第9回『imagine』/うりょう
昔むかしこの村には、鳥になれぬ
※
「おれ、なんで鳥になれなかったんだろう」
「また言ってる」
ともがきが庭先で養父から飛び方を習う姿を、白濁した灰の瞳で眺めながらりょうが呟いたのを、ちかやは聞き逃さなかった。
「りょうはならんでいいよ。とと様もりょうがいて喜んでるじゃろ。わしも鳥にはならないもん、だから一緒にあそべる」
「そっかー」
この村で産まれた男はみな鳥になる。父親とは違う鳥で産まれ、赤子と雛を行き来して、種属がわかると同種の父鳥にもらわれていく。だから父と息子は血が繋がらない。生まれてから一度も雛の姿にならないりょうを
「ねえ本当におれと夫婦になってくれる?」
「とと様から聞いたのか!?」
「ううん、ゆうべおじさんと話してたろ」
確かに昨晩、冗談交じりの父親がちかやに訊ねた。母親はまだ早いと眉を顰めていたが。
「ウチの声が聞こえたんか?」
「最近よく聞こえるんだ。ねえ、本当に? おれと結婚しても鳥の子は生まれんかもよ」
薄灰の目は期待と不安に揺れており、ちかやは口をひん曲げた。
「別にいいじゃろ、鳥はよその子になってしまうもの、
ちかやの弟は雀と雉で、ピィピィと母を呼ぶ姿は可愛らしく、早々にもらわれていったのは残念だった。りょうはにかりとちかやの手を握り「早く大人になりたいな!」と空を仰いだ。
けれど、ちかやが
父御は何度も何度もあたりを飛んで、唄って呼んだ。普段は子を慮って鳥にならぬよう心掛けていた父御だが、りょうは反対に雲雀の唄をよくせがんだから。秋が過ぎ、雪の中唄い続け、凍死しかけたところをちかやが救って以来、父御は鳥の姿をとらなくなった。
5年が経った。収穫を終えた直後の大雨の中、ちかやが粟立つ胸を押さえながら外を見やると納屋の軒先に見知らぬ青年が佇んでいる。この村では見かけぬ立派な風体だったが、目が合った瞬間、ちかやはその懐に飛び込んだ。
「
涙を堪えて顔を埋めると浮遊感があり、気づくと山小屋の前にいた。ここは山まで飛んだ者が人型に戻る休憩所だ。いつのまにと訝しむも、見上げた螂の顔から喜びが零れて疑問は流された。ただ、15になったちかやには子供の面影が残るのに、ふたつ年下の螂はすっかり大人になっていた。
「その目でなければおまえとわからなかったよ」
「おれね、あの年脱皮して大人になったんだ。仲間が脱皮直前のおれに気づいて迎えにきたんだよ」
「よくわからないけど、帰ってきたんだろ? とと様が待ってるよ、一緒に謝ってあげるから家に帰ろう」
「ねえ
「う、えと、とうさまと柾木のおじさんが嫁入りの話をしてるけど、わしはまだ……」
「ああ、啄木鳥の。迷ってるの」
「だってやっぱり生きてたじゃないか。よかった」
ぎゅうと引き寄せられ、明るくも華奢だった少年との違いにへどもどする。
「親弥、おれはここには帰れない。だけど親弥も忘れられない。忘れたつもりで、でも今つがいたいのは親弥ばかりだ」
「螂?」
「親弥、おれは鳥の子じゃなかった。ひとでもなかった。それでもいい?」
「螂はとと様とおばさまの子だろ。わしはふたりとも大好きだったよ」
「そうか」
親弥が姿を消していたのは一週間、雨が降り続くなか、両親と父御は必死に探していた。雨に消えた螂のことがあったから尚更。親弥の胸は痛んだが螂といたことは秘密にした。螂にもそう頼まれた。
そして同じくらい探してくれた柾木には辞退も併せて謝罪した。
「じゃろうと思っていた」
柾木は親弥をじっくり眺めて、そう言った。
雪解け水は未だ冷たい頃、親弥は卵を産んだ。腹もほとんど膨らまず、失望も含めて色々な覚悟をしていた親弥だったが、これにはさすがに驚いた。男子も女子もみな赤子の姿で産まれるから、螂の子も同じとばかり思い込んでいた。
今こそ螂との約束は反故にする時。濃緑色の卵を抱いて親弥は決意した。
まず父御に打ち明けた。父御は鶏卵よりふた周りほど大きい卵を撫で「あれの子か」と苦く笑った。親弥は「螂の子だ」と伝えただけだが螂が帰郷を拒んだことも伝わったのだろう。
「温めなくてもいいのか?」
「さあ、聞いていないけど懐に入れておくよ。孵ったらまたくる」
「親父さんたちは知ってるのか」
「まだ。とと様に先に知らせにきたから」
慎重に手渡された卵を胸元へ差し入れた親弥の髪を、父御がそっと撫でた。卵と同じ撫で方だ。
「とと様は本当に螂と似ている」
「そうか」
父御の声は涙に滲んだ。
それから両親に打ち明けた。母親は青ざめたが、父親は「どうして共に行かなかった」と冷静だった。
「ひとが暮らすには厳しい場所だと断られた。それに、あのまま行ったら誰もなにも知らぬままになってしまう。螂が生きてると、とと様に伝えたかった」
「今まで黙ってたのはなんでだ。それのせいか」
「とと様を苦しめるな、このまま亡いままでいいと螂に口止めされたからね。でももう証明できる。この子はわしと螂の子だもの」
やがて卵は孵化し、濃緑色の鱗をくねらせた蛇の子が親弥の腕につるりと巻きついた。ちょうど中指の先から肘までの長さ。
鳥は蛇を嫌う。ひともへますれば噛まれるが、鳥の姿、特に雛の頃の蛇は命取りだ。生来が小鳥でも、おとなであればひとに戻ればよい。まだあいまいな雛時分ではそのまま喰われてしまいかねない。
そのため親弥の子を見た村の者はみな顔を顰めた。
親弥も戸惑った。子の姿にではなくて、どう育てるのかわからなくてだ。鳥の子は同種の鳥に託す。だがここに蛇の者はいない。親弥の父はむしろ蛇を喰う側である、間違って喰われてはたまらない。親弥は雲雀の姿をとらなくなった父御の家に移り、試行錯誤で世話をした。しかしこの子は乳を飲むことも鼠を呑むこともなく、ただ水ばかりチロチロと舐めた。
子がいると言っても、卵で産んで、しかも拍子抜けするほど世話のない子がいるだけだ。昨年と変わらず日々は過ぎる。螂との逢瀬は徐々に思い出になり、語るものも少なく相手は父御だけで、相変わらずチロチロと水を飲む蛇の背を撫でる。
夏が過ぎ、収穫を終えて、秋晴れが続いたあと、雪に閉ざされる。年を重ね、歳を重ねる。子は腕一本の長さになったが水だけで大きくなるのが親弥には不思議でしょうがない。ここ数年は親弥を母親と思うだけでなく、父御も身内と見ているのがわかるようになった。時折ひとの言葉を理解する素振りも見せた。
秋晴れから長雨へと移ろって、やむ気配がない。
親弥には予感がした。子を連れて雨のなか山へ入る。滑りやすい泥道を登り山中にある小屋に着くと、果たして螂がいた。
「なんで家に来ない」
「親弥の家なら何度も覗いたよ。ウチにいるとは思ってなかった」
ああ、そう。親弥が深い息を吐く。子が巻き付く左腕を庇いながら登ってきたため、右手が泥だらけだ。小屋の裏にまわり、
「その子がおれの子?」
「そうだよ、わしが産んだ。かわいかろ? 鳥の子なんぞ呑まんのにみな嫌がりおるけどな、とと様はかわいがってくださってる」
「父さんは平気なのか」
「雲雀にはならんし、第一この子は水以外飲まんもん。――なあ、この子はなんなの? 螂は」
螂は答えず子に腕を伸ばした。
「おいで、名前は」
「ひかた。日向だよ」
「親弥はなんだと思う?」
「
雨と共に現れるのは雨龍と相場が決まっている。
「消えるも現れるも雨だもの。それに流弥が水ばかり好く。最初は水龍なのかと
ずいと板間でにじり寄る。あれから5年、もう5年。次も5年後なのか。
10の親弥は置き去りにされ、15の胎には精を受け、20の親弥は螂の見た歳に追いついた。
「龍の発情は5年おきか。流弥を迎えに来たのか」
「おれはね。流弥はこれから脱皮して手足が生えて、3年もすれば成龍になって変化を覚える。人型で育ったおれよりこの子のほうが成長が早い。すぐに親弥の手には負えなくなろう」
どちらの問いも否定せず親弥のほほをやわやわと撫でる螂に、目を細めながら、拳を脳天に落とした。「いってえ!」と螂が涙目で頭を抱えるから、龍でも叩かれると痛いようだ。
「おまえがわしと住めないというから分かつたけどな、流弥を連れて行くのなら別だ。わしも連れてけ。とと様もじゃ」
「無茶を言う」
「阿呆。龍の年と人の年は違う。5年の
「だからといって一緒には」
「おばさまはかわいそうだが仕方ない、順縁だもの。逆縁も仕方ない、子が無事で育つとは限らないもの。だけど、互いが生きているのに離れる必要がどこにある。わしの手に負えないことは螂が見ればいい。わしは子を手放したりせん。とと様もじゃ。勝手に出てった息子は諦めようが、人攫いに孫をやる気はなかろ」
「村を離れてまで……それにおじさんたちが」
「産卵する娘なぞいらんよ。螂よ、仲間ができて忘れたか? 空往く者なら知っておろ。ここから山ひとつ隔てただけで、もう人以外の村などない。ここだけだ。なのに、鳥にならぬ子を孕ませたとと様も、蛇を我が子と言うわしも、この世に『ただひとり』よ」
※
娘も父御も、娘が息子と言い張る蛇も、明け方のけぶる小雨とともに消えてしもうた。だが、安堵こそすれ探しに行く者はおらんかったよ。以来村には鳥にならぬ
昔まっこう。
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