4 真実
奏は狭い部屋の隅で床にへたりこんでいた。落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせるが、どうしても震えは止まってくれず、鉄管をはさんで後ろ手にかけられた手錠がカチカチと鳴る。
黒服の男たちが医務室に押し入ってきたときはまだ気丈でいられた。目の前でファイが倒された。マスターと呼ばれていた研究員も押さえ込まれた。悠然と現れたサングラスの研究員が連れてきた黒服の男を見を見たとたん、奏は体の力が抜けてしまった。もうだめだと思った。思ってしまった。
忘れもしない。無害そうな顔で店に入ってきて、自分に銃をつきつけた男。平穏な日常を壊した元凶。そいつがまた目の前に現れたのだ。
弟くんとは会えたかい。男はそうささやくと、奏を引きずるように立たせて、ここに縛りつけ、出ていった。あの時とおなじと思わずにいられない。もうだめだ。すべて元に戻ってしまった。
うつむいていると、床の隅にクリップが落ちているのが見えた。
あきらめるな。クリップにそう言われた気がした。クリップを取るんだ。よくある展開のように手錠を外せなくてもいい。だけどそれがなにかの助けになる可能性もある。
精いっぱい身をよじって足をのばした。しかしクリップはもうすこしというところで届かない。楽な体勢に戻しながら、体の硬さを呪った。しかしもう奏はあきらめてはいなかった。
あらためて室内を見渡す。ここはなにかの管理室らしかった。台にはスイッチとちいさなモニターが並び、いくつか点灯している。台の手前に張られた窓からは、奏からは鉄骨むき出しの天井しか見えず、鉄工所を思わせる。ドアはふたつ。ひとつは奏がくぐってきた通路につながるドア、もうひとつは工場につながるドアだ。
今度はなにが起こるのだろう。
突然、工場から白衣の男が入ってきた。入り口手前で立ち止まり、怒鳴りつける。
「逃がしただと、この役立たずがっ。早急に捕獲しろ。おまえら全員でだぞ。まったく、ファイに手こずるとは。恥を知れっ」
ファイは逃げたらしい。奏はホッとした。
「しかし部隊はすべて出払っておりまして」
「部隊などいらん。ネズミ相手に戦車を出すバカがどこにいる。ファイはシグマじゃない。それもマスターがいないなら小娘とおなじだ。なに、暴れるようなら手足ぐらい折っていい」
「わかりました」
「ここは私だけでいい。見張りもいらん。いいか。もしもシグマのように取り逃がしてみろ。おまえらがその責任を取るんだからな。素材になりたくなかったら、はやく行けっ」
「しかし、ここに室長おひとりでは危険かと」
「危険なものか。シグマだからこそ、ここは安全なのだ」
舌なめずりをするような声に、奏は身がすくんだ。
短髪の研究員は言うだけ言ったあと、ドアを閉めて鍵をかけた。ずかずかと入ると椅子に腰をおろし、手際よくスイッチを入れていく。合わせて工場のモーター音が次々に上がり、鎖が巻き取られる音や鉄骨同士がぶつかる音がする。
音が止むと、うすい皮膚をした研究員は口端をつり上げ、満足顔を浮かべてうなずいた。不似合いなサングラスが光る。
「これでいい。完璧だ」
奏は、男の白衣の裾に新しい色の血液が散っていることに気づいた。ファイも、彼女のマスターも、奏が最後に見たときは怪我をしていなかったはずだった。まさか。嫌な予感がした。
「さて」
研究員は椅子ごと奏に向き直ると、高慢な態度で見下し、組んだ足先で奏の頭を軽く蹴った。
「常川奏。貴様には言いたいことが山ほどある。いいか、貴様のおかげでシグマのための計画は台無しになったんだ。貴様には相応の責任を果たしてもらうからな」
奏は頭を振って足を避けた。頭のおかしい研究員の事情など知ったことではない。
「言ってなさいよ。計画が台無しだろうがこっちは関係ないわ」
「黙れっ。下等生物の分際で、わたしに反論などできると思うな」
額に男の靴底が当たったが、奏はサングラスをにらみつけた。
「なんだ、その目は。いや、まてよ。ああ、そうだ。思い出した。あいつだ。思い出したぞ。貴様はあの下等生物の生き残りだからな。くそ、気持ち悪いほど親とおなじ眼をしやがって。口調までおなじか。吐き気がする」
奏は目をまるくした。怒りも痛みも忘れた。なぜここに事故で死んだ両親が出てくるのかわからない。
「なんで父さんと母さんを知ってるの」
足が引いた。男はにやりと笑う。
「わたしはおまえの親と会っているんだよ。たった一度、それも一時間くらいだがね」
「うそ。どうして」
「どうして。シグマを引き渡すよう交渉に行ったのだ。下等生物の住処に出向くなどわたしには屈辱の極みだったがね」
驚いた。やさしく、強く、いつも笑っているふたりだった。命日のたびに花をくれる客もいるほど、人に愛されていた。まさか生きている頃にこんなヤツが家を訪れていて、両親と会っていたなど思いもよらなかった。そこではどんな話がされていたのだろう。
「下等生物のきたない住処にわざわざ出向いて、金も出してやったんだ。しかしあいつらは断った。断わったうえにわたしを金ごと放り出したのだ」
いつ頃の話なんだろう。断ったのは母さんだろうか。放り出したのは父さんだろうか。なまで見たかったな。
「だからすぐに駆除してやった。車ごと谷底まで落として、な」
奏は呼吸が止まった。同時に、やっぱり、という確信に直結した。
両親は崖から車ごと落ちて死んだ。警察は居眠り運転、もしくは自殺だと決めつけた。過労もあったのだろうとなぐさめられた。しかし違うと奏は言い返した。不自然な点はたくさんあった。両親は普段から安全運転をこころがけていた。経営者としての信用にも関わるからと飲酒運転もしなかった。ローンはあっても借金苦ではなかったし、当時学生だった奏から見ても自殺する原因はなにひとつ見当たらなかった。悔しさ、悲しさ、憤りが命日のたびにくすぶる。
やはり両親は殺されたのだ。それも、こんな奴に。
「おかしいと思ってた! あなたが殺したのね、人殺し!!」
とたんに男の靴が奏の胸元に入り、奏は痛みに息を詰まらせた。
「ぐっ」
「黙れ。おまえもあの時に駆除されたはずだったんだぞ。どういうわけか生き残りおって。すぐ殺してやってもいいが、それをしないのはシグマのために過ぎん。ここにシグマが来たら、おまえも」
ということは。
「直人、来るの」
研究員はにんまりと笑った。
「じき姿を見せるだろう。ほら。来たようだぞ。見えるかね。そこからでも立ったら見えるんじゃないかね」
奏は身じろぎした。両親のことを責めたいが、後回しだ。それよりも直人の姿が見たかった。後ろ手のまま立ち上がるのは難儀したが、鉄管を背中に押しあてながらも、なんとか立つ。
そこは工場ではなく、あちこちに鉄筋が高く詰まれている更地だった。まるでこれから工事でも始まるように、鉄骨や鉄パイプ、まるめられた鉄線などがあちこちに積み上げられていた。そして人はひとりもいない。
「きゃっ」
いきなり男の足払いを食らって、奏は思い切り尻餅をついた。かなり痛く腰を打ち、涙がにじんだ。男の笑い声を奏は睨みつける。
「だましたのね」
「単純で無様だな。そしておろか。自己中心的で短絡思考。もっともらしく愛だの情だの口走りながらけっきょくは己の繁殖のためにすぎない。それすらも気づかないほどの下等生物。一日もはやく全滅すべきだと思わないかね。わたしなら恥ずかしさに自殺するだろう」
「バカじゃないの。恥ずかしいのはこっちよ。おなじ人間だと思ったら寒気がする」
吐き捨てる奏に、研究員はさもおかしそうに笑った。
「なかなか良い冗談だ。下等生物なら、わたしと貴様がおなじだと思われてもしかたない。見た目では見分けらないだろうからな。教えてやる。わたしはシグマのマスターだ。シグマは進化した人間だ。その上に立つ者だぞ」
「言ってたらいいじゃない。人の上に立ってるだけで偉いなら、組体操のてっぺんは大統領より偉いわよ」
「貴様はなかなかおもしろいことを言うな。ここの研究員には冗談がわからない者も多くてね。私は気が変わりやすいんだが、思った事はすぐに実行するたちでね。貴様はシグマに与えるにはもったいない」
男は内ポケットからペンケースを抜き、中から銀色のペンを取り出した。
「王には道化が必要だと思ってもいたんだよ。それも貴様のようなおしゃべりがちょうどいい。なに、首だけでいいんだ」
奏は凍りついた。
持っているものはペンではない。刃がある。
メスだ。
まばたきをする間も置かず、喉に金属の感触を感じて、奏は恐怖に喉の奥までこわばらせる。
「い、や」
「死ぬと思うのかね。安心したまえ。わたしがほしいと言ったんだ、殺すわけがないだろう。貴様は水球の中に入るだけだ。飲食の必要はないし、苦しみや悲しみもない。ただそこでわたしの道化としておもしろいことを言って笑わせてくれればいいのだ。すばらしい話じゃないかね。ああ、痛いのがいやなのかな。安心したまえ、痛くはしない。これは切れ味がいいからね。注射とおなじで、痛いのはほんの一瞬だ」
男は死刑執行人の笑みを浮かべる。
「やめて。いや」
「すぐだ」
メスが横に動いた。
奏は悲鳴をあげた。
そのとき、演習場の扉が開けられた。
「姉ちゃん!!」
奏の耳に今、はっきりと声が届いた。待ち望んでいた声だった。
「直人!!」
白衣は汚れていないメスを見せつけて立ち上がった。
「残念だ。貴様はシグマに譲ろう」
「どこだ、クソジジイ!! 姉ちゃんを返せよ!!」
「やれやれ。下等生物に戻ってしまったな」
研究員は慣れた手つきでスイッチを点けていく。パネル上に直人が四方向から映し出された。
更地の上に、赤く長い髪をふり乱して立っている。全身が血と埃で汚れていて、痩せたようだ。しかしおおきな怪我はないようで、肩をいからせて力強い目で一方をにらみつけて憤る声には張りがあり、確実に生命力を感じられた。
よかった。生きてた。直人は生きてた。
奏は涙をこらえられなかった。手錠が邪魔をして、駆けつけられないことがもどかしい。
「どこだ!!」
直人が駆け出した。しかし手前に銃弾が撃ち込まれ、やむなく足を止める。
白衣はマイクをつかんだ。
「動くな。死にたくないだろう」
「てめえが聖か。出てこい!!」
「元気そうで安心したよ。ひさしぶりだな」
「姉ちゃんはどこだ!!」
「お姉さんはちゃんとここにいる。すこし待ちたまえ。会わせてやろう」
にたり。
こちらを振り返って笑った口元に、奏は戦慄した。独裁者のほほ笑みだ。
腕をつかみ、奏を引き寄せる。
「いや」
もうだめだ。ほんとうに殺される。直人が目の前にいるのに、ここで死ぬんだ。父さんと母さんを殺した奴に、わたしも殺されるんだ。
ぎゅっと目を閉じた奏の耳元に、信じられない言葉がささやかれた。
「行け」
手錠が音を立てて床に落ちた。
考えてもみなかった展開に、奏は男を呆然と見る。
男は笑みを崩さない。スッと出口を指す。
「そこから出ろ」
「え。でも」
「安心したまえ。再会の場を狙撃するなんて野暮なことはしない。そんなことは三流の下等生物のやることだ。わたしは違う」
しかし奏は動けなかった。こころの奥では警報が激しく鳴っていた。だめだ。きっとこれは罠だ。信じちゃいけない。きっと想像もつかないおそろしいことが待ってる。
だけど。
「おい、クソジジイ!! 姉ちゃんはどこだっつってんだよ、はやく返せよ! オレの姉ちゃんだぞ!」
はっとパネルを見上げた。映し出されている直人と目が合う。
「ほんとうに行っていいの」
「行きたまえ」
奏はふらつく足でそこから飛び出した。
「いいな、動くな。今、解放した」
アナウンスが響いてすぐに奏が姿を現した。直人はじっと立っているのがもどかしく、両手を振って合図した。
奏の髪はぐしゃぐしゃだ。それにふらついていて、不安になるくらいきゃしゃに見える。だけど全身で自分にむかって駆けてきた。奏だ。生きて、走ってくる。直人はさっきまで感じていた身体の痛さも、培養室での胸をしめつける想いも、聖に対する怒りも忘れた。
奏がいた。ここにいた。やっと会えた。目の前にくる。あと二メートルくらいだ。もうすぐ手が届く。あとちょっとで手が届く。
「姉ちゃん!!」
「直人!!」
「シグマ!! その女を殺せ!!」
――イエス、マスター。
直人は視界が赤に包まれたかと思うと、音もなく闇に落とされた。
なにが起こったのかわからなかった。
直人はあたりを見渡した。ここはどこだろう。目がおかしいのか、視界がぼんやりする。頭も感覚もぼやけていて、まるで夢のなかみたいだ。ほんとうに夢を見ているかもしれない。
ぼんやりする視界の先に、赤色に包まれる奏が見えた。締め付けられているのか、顔を苦しそうに歪めている。さっきは目の前にいたと思ったのに、気のせいだったんだろうか。奏、どうしたんだ。
カナエ、それハなンダ。
え。
すぐ背後から、真っ赤な獣の目が問いかけてきた。赤一色の猛獣の目は今にも襲いかからんばかりだったが、直人は恐怖も感じず、ぼんやりと見上げた。ただ、見覚えがあるなと思った。
カナエとはナんだ。
なにって、ええと。なんだっけ。
頭がぼんやりする。どうして気になっていたかも思い出せない。かなえ、という単語だけが存在しているようにも感じた。獣はぎょろりと目玉を動かした。
ワカラナイ。知ラナイ。必要なイ。お前モ必要ナイ。消エロ。消えロ。マスターだけ必要ダ。マスター。マスター、マスター、マスター。
ますたーってなんだっけ。
「シグマ!! 私だ、マスターだ!! 思い出したか!! さあ、その女を締め殺せ!! 手足をもぎ取れ、首をちぎるんだ!! マスターの命令だぞ!!」
興奮する男の声が響きわたり、直人は首をかしげた。
あれはだれだろう。こえだけ、はっきりきこえる。
イエス、マスター。マスター、マスター、マスター。
あれが、ますたあ、か。
マスター。命令。コロス。壊ス。殺ス。ターゲット壊ス。殺ス。
こわすって、なにを。
ターゲット。ソレト、
それと。
オ前。
獣が大口を開けた。
口の奥にひろがる闇が直人を一瞬で呑みこむ。
そのとき。
――直人!!
高すぎず低くもない、女子の透明な声が名を呼んだ。
それだけで直人を覚醒させるにはじゅうぶんだった。
呼ぶからね、と言って笑っていた。
二度と聞くことができないと思っていた声。
それはまぎれもなく。
「ソラ!!」
獣が驚いて身を引いた。巨体の獣は身をちぢこまらせ、怯える目で直人を見下ろす。
ナンダ。コレは。オ前ハなンダ。
「どけ!! シグマ!!」
ウ、ア。
「消えろ!! 消えるんだ!!」
直人の言葉は獣の身をびくりと弾かせ、そのたびに巨体はみるみる小さくなった。今や象ほどに小さくなった。
「いらないのはおまえだ!! シグマ!!」
獣は苦しげに悶えながら、おとなぐらいになり、犬ぐらいの大きさになり、猫ほどになり、とうとうハムスターほどの塊になった。
ヤメロ。ヤメロ、マスター。マスタアアアア。
直人は赤い塊を両手に包んだ。手の中でシグマは暴れ、もがく。
アア、ヤメロ、ヤメロ、やメロ、イヤだ
「消えるんだ」
マ、スタ……
直人の手の中で、シグマは煙のように消えた。
じゃあな。
直人は静かに目を閉じた。
「直人」
奏の絞り出したような声に目を開けると、そこに血の海に沈んだ一輝が見えた。
いや、違った。奏だ。赤い繊維に今にも呑まれていくところだ。そして繊維はまぎれもなく直人の髪。
聖の怒鳴り声がする。
「そうだ、シグマ、絞め殺せ!! 八つ裂きにしろ!!」
やめろ。だまれ。オレはあの絶望をまた味わいたくない。
オレはシグマじゃない。
「シグマ、殺せ!!」
「うるせえ!!」
直人は全身で叫んだ。
髪はすぐに奏を解放し、崩れ落ちた身体を抱きとめる。支えた肩は細く、ガタガタと震えており、力を入れるだけで壊れそうだった。それでも最悪な想像がかけめぐる。
「姉ちゃん、姉ちゃん。だいじょうぶか、怪我は」
奏は首を横にふり、直人をつかんで、さらにぎゅっと力を入れて応えた。直人は奏を包みこむように抱きしめる。
「ごめん、姉ちゃん。オレ、姉ちゃんにこんなことするなんて」
謝りたかった。奏を迎えにいくのが遅くなっただけでなく、シグマに呑まれたことが許せなかった。
奏は腕の中から弟を見上げて目を丸くしていた。大丈夫だろうか。まさか聞こえないとか。
「姉ちゃん、オレだよ。直人だよ。わかるか、姉ちゃん。ごめんな、ごめん」
ぼんやり見上げていた顔が、くしゃりと歪んだ。両腕が直人をしっかり抱きしめる。
「直人っ」
「姉ちゃんっ」
「直人、ずっと待ってた。直人が来るって信じてた」
「うん」
「家に帰ろう、直人。いっしょに帰ろう、ね」
「うん。姉ちゃん、帰ろう」
直人はふいに戦慄を感じた。
なにかわからないが、今すぐ自分たちを防御せねばならない気がした。しかしどこからなにが来るかわからない。せめて奏ごと包まれるようなバリアでも張れたら。
意思に応えるように、髪が奏と自分を包んだ。赤に包まれた奏は身を硬くしたが、直人は奏をやさしく、ぐっと抱き寄せる。
銃声が聞こえ、髪の一部に衝撃が走る。撃ち込まれた銃弾は髪にはさまって止まったようだ。さらに銃声が響く。三発、四発。
「シグマ、どうした。マスターの命令が聞こえないのかっ」
聖のわめき声も気にせず、直人は赤い繊維を見た。
腑に落ちた。そうか、そうだったのか。
「姉ちゃん、動くなよ。オレもいるから」
「うん」
よし。
自分たちを包んだまま、はさまっている弾丸を手元に落とすんだ。
すると髪はわずかに波打ち、直人の手のひらに弾丸を落とした。奏が驚きの声をもらす。
「そうか。わかった」
「直人」
「髪のこと。オレ、わかったかもしれない」
イメージするんだ。やっとわかった。
今までわけがわからなかったから、髪も勝手に暴れたのだろう。今のようにきちんとイメージすると、髪はそのように動く。
「防御を解除しろ、シグマ! 私はおまえのマスターだぞ。従うんだ」
奏の手に力が入った。直人の意識をつかむように。
「だいじょうぶだよ、姉ちゃん。シグマは消えた」
わかった、とでも言うように奏の手が直人の頬をなでる。
「直人」
「なに、姉ちゃん」
「直人」
「なんだよ」
「ぜったい、姉ちゃんといっしょに帰ろうね」
直人はうなずいて答えた。
とたん、奏の身体がずるりとおちた。
「姉ちゃんっ」
なにが起こったのか、直人はかろうじて奏の体を抱きとめた。いやだ、やめてくれと祈るように顔を覗き込むと、予想を反して、奏は目を閉じて呼吸している。それはおだやかな表情で。
「寝るって、おい。冗談だろ」
頼むよ、姉ちゃん。
直人は笑いがこみ上げた。
奏。ありがとう。シグマになって殺されかけたのに、オレと帰ると言ってくれた。それだけで泣きたいほどうれしかった。
うん。奏、いっしょに帰ろう。
直人は胸いっぱいに息を吸って、前方をにらみつけた。
よし。
聖。覚悟しろよ。
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