第8回『花』/手に蕾む
静鉄清水線日吉町駅から徒歩3分、住宅街だが、鷹匠は個人小売店が多い。この店は10年前親父が改築し、まわりのこぎれいなマンションに埋もれないよう店構えを変えた。そうはいっても祖父の代から続く和菓子屋、和菓子らしさは捨てぬよう、コンセプトデザインはブレないようにと俺も口を出した。
静岡はお茶の町、しかし行政からのプッシュアップはここ最近のことで、販売店も生産農家もずいぶん潰れた。お得意様であるお茶教室も、バブル期はボコボコ盛り上がったけれど弾けてからはすぐに消えた。厄介なことにブランド志向は残って、聞いたことのある銘柄は玉露のみ、茶を使うと言えば抹茶抹茶。もちろんお抹茶はウチの相方だし俺だって嗜む。でもこのまま家庭から緑茶が消えていくのかと弱気になる時期もあった。
だが最近は、洋菓子に合わせるアピールや、洋風の緑茶店も増えている。商業ビルに専門店が入り、組合と県が出資したお茶屋がエキチカにできると聞いた。コーヒー紅茶に押され、日本茶と言えば特別視されつつ敬遠されるお抹茶ばかり、という時期を見てきた者とすれば大進展だ。
菓子の道が無限なように、多様に開発された
その横に、上菓子、干菓子、餅菓子がいる。俺はそれが見たい。
「ここでいいんじゃね」
「知ってるお店?」
「いやあ知らんけど。上菓子なんてそんな違わないでしょ。食べ比べたら味違うかもしんないけど、専門店で不味かったらすぐ潰れるっしょ」
濃紺スーツの若造と、薄いニットカーディガンに膝丈スカートの女の子が喋りながら硝子戸を押して入店した。
若造の言葉は失礼だが的を射ている。どれだけ売れない時代でも、小豆と白砂糖のランクは落とさなかった。そんなことをすれば一見さんは騙せてもお得意様は静かに離れていく。少量の取引は問屋にいい顔されなかったが親父もお袋も頭を下げてきた。京都だろうが江戸だろうが、今生き残ってる店はみんなそうして踏ん張っている。和と洋と、場合によっちゃ中東や南米菓子だって食ってヒントにしてきた。変えていいところと駄目なところ、どの店も伝統と変化は取捨選択で戦っている。
「でも私、和菓子ってよくわかんないし。
「莫迦め、こういう時はお店の人に丸投げするのがいいにきまっている。すいません、会社の取引先が来るんですけど、オススメはどれですか?」
さては新人だな。4月も半ばにふたりで買い出しを頼まれるということは、まだ仕事がろくにない時期だから。それでいてなんとかしそうと思われている。『いつも《ひいき》の店』があれば、先輩と引き継ぎがてら来店するだろう。うまく行けばこの先も『おつかい』に来てもらえる。
「今なら花衣、山吹、牡丹、春息吹、三つ叉が季節物です。ウチは生菓子だけでなくて饅頭や羊羹も置いてますので、無難なものも選べますよ」
「無難じゃないってどういうのですか?」
ぜんぶアンコじゃん、という顔をする女の子にそうだろねえと内心頷く。
「求肥とか白餡嫌いなひとがいるってことデショ。俺あれ苦手。黄身しぐれ」
「なにそれ」
おっと若造はひよっこではないようだ。
「合わせるのは掛川の深蒸しなんで、甘みがしっかりしてれば生菓子がいいと思うよ。土産用じゃないし、大福じゃ手が汚れる」
「打合せだもんね、笈川かしこいじゃん」
「フフフ。ぶっちゃけると茶農家のダチがいるからけっこう食う機会ある」
「はーん」
そうしていくつかの遣り取りののち、来客用に黄身しぐれでできた山吹を、自分たちのおやつにとこなしの春息吹、練切の牡丹をチョイスしていった。
以来、月に1、2度会社のおつかいに女の子が、会社帰りの腹ごしらえらしき男が(ウチを贔屓にする男は若造ではない)イートインにちょこちょこと顔を出すようになった。
「ちわー」
「いらっしゃいませ」
濡れた傘を傘立てに差し、私服はずいぶんチャラい男が、ツナギ姿の人のよさげな男とケースを覗く。馥郁とした茶葉の香りが鼻腔をくすぐった。
「最近ここ制覇してんの。モナカも旨かったよ」
「へえ、どら焼きもあるんだ。ということは……若鮎もあるな。じゃあこれ家用に買っていくわ」
「俺んちで食うやつ選べよ、奢っちゃる」
「自分で買うからおばさんの買ってやれよ」
「いやそこは逆にしよう。シゲのは奢るからカーチャンにしてよ」
「それでもいいけど」
「お前んちの新茶はカーチャンが楽しみにしてるからさ。俺は浮島にしよっと」
男は自分用にと天の川、シゲと呼んだ男に青梅餡の紀州、母親用にきんとんに寒天を散らしたあじさいを選んだ。
客商売をしていれば、なじみの好みや家族構成は推し量れるものだ。男はどうやら母親と2人暮らし。しかし名前が思い出せない。最初におつかいで来たときに、なんと呼ばれていただろう。
「え、ここ? たまに会社の用事で来るよ。最初笈川と来てさ」
「上菓子って季節物が多いから、少なくとも1年は通うつもりだろう」
「そんな甘党だったとは……」
そうだ『オイカワ』だ。やっと彼の名前がわかった。デニムパンツの女の子と薄手で光沢のあるフライトジャケットの『シゲ』が一緒にやってきて、ガラスケースを覗きながらオイカワの話を続ける。
「おいっちゃんは昔から酒より甘い物だなあ。高校ん時はケーキとかき餅にハマってた」
「甘くてしょっぱいな」
「えーと、時期は違う。ケーキん時はダチ5人で持ち回りで付き合った」
「高校生男子が毎日違う男友達とケーキ。シュール」
「サイフが保たないから毎日じゃないけど。聞きつけた女子が行きたいって女子3人とおいっちゃんで食べに行った時あって、羨ましいんだけどこっちはもうケーキが無理で、男5人で公園でキャベツ太郎齧ってた」
「カワイイな高校生」
女の子はしょーがねーなと相好を崩した。シゲがそれを横目に複雑な笑みを浮かべる。
「おばさんの好みわかる? 笈川は黄身しぐれキライって言ってたけど」
「あれ、おいっちゃん、ういろうも苦手だぞ……」
「意外と好き嫌い……? まあいいや、したらフツーの買ってけばいいんでしょ」
「おばさんはどれも好きだよ。そうだな、この薄茶のポコポコはなんですか?」
指さされた新嘗の説明をする。
「道明寺粉の皮で白餡を包んでおります。色は稲穂、豊穣のイメージです」
「道明寺って桜餅じゃなかったっけ?」
隣で女の子が首を傾げた。
「関西風ですね。道明寺粉というのは餅米を使った粒感のある白い粉で、色は後からつけるのですよ」
半殺しの食感を上菓子で表現するならと選んだ。上新粉では粘りが足りない。
「なるほどー」
「珍しいからおばさんはこれにしよう。
女の子はミズエ。下の名前だろうか。王様の耳はロバの耳。客のプライバシーは客から切り出さない限り触れないのが俺のセオリーだ。だのに、つい余計な詮索をしたくなるのはもういいおっさんだからか。修行優先で結婚が遅かったので、ウチの娘はまだ10歳。しかし仲良しの男子はチラホラいる。いるのだ。いや最近は『多様性が何チャラ』と、男女の反発を煽る指導はしない。いいことだとも。しかしそれとこれは別である。
「この透明な紫のにしようかな。りんどうって素材何ですか」
「紫芋餡を、色づけした求肥で巻いております」
「え、葛かと思った。求肥も透明なんですか」
「こちらも餅米でございまして、粉末にして水で練って、水飴を加えて更に練るとこういったものもできるのです」
白色を生かすか透明度を上げるかはイメージ次第。曇り硝子風のしっとり感が気に入っている。
「俺は秋桜にしよう」
秋桜は2色のそぼろ餡で群生した花と葉を模している。シゲは他に家族用の
オイカワたちが現れてから2年。細くゆるいなじみ客と店主の関係。
時にひとりで、時々ふたりで、たまに3人で。ドリカム状態じゃないか、今の若い子には伝わらないか、いやホントおっさんになるのは簡単で涙が出る。親父はもう表には出ないが裏では現役で俺はまだまだ勝てない。手業の道は一生修行だ、店番もニーズの取材、外に出ればすべてが観察。3人組の他にも常連は様々な話を店に持ち込んでくれる。倦まず
ミズエさんは会社のおつかいに来るが、一見チャラい、けれどイートインの後は必ず母親の土産を1つ求めていくオイカワの姿は見なくなった。和菓子にハマったシーズンが終わったのだろう。今は何にハマっているのか。
やがてミズエさんは、会社の後輩を連れて引き継ぎし、仕事では来なくなった。そのかわり、年に数回私用で来るようになった。シゲは時々姿を見せる。いつも持ち帰りで饅頭系が多い。買っていく菓子の数が減っても、俺は何も言わない。そういう変化もよくある。娘が製菓学校に行きたいと言い出した。
そうして何年経っただろう。今日の店先では、よそゆきな服を着たミズエさんとシゲが揃ってガラスケースを覗き込む。
「
「今時期、水無月は鉄板として。笈川はういろうダメだったよね?」
「ダメって程でもなかったけど。小豆は好きだったし」
「ふむ。練切だと、紀州か朝顔か鉄線かはたまたあじさいか。あ、この
「梅餡旨いよな」
「じゃあ滋くんは紀州だね。笈川はかわいいからカエルにしよ。飾ったらキレイじゃない?」
「おばさんには鉄線にしようか」
「じゃあ私あじさいで」
水無月を3つ、紀州、
ふたりの薬指に同じデザインのリングを認めて、会計を済ませた。
「ありがとうございました、道中お気をつけて」
いつもの見送り声をかける。客から切り出さなければ触れないのがセオリー。だから心でだけ付け足す。おめでとう、しあわせになれよ、しあわせでいてくれよ。
またここに、その笑顔を見せに来てくれ。
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