ラプラスの悪魔

辺堂路コオル

第1話 クリフハンガー

 TX050から伸ばされたカーボン製のワイヤーロープ二本だけが、文字通り頼みの綱だった。

 頭上の、大きく楔状に開いた開口部から曇った灰色の空が見える。

 180メートル。地割れで開いた地表からの距離を、L-demonのセンサーが計測してモニターに点滅表示している。

 ユウキは落下の衝撃でぶつけた額から流れる血を手の甲で拭き取り、額を押さえながら前部主操作席のカオリに声をかけた。

「カオリ、大丈夫か」

 TX049の操作室に設置されている操作者用の人体センサーは、わずかに黄緑色に変化しているだけだ。自分もカオリも、怪我はひどくないことを示している。

 カオリは主操作席でぐったりと首を傾げて、目を閉じていた。センサーの表示どおり、大きな怪我はないようだ。シートベルトと共に機能する操作者保護機構がきちんと動作してくれたおかげだ。

「カオリ、大丈夫か」

 ユウキがもう一度カオリに声をかけた。

 小さな声で呻き、顔をしかめたあとでカオリが首を起こして目を開ける。

 首を回して辺りを伺い、ユウキに顔を向けた。ショートカットの髪が乱れて前髪が目を隠し、横髪が頬に張り付いている。

 可動腕操作ハーネスをつけたままの腕でカオリが前髪をかき上げる。マスタスレーブ機能は衝撃感知のために自動で切断されていた。

「大丈夫、大丈夫だと、思います。私たち、どうしたの」

 とりあえずカオリの無事が確認できたところで、ようやく状況を把握しようとする余裕がユウキにも生まれてきていた。

「たぶん、どこかに落ちたんだと思う」

 操作室を囲む球状の天蓋は全天球モニターになっており、主操作席とその後ろの副操作席からはまるで屋根のない空間のように周辺状況が見渡せる。

 周囲は岩壁に囲まれていた。垂直に切り立ったごつごつとした岩肌がTX049の前後に聳え、その岩壁の間にワイヤーに釣られてぶら下がっているようだ。真上には、岩肌に挟まれた隙間から覗く細長い空が映し出されている。

「落ちた? どこに?」

 空を見上げて、カオリがつぶやく。

「ちょっと待ってくれ。デーモンのログを調べてみる」

 L-demonのログを読み込むと同時に、ユウキは後部座席横に設置されたパネルからTX049のシステムチェックを行う。操作系は自動切断されていたが、機能自体は生きていることを示す緑色の帯がモニターに延びていく。

 ユウキは天球モニターにOSを呼び出し、カオリにも見えるようにモニター正面にL-demonのウインドウを表示した。

「ここを見てくれ」

 ユウキがカオリの頭越しにL-demonのログを指さす。

「何かが地表に激突したような波形が記録されている。ここから10キロほどの距離だ。デーモンは隕石だと推定している。それほど大きくはないようだ」

 ユウキはログを眺めながら言葉を止め、わずかに考え込んだ。

「衝突衝撃は大きくはなかった。でも、人工造成したこの地盤がまだ完全には固まり切れていなかったんだ。それで、地割れが起こった」

「地割れ? 私たちの真下で? そんなことって・・・・・・」

「おそらく急激過ぎて、デーモンの対応も間に合わなかった。いきなり地面が割れたんだ」

 ユウキがため息をつく。

「それでも、俺たちの落下の瞬間に、上に残ったTX050のデーモンは反応している。TX050はワイヤーを射出し、俺たちのTX049に接続した。そのおかげで間一髪助かったというところだな」

 ユウキがさらにL-demonのウインドウを操作しながらつぶやく。

「TX050がドローンを飛ばしている。そのデータから詳しいことがわかりそうだ」

 そう言い終えないうちにユウキが息を止めた。操作ウインドウの上でユウキの手が止まり、沈黙する。

「どうするの? どうすればいいの」

 カオリが不安げにユウキの手元を見つめた。

 ユウキが息を止めたまま、独り言のように小さくつぶやいた。

「まずいことになった」

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