第7回『海』/ 幸運な子供たち

 大きな墜落事故だったのだ。世界中を釘付けにしたニュースの更新は暇なくシチズンウェブのホットワードを埋め、1週間後に海で見つかった子供は『奇跡の少女』と人々を滂沱させ、彼女を救うためたちまち義捐金が寄せられ、治療のため本来は新生児が入るオートクチュールに接続された。いくらアジア系で幼く見えたといえ13歳を迎えていたのだから希有な処置だ。

 《オートクチュール》―――服ではない。縫製でもない。死にかけたシャンブル・サンディカルから『ブランド』を買い取った医療メーカーが売り出した、生まれつき致死病に冒された子供を救うための高級医療機器。生を留めるための最高手段。それぞれのマシンに技師と医師がチームでつき、子の状況に合わせてビリオンと呼ばれる超小型ナノマシンを使った治療を施すという、人類2%の超裕福層にしか選択肢がない治療法。幸運な子供たちはオートクチュール・アンファン、HUウーと呼ばれる。


 で、だ。一命を取り留めた『奇蹟の少女』である私に課せられた義務がひとつ。「シチズンウェブの向こうに笑顔で感謝を。『みなさんのお陰でこんなに元気です、ありがとう!』―――寄付が途切れれば治療費どころか装置の電気代すら維持できない。電源を落とされたくなければ常に同情を引くこと。口座からキャッシュを抜き出すこと」つまり娯楽の提供者たれと。DNA解析から私が搭乗者の誰なのかは特定されたし、両親は中層市民だとわかっている(まだ見つからないしたぶん死んだ)。オートクチュールに繋がれた時点で記憶調査ボーリングされたので、機内放送や映像から墜落直前の様子は多少判明したらしい。しかし墜落後、波間を漂った私の記憶はほぼ損壊していて、なぜひとりだけ生き残れたのかは解明できず終い。低体温、下半身骨折、肺の萎縮、仮死状態。複合してたまたま助かった、らしい。たしかに『奇蹟』っぽい。


 入院して与えられた空間、オートクチュールの内世界マイルームには私の記憶が投影されている。まあ私もデータなのだけど。ベッドで寝て、(現実でリハビリして)、内世界で起きて、日がな玄関先に広がる海を安楽椅子から眺める。本物の家の前にはコンビニがあるのだけど、つまらないので祖父の近くの浜辺を繋げた。私の思い出は曖昧でも、脳内からデータを引き出す内世界は完璧な再現だ。目を閉じると漂っていた感覚がシンクロする。治療者たちには不思議がられたが海に恐怖はなかった。

 生身に戻るのは億劫だった。日に何度かは身体を動かさなくてはならないのだけど、痛みがシャットアウトできない(神経を繋げるリハビリなのだ)のが苦痛なのだ。こんな身体に居続ける必要あるんだろうか。医師は言う。『君は他のHUと違う。生身リアルに戻らなければならない』。でも生まれつきで入る子供は身体を廃棄することも多いと聞く。なぜあの不自由な身体を捨てることが私には許されないんだろうか。

 損傷の激しい身体と無痛な内世界を行き来して日々が過ぎる。寝てる時間がほとんどでもさすがにそろそろ飽きてきた。私の内世界は治療チーム経由のクローズドなのだ。

 外はHUの共同広場ジョイントスクエアだ。個人の内世界は共有オープンもできるしクローズドにもできる。

 私は医師から強制的にクローズされている。外にアクセスしようとしてもモニタしてる技師からはすぐわかると。だからHUに侵入されて警告が一切無かったのは印象的だった。


「いいとこだねここ」

 10歳ほどの少年が突然浜辺に現れた。

「新しいHUだね? なんで隠れてるの?」

 笑う彼は好奇心全開の眼差しを向けてくる。もしやと思っていたが、他のHUには隠されていたのだ。

「しかも君、生まれたてじゃないね。もしかして僕より大きい? 視界借りるよ、うわ、ちっちゃいなあ! 僕の外見ってこんなもん? ああ君の補正が入ってるのか。父さんたちから見た僕はこんな感じ」

 オートクチュールはここ10年ほどの技術だ。それを覚えていたから無意識に年下の従兄弟を連想したようだ。軽い明滅と一瞬碧眼プラチナブロンドの少年が現れてすぐ戻る。

「だからかー。あとから接続される子はめったにいないけど、大体隠されてるんだよね。防護壁カムフラージュですぐバレちゃうのにね。あとからの子は広場に連れてくなって先生から止められててさ。『酔う』んだって。でもひとりじゃつまんないよねえ、こっちこない?」

 捲し立てる少年に引く。しかし内容は魅力的だった。確かに退屈していた(寂しくもあった)。

 それでも彼らとは立場が違う。彼らには強力なバックがついている。治療者たちに対抗できる力のない私は被験者として従うしか術はない。

 断ると、少年は見るからに悄気返った。つられて悲しくなる。ひとと交流したい。治療者は友だちになれない。

 私が煩悶している間に彼は笑顔を取り戻して、ここを探索しようと言い出した。つまり私の記憶を。一緒にいてくれるのだとわかって快諾した。波打ち際を散歩しながら風景が次々変わるのをふたりで楽しんだ。彼の質問に答えようと記憶を手繰ると内世界が反応するのだ。

 やがて検査の時間になり、眠ることを告げると彼は「僕も呼ばれてるから戻るよ。またね」と消えた。

 『またね』。曖昧な約束に気が塞ぐ。技師にバレないだろうか、また来てくれるのか。


 本当にやってきた。

 内世界は静かで穏やかな場から楽しいおしゃべりの時間に変わった。ますます現実がうっとうしくなる。戻りたくない。だけど治療を延期するのは、まして治療終了後もここで生き続けるのは無理な相談だった。せっかく仲良くなったけれど、退院したらオートクチュールとの通信はもちろん、生身で会うこともない。そう思うと寂しさがいや増す。

 もう友だちなんてできないかもしれないのに。せめて一瞬でも温もりを感じたい。この際男の子でもいい。ハグしたいと伝えると「君の見てるかたちだと隙間だらけだよ?」と小首を傾げる。

「僕らと合わせたほうがしっかりくっつけるよ」

 言ってる意味がわからないけど、とにかくハグさせてもらう。

 温かく、ざらりとした指先。男の子の乾いた汗の匂い。お腹に軽い圧迫、腕が回された所だけ熱が伝わる背中。誰かに触ってわかるのは、私の感触だ。

 噛みしめていると「ほら、隙間だらけだ」と少年が不満がる。

「君のかたちはさ、くっつきにくいんだよ。背中とかがら空きだろ」

 ……それは普通じゃないだろうか。だから回された腕がうれしいんじゃないか。

「ねえ、僕らの神経、重ねてみない? そしたらわかるよ。こんなんじゃないから」

 首肯と同時にhackされる。視覚、触覚、重力設定、不安を掻き立てる喪失感と同時に拡張する『私』。

「ほら、『抱きしめて』ごらん!」

 音声信号に命じられて『腕』を、を、絡まる―――圧迫、息ができない、息? 呼吸なんて、全身……全身とは? 腕、どこ、動かして、るの? 溺れているような―――ううん、私は溺れたことない。あの時はもがく力なく水と空気の狭間を浮沈して、今も薬剤と素材とビリオンの溶液に揺らめきながら中外から復元されてる最中で。

『あああああああああああ』

 なのに溶ける。水になる、

 溶けてしまう!

「すごい事故に遭ったんだね、痛熱くてびっくりした。落ち着いて、『僕』との境界線までが『君』だよ」

 彼が私を取り巻いた。『腕』じゃ無い。足が絡まるのとも違う。隙間が無い。軟体生物のようにぴたりとくっついている。全身ぴったりと。全身? 背中は?

「僕らは自分の形を認識する前にこっちにくるから、みんな軟らかいんだ。というか、形を認識してから入ると君みたいになるんだね。ね、あの形よりこっちの方がぴったりするだろ」

 境界線は気を緩めるとすぐ曖昧になって彼が私に染み込んでくる。

 これが自我か。境界線を保ちながら世界を意識する。私が作っていた海も曖昧になり波にさらわれると私と彼も海になる。漂う。海と混ざらないようそちらの境界に意識を向ける。

「ねえ、ちゃんと助けてあげるからさ、ね?」

 彼の声がいたずらを含んで―――侵攻してきた。境界線を侵されて私が冒される。抗えず、悲鳴は『声』にならず、私は彼と混ざった。それだけでは飽きたらず、彼は海とも混ざり始めた。拡張して薄まる自我はどんどん分解されて私の空間が崩壊した。

 外は『彼ら』の世界だった。HUは治療者の想定よりずっと世界を共有していた。混ざる。私は彼らにどんどん侵食され、曝露され、弄られて、感覚は容積を軽々越えて情報処理できずに停止し、細切れになった。


 彼の手で元の形に戻ったあとも私の体内は渦巻いていた。

「みんな楽しかったって。君も楽しめた?」

 安楽いすにもたれぼんやり彼を見上げる。前より肉感的に見える。私のように。

 オートクチュールの子らから与えられた感覚は雑多で混沌として、配慮がなかった。剥き出しの神経に直接刺激を受けたような。生きながら小魚にたかられるような。

 涙が一筋、頬を伝うのを感じた。熱い、そしてすぐに冷たい。痛い、痛い刺激。

 もうここにはいられない。

「どうしたの?」

 彼はあどけなく疑問を浮かべ、私の顎から今にも落ちそうな雫を舐めとった。

「しょっぱい。でも海はもっとしょっぱかったね、あんなに乾いてたのに飲めない水ばかりだったもんねえ」

 舌のザラリとした刺激が痛い。痛い。なにもかも。

「次は僕の海においでよ。もっとすごいの用意しとくからさ!」

 ニカリと笑って続く涙を手の甲で拭う。ひやりと刺さる、夕凪前の一風。

「疲れた? じゃあ僕は戻るね。また明日」


 私は身体に戻った。戻ってリハビリに尽瘁した。鋭敏になった神経には刺激が針の如く襲ってくる。それでも肉体の枷はそれらを和らげた。初めて鈍さに安堵した。

 やがて私はオートクチュールを出た。久しぶりの空気に肺が重い。ビリオンによって斑模様に再構築された身体だからそう感じるのか。私の手足は一部しか生体再生できなかった。特に太腿から下は細胞の記憶がほとんど届かなかったのだ。内臓や骨も再生不良でいたるところに人工形成組織が混ざっているためリハビリと検査が続く。神経系統の乱れ、過再生はないか。膨大な資料を研究室に残して、そうしてやっと退院を許された。

 シチズンウェブには偽情報を流し、迎えに来た教団の車に乗った。入院中に15歳になったが進学も生活のあてもない。唯一の生存者としてアイドルデビューすれば一財産稼げると誘われたが『奇跡の少女』は生い立ちから治療中の姿まで曝され、偶像idolにされた。ウェブの向こうに媚びて暮らすのはもううんざりだ。偶然知ったマイナー教義に惹かれたのはそれで。治療者たちは行き先に難色を示したが定期検査を条件に譲歩してもらった。実際ここまで細かく部分的に機械の身体になると通常の病院ではカバーできない。私たちの利害は一致している。命の継続と研究の継続と。

 内陸の病院から海へ向かう。私が墜ちた、漂った、発見された海とは違う海岸。祖父の穏やかな内海とも違う。降りられる砂浜は少なく義足が血だらけになりそうな荒い磯の黒く濡れた岩が続く。

「見た? これも海だよ」

 彼に呟く。私の中に残る無数のHUへ。共有して混ざって残された彼らの欠片。私の粉々も彼らの世界で誰かに混ざっているんだろう。認識の中から他者の断片を除けないまま、あの日からこちらの世界にいる。現実シチズンウェブにも仮想HUにも消費され尽くして、それは海で漂うよりも恐ろしい。だから。

 もうどこからもアクセスhackされないよう、無電脳エリアで暮らすのだ。教団に利用されるicon化されるとわかっていても。

 船着き場まで、あと少し。

                         fin.

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