6 対面
鷺宮研究所地下一階。
直人は何人ものガードマンが出迎えてくれるのかと思ったが、実際に出迎えた者はひとりだった。鷺のマークと花が飾られた受付フロアで、カウンターにいるピンク色のスーツを着た女性が、ふたりに向かってていねいに頭を下げる。
「鷺宮研究所へようこそ。私たちは常川直人さまと真田一輝さまを歓迎いたします」
直人は初対面の人間に名前を言われて、不快を感じた。こういうのは監視されているようで嫌いだ。一輝がカウンターに近づく。
「歓迎してもらってるところ悪いが、こちらは預けた物を取りに来ただけでね。自分で取りに行くから、どこにあるか教えてくれないか」
「かしこまりました。ただいま確認いたしますので、少々お待ちください」
受付嬢はうなずくなり、手元のキーボードを手際よく弾きはじめる。直人もカウンターそばに行こうとしたが、一輝に目で制止されたので、おとなしくエレベーター前で待つことにした。
当の一輝は慣れた風で、大理石の板によりかかる。
「初対面なのに、よく名前を知ってるね。そんなに有名なつもりじゃないんだが。今は何時だ」
「おふたりがいらっしゃることは前もって聞いておりました。午前三時四分になります」
「三時か。こんな時間なのに君は平気そうだ。ずっとここで?」
「いいえ、ずっといるわけではありません。一階からここまで十二分三十秒かかりますので、お客様をお迎えする準備も」
「到着までに済ませられるってことか」
キーを弾く音が止まった。笑顔で説明していた顔は一転し、すまなさそうにしおれる。
「申し訳ありません。こちらには真田さまからお預かりした物はないようです」
「そう。ありがとう」
いえ、と受付嬢は会釈する。
「じゃあ出直してくる。またあのエレベーターに乗るのは正直うんざりだが」
一輝は女のほほに手を伸ばし、いとおしそうに撫でた。
「君に会えただけでも充分価値があったな」
「ありがとうございます」
彼女もうっとりとして、猫のようにすり寄る。
まんざらでもなさそうなふたりに、直人はいらついた。
「一輝、ナンパなんかしてる場合か!」
しかし直人の言葉は無視され、ふたりはより顔を近づける。
「あの方はよろしいんですか?」
「気にしなくていい。夜勤も大変そうだね。顔色が悪い」
「いいえ。お気遣いは――」
言い切る前に、受付嬢は貧血を起こしたようにカウンターの向こうで崩れた。
追って一輝はカウンターに乗りこみ、女に構わずキーボードを弾きはじめる。はじめの親しげな雰囲気はうそのように消えていた。
直人は目をぱちくりとして、あわてて一輝の元へ向かう。
「一輝、ひょっとしてはじめからそのつもりだったのか」
「ああ。奏さんが危険な時にナンパなんか誰がするか。先くらい読め、ガキ」
「先なんかわかんねえっての。エレベーターも二階じゃなくて一階で降りるし、なんでかなって思ってた」
「正面玄関には端末があるコトも多いからな。情報収集してから行動したい」
埋め込まれた液晶ディスプレイには、データのようなものや論文のらしいもの、名簿などが次々に開かれていく。
「どうよ」
「だめだ。ここでは奏さんの情報は拾えない。ほかの情報を探してみるから、その間に直人はそいつの社員証を自分につけろ」
一輝は顎で倒れた受付嬢を指す。直人は目を剥いて抗議した。
「マジかよ、一輝。オレやらないぞ。そんなもんいらないだろ」
「セキュリティ対策だ。センサーに反応していることもある。それにイヤだなんて言える状況か。奏さんを助けるのに必要かもしれないんだ、やれ。上にいたガードマンだと思えばできるだろうが」
直人はしぶしぶ納得し、倒れたままの女性におそるおそる近づいた。倒れている人の物を盗ることはすごく抵抗あったが、一輝の言葉が罪悪感をわずかに遠ざける。
ふるえる手で襟のバッジをつまんだ時。
――シグマ。
直人は驚いて顔を上げた。
今、確かに男の声がした。シグマを呼んでいた。
かなり間近で聞こえたのに、あたりを見回しても一輝以外誰もいない。じゃあ、犯人はひとりしかいない。
「おどかすなよ」
「なにが。なにか聞こえたか」
「……べつに」
「急げよ」
自分よりずっと耳がいい一輝が聞いていないなら、気のせいか。
その後、いつ彼女が起きて直人の手首をつかむかとひやひやしたが、そんなことはなかった。
直人が社員証をシャツにつけたあとも、受付嬢はぴくりとも動かない。髪の間から見える首すじが、妙に白くて死体みたいだが、やはりこれもロボットなんだろう。どこかにスイッチでもあるのかな。
ロボットのスイッチを切った犯人は、ひとつ頷くとカウンターから離れた。
「よし、行くぞ。ここは地下四階まである。これから目指すのは二階のつきあたりだ。留置所がある」
「一輝。スイッチ、どこにあるんだ?」
素朴な問いに一輝は眉をひそめる。
「なにが」
「これもロボットなんだろ」
「そいつは人間だ」
「え」
直人は言葉に詰まった。じゃあ、これは死体みたいなものじゃなく、本当に死体だったんだ。殺さないって言ったばかりなのに。
一輝はとたんにむっとする。
「なんだその顔は。疑うなら首でもさわってみろ」
言われたとおりにさわってみると、指先に拍動を感じた。生きてる。
よかった。ほっとした。この人にも、一輝にも。
「吸ったのは気を失うていどだ。麻薬をやってるな、生気が苦くて寒気がする」
「疑って悪かったな」
頭をかく直人を、一輝はちらりと見るだけ。
「わかったならいい」
カウンター脇にあった木製のドアを開けると、やっと研究所らしい所へ出た。低いモーター音がしている。鼻をつく匂いは薬品のものだろうか。どこかで嗅いだと思ったら、学校の実験室の匂いにそっくりだ。
「見学用通路ってやつ?」
「それも兼ねてるんだろうな」
まっすぐのびる通路はガラスではさまれ、その左右では実験室のような部屋がならんでいた。
どこも似たりよったりで、フラスコやバネのようなガラス管、そのすきまには茶色や青色の瓶が置かれ、試験管、シャーレ、顕微鏡が乱雑にところせましと並んでいた。パソコンしかない部屋や、暗幕でさえぎられて中が見えない部屋もあった。人影はなく、一輝の言っていた実験体の姿もない。動いているのは定期的に点滅している器械のランプくらいだ。
「みんな寝てんのかな。実験体ってのも見当たらないし」
「実験体をあつかうところは別棟になるはずだ。それにしても……」
廊下の中ほどあたりで、一輝は足を止めて見渡す。直人もマネして見渡すが、気になるようなものはなにもない。
突然ちいさな物音がして、ふたりは身構えた。
すぐ手前のドアが開き、白衣の男が姿を現した。眠そうにあくびをしたところで目が合い、とたんに彼は血の色をうしなってドアに背中を貼りつかせる。あきらかにただの研究員だ。戦う相手ではないだろう。
「うわっ!! なな、なんだキミたちは!?」
「ちょうどいい。お前に訊きたい」
「私は知らない、なにもしていない、なにもしていないんだ!」
研究員は一輝の問いに怯えを見せ、直人たちが来た方向へ逃げだした。
あわてふためく背中を、直人は首をかしげて見送った。なんだ、あれ。
「あのようすなら警備員は呼ばない。放っておけ。急ぐぞ」
一輝は興味なしと足を進め、直人はあわてて追った。
「いいのか?」
「あのあわてぶりだ、よほど見られたくない現場だったんだろう。データでも盗んだか、薬品でも加えて研究の邪魔をしたか。ここは特に足の引っ張り合いが激しい。研究が認められるためなら協力者を売ることも平気でやるし、極端になると実験体や研究員を殺すこともある」
「殺すって」
「ライバルを潰すなら、消したほうが早いだろ」
直人は言葉を失う。
「ここにいる間に、クズの思考回路は大体わかるようになった。毎日あれくらいしか見るモノがないからな。ここには正常なヤツはいない。普通でいられない輩が集まる場所だ」
「普通でいられないってどういうことだ」
「抑えがきかなくなってるヤツだな。研究と称して、生きた人間にメスを入れる」
「うあ」
「ほんのわずかだが、外に居られなくて逃げだしてきたヤツもいるようだ。犯罪者が身を隠すには、ここほど適した場所はない」
ふうん、と直人は相づちをうった。はっきりわかったのは、鷺宮はどこまでもあやしい研究所だということ。そうとわかれば、一分でも早く奏を連れて帰りたくなった。
つきあたりを右に折れると、また別の研究員がいた。ふたりを見つけるなり、壁に背をつけ両手を挙げておびえる。
「やめてくれ、なにもしないでくれ! あの人なら奥だ、地下三階だ! そこのエレベーターでいける。だから僕にはなにもしないでくれ、頼む!」
あの人というのは、もしかしたら。
直人は男の胸ぐらをつかみ、鼻先で問いただした。青ざめた研究員は喉の奥で悲鳴を上げる。
「本当だな!? 姉ちゃんは三階にいるんだな!?」
「本当だ、この目で見たんだ! だから僕は見逃がしてくれ! 受付みたく殺さないでくれ!」
「よし!」
直人は男を捨てると、指されたエレベーターに向かった。そこに奏がいるんだ。居ても立ってもいられない。
「おい、貴様」
「一輝、はやくしろよ!」
すぐにエレベーターは直人を招き入れた。入口手前で立ち止まる一輝の腕も引いて強引に同乗させる。扉が閉まる寸前、腰を抜かしている研究員が笑ったように見えたが、あれはきっと解放されてホッとしたんだろう。
動き出した箱のなかで、一輝は直人に怒鳴った。
「いきなりなにをする! せっかくの手がかりだったんだぞ!」
「だって姉ちゃんが待ってるんだぞ、急ぐしかないだろ!」
「本当にそうなのか確認くらいさせろ! あいつ、最後になんと言ったか聞いてたか?」
「さあ。でも、見たって言ってただろ。じゃあきっとそうだって。それにもう着いた」
地下三階まではすぐだった。
一階とは違い、病院の通路のように無機質で白い通路にドアだけが続いていた。薬品の匂いがただよう中、ふたりの足音が響く。
「奥って言ってたよな。やっぱ、一番奥かな」
一輝は答えず、直人のあとをついてきた。強引に引っぱってきて悪かったかもしれないが、そうふてくされるなよな。直人は軽くにらむと、気を取り直して足を進めていった。
「ええっと。どっちが奥だ」
ここは想像以上に広かった。いくつもの十字路を通りすぎ、つきあたりを折れたが、いつまでも似たような風景に、直人は方角がわからなくなってきた。それでも足を止める気はなく、やみくもに歩いていく。
「直人」
いきなり呼び止められ、直人は一輝をふりかえった。今まで黙っていたのになんだと思えば、離れた位置で立っている。
直人は苛立ちを隠さずに一輝の元へいった。
「なんだよ! 行くぞ、ほら! 姉ちゃんが待ってる!」
「なにかおかしくないか」
「なにが!」
「本当に、ここに奏さんがいると思うか?」
思いもよらない質問に、直人は動揺した。
「な、なに言ってるんだよ! いるに決まってるだろ!? あいつも見たって」
「あの研究員は‘あの人’と言っただけで、奏さんとは言ってない」
「姉ちゃんだよ、ぜったいそうだって」
「近づくにつれ警戒が厳しくなると思ったが、監視する物さえ見あたらない。順調に行きすぎる」
「いいじゃん。結果オーライ」
「バカ! だからお前は短絡思考というんだ。よく考えろ。奏さんはお前を呼び寄せる人質なんだぞ」
「それがなんだってんだよ。ほら、はやく行こうぜ」
じれったい態度に、直人は一輝の腕を取る。しかし、いいから聞け、と振りはらわれた。
「お前の言うとおり、あいつが奏さんの居場所を言ったとする。そこへ俺たちが向かうのは当然だ。あとは奏さんを連れて逃げだすだけだからな。鷺宮の計画は失敗に終わる。そうとわかっているのに、あいつはあっさり居場所を教えた。何故だ」
「それは、恐くてバラしたんだろ」
「そのわりにあっさり答えすぎるだろう。ほかにも疑問がある。受付のことを知っていた。殺したと言っていたから、倒れたところくらいは見ていたかもしれない。しかしあそこには俺たちと女以外気配がなかった。なぜ現場にいなかったあいつが知っている?」
直人は固唾を飲んだ。妙に心臓が脈打つ。
「どう考えても、この奥にはいないと思わないか」
「待てよ。じゃあ姉ちゃんは」
「わからん。どこかにいるかもしれないが――すでにもう」
直人は浮かんだ最悪の状態を、怒鳴って頭から散らした。
「やめろよ!!」
「あくまで可能性の話だ。とにかくおかしい。じつは来てから、ずっと妙な違和感を感じてしかたないんだ。俺がいた頃は常に二十人はいた。それが今は、見てきたとおりほとんど見当たらない。気配すらない」
嵐の前の静けさに感じる恐怖が、ふたりをつつむ。
「嫌な予感がする。戻れ」
一輝は直人の肩に手をかけ、いきなり力ずくで横へ倒した。
一瞬遅れて、銃声。
転ばされた直人が何事かと顔を上げたとき、一輝が腹を抱えて床に倒れるところだった。
「一輝!?」
何事が起こったか把握できないまま、直人は一輝を起こそうとした。
苦痛に歪む顔は白く、脇腹あたりはじわじわと赤く染まっていく。
直人の背後から、男の楽しそうな笑い声がした。
「動くな、シグマ。撃たれると痛いぞ」
ふりかえると、奥からサングラスをかけた研究員が短銃を構えたまま歩いてくる。
「ひさしぶりだな、真田くん。おかえりと言ったほうがいいかな?」
「聖……!」
腕の中でうなる一輝に、直人は驚いて男を見た。
聖といえば、一輝が何度か言っている名前だ。怒りをこめてつぶやく名前を、直人もあまり好きではなかった。聖は短い髪をなでつけた細面で、上がった口元は変にゆがみ、それでいて見下げる態度は、どこか狡賢そうな印象を与える。サングラスで目がわからなくても、どんな目つきで見ているか想像がついた。
一輝が直人の腕をにぎりしめた。
「直人、……行け! 奏さんと逃げろ!」
「でも」
「はやく!」
痛みにあえぎ、シャツを血で染めながら訴える顔は、ここへ来る前に言われた言葉を語る。
先に行け。探せ。ぜったいにつかまるな。
直人は唇を噛むと、うなずいた。
「一輝、悪い!」
直人は一輝を横たえると、聖とは逆方向へ走りだした。
「逃げるのか? 冷たいな、シグマ。仲間を見捨てるのか」
直人は戻りたい気持ちと聖の声を振り切るように、廊下を駆けていった。
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