第3話 エデンの園

 目的地の研修現場はそれから走行と歩行を合わせて、三十分ほどのところにあった。

 大きな樹木が整列して立ち並ぶ森林の中に開けた、大きな広場だった。すでにほとんどの伐採が終わり、赤茶けた地肌がむき出しになっている。

 ここでカオリは、残った何本かの樹木を伐採しながら実作業研修をすることになる。

 ユウキはTX050を停機し、ショルダーバッグを肩にかけてタラップを降りた。カオリがTX049の横ハッチを開いてこちらを見ている。どうすればいいのか指示を待っているのだ。

 ユウキは赤茶けた地面の上から、カオリを手招きした。カオリがうなずく。駆動音が小さくなりTX049もその場で停機する。カオリがハッチから姿を見せた。

「お昼ご飯にしよう。現場だから、こんなものしか持ってこられなかったけど」

 近づいてきたカオリに、ユウキはバッグから取り出した包みを手渡した。

「よかったあ。もうおなかぺこぺこ! ごはん抜きなのかなあって思ってたところだったんです」

「まさか。そこまで劣悪な作業環境じゃないよ」

 バッグから自分の分の包みを取り出しながらユウキが笑う。

「そうですよね。お昼ごはん抜きなら、明日やめちゃおうかなって思ってました」

 カオリもからからと笑い、二人はTX050の脚のたもとに腰を下ろした。

「君は、カオリは今いくつなの?」

 ユウキが弁当の包みを開きながら、少しためらい気味に尋ねる。カオリがちらりとユウキを見て、にっこりと微笑んだ。

「歳ですか? この前二十二歳になりました!」

 必要以上に元気な声でカオリが答えた。

「ごめん、失礼だったかな」

 ユウキがカオリの声の大きさに気後れして、小さな声で謝る。

「いえ、そんなことないです。履歴書ご覧になればすぐにわかることなので。私も聞いていいですか? 先輩は、ユウキさんはおいくつ?」

「二十五だよ。そうか、三つ違うんだ」

「三つは大きいですよ。三年ですよ、三年!」

「確かに三年は大きいよ。君は記録を塗り替えたんだよね。二十二歳でTXの免許保持は、すごいよなあ。俺は二十三まで仮免許で、去年やっと本免許をもらえたんだ。それでもオペレーターの中では俺が最年少だったから」

「え、まあ、その、ちょっとがんばっちゃったから」

 そういう方向に話が行くとは思っていなかったカオリが、少し頬を染めて照れたように顔を伏せる。ユウキはその横顔を眺めながら、それならさっきの倒木伐採もうなずけると思う。カオリには才能があるのだ。

 弁当の包みには箱が二つ重ねて入っていた。上段にはタレをつけて焼いたうなぎの蒲焼き、さざえの焼き身、それと卵焼き、漬け物だった。下段には白米が箱いっぱいに積められている。

 TXシリーズオペレーターの待遇は、一般的に見てもかなり良い方だった。複雑なTXシステムを把握しOSを理解して、さらにはL-demonをも身につけなくてはならず、その上で肉体労働ともいえる作業に従事するのだ。

 基本的には危険作業に当たる重作業を、TXシリーズを使用するとはいえ、ひとりの判断で行うことの出来る作業者はそうは多くない。免許取得にはそれ相応の障壁があるのが、TXオペレーターなのだ。

 カオリはうなぎを頬張りながら目を細めて、まるで年齢の話題はこれでおしまいと言うように「おいしい!」とつぶやいている。ユウキもさざえを口に放り込んで、しばらくは昼食に専念することにした。

 森林伐採された山の緩やかな斜面。赤茶けた地面は無愛想だが、土の匂いと樹木の匂いが混じり合い、その場で寝ころんで体を伸ばしたいような誘惑にかられる。

 こういうところで女のコとふたりで食事をするのも悪くはないなと、ユウキは思う。隣のカオリは作業服に土が付くのもかまわずに膝を伸ばしてぺたりと座り、おいしそうに弁当をつついている。


 この山での作業も、もうすぐ終わりだ。ほとんどの環境は出来上がり、あとは時間をかけた自然の営みという作業に切り替わる。自然が地盤を固め、微生物を繁殖させ、植物を生育させてくれる。人が行う作業は、そのきっかけ作りと手助けでしかない。

 カオリも、本格的な仕事は街ですることになるだろう。現在、まだ名前もつけられていないその街の造成が本格的に行われつつあるのだ。

 ユウキやカオリが造る、山や街。

 そこに本当に人が住むようになるためにはまだ時間が必要だろう。もしかしたら、自分の世代ではなく、次か、そのまた次の世代になるのかもしれない。

 それでもユウキはやはり、この仕事が好きだった。おそらく自分では見ることも住むこともないその街の完成に、焦りはない。あきらめもない。人の住める環境を構築するという仕事そのものが、自分のやるべきことだと感じていた。

 街の現場では、人が住むようになる街に先駆けて、地下深くに巨大なデータセンターが造られている。

 ユウキはその現場を見たことがなかったが、そこには人類が産み出すすべてのデータが集められるという。

 データの保管庫、データアーカイブシステムだ。

 “エデン”と名づけられたそのデータアーカイブシステムを中心とした街造りが、現在行われている環境構築なのだ。

 データアーカイブシステムには人類の全データを扱うに足る処理能力を持つコンピュータシステムが設置され、その一部はすでに稼働している。L-demonのサーバ処理を行っているコンピュータもそこに含まれていた。

 データアーカイブシステムに集められたデータは、分類、集計、分析、統計が行われ、それがL-demonの過去状況データとしても転用される。

 この、人類の歴史そのものといっても過言ではないデータの集積から統計的に導き出された危険予測の、確率的信頼性は非常に高い。L-demonは、このデータアーカイブシステムにその信頼性の裏付けを置いているのだ。

 データアーカイブシステム“エデン”。

 そのシステムが本格稼働をはじめたときにどんなことができるようになるのか。

 ユウキはそれを知らなかったが、一部機能を転用しただけのL-demonでさえこれだけの恩恵を与えてくれているのだと思うと、将来が楽しみであると同時に少し恐ろしい気もしていた。

 データアーカイブシステムの最初の果実である、L-demon。エデンはこの先、どんな果実を実らせていくのだろう。

 ユウキはTX050を見上げる。この機体が自分やカオリを守ってくれるために、どれほどの技術、労力、時間がつぎ込まれているのか。知識としては知っていても、実感が沸いてこなかった。

 巨大なデータセンター、スーパーコンピュータ、そして人類の歴史。それらが集められて、この機体に詰め込まれている。

 ユウキはTXを見上げながら大きくため息をつく。カオリが不思議そうに、弁当を片手にユウキを見ていた。


 過去状況判定からの推測でL-demonを支えている柱はデータアーカイブシステムだが、L-demonにはもうひとつの柱があった。

 TXシリーズ本体に取り付けられた環境センサー群だ。リアルタイムで集められる周辺状況。そのためのセンサー群。

 そこに使われている技術は、基本的には企業秘密とされている。ユウキやカオリ、その他TXオペレーターが教えられるのはその概要だけだった。

 ユウキが講義で聴いたことは、一時期世界的に話題になった生体同期システム、植物や動物の品種改良で絶大な威力を発揮したシステム、MuLSS(マルス)の技術が転用されているということだけだった。

 MuLSS。マルチレイヤーシンクロナイズドシステム。それは究極の医療機器として開発されたシステムだった。

 生体を多層構造体として分析し、それぞれのレイヤーに対して同期信号を送り込む。21世紀初頭のAEDが心臓の同期を促す機器だったのに対し、マルスは全身を対象にした同期システムなのだ。

 マルスは全身同期を行うために、生体のレイヤー構造を原子レベルで解析する。そのためのスキャンシステムが、L-demonの環境スキャンに転用されたのだ。

 原子レベルでの、周辺環境リアルタイムスキャン。それがL-demonのもうひとつの柱だった。

 原子レベルでの周辺状況把握とデータアーカイブシステムの過去状況判定が結びついたとき、L-demonは産まれた。L-demon導入後数年に渡って、重作業における死亡、重傷事故がゼロを記録し続けるほどの、高度な危険予測システムが誕生したのだ。

 それはまさしく、ラプラスの悪魔の顕在化だった。

 ラプラスの悪魔。ユウキはL-demonの名称に使われたこの概念を、講義で教わるまでは知らなかった。

 19世紀、フランスの数学者ラプラスはこう提唱した。

 "ある瞬間におけるすべての物質の状態を把握できる存在があるなら、その存在にとっては過去と同じように未来もすべて見渡すことが出来る"。

 理論上、未来予知が可能となるその存在が、ラプラスの悪魔だ。

 不確定性原理が一度はその存在を否定したが、エヴェレット解釈で再び蘇った悪魔。その悪魔が、TXシリーズを支えている。未来予知としか思えない予測を可能とした現代のラプラスの悪魔。それが、L-demonだった。

 その高度な危険予測は、人の曖昧な勘や数十年程度の経験を寄せつけるものではなかった。L-demonが発するアラートには無条件で従う。デーモンの言葉は、人の言葉よりも信じられる。それが、TXオペレーターすべての認識となっていた。


「先輩、ユウキさん。なにを考えているんですか?」

 カオリが小首を傾げて、ユウキを見つめていた。唇の端に、うなぎのタレが少しついたままだ。

 ユウキは微笑み、指先でそのタレを拭き取る。カオリはぴくっと肩をすくめるが、そのままユウキの指先に任せて唇を少しすぼめる。

「才能はあっても、まだ二十二歳っていうのは本当なんだな」

 ユウキが笑った。カオリは頬を紅くして俯くが、すぐに顔を上げて頬を膨らます。

「三年しか違わないんですよ、三年しか」

「さっきとは言ってることが反対だ」

 笑いながらユウキは立ち上がり、二人分の弁当箱を納めたバッグを肩にかけた。

「さて、では最年少記録更新者の腕前を、もう一度見せてもらおうかな」

「もう・・・・・・」

 カオリも立ち上がり、作業着のおしりを両手ではたく。

 二人はTX050を離れて、数十メートル離れて停機してあるカオリのTX049へと向かった。TX049の正面にはこれから伐採予定の樹木が数本、森から外れるように孤立して立ち並んでいた。前のオペレーターが研修用に残しておいてくれたものだ。

 ユウキが先にTX049のタラップへと足をかけて、後部副操作席に乗り込む。続けてカオリが主操作席へ着いた。

 ハッチを閉めると天球モニターが作動して、操作室内は外と同じ明るさになった。カオリが起動操作を開始する。駆動音が外から聞こえてくる。カオリが外部可動腕操作ハーネスを両手につけたとき、不意に天球モニターが瞬いた。

 L-demonのアラートが操作室に響きわたった。

 足下の支えがなくなったような気がした瞬間、ユウキは体がふわりと浮く感覚を覚える。

 真下で大きく地面が割れた。

 TX049が落下する直前、TX050が反応し、カーボンワイヤーが射出された。

 そして、TX049は地割れの中を落下した。

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