第2話 デーモン

 カオリがユウキの前に姿を見せたのは、その日の朝だった。

 汎用歩行作業機TXシリーズのオペレーターとして配属されてきたカオリは、ユウキの前に少し大きめの作業着姿で立つと、ぺこりと頭を下げた。

「カオリ・ケイです。お世話になります!」

 自分が指導役を務める新人がやってくるとは聞いていたユウキだったが、それがまさか若い女性だとは考えてもいなかった。

 TXオペレーターの中では最年少だった自分よりもさらに若いと思えるカオリの小柄な姿に、ユウキは先輩風を吹かせることも忘れてTX049のタラップから飛び降りた。

「こちらこそ。ユウキ・ユウです」と、新人オペレーターに向かって頭を下げる。

 ユウキが頭を上げながら上目使いでカオリを見ると、カオリは長めの袖から少しだけ出ている小さな手で、頭を掻きながらどうしていいのかわからないようにはにかんでいた。

「ユウキ、君は指導役だ。わかっているな。これは仕事だ」

 タラップ下にいた管理官が、腕組みをしたままユウキの横でぼそりと呟く。

「知っているか、ユウキ。同僚に手を出した者がどうなるかを」

「まさか、そんな」

 ユウキは管理官に向かい一礼すると、小走りに後輩の元へ向かった。

 研修で実機には乗ったことはあるものの、搭乗時間のほとんどがシミュレーターだというカオリに教えることは、まずは基本的な四足歩行からだった。

 汎用歩行作業機TXシリーズには、数種類のバリエーションがあった。単座、副座、前方自然視界と全方向天球モニター視界など、その時々において使い分けられる。共通するのは、鋼鉄性の無骨で巨大な四本の脚と、作業目的によって変更可能なアタッチメント方式を持つ二本の可動腕だ。

 四本の脚にはタイヤも設けられており、不整地での歩行移動、整地での走行とほとんどの作業環境に対応が可能だった。脚、腕の駆動には人工筋肉が用いられており、回転、伸縮以外に捻りにも対応する。

 採掘、伐採、運搬等の、ほとんどの重作業を一台でこなせる汎用作業機械。それがTXシリーズだった。

「じゃあ、まずは歩行操作してみようか」

 ユウキは、カオリを副座天球モニター視界のTX049に座らせると、基本操作を復習させながら言った。自分でも思わず、声が優しくなってしまう。仕事だと自分に言い聞かせながらも、やはりユウキも若い男性だった。

 ユウキはカオリのTX049を離れると、愛機と呼べるほどに慣れた単座自然視界のTX050に乗り込んだ。

 ユウキが先導してゆっくりと四足歩行を始める。

 格納庫では通常の場合脚固定の走行だが、今日はカオリのためのお手本だ。舗装面を崩さなきゃいいけど、と思いながら、バックモニターでカオリのTX049を見守る。カオリはぎこちなく脚を動かして歩行をはじめたが、しばらくするとシミュレーターの感覚を思い出してきたのか、スムーズに歩行できるようになってくる。

 作業現場までは直線距離で20キロほどはある。カオリが歩行操作に慣れた頃、ユウキは脚固定走行に切り替えることを連絡した。

 緩やかな稜線を延ばす深緑の低い山々に囲まれた里山地帯。

 田畑が広がる山の麓に、TXシリーズの専用作業路が作られていた。専用道とはいっても、それほど幅は広くなく、舗装もされていない。かろうじて脚固定走行が出来るくらいには整地されているが、操作を誤ると田圃に脱輪だ。

 ユウキは速度をいつもの半分くらいに落とし、バックモニターでカオリを見ながら走行を続けた。カオリもときおりふらつきはするものの、何とかユウキの速度に遅れないように着いてきている。

 藁葺きの大きな屋根を持つ民家を何軒か通り過ぎると、山への分かれ道が現れる。

「カオリ、これから山道に入る。君はデーモンのレベルを2に上げてくれ。大丈夫、誰も文句は言わないよ」

「わかりました」とカオリの声がスピーカーから聞こえた。


 デーモン、L-demonは危険予測システムだ。

 TXシリーズすべてに搭載されている最新鋭の機器だった。L-demonが搭載されてから、年に数件は起きていた重作業における死亡事故がゼロになったのだ。

 TXシリーズの操作席下側、360度すべてを埋め尽くすように搭載されている周辺状況感知センサー群が読みとったデータを、サーバーが瞬時に過去の状況と比較する。危険予測が行われるとL-demonは操作者にアラートを出すが、緊急の場合にはTXシリーズが自らの判断で危険回避行動をとる。

 サーバーを使用するために処理能力には上限があり、作業中のTXシリーズそれぞれに対して処理能力分配が行われている。しかし通常作業ではレベル1でも充分過ぎるほどの周辺状況判断と予測処理が行われており、システム搭載後数年が過ぎた現在でも、レベル3以上を必要とする作業は行われていなかった。

 今日作業しているTXは、俺たち以外には半径30キロ圏内にはいなかったはずだ。レベル2でデーモンを使っても、配分に文句を言うヤツはいないだろう。

 ユウキはそう考えたのだった。それに今日は作業というよりも、研修だ。万が一があってはいけないんだ。カオリの笑顔が頭に浮かんだ。彼女に怪我をさせてはいけないんだ。

 ユウキはバックモニターをちらりと眺めて、唇だけでつぶやいた。

 ユウキの先導で二台のTXは山道に入った。道はかなりの凹凸があり上り傾斜もかなりあったが、まだ固定走行ができる範囲内だった。

 ユウキは曲がりくねって続く山道の、頭上に多い被さるような樹木を眺める。この道も、木々の並びも、そしてこの山そのものも、ユウキたちTXシリーズのオペレーターが造ってきたものだった。

 広大な砂漠地帯だったこの地域に、新たな土を盛り、樹を植え、道を整える。人の住めなかったこの場所に、何年もかけて山々とその周辺を造ってきたのだ。今ではもう樹木は成長し、TXシリーズによる伐採までも行われている。

 ユウキがその環境構築作業に従事したのは数年前からであり、実際には道の一部と植林作業を行っただけではあるのだが、それでも彼はその作業に誇りを持っていた。

 山や街を造る。環境を丸ごと造っていく。荒れ果て乾き切った大地を、緑豊かで人が住める環境に変えていく。

 ユウキは、これほどやりがいのある仕事は他にはないと思っていた。できれば同じ充実感を、カオリにも味わってほしい。味わわせてやりたい。そして今日が、その第一歩なんだ。

 ユウキは速度を落として、バックモニターを覗いた。


 突然、L-demonのアラートが鳴った。同時に女性の声で音声出力が室内に流れる

「停機してください。本機に危険はありません。後続のTX049と連携中。後続TX049、停機」

 ユウキは機体を停めて、バックモニターを見据えた。カオリのTX049が数十メートル後方で、わずかに機体を斜めにして停機していた。おそらくアラートと同時に自動停機したのだろう。

 そのとき、両機の間にできた空間に、山側から轟音を立てて大木が滑り落ちてきた。周囲の細木をなぎ倒しながら巨大な黒茶色の幹が転がり落ちて、道を塞ぐように横たわった。ばさばさと重なる音を響かせて、枝葉が道を越した反対側に倒れ落ちる。

 タイミング的には、カオリのTX049への直撃コースだった。TX049が自動停機していなければ、おそらく大木と共に道の外に押し出されていただろう。

 ユウキは操作席を離れ、TX050から降りた。

 カオリもゆっくりと降りてきている。ふたりを区切るように道に横たわった大木と巻き上げられた埃で、向こう側のカオリが霞んで見える。

「大丈夫かい。これはすごいな。冷や汗ものだ」

 ユウキが大木を眺めながら、その向こうまで近づいてきたカオリに声をかけた。

「大丈夫です。でも、この木にぶつかっていたらと思うと・・・・・・」

「こういうときのためのデーモンだからね。デーモンは俺たちを守ってくれている」

 ユウキが黒茶色の幹を撫でながら言う。そういいながらも、本当にこれがカオリに直撃していたらと思うと、やはり冷や汗がにじむ。

「デーモンって、一応習ったんですけど、こんなにすごいなんて知らなかった。びっくりです」

 カオリは目を大きくして、道に横たわる巨木を眺めている。

 はじめてデーモンの機能を目の当たりにすれば、誰でもが必ず驚く。未来を予知しているようにしか思えないからだ。

 高感度センサーが感知した微細な振動や気圧の乱れ、気温のわずかな変化等の周辺環境、それらに過去の状況データを加えて比較分析すれば必然として導かれる予測なのだが、その仕組みを知らない者にとっては、それはまさしく未来予知として見えるはずだ。

 TXオペレーターであるカオリのようにたとえ仕組みに精通していたとしても、実際の現象をはじめて目の当たりにすれば、それはやはり驚きなのだった。

「着任初日にデーモンのお世話になるとは、君は幸運だね。でも、良かった。デーモンがなければ、かなり危なかったから」

 横たわる黒茶色の幹は巨大だが、おそらくこれに直撃されたとしてもTX049は横転するくらいで、操作者の命にかかわるような事故にはならない。TXシリーズの操作者安全性は、それぐらいに確保はされている。

 直接の衝撃よりも恐ろしいのは、操作者の精神的打撃の方だった。TXのオペレーションが危険だという怯えは作業に支障をきたし、より大きな危険を呼び込む可能性があるのだ。

「さあて、こいつをなんとかしなくちゃ」

 大木の向こうのカオリを見やって、ユウキが微笑む。

「君の出番だ」

 カオリが目を大きくする。

「え、私がですか!?」

「それはそうさ。君に向かって落ちてきたんだから。責任取らなくちゃ」

 カオリが少し頬を膨らませる。

「責任って。責任あるのかなあ」

「大丈夫。いい練習台になるさ。うしろで見ててあげるよ」

 ユウキは巨木の幹によじ登り、カオリの側に飛び降りた。

「さあ、作業開始だ」

 カオリとユウキがTX049の操作席に乗り込んだ。もちろんカオリが前席の主操作席だ。

「横たわった幹を分断して、道の脇に放り出すだけだ。大丈夫、簡単な作業だ」

 カオリがTX049の可動腕操作用のハーネスを着ける。手首から前腕、肘にかけての長い手袋のようなものだ。その手袋を通してカオリの腕の動きが直接、外部の巨大な鋼鉄の腕に伝わる。

「よし、動きを確かめて、まずはタイムラグに慣れるんだ。慣れてくれば気にならなくなる。自分の腕のように自由に動かせるようになるはずだ」

 腕の動きを外部の巨大な腕に直接伝えているために、質量差によるわずかなタイムラグが発生する。コンマ数秒という単位だが、慣れないとこのタイムラグのせいで自由な動きが阻害される。タイムラグを無意識に計算に入れた動きができるようになるためには、経験を積み重ねるしかなかった。

 カオリはしばらく間、腕を上げたり下ろしたり、また振り回してみたりしながら動きを確かめていた。

「アタッチメントは今のままでいい。レーザーカッターとクランプだね。では、とりあえず真ん中で切断してみようか」

 ユウキの言葉にカオリはうなずき、唇を固く結ぶ。

 両足の操作でゆっくりと四足歩行を行い、巨木の幹に近づく。TXシリーズの腕には数十種類のアタッチメントが装着可能だ。中には巨大な装備もあるために格納庫で装着しなければいけないものもあるが、基本的なものは、機体後部に備え付けてある。

 カオリの今日の研修予定作業は伐採だったため、はじめからカッターとクランプが装着済みだった。

 TX049が横たわった幹に近づき、左腕のカッターを下ろした。先端に備えられたセンサーが自動的に切断部の外周と内部の簡易スキャンを行う。

 スキャンが終わったところでカオリの左腕ハーネスにつけられているLEDが緑色の光を発した。カオリの左手首がわずかに動く。

 カッター先端から鋭い光が発し、太い幹の外周に沿って定速度で回転を始めた。幹を半周したところでカッターは幹から離れる。その直後、太い幹が分断されてごつんと地面に崩れ落ちた。わずか数十秒の作業だった。

 カオリは目を閉じて、ふうと息を吐き出し、もう一度深く息を吸い込むと次の切断箇所へと機体を動かした。

 道を横断していた幹をクランプで挟めるくらいの大きさにまで、すべて切断するためにカオリは30分を要した。

 悪くない。いいセンスをしている。初心者にしては機体の移動に無駄がない。カオリはきっと、いいオペレーターになるだろう。自分もうかうかはしていられない、とユウキはカオリの作業を眺めながら思う。

 クランプでの撤去作業は切断に比べれば簡単な作業だった。センサーが撤去物を自動判定してくれるおかげで、機体移動もほぼOS任せだ。最後の切り株を持ち上げたクランプがその大きな指を広げて丸太を落としたとき、カオリは大きくため息をついて首をぐったりと落とした。

「なかなか良かった。上出来だ。ここまでできるとは思っていなかったよ」

 作業中は一言も発しなかったカオリが顔をあげて、目を輝かせた。

「本当ですか!? よかった! いきなりだから緊張したんですよ」

 そして弾けるような笑顔を見せる。その笑顔にユウキも、思わず照れたように微笑んでしまう。

「じゃあ、目的地に急ごうか」

 カオリを残してTX049を降りたユウキは、元のように何もなくなった道をTX050へと戻った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る