5 終止符

「シグマ。落ち着いたか。ターゲットは殺ったのか。さあマスターに見せてみろ。命令だ」

 髪のバリアに包まれたまま動かない直人に向って、聖は当然といわんばかりの口調で命令を下し続けていた。

「どうした、シグマ。マスターを忘れたのか。この顔を見ろ。ほら、わたしだ。思い出せ」

 髪のバリアをそっと割ると、聖が銃口をこちらに向けたまま歩いてきているのが見えた。サングラスを外し、片目が潰れた素顔を見せて、一歩ずつ近づいてくる。

「さあ防御を解くんだ。マスターにおまえの姿を見せろ。マスターの命令だ」

 直人はじっと聖が近づくのを待った。

 まだだ。まだ遠い。もっと来い。そうだ。もうすこしだ。目の前に来るまで待つんだ。手が届くくらいまで。もうすこし。今だ。

「さあ、シグマ」

 直人は一気に髪を左右に開き、赤いアゲハの羽は聖を小石のように弾き飛ばした。

 直人はいつでも自由に動かせるよう、髪を開いた。

「シグマはもういねえよ、おっさん」

「な、に」

 地面に叩きつけられた聖だが、すぐに現実を信じることができなかった。少年のしっかりした声も信じられなかった。己に従属する意志のかけらすらない。

 驚きが隠せないまま目に入ったものは、左右に羽をひろげた深紅のアゲハチョウだった。

「シグマ」

 感嘆が漏れた。赤く長い髪を先端まで広げた美しく凛とした様相。それはシグマの完成形態であり臨戦態勢である。うつくしい。

 見ろ。これだ。これがシグマだ。わたしの理想、わたしの夢だ。それが目の前に立っている。手を伸ばしたら届きそうだ。

「わたしのものだ」

 いいか。これはわたしの物なんだ。三崎に作らせた私専用の武器。三崎に命じて、はじめから私の声に反応するDNAを組み込んだ人間兵器なのだ。だから三崎にも遠野にも渡さない。あいつらに使えるわけがないだろう。誰にも渡さない。渡さないぞ。シグマは生まれる前からわたしの物なのだ。わたしに忠実で、わたしのために生きていくのだ。

 くだらない。あなたの言いなりになんてごめんよ。

 過去、わたしにそう言った女がいた。歌って生きるのが自分だとかほざいたから、歌うだけの塊にしてやった。

 シグマはそのようなことは言わない。わたしのために生きるのだ。わたしを守り、わたしのために戦うのだ。

「わたしのものなんだ」

「残念だな。シグマじゃねえよ」

 なぜだ。なぜ目の前のシグマは、わたしを見返してくるんだ。なぜ意志をもってマスターに反抗する。意志などシグマは持っていない。素材じゃあるまいし。素材にも時折、意志をもって睨みつけてくるやつはいた。犬にしてやったわかい記者は、最後までにらんでいた。あの目つきだ。

 シグマ。マスターのわたしに忠実な兵器がなぜ、あいつとおなじ目つきでわたしを見る。見るな。おまえはシグマなんだ。わたしのシグマなんだぞ。

「シグマ。こちらへ来い」

 直人は不快に顔を歪ませた。

「もういねえよ、おっさん」

「シグマ。マスターの声が聞こえないのか」

「しつこいぞ。いねえっつっただろ」

「聞こえないのか。いいか、わたしはおまえのマスターなんだ。おまえはそのように造られたのだ。わたしに反抗などできるわけがない。シグマ、こっちに来い。聞こえないのか。おまえのマスターはこのわたし」

「うるっせえ!!」

 赤い髪束が足元のわずか手前に突き刺さり、深い穴が残して引く。それを見て、聖は気がついた。そうだ。目の前にいるのは、あの真田を穴だらけにした兵器なのだ。あれが今、自分に向けられているのだ。

「てめえに言いたいことは山ほどある」

 兵器が一歩前進した。ばさりとアゲハの羽が波打つ。ありえない。ありえないぞ。そんなことがあるものか。シグマが抵抗するなど、あってはいけないのだ。意志を持ってマスターの私に反抗するプログラムなど、わたしはインプットしていない。

「シグマ」

「よくもいろいろやってくれたな、聖。姉ちゃんも、ソラも、巡査も、円も。よくもやってくれたな!!」

「シグマ、やめろ」

「てめえだけはぜったい許さねえ。殺してやる!!」

「シグマ、聞こえないのか!」

「シグマじゃない!! 常川直人だ!!」

 聖を赤い蛇が襲いかかった。

 聖はうまれてはじめて悲鳴をあげた。

 どん、という衝撃音に合わせて、赤い蛇と聖の間に一本の鉄筋が突き刺さった。

 地面にななめに突き刺さったものに、何事かと聖と直人は見つめ合う。

「やめろ。直人」


 直人の後方、天井近くまで積まれた鉄骨の上に、声の主が座っていた。あいかわらず冷たい目つきで、傍観者のように見下ろしていた。

「一輝」

「退け」

「え」

 一輝は片手で鉄骨を引き抜くと、直人に向けて投げつけた。

「うあっ」

 直人が下がると、鉄筋は直人のいたところに刺さった。

「やめ、おいっ」

 抗議する暇も与えず、一輝は足元の鉄骨、鉄筋を引き抜いては槍のごとく投げつけた。やっと鉄の槍が止まったころには、直人は聖からかなり離れていて、聖はというと白衣を地面に縫いつけられ、すぐに逃げられなくなっていた。

「おい、一輝。どうして邪魔すんだ」

「邪魔はおまえだ。俺は手を出すなと言ったはずだが」

「だからって」

「言ってもわからないか」

 がしゃり、と鉄筋を持ち上げる一輝に、直人は口をつぐんだ。

 一輝は鉄骨の山から降りてきたので、直人も髪をおろして緊張を解いた。とたんに奏が重くなり倒れそうになったので、あわてて髪と腕で支える。

「気を失っているのか。ちょっとの間に、すこしはまともに使えるようになったようじゃないか。ガキも成長したな」

「うるせえ。そっちこそ今までなにやってたんだよ」

「美樹を取り返してきただけだ。こんなところに残せないからな」

 手をやった一輝の胸ポケットから、白く細い繊維の束のようなものが覗いているのが見えた。

「じゃあ一輝はもういいだろ。オレは聖を殺し」

 一輝の突き刺すような目が直人を黙らせる。

「奏さんの前で続きを言えるなら言ってみろ」

 直人はぐっと口を結んだ。腕のなかで奏は変わらず寝息を立てている。

「おまえの優先順位はなんだ。おまえこそ用は済んだはずだぞ。じゃああとは奏さんを連れてはやくここを出ていけ。奥に地上直結のエレベーターがある。ここに来るついでにいくつか破壊してきたから、かるいパニック状態になっている。警備も手薄だ。今しかない。はやく行け」

「行けったって」

 一輝の言いたいことはわかる。

 だが、しかし。

 直人は聖を見た。

 そこにはただの弱々しい研究員がいた。半泣きの男は地面に縫い付けられた白衣にからまり、逃げる事もできず、腰を抜かしたまま怯えている。殴れば倒れてしまいそうな情けなさだ。こういうものか、というむなしさが漂う。

 聖。こいつがすべての元凶。許さない。こいつだけは許さない殺す殺すんだ許さない一生憎む恨む殺す何度も殺す壊すこいつだけは許さない。怒りでどうにかなりそうだ。

「直人」

 一輝の手が肩に置かれた。まっすぐに直人を見ていた。静かな目つきに、沸きあがる怒りが冷えていく。

「おまえは殺すな」

「だけどオレは」

「どうしても自分の手で殺したいというのなら、俺を殺してからにしろ。それと、奏さんの前で人を殺すつもりか。逆に、奏さんが聖を殺しに行ったならどうする。おまえは嫌じゃないのか」

 想像してみた。ほんのわずかでも嫌だと思った。奏にそんなことをしてほしくない。

 うつむく直人の肩を、一輝はふたたび叩く。

「おまえは殺すな。あれは俺が責任もって始末してやる。鷺宮もな。おまえは奏さんを守れ。そのために髪を使え。いいな」

 演習場のライトが点滅した。何事かと思ったが、一輝は気にも留めないようすで出口を指した。

 直人はうなずいた。

「じゃ、先に帰ってる。一輝は」

「多少遅くなるだろうが、かならず帰る。聡美にもそう伝えてくれ」

「わかった」

 両腕と髪で奏を抱き上げると、直人はもう一度聖をにらみつけた。視線を感じて、聖は身を固くする。

 聖。

 髪でもって、手前に突き刺さっている鉄筋を叩いた。それはふかく穴を穿つ。

「ひいっ」

「ソラにも巡査にも円にも、オレにも、おまえがしたことは忘れないからな! もう二度とオレたちの前に出てくるな!」

 直人は背中を向けると、静かに歩き出した。

「シグマ」

 男の情けない声が追いすがってきた。

「シグマ、どこへ行くんだ。わたしはおまえのマスターだぞ、マスターなんだぞ」

 条件反射のように直人の背中がざわついたが、すぐに消えた。直人は奏のぬくもりにできるだけ集中した。はやく帰ろう。

「シグマ、止まれ。戻れ。マスターの命令が聞けないのか。シグマ!」

 扉を開け、廊下に出た。

「シグマああああ!」

 扉は重い音を響かせて、完全に閉まった。


 演習場を出てからエレベーターまでは、ひどく遠く感じた。足はやたら重く、奏も目を覚まさない。気を抜いたら膝をつきそうだ。そうなったらきっと二度と立てないだろう。

 それでも直人は足を止めなかった。意地でも歩けと足に言いきかせた。

 帰るんだ。家に帰るんだ。

 足がもつれた。バランスを崩して腕の中の奏を落としそうになり、壁に肩をぶつける。

「んだっ」

「いだっ」

 奏も頭をぶつけたらしく、ちいさな声を上げた。お姫様抱っこの中で奏は目をぱちくりとさせる。

「ごめん姉ちゃん。痛かったか。立てるか」

 下ろしても奏は目をまるくしたままだ。

「直人、どうしたの。グランドみたいなところにいたんじゃないの」

「出てきた。一輝が来て、先に行けってさ。あっちに直行のエレベーターがあるって」

 間をおいて、奏はうなずいた。

「わかった。一輝くんの言うとおりにしよう。あっちね。行こう、直人」

 奏に手を取られて、そのまま足早に歩きだした。

 エレベーターのボタンを押したとたん、直人は殺気を感じて、とっさに奏を髪でくるんだ。ほぼ同時に銃声がして髪に銃弾を受ける。

「腕を上げたじゃないか」

 聞いたことのある声に直人は歯を剥き、奏はちいさな悲鳴を上げた。

 エレベーターより奥にある非常口から、黒服の男が銃口を向けたまま現れてエレベーター前を陣取る。直人は奏を背後に回して立った。

「チェックメイトだ。惜しかったな。戻れ」

「いやだね。それに聖だって死んだようなもんだ。もうオレに用なんかない。そこ、どけよ」

 黒服は怒るどころか、笑った。

「ははは、あの室長を殺したのか。ほんとうに腕を上げたな。結構、結構。それならなおさら帰すわけにはいかない」

「なに」

「シグマを欲しがっているのは室長だけじゃないということだ。でもそのようすなら、脅したところでおとなしく従うわけがないよな」

「あたりまえだろ。誰が行くか」

 エレベーターが到着してドアが開く。誰も動かない。直人は視界の隅で、からっぽの箱を認めた。ちくしょう、もうすこし早かったら飛び込んでいたのに。

「あきらめるんだな」

 言い終わらないうちに男が目の前から消えたので、直人と奏は目を疑った。

 男はなにかに足を取られたように、引きずられて開いたままのエレベーターの箱に呑まれた。開いたままの扉の向こうからごきりと鈍い音が聞こえて、止んだ。

「直人、ねえ、やだ、なに」

「知らねえよ、なんだよ。まさか、ばけもの、とか、やめろよな」

 おそるおそる覗き込んで、直人と奏は驚きの声を上げた。

「ああっ!?」

「ファイちゃん!?」

「常川奏か」

 箱の中では、血に濡れた赤い髪の少女が、倒れた黒服にまたがっていた。直人を認めるなり殺意を隠さずににらんでくる。

「貴様もいたか」

「てめえ、どけよ」

 同様に直人も、ファイに向けた殺意に血が沸騰した。理由がわからないが、こいつだけはこの世から抹殺しなければと思った。それも今すぐにだ。

 直人とファイはほぼ同時に互いに相手の胸ぐらをつかみかかった。

「どけよ!」

「それは貴様だ!」

 一触即発する前のタイミングで、ふたりはいきなり襟足をつかまれ、引きはがされてしまった。奏がふたりをつかんだまま叱る。

「だめでしょう! 喧嘩しないの!」

「ファイ……やめ、ろ……」

 息も絶え絶えの声に、ファイは誰よりもはやく反応した。するりと奏の手を抜けて身をかがめる。

「マスター」

「同族、嫌悪か。……シグマに、手を、出す……な。ずっと……だ。いいな」

「はい、マスター。わかりました。動かないでください」

 奏は息を飲み、直人は目を剥いた。入り口から死角になる位置だったので、人がいるとは思わなかった。研究員は死体かと思うほど青白く、血にまみれている。

「ファイちゃん、だいじょうぶなの」

「よけろ。これを出す」

 ファイは黒服の死体を廊下に引きずり出してドアを閉めた。エレベーターは静かに上昇をはじめた。


 直人はファイに対する嫌悪で吐きそうだったが、自分がたすけた研究員が生きていたことに安堵もしていた。研究員のそばで、気を失った青白い顔を見つめたままファイは動かない。奏は親しいのか、何度か話しかけていた。

「ファイちゃん。あれから、なにがあったの」

「わたしは室長のラボに連れていかれた。自力で帰室したが、マスターが心停止を起こしていたのだ。蘇生後、マスターは脱出を指示した」

「そうだったんだ。直人、あのね。この人、姉ちゃんと一輝くんの命の恩人なの。ファイちゃんといっしょにたすけてくれたの。ファイちゃん、ありがとう。おかげでこうやって直人に会えたと思う。マスターにもあとで伝えておいて」

「わかった」

「ほら、直人も」

 しかし、直人の口は感謝の言葉を作ることを固く拒んだ。ファイに対して、礼などどうしても言いたくなかった。

「直人っ」

「いっ」

 奏はむっとしたままの直人の頭をつかんで、ぐいっと下げさせる。

 ちらりと見ると、ファイも直人に一瞥をくれただけで、すぐにまたマスターを見つめた。やっぱりファイは気に食わない。

 奏は気づかず、ファイの隣にしゃがみこんだ。

「だからエレベーターに乗っていたのね。また助けてもらっちゃったね。ありがとう」

「違う」

 ファイはきっぱりと言った。

「あれはわたしとマスターを追ってきたのだと思ったのだ。だから殺した。鷺宮は誰であろうと逃亡者は殺害する」

 沈黙が下りる。

「だいじょうぶ、なの」

 ファイのことか、マスターのことか、または逃亡のあてか。奏ははっきり言えなかった。

 ファイはきっぱりとうなずいた。

「常川奏、だいじょうぶだ」

「うん。そうだよね」

「マスターはかならず守る。そのためにわたしがいる」

 聞いていた直人は背中を向けたまま、肩をすくめた。マスターなんてものは捨てちまえばいいのに。

 エレベーターが止まった。

 出るとそこは古びた資材庫の中だった。

 先に出たファイと研究員のふたりは、すぐにいなくなった。さよならもまたねも言えなかった、と奏は肩を落とした。

 外に出た。

「わああ」

「うわ、すげ」

 建物の外は夜で、降ってきそうな満天の星が地上をうすく照らしていた。遠くまで広がっている畑は見覚えのある場所で、かなり郊外のはずだ。

 直人と奏は、しばらく空を見ていた。

「すごくひさしぶりに見た気がする。そうだよね、地下じゃ見えないもんね」

「だよな。でもオレ、こないだ星を見たばっかりの気が……あ」

 そうか。何度も聞かされたからだ。

ーー見上げたら、まず最初に北極星を見つけるの。

 星なんてたくさんありすぎて、どれかわかんねえよ。ソラみたく詳しくねえし。

ーーだーいじょーぶだよ。直人もじっくり見て探せばきっとーー。

 培養室の赤い光の元、話のなかで見た星。

 直人の視界がうるみ、あわててあくびでごまかした。

「直人が星を見たのって、どこなの」

「ああ、いや。気のせいかも。それにしても疲れたな。眠い。すげえ眠い」

 手を引っぱられた。奏がほほ笑む。

「直人、うちに帰ろう」

「うん。帰ろうか、姉ちゃん」

 帰ろう。


 時間はすこしさかのぼる。

 直人が演習場を出ていったのを見送って、一輝はゆっくりと聖に向き直った。

 さて。

 一輝は地面にへたりこんだ男を、あらためて見おろした。

 あれはわたしの物だ、わたしの物なんだ。うつろな目をしてぶつぶつとつぶやく姿は、幸運に見放され絶望にさいなまれた悲劇の王、または独裁者の最期の嘆きにも似ていた。

 聖。

「無様だな」

 一輝の声に、聖はびくりと肩を弾かせる。

「作ったおもちゃに逃げられて駄々をこねる。さすがは鷺宮の室長、レベルの違いに感嘆する」

「真、田」

「答えろ」

 一輝は胸ポケットから、白い繊維の束を出した。

「進藤美樹の脊髄神経。知ってるな。どうやってこれを入手した」

 聖の目はそれを捉えたが、すぐに興味をなくしてうつろに宙を泳いだ。

「わすれた」

 一輝は聖の胸ぐらをつかむなり、鉄材の山に投げつけた。激しい音とともに、鉄パイプや鉄板が崩れ落ちた。もうもうと埃が立ち上る奥で、聖はうめき声を上げる。

「答えろ」

「知らな、い」

 崩れた山から一輝は鉄パイプを引き抜くと、顔色も変えずに振り上げた。

「わたしは知らないんだ! ほんとうだ、教授が手に入れてきた素材だからっ」

「状態はどうだった。死体か。答えろ」

「死体だった。どこも崩れていない完璧なものだ」

 じっと見おろす感情のない眼に、聖は乞うように叫んだ。

「ほんとうだ! あの時のわたしはただの助手にすぎない。教授が持ってきた素材を指示どおりに扱っただけだ、あとはなにも」

 間をおいて、がらんと音と立ててパイプが落とされた。

 手の中の脊髄を握ったまま動かない一輝に、聖がぼそっとつぶやいた。

「真田のせいだ」

 一輝は眉をひそめた。

「真田だ。わたしがこうなったのは真田がいたせいだ。真田を知らなかったら、わたしは鷺宮に残らなかった。遠野にも会わなかった。シグマも造らなかった。真田だ。全部真田のせいだ。おまえがいなければこんなことにはならなかった」

「見事なあてこすりだな。ああ、そうか」

 鉄パイプが聖の太ももに突き刺さった。

 悲鳴を上げる視界に、紫色の瞳が殺意に光る。

「羨望による嫉妬か。そういえば俺も聖とかいうミミズから聞かされた覚えがある」

 一輝は次に、痛みに暴れる男の右手を足で鉄板に押しつけ、鉄パイプで右腕を突き刺す。やめろとも痛いとも聞こえる絶叫が響き渡る。

「素材になることは光栄なことだ。素材は研究に貢献できるからうらやましい。あのミミズは何度もそう言っていた」

 足首、肩、手首。一輝は次々にパイプを引き抜いては男の肉体に突き立てていった。

「今度は室長の番だ。素材とまでいかないが、標本の気持ちをじっくり味わえ。虫のようにな。そうそう、感謝は不要だ」

 止まない悲鳴を聞きながら、一輝はやさしくほほえんだ。

「標本になっていく気持ちはどうだ。うれしいだろう」

「があ、あっ、ぐうっ」

 つぎはどこを裂くのがいいんだね、真田くん。希望くらい聞いてやろう。

 そう笑って言った口は、今や悲鳴しか出てこない。

「つぎはどこがいい。希望くらい聞いてやる」

「……せ。こ……せっ」

 殺せ、か。

 必死の訴えに、一輝は聖に刺さっている鉄パイプを踏みつけた。

 聖は天井に向って絶叫した。

 聞き飽きたとでもいうように、その口に鉄筋が突き立てられて悲鳴が止まった。

「が、あ」

 恐怖を浮かべて見開いた眼に、銃口を突きつける。聖が落とした銃だ。

「最期まで無様だな、聖」

 一輝は引き金を引いた。


 ライターを放ると、聖のいる鉄筋の山はすぐに炎に包まれた。薬品瓶も放り込む。引火性の強い薬品だけに火の回りもはやい。

 一輝は離れた場所にある積み上げられた鉄板に腰をおろし、炎を見つめた。聖を弔ったわけではない。まちがっても再生されないようにするためだ。火をつける前にすでに首から上は念入りに潰したが、念には念を入れたほうがいい。どうせスプリンクラーは壊れている。

 複数の足音が廊下をあわただしく駆けてきた。外の騒ぎを室長に報告に来たのだろうか。それとも真田家を捕らえに来たか。

「いくか」

 一輝は手近にあったパイプを取りあげて立ち上がった。

 さあ後片付けに取りかかろう。

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