僕の能力、彼女の体質

「ヒラタ君。数学の教科書貸してー」

「いや、そういうのは他のクラスの友達から借りるものでしょ……」

「他のクラスに友達がいないキミに言われても説得力が無いなぁ」

 

 教科書は貸した。どうせ数学の時間は寝てるし。

 新学期が始まり二週間ほどが経過した。彼女はこんな感じで毎日話しかけてきた。

 彼女と隣の席になり、わかったことが一つある。彼女には友人が多い。休み時間になれば、男女にかかわらず様々な人が、かわるがわる彼女の席を訪れる。放課後になれば、他のクラスの友人と連れ立って下校することも多かった。

 彼女の周囲では笑い声が絶えなかったけれど、当の本人の笑顔は、僕にはなんだか嘘くさく感じられた。

 しかし、それ以上に気になっていたことがあった。新学期の初日に彼女が自分と同じような能力――言わずもがな、心の距離が見えるというものだが――を有しているということを知って以来の疑問だった。

 ある日、どうしても答えが欲しくなった僕は彼女に話しかけてしまった。


「面倒くさくならない?」


 人が減ってきた放課後の教室で僕は彼女に問いかけた。


「え? なにが?」

「そんなにむやみやたらに能力で見える線を増やして鬱陶しくないの?」


 そう、僕たちが共有している『人と人の心の距離が見える能力』では人と人の間に線のようなものが浮かんで見えるのだ。その長さや太さによっておおよその関係を推測することができる。僕の目には今も無数の線が見えている。これが僕には常々、鬱陶しく感じられていた。そして僕はせめて自分から伸びる線だけでも減らそうと、他人と必要以上に関わるのを避けていた。


「能力って……例の『体質』のこと? 鬱陶しいって何が?」


 彼女はこの能力のことを『体質』と呼んでいるようだ。僕はなんとなく特別な力だと思って『能力』と呼んでいた。


「蜘蛛の巣みたいに線が張り巡らされているのは目障りじゃないのかって意味だよ」

「えっ? そんなにずっと見えてなくない? 意識しないと見えないっていうか……」

「えっ、そうなの? 僕には常に線が見えてるんだけど……」


 どうやら彼女と僕の能力には違いがあるらしい。


「うーん、自分の鼻って視界には入ってるはずだけど意識しないと見えないじゃない? 私はそんな感じなんだけど……」


 なるほど、彼女は意識して能力のオンオフができるのか。僕と同じ悩みを共有しているのではいないかと少し期待していたのだが、見当違いだったようだ。そのかわりに普段の彼女からそのような悩みの一端も垣間見えなかった理由がわかった。

 もしかして、と彼女は続けた。


「もしかして、ヒラタ君に友達がいないのってそれが原因? 線が目障りっていうのが」


 目障りというだけではない。怖いのだ。獲物を捉える蜘蛛の巣のように、頭を跳ね飛ばそうとしているピアノ線の罠のように僕を待ち構えている。それがどうしようもなく怖い。

 ただ、そんなことは彼女には伝わらないだろうし、伝えたいとも思わない。


「まぁ、そんなところだよ。なるべく線の数が増えたり。線が太くならないようにしてるってわけ」

「そうなんだ。それは大変だね。私は便利な体質だなってくらいにしか思ってなかったから」


 別段、大変そうだとは思っていないように彼女は微笑んで言うが、彼女からしたら本当に他人事なのでそれはどうでもよかった。むしろ目が全然笑っていないのが気にかかった。すべてを見透かしているようなその瞳に僕の心の中が映っているようで居心地が悪かった。

 その視線から逃げるように彼女へ問う。


「便利って、例えば?」

「んー、単純に距離感がわかるからいろんな人と接しやすいし、どの子と仲良くなれそうかわかるし、それから……恋愛相談にのったりとか」

 

 最後を言い淀んだのは、僕に友人の恋愛関係を詮索されると思ったからかな。無論そんなことはしないし、興味も無い。


「そうやって友達を増やしているんだね」

「うん。友達を増やすのは楽しいよ。ヒラタ君もみんなと仲良くすればいいのに……とは事情を知っちゃったからには言えないね」

「そう。だからヨーコちゃんも無理して僕に話しかけたりしなくていいからね」

「別に無理してるわけじゃないんだけどなぁ……って、あ! もうこんな時間、帰らなきゃ」

 

 気がつくと、他の生徒はみんな教室を去っていて、僕たちしか残っていなかった。思ったより話が長くなってしまったようだ。


「引き止めちゃってごめんね。それじゃ、バイバイ」

「ううん。お話できて楽しかったよ。また明日も話そうね」

 

 彼女は荷物を持って席をたった。僕はこんなに人と話をしたのは久しぶりで疲れたので少し休んでから帰ろうと思った。

 最後に『バイバイ』と小さく手を振って、彼女は教室を出ていった。

 僕は一人になった教室で今日の彼女との会話を振り返っていた。なかでも気になったのはやはり彼女と自分の能力の違いだった。

――能力のオンオフの切り替え……。

 意識するかしないかだと彼女は言った。僕も線を意識しなければ見えなくなるのだろうか。いや、そもそも今までだって無意識に視界に入って来ていたのだから、無意識を意識するなってことなのか……?

 自分でも何を考えているのかわからなくなったので、そこで考えるのをやめた。考えるだけ無駄だと思った。

 僕も荷物をまとめて席を立つ。そのとき、能力のオンオフのことも重要だが、それよりも急を要する事態が発生していたことを思い出した。

――――線、張っちゃったな。

 今日の彼女との会話中に気づいた。彼女と僕の間に、二メートルほどの釣り糸のようなものが繋がれているのに。

 これからの彼女への接し方に頭を悩ませながら、僕は家路についた。

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