天下の小孩子

 張政チァン・センは、氏王名義の上表を読み上げ続ける。

「我が先は呉の太伯の一族で、その国が滅びた時、百姓を率いて海に入り、舟をかべて東へ流れ、倭人に雑居し、今に至るまで六百有余年を経ております。……」

 ここの所を書く時、張政には躊躇が有った。かつて周の古公亶父ここうたんぽの子、太伯が建てた呉国の地に、今は孫権スォン・グェン王朝を称して割拠し、グェィによる天下統一を拒んでいる。姫氏王の先祖が呉の太伯であるという事は、倭人が呉にちかいという印象を与えるかもしれなかった。だが外夷の王権の由来は、中国の士人が関心を寄せる所でもあるし、それが不都合であるかどうかは、張政などが判断すべき問題ではなかった。だから張政は結局、已前姫氏王の口から直に聞かされたそのままに書いておく事にした。それが真実であるかどうかは知らない。

「……かつてハンの光武帝の時、倭人は王氏を立てて君公とし、朝見して王爵を与えられました。しかし霊帝の頃、奴王氏の世は衰え、諸国は互いに攻め、何年も主たる者が無いままでした。そこで我が父は先祖の徳をおもい、姫氏を称して立ち、人々を導いて奴王氏を討ちました。人々は父に諸国の君たる事を望みましたが、父はいなびて郷へ還ったので、わたしを立てて主としました。

 時に魏が漢の禄を継いだ事を聞きましたが、公孫クンスォン氏が路を塞いでおり、故に中国に通う能わず、自らひそかに王を称し、倭の諸国を綏撫するに努めておりました。今、司馬シェィマ将軍が公孫氏を伐ち、遼東の罪人が逃げるのを我が手の者が捕らえましたので、大夫の難斗米なとめ都市牛利としぐりを遣わし、御許へ送り届けさせます。どうか納め受けください」

 読み終えて張政は、背筋から何か重苦しい物が少しだけ抜けるのを覚えた。文書は封筒に収め、机の上に置く。するとそれを取り次ぎの官吏が取って、階段を昇って行く。丁謐テン・ミツが受け取り、皇帝に差し上げる。実際には事前に提出されているのだが、これも儀礼の形式である。前に並べられていた十人の囚人は、兵士に引き立てられて退場した。替わって司馬子上シェィジァンを先頭に、大きいはこを兵士たちが運び込み、一列に並べて置く。匣には紫色の絹が掛けられている。皇帝は侍従から封書を渡され、それをまた司馬仲達ヂュンダツが受け取る。

「陛下より、倭人たちに御言葉を賜わる」

 仲達は、その太い骨と高い背に相応しく、重々しい声で詔書を読み上げる。

「親魏倭王卑弥呼ひみほに制詔する。

 帯方タイピァン太守の劉夏リウ・ハーは、使者をまだして汝が大夫難斗米・副使都市牛利を送らせ、汝が献ずる所の俘囚男四人・女六人を奉じ、以って到らしめた。汝が所在ははるか遠く、ようやく遣使し貢献した。是れ汝が忠孝、我れ甚だ汝をいとおしむ。今、汝を以って親魏倭王と為し、金印紫綬をあたえ、装封して帯方太守にあずけ、汝に授けさせるであろう。それ種族を綏撫し、勉めて孝順を為せ。汝が来使の斗米・牛利は、遠きを渉って道路をば勤労した。今、斗米を以って率善中郎将と為し、牛利をば率善校尉と為し、銀印青綬を仮え、引見し労賜して、還し遣わす。

 今、絳綈交龍錦こうていこうりゅうきんひつ・絳綈縐粟罽すうぞくけい十張・蒨絳せんこう五十匹・紺青こんせい五十匹を以って、汝が献ずる所のあたいに答える。又特に汝に紺地句文錦こんじくもんきん三匹・細班華罽さいはんかけい五張・白絹五十匹・金十両・五尺刀二口・銅鏡百枚・真珠・鉛丹各五十斤を賜い、皆装封して斗米・牛利に付け、還り到れば録受させる。悉く汝が国中の人々に示して、朕が汝を哀しむを知らしめよ。故に汝にき物を賜うのである」

 仲達が読み上げるのに合わせて、子上の指示で、兵士たちが匣に掛けられた絹を払い、蓋を外す。匣の中から、天子より姫氏王に賜わる品々が披露される。特に人々の目を驚かせたのは、百枚の銅鏡であった。今この魏の領土では、銅材が極度に不足している。それは主な銅山を孫権に押さえられてしまったからであった。しかも帝室が所有する銅器は、明帝が宮殿を飾る為にほとんど溶かしてしまった後なのである。この百枚の銅鏡は、司馬氏の私財から出た物に違いないと思われた。心なしか玉座の左に控える曹爽ザウ・スァンの表情が固く見える。

 これまた取り次ぎの手を経て、難斗米と都市牛利に詔書や銀印が授けられる。

「陛下より手ずから御酒を賜わる」

 仲達がると、皇帝も近習に促されて、

「近う」

 とまだ眠そうな声を出す。張政と梯儁テイ・ツュンは、難斗米と都市牛利を促して、階段を登らせる。しかし一気に登ってはいけないので、三分の一の所で引き止める。

「もそっと」

 と皇帝が曰まう。また三分の一を登って控えさせる。

「もそっと、近う」

 という繰り返しをして、やっと最上段に進む。これも儀礼である。女官が難斗米と都市牛利に盃を持たせる。張政と梯儁は二人の背を押して、玉座の前に跪かせる。幼い皇帝は、袞衣を纏い、頭には重そうに冕冠を載せている。袞衣と冕冠は、天子だけが着ける事を許される。従ってそれは張政には滅多に見られない。張政はそれをよく看ておきたかった。袞衣は成長を見込んで大きめに作られているらしく、ぶかぶかとしている。皇帝は銚子を執って二人に酒を賜わる。他の者には女官から盃が運ばれる。皇帝も一杯の甘い匂いのする飲み物を取る。

 所が何とした事か、乾杯の音頭も待たずに、皇帝がごくごくと一気飲みを始めてしまった。仲達も慌てて盃を捧げるしぐさだけをし、一献を飲み干す。他の者もそれに倣う。

(ただの小孩子おちびじゃないか)

 と張政は秘かに思った。それが天子にして皇帝と呼ばれる人の正体であった。

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