことだけど。でも仕方ないわね、だってあの人、口を開けば奥さんのことしか話さないんですもの。本当、奥さんが羨ましいわ」


 カフェ『憩』


「霧島くんね。彼とはもう十年来の付き合いなんだ。なにを隠そう、奥さんとの仲を取り持ったのは、この私でね。私の店の自慢は、なんといっても異世界の豆を使ったコーヒーで、霧島くんたちもお気に入りでね。このコーヒーが二人を結びつけたというわけさ。いやぁ……はっはっは、しかしあれだね。彼らの愛は未だ冷めることを知らず。あそこまで幸せになってくれると、年甲斐もなく頑張った甲斐があったってものだよ」


 職場の同僚


「えぇー霧島さんですかぁ? まあ、あの人は怪しい話は全然聞きませんねぇ」

「聞くのは、惚気話だよね」

「うん、惚気話だ。あの人の愛妻家っぷりは社内でも有名ですよぉ。少しでも早く奥さんに会いたいからって、付き合いがない日はいつも定時帰りですもん」

「しかも仕事も完璧だから誰も文句が言えないし、言わないんだよね」

「奥さんが羨ましいよねぇ」



 一通り回り終えた真季と朱美は、稲穂公園で足を休めていた。


「朱美もカフェオレでよかったな?」

「うん、ありがとう、マッキー」


 真季から缶を受け取った朱美は、早速プルタブを開ける。絶妙な甘さが舌に広がり、カフェオレが喉を通るたびに、疲れた頭がクリアになっていく。気がする。


「篤さんと聡子さんはラブラブだったみたいだね」

「ああ、少なくとも今集まっている証言からは、とても霧島篤が浮気をしているとは思えないな」

「じゃあ、やっぱり聡子さんの誤解だったのかな?」

「そうであって欲しいと願っているが……」その口調とは裏腹に、真季は誤解の可能性は低いと考えていた。「アグリ星人は契約を重んじる性格上、物事を思い込みだけで判断することはないんだ。事実、霧島聡子は相談に来たとき、既に旦那の浮気を仄めかす証拠をいくつか掴んでいただろう?」

「自分が掴んだ証拠の裏を取るために探偵マッキーに依頼したってこと?」

「一個人としては見習うべき姿勢ではあるが、探偵としては、こういうタイプの依頼主は非常に面倒だな」


 真季はため息交じりに言った。


「どうして?」

「過去に、浮気調査の結果に納得しなかった依頼主と一悶着あったんだ」


 探偵は依頼を受けたからといって、二四時間三六五日ずっとターゲットに張り付いているわけではない。

 探偵がターゲットを調査するのは、飽くまで契約期間内のみ。即ち、この契約期間内に探偵が得た情報をまとめたものが、依頼主への調査報告の内容となるのだ。

 だがこれが時々、依頼主とのトラブルの原因になることがある。それは、契約期間内に依頼主が求める情報を入手出来なかった場合だ。以前、真季は浮気調査で苦い経験をしていた。

 霧島聡子と同じように、旦那の浮気を疑った女性から浮気調査の依頼を受けたのだが、当のターゲットが契約期間内に浮気と思われる行動を取らなかったのだ。

 その結果を依頼主の女性に伝えると激怒され、「ちゃんと調査はしたのか」「手を抜いたのではないか」と散々疑われた挙句、最後は「詐欺師」呼ばわりされたのだ。

 しかし当然真季としては、契約期間中は契約に沿って依頼にあたったのだから、報酬を受け取る資格はある。

 結局、最終的には報酬は受け取ることが出来たのだが、危うく裁判沙汰になるところだったこの依頼は真季にとって忘れられないエピソードの一つであった。

 

 

「もちろん、霧島聡子がそういう類の人間であるとは断言出来ないが、とにかく調査結果に口を挟ませないためにも、やるからには全力であたるぞ」


 霧島篤の命を救うためには彼の浮気を否定しなければならないのに、自分たちの命のために草の根を掻き分けてまで彼の浮気の証拠を集めなければならないジレンマに、真季は自分で自分の首を真綿で締める感覚に襲われた。


「うん、あたしとマッキーなら大丈夫だよ!」


 だから、朱美の明るさと根拠のない自信は、今の真季にとって何よりの活力となった。

 それを口に出そうとも考えたが、朱美が舞い上がって調子に乗っても困るので、本心はカフェオレと一緒に飲み込んだ。


「それにしても、今日は一段と暑いな」

「もうすぐ夏だもんね。……でも、マッキー。暑いならもっと涼しげな恰好にしたらいいのに」


 朱美は改めて真季の服装に目をやった。

 上下共に黒一色のスーツ。ボタンを外した上着の中央を通るワインレッドのネクタイ。更に頭には、黒の中折り帽を被り、足元を見ると黒の革靴を履いているのが分かる。頭から足先まで全身黒ずくめだ。

 このカンカン照りの中、全身黒ずくめで歩き回れば暑くなって当然である。


「これが俺のビジネススタイルだ。誰になんと言われようと曲げるつもりはない。それにこのスーツには最新の技術が使われていて、あらゆる環境下でも衣服気候を最適な状態で保てるようになっているし、優れた耐衝撃性を有していてだな……」

「ご、ごめん、ごめんね、マッキー! その服最高に似合ってるよ!」

「フ、分かればいいんだ」


 真季は拘りが強く、なにかと形から入りたがる人間だ。

 朱美は「正直、マッキーのそういうところは面倒くさいなー」と思うこともあるのだが、恋愛フィルターを通せばそれすらも長所に変換されて「でも、そんなマッキーも素敵!」となるのだから、恋は盲目とはよく言ったものである。


「……むむ?」


 誰かに首筋を触れたような感覚に襲われた朱美は、キョロキョロと周囲を見回す。


「どうした、朱美?」

「今、視線を感じたような……」

「視線だと?」


 ふと真季は朝の朱美の話を思い出した。平日の真昼に女子高生がカフェで三十路男性と談笑する、犯罪的ともとれる光景。もしその場に自分が居たら、やはりいかがわしい事情を想起しただろう。

 ……今まさに、自分がその当事者になっているのではないだろうか?

 白昼堂々、女子高生と二十六の青年が公園で二人きりで過ごしている。考えすぎだ。自意識過剰だ。いやしかし、何かと物騒なこの世の中、常に最悪の事態を想定しておくべきだ。そう考えると途端に周囲の視線が猛烈に気になり始めた。視線が痛い気がする。自分はなに一つ悪いことはしていないのに、何故か悪人になったような気がする。


「あ、朱美、今すぐここを離れるぞ」

「どうしたの、マッキー? なんかすごい顔してるよ」

「いいから、行くぞ!」

「え、あ……きゃ~! いきなり手を繋ぐなんてマッキー大胆!」


 必死の形相で朱美の手を引く真季と、幸せの笑みを浮かべ真季に手を引かれるがままにされる朱美。この異様な光景は大変目立った。

 結局、その日は霧島篤の浮気の証拠は見つからなかった。


「一七時五二分。定時に仕事を終え、会社から寄り道せずに帰宅した……と」


 一九時二〇分。

 霧島篤の尾行を終えた真季は、事務所に戻って報告用の資料をまとめていた。

 霧島聡子からの情報では、最近になって帰宅時間が遅くなる日が出てきたとのことだが、今のところそのような動きも見られない。

 朱美は既に帰宅させている。優秀な助手とはいえ、現役女子高生である朱美の立場は飽くまでアルバイト。学業に支障をきたすような時間外労働をさせてはいけないのだ。(とはいえ、この前のペットドラゴン捜しのように、どうしても助力が必要なときは業務時間外でも頼ることもあるのだが)


「こういうとき、朱美の姐さんが正職員だったら……って思いません?」


 いつのまにか応接用の机にするめを広げてくつろぐナギサの姿が、そこにあった。


「おい、気配を消して帰ってくるなといつも言っているだろうが」

「やれやれ、視野と心はいつも広く持ちたいものでありますなあ。朱美の姐さんだったら、あっしの気配に気付いた上で、快く迎えてくれるでしょうに」

「いちいち朱美の名前を出すな。……それで、その机に広げられた酒瓶はなんだ?」

「今日、久しぶりに旧知の友人に会いやしてね」

(こいつの友人なんて、ロクな人間じゃないんだろうな)

「そりゃあもう、話に花が咲いたんですよ。その咲かせた花ときたら、数ある花のその中で、大江戸八百八町に紛れもしねぇ、それほどまでに素晴らしく充実した時間だったんでさあ。ともあれば、その余韻に浸かりたくなるのも、人の情。というわけで、一杯楽しもうと思い至ったわけでさあ。あーいやいや、もちろん旦那の分も用意しておりますよ。実はここに秘蔵のお酒がありまして……これは手に入れたときから、誰かと一緒に呑もうと決めていた一品なんでさあ」


 舌に油を塗ったかのうように、話を捲くし立てる。ナギサの得意とする話術の一つであった。果たしてそれが効いたのか、真季は諦念のため息をついた。


「分かった、もう好きにしろ。ただし、静かにしていろ」

「何をそんな他人行儀なことを仰いますか。旦那も一杯どうですかい? あとは書類仕事だけなんでしょう?」

「……少し待っていろ。何かかつまみがあったはずだ」

「ひゅー! さっすが真季の旦那は話が分かる!」


 ――翌朝、酒の匂いが充満した部屋の中で、幸せそうな顔で酔い潰れている真季とナギサの姿を見て、朱美は悲鳴をあげた。

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