見える距離と届かないキミと

「いや、今ではすっかり見えなくなったよ」


 対面に座る彼女はそれを聞いて安心したように微笑む。


「それは良かった。……本当に良かった」

「ヨーコちゃんも今は見えないの?」

「……うん。今では全然見えなくなったよ。そんなことよりどうして連絡の一本もくれなかったの?」

「それを言ったらヨーコちゃんもだよ」

「何度か連絡をとろうとは思ったんだけどね。なんとなく決心がつかなくて」

「僕と一緒だね」


 そう言って二人して笑う。彼女も僕を気にしてはくれていたみたいだ。

 その後はしばらく高校時代の思い出話に花を咲かせていたが、話題は互いの近況へと移っていった。

――このタイミングしかないな。覚悟を決めよう。

 僕はもし彼女に会ったら告げようと思っていたことがあった。高校時代、一番僕と仲良くしてくれた彼女に伝えたかったこと。

僕はそれを口にした。


「結婚おめでとう、ヨーコちゃん」


 言えた。心から素直に祝福することができた。

 高校を卒業して以来、僕は彼女のことを恋愛感情で好きだったのではないかと考えることが度々あった。そのたびにモヤモヤした気持ちになっていた。

 でも、たった今確認できた。心から彼女の結婚を祝福できたことで僕は自分の気持ちを確かめられた。

――これで迷わず先に進める。

 

「ありがとう。やっぱり知ってたんだね。――ヒラタ君の方も婚約おめでとう」

「ありがとう。やっぱりカオリちゃんから聞いてたんだね」

「そっちもカオリから聞いてたんでしょ。彼女を通じてお互いの近況だけは知ってるなんて変な感じだね」


 僕の婚約者であるカオリは彼女の高校時代の友人でもある。彼女に恋愛相談を持ちかけ、そのアドバイスを参考に告白し、あえなく撃沈したにもかかわらず彼女を逆恨みしたりせず、その後も友好な関係を築いたらしい。僕自身は高校時代に彼女と会話をしたことは数える程度でしかなかったのだが、同じ大学の、それも同じ学部に進学していた彼女とキャンパスで再会。同じ高校のよしみで親しくなり、ついには交際を始めるまでに至った。その関係が大学卒業後も続いており、つい先日、彼女にプロポーズされた。そして僕はそれを承諾した。断る理由がなかった。

 ただ結婚式の日が近づくにつれて、このまま結婚して良いのだろうかと不安が生じてきていた。マリッジブルーのようなものだろうが、原因がヨーコちゃんのことであるのはわかりきっていた。六年も前の感情を引きずっているのは自分でも情けなく思ってはいたが、そう簡単に割り切れるものでもなかった。

 それが今日、彼女に偶然出会い自分の気持ちを確かめたことで、その不安も払拭できた。

 これで僕は迷わずカオリとの結婚に臨めるだろう。


「旦那さんはどういう人?」

「とても素敵な人だよ。そばに居て欲しいときにいつでも居てくれるような人」

「それなら本当に、もう昔みたいな孤独を感じることはないね。安心したよ」

「それもそうだけど、私はいつかのヒラタ君の言葉にもすっごく救われたんだよ。――今までの人生で一番うれしかったかも」

「大げさだなぁ。それこそ旦那さんとの結婚式とか他にも良いことあったでしょ。だけど、少しでも力になれていたなら嬉しいよ。――おっと、もうこんな時間かそろそろ僕は帰るとするよ」


 少し強引な会話の切り方になってしまったが仕方ない。彼女と二人で喫茶店なんかにいるところを知人に目撃でもされたら浮気かなにかと誤解されてしまうかもしれない。それではあまりにもお互いのためにならない。


「もう帰っちゃうの? もう少しゆっくりしていこうよ」

「今日は街を歩き回っていて疲れたんだ。正直早く家に帰ってベッドで横になりたい。また今度、旦那さんとカオリも一緒に四人でゆっくりお食事でもしようよ」

「……そうだね。無理に引き止めても悪いし。――それじゃ、さよなら」

「うん、バイバイ」


 彼女に別れを告げて店を出る。心残りを払拭することができ、気分は晴れやかだった。この帰り道の先には幸せな日々が待っているに違いない。そして僕の恩人であり、親友でもある彼女にも幸せな日々を過ごしてほしい。柄にもなくそんなことを考えながら夕闇に染まる街を歩き出した。




 店を出て行こうとするの後ろ姿がぼやけていく。彼が店を出るまでは顔をあげていなければならなかった。いよいよ彼の姿が扉の裏に隠れた。それと同時には顔を俯けテーブルに涙をこぼす。優しい彼は泣いている私に気づいたら戻ってきてしまうに違いないから。

――最後まで、キミには届かなかった。

 会えなかった六年間もことあるごとに彼のことを思い出していた。その度に高校生のときに彼に思いを告げなかったことを後悔する。それは夫と結婚してからも変わることがなかった。

 同じ職場で働く夫からの猛アピールに負けるような形で私は結婚した。夫のことは嫌いではなかったし、彼のことに踏ん切りをつけるいい機会だと思ったからだ。それでも彼への思いは変わらなかった。そして今日、街で偶然彼に出くわしたときは彼が結婚する前の最後のチャンスだと思ってしまった。

 彼はカオリの婚約者であり、あまつさえ私には夫がいるのにそんなことを考えてしまう自分を恥じる思いはあったが、長年募らせた彼への気持ちが勝ってしまった。

 そして彼を喫茶店に誘った。高校時代と全く変わらない彼との会話は格別で、ここ数年間で最も楽しい時間だった。会話も弾んできたころ、いよいよ私は彼に思いを告げようとした。

 しかし、彼が先手を打った。いや、打ってくれた。


 『結婚おめでとう、ヨーコちゃん』


 それは心から私の幸せを祝福する言葉に思われた。その言葉が私を思いとどまらせた。彼が私の幸せを祝ってくれているのに、私が彼の幸せを奪うような真似などできるはずがない。私の過ちを防いでくれたのもまた彼の一言だったのだ。

 

 『ありがとう。やっぱり知ってたんだね。――ヒラタ君の方も婚約おめでとう』


 私はうまく言葉を返せただろうか。不自然にはなっていなかっただろうか。

 その後の会話の内容を正直なところあまりよく覚えていない。彼と話しながらも心の中は彼に対する気持ちを整理することで必死だった。

 そして私は対話の終盤になってようやく一つの結論を出した。

――彼とはもう会わないようにしよう。六年では足りなかったが、夫とともにもう十年も生きていけば、彼を完全に思い出にすることもできるだろう。

 

 彼との会話の中で、私は一つ嘘を吐いた。私は今でも目を凝らせば線が見える。

 彼との別れ際、私は見た。

 ――その距離はおよそ十五センチメートル。

 いつかの言葉どおり、彼の心は最後に会った日と変わらないままそこにあった。

 しかし距離は同じでも、意味合いは全く異なる。

 かつて手を伸ばせなかったその距離は、今となっては決して手を伸ばしてはいけないものになっていた。


 ひとしきり泣いた後、化粧も直さずに店を出る。この帰り道の先にはいったい何が待っているのだろう。私には検討もつかない。

 わからないから……せめてキミが思い出になるまではキミの幸せを願いつつ、ゆっくりとこの道を歩いていこう。

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見える距離と届かないキミと 島里タツキ @tatsukis

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