9 意識

 聖や看守がいなくなった留置所は静まり、一輝は簡易ベッドに横たわった。

 直人はどうなっただろうか。奏は無事か。考えるほど悲しい結末になり、何度も結論をうち消す。

 そういえば、聖がいなくなってから、直人と奏のことをずっと考えている。ここまで誰かの身を案じるなど、長年生きてきて一度もなかったのに。

 巡視にきた看守の足が檻の前で止まり、檻を警棒で一打ちした。威厳を誇示しているつもりらしい。

「おい、真田。お前のことはカメラでも二十四時間監視しているんだからな。檻を壊したりなにかを隠したり、変な動きをすこしでも見せたらすぐ聖室長に通達する」

 一輝は看守に目をやった。どこかで見た覚えのある顔だと思ったら、地上で会った警備員の顔だった。潤滑油の匂いが鼻をくすぐる。量産が一種だけとは芸がないというか。

 興味が失せたので、寝返りをうって背中を向ける。

「安心しろ、なにも壊す気はない。お前のような機械の生気も吸いたいと思わない。呼ばれるまでおとなしくしてる。それが条件だからな」

「なら、いい」

 足音は遠くなり、また留置所は無音になった。寝返りをうち、立ち並ぶ鉄の棒をぼんやりと見る。

 我ながら不思議だ。以前なら檻も看守もすでに壊して、鷺宮を後にしているだろう。同志がいたとしても、同族じゃないかぎり見捨てて、単身地上へ脱出している。直人も奏も、立場でいえばただの同居人にすぎない。

 それでも、あのふたりを残して逃げることはしたくない。

 どうしてふたりに執着するのか、自分でもおかしいと思う。

 しかし。

 化け物の己におののきながらも生きようとする直人と、そんなことを微塵とも感じさせない奏。自分がどこか求めていたモノがそこにあった。ふたりのそばに居たいと思ったのは事実だ。彼らは自分にとって特別な存在、あれは自分の領域、いつか戻る場所、故郷のような。

 本当の故郷ははるか昔に焼け落ち、二度と手に入らない場所になった。おぼろげに覚えているのは、まぶしさとぬくもりだけ。夜中に上がった鬨の声と焼け落ちる家屋と同胞の悲鳴は鮮明に思い出せるというのに。

 鷺宮がそれを再現しようとしているのかと思うと、怒りにふるえてくる。そんなことはさせない。ふたりに二度と会えなくなる時はいつか来る。しかしそれはこんな形じゃない。

 一輝は無意識に拳を握った。

 心は決まっている。自分の身がどうなろうと、直人と奏を鷺宮から脱出させ、守りとおすのだ。

 そのためにもシグマとなった直人に会わなければ。直人なのかシグマなのか、確認しなければならない。

 直人なら、なんとしても連れて帰る。

 シグマなら、ひと思いに殺す。

 それがせめてもの手向けだ。直人にとっても、奏にとっても。自分にとっても。


 奏は話し声に意識を取り戻した。身体中熱くてだるく、目を開けるのすら億劫だ。声はドアのほうからで、どうやら看護師が奏の状態を報告しているようだった。

「はい。原因になるようなデータはなかったので、感染症ではなくストレス性のものかと……。今ですか。八度七分です。ほかにこれといった症状はありません。はい、指示どおりです」

 まだ九度近いのか。奏は重い頭を動かして渋面をつくる。じっと寝ているのにめまいがしていて酔いそうだ。息も苦しいし、耳鳴りもしてる。熱ってこんなにつらいんだっけ。最後に八度以上出したのは何年前だったかな。

 看護師の報告は続く。

「はい。私から見ても、現段階では無理かと」

 そうね。なんのことはわからないけど、今はトイレに行くのも無理っぽいわ。

「ああ、そうですか。よかった」

 看護師の明るい声に、奏は耳を澄ませる。なにが良かったの?

「一週間くらい先ならきっと大丈夫ですね。こちらは三日もあれば回復すると思いますから、その頃には献体施術もできるかと」

 なにを言ってるんだろう。

 奏はぼんやり話を聞きながら、意識が沈んでいくのに任せた。

「わかりました。では室長にもそのようにお伝えください」


 鷺宮研究所最深部のひとつに、第五研究室という部屋があった。

 そこはモニターやパソコンが並び、各卓で研究員がなにやら記録していたりキーを打ちこんでいた。部屋の中央には病院用ベッドが置かれており、患者が横たわっていた。頭部と胸元からは細いコードが伸び、頸静脈と両腕に繋がった点滴チューブには、透明な黄色い液体が満たされていた。患者は首と手足をベルトで固定されているが、動くようすはない。見事に伸びた赤い髪を床まで垂らし、うつろな表情で天井を見つめている。

 そこへ聖が足早に入室した。

「経過は」

 すぐ手前の研究員が代表で顔を上げる。

「最終段階にいつでも入れますよ」

 報告に、聖は楽しそうに笑う。

「そうか、よし。今からやる。準備しろ。DX-Kを一本追加。モルヒネも一緒だ」

「急ぎますね」

「戦闘実践の相手が決まった。できるだけ早く仕上げたい。一週間、いや四日後に行う」

「わかりました」

「う……」

 ベッドからわずかにうめき声が上がり、聖はすばやく患者に寄り添った。

「シグマ。私を探していたのか」

 シグマと呼ばれた患者は、焦点の合わない瞳で聖の声を追う。青白くこけた頬を、聖はやさしく撫でた。シグマの睫毛が安堵にふるえる。

 聖はやさしく語りかける。

「そう、私だ。お前のマスターだ。わかるな」

 目を懲らしてなんとか認めようとしているシグマに、聖は頷いて見せた。

 研究員の声が上がる。

「脳波、安定しています。いい調子ですね」

「そうだな。よし、そろそろいいだろう」

 聖はサングラスを外して、シグマを見つめる。

「シグマ、いいことを教えよう。戦闘実践相手が決まったぞ。今度は存分になぶり殺していい相手だ」

 とたんにざわりと髪が波打ち、ふたつに分かれて持ち上がり、蝶の羽を象って揺れた。

 聖は赤い蝶の輪郭をいとおしそうになでる。

「そうか、うれしいか、シグマ。私もだよ。今度の実践の相手は真田家の人間だ。こいつらは頑丈にできていて、なかなか死なないんだ。つまり何度殺しても立ちあがるんだよ。殺して、殺して、殺しても生き返る。どうだ、お前の相手にぴったりだろう? 名前は真田一輝という」

 間をおいて、シグマの髪が乱れて蝶の形が崩れた。恍惚としていた表情には苦痛の色が浮かびだす。

「心拍、血圧ともに急上昇」

「脳波に異常。興奮状態になりつつあります。室長」

 聖はシグマの瞳をこじあけてペンライトを当て、鼻を鳴らす。

「ふん。まだ記憶が残っていたか。しょうがないな」

 聖はシグマの頬をやさしくはさみ、ささやいた。

「シグマ。聞こえるか。私の声を聞くんだ。シグマ、私がいる。大丈夫だ、落ち着け」

「脳波、徐々に安定してきました」

「シグマ、落ち着け。私はここにいるぞ。お前のマスターはすぐ側にいる」

 赤い髪はゆっくりと落ち着き、シグマの表情も元のうつろな状態に戻っていった。

「そうだ、落ち着け。いい子だ。私の声だけを聞いていればいい」

「心拍数も落ち着きました。血圧も戻りつつあります」

「脳波、正常です」

 聖はほくそ笑む。

「いい子だ、シグマ。じゃあ答えてみろ。今お前に話しかけている私は、誰だ?」

 シグマはこわばった口元を動かした。

「……マ……スタ……」

「そうだ。私がマスターだ。私だけを記憶しろ、シグマ。お前のすべてはこの私にある」

 シグマは子守歌でも聴いているような表情で目を閉じる。

「シグマ……私のシグマ……私の物だ。誰にも渡さない」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アフターグロウ  レベル1 目覚め 羽風草 @17zou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ