3 欺瞞
昼下がりのグリ-ンフォレストはブラインドをおろしても陽がはいってくるので、当然店内もあたたかい。元気そうに陽光を照りかえす観葉植物の葉を見ながら、奏は一番奥の席であくびをして涙をふいた。
「おつかれですねえ」
やさしくねぎらう言葉だが、奏はあえて邪険に返した。
「いつもこの時間は休んでいますから」
「そうですかあ。それでですねお姉さん、もうひとつお聞きしてもいいですかね?」
「まだあるの」
正面にすわるセールスマンから営業スマイルで返され、奏はさらにげんなりした。
海堂社の出前に出た一輝と入れ替わりで来たこの男は、今までにない図々しいセールスマンだった。断る奏を無視して、お時間は取りませんせめてお話だけでもと奥のテーブルに腰を下ろし、とたんに始まったセールストークは止まる事がない。
奏もいつもなら掃除を始めて追い出すのだが、席を立つタイミングを逃がしていた。一輝くんが帰ってくるかお客さんが来たら、問答無用で追い出せるのに。そんな時に限って頼みの客は来ない。
おかげで、このありさまだ。休憩時間だというのに、制服の赤いタイもエプロンもつけたままで、セールストークにつき合わされている。
「そしてこれが、今注目されているニュー・リクエストアゲイン式の」
「へえ、はじめて聞いた」
「そうでしたかっ。じゃあここでニュー・リクエストアゲイン式の学習進行を説明しましょう。ニュー・リクエストアゲイン式は名前こそ新しいのですがその方法はかつて」
露骨に嫌な顔を見せても、セールスマンは笑顔を崩さずセールストークも止めない。最新学習教材のパンフに視線を落としたまま、奏は直人のことを考えていた。
いつもの調子で行ってきますって出ていったのに、電話の直人はあまりにも様子が違っていた。元気がないどころか、普段言いもしないことばかり喋ってたのが気にかかる。
‘……いや、なんでも、ない’
普段、絶対してこない電話をしてきたくせに、小さくつぶやいたり。
‘姉ちゃんトコにすぐに行くから!!’
はじめて聞いたよ、そんな言葉。
なんでもないわけないでしょ、直人。なにがあったの? なにか隠してる態度はバレバレなのに、どうして姉ちゃんには言わないのかなあ。
そう、最近の直人は、なにかあっても私に言わない。それだけ大きくなった証拠だってシゲちゃんは言うけど、姉ちゃんとしてはなんだかさみしいなあ。ああ、そうだ。出前の帰りにでもおつかいを頼めばよかった。夕飯は直人の好きなものを作ろう。直人、早く帰ってこないかなあ。今すぐ顔が見たいよ。
ためいきをつくと、セールスマンも同じくためいきをついた。
「そうですよねえ。学習教材って高いですよね、ため息もわかりますよ。いやでもね、弟さんも大学のひとつも出ておかないと、この世の中やっていけませんって。弟さんは十七歳でしたっけ? お姉さんも女手ひとつでよく、ホントすごいと思います」
「はあ」
「はあ、ってお姉さん。もっと胸張ってくださいよお。十七年もひとりで弟さんを育てて」
こういう輩はきらい。同情を見せて言い寄ってきて、口出ししてくるんだから。かと言って放っておくとどこまでも悲劇を作りあげてくるから困る。早いとこ釘を刺しとこ。
「あのね。勝手にわかったように言わないで。第一、十七年も私ひとりで育てられるわけないでしょ。この店は父さんと母さんが死ぬ五年前まで三人でやってたんだし」
セールスマンは指折り数える。
「五年前っていうと弟さんは小学生で、お姉さんはまだ高校生ですよね?」
「高校生なわけないじゃない。確かに直人は六年生だったけど、私は二十歳で」
「うっ」
男はいきなりテーブルに伏しておいおい泣きだした。
奏は目をぱちくりとする。泣かれるパターンは初めてだわ。
「あの、ええと」
「お、お、お姉さんは弟さんのためだけではなく、ご両親の形見であるお店を大事にしているわけなのですね。なんて、なんて健気な! それは苦労なさったことでしょう! いいえ何も言わないでください、言わなくてもわかりますとも! 影で数々の苦労があるのに、弟さんには見せない。なんていう兄弟愛なんだ」
「悪いけど、それ全部あなたの妄想だから。どうぞ」
奏の差し出したティッシュを、セールスマンは軽く会釈して受け取り鼻をかんだ。
「申し訳ありません。こういう話に弱くて……。弟さんはそんなお姉さんの背中を見て育ってたんですね。いやあ、きっとイイコでしょうね」
弟が良い子と言われ、今度は奏の目が光った。
「イイコどころじゃないわよお!」
「えっ」
「言わせてもらうけど、直人は良い子なんてもんじゃないの! かわいくってかわいくって、世界一かわいい子なんだから!! 男の子ってみんなああなの? 素直で無茶して、口では平気って言ってもバレバレで。なにか困ったことあったらもじもじしてたり。こないだなんか事故から子供を助けたのよ、すごいでしょっ! ものすごくかっこいいでしょお!?」
奏の勢いにセールスマンはただ圧された。
「は、はい、すごくかっこいいですね」
「すごいでしょ! 直人って本当にすごいんだから! 一輝くんのほうがカッコイイってシゲちゃんは言うけど、一輝くんは普通にカッコイくって、直人は特別にカッコイイのよ! ねえねえ、それで聞いてくれる? あの子あんな髪の色してるけど、別に気にならないわよねえ」
「髪の色ですか」
ふしぎそうに聞き返されて、奏はすこし落ち着いた。まったく初対面の人間が、直人の事情を知っているわけがない。
「そっか。アナタは見たことないんだ。直人の髪って、きれいな赤なのよ。刺繍糸みたく根本から毛先まで真っ赤なの。だけどね、ちょっと聞いてくれる? 髪が赤いだけなのに、ほかの生徒に支障があるから染めろとか言うのよ。赤くてなまいきだから金を出せとか言うバカは許されて、直人はダメって、これってちょっとおかしいと思わない?!」
突然、携帯電話の呼び出し音が響いた。セールスマンはすこし頭を下げて携帯電話を取り出す。
「すみません、ちょっと失礼しますね。もしもし。はい。今ですか、今は大事なお客様のお話を伺っている最中で……はい。すぐ行きますから。そういうことでお願いします」
通話を切ると、心から申し訳ないという顔を見せた。
「すみません、常川さん。これからどうしても行かなければならない所がありまして」
これまたいいタイミングで、黒いワンボックスカーが店の駐車場に入ってきた。奏はにっこり笑って申し出を歓迎した。
「どうぞどうぞおかまいなく。こちらもお客様が来たようですし、早く帰ってください」
「いえいえ、あなたもご一緒してもらいますし」
「は?」
ドアベルが鳴り響く。
「いらっしゃ」
奏は立ち上がりかけたまま言葉に詰まった。明らかに客ではない。
現れたのは黒スーツを着た体格のいい男4人。ひとりを入り口に残し、ずかずかと入ってきてセールスマンの背後で立ち止まる。まるでボディーガードだ。
セールスマンは男たちを振り返りもせず、当たり前のような態度で満面の笑みを浮かべた。
「さ。迎えも来ましたし、行きましょう。お姉さん」
奏は展開について行けず、わずかにあえいだ。
この人は、はじめから私が目的だったんだ。私を拉致して脅すか、誰かに連絡して身代金を要求するか。どちらにしてもごめんだ。
「逃げられませんよ。ブラインドのおかげで、中のようすが外に知られることもない。電話で助けを呼ぶこともできない。ここはあきらめて、素直に来てもらいましょうか」
奏は唇を噛んだ。元セールスマンの男が言うとおり、出口はカウンター向こうか、見張りが立っている入り口だけ。奥の席だと、窓を割らないかぎり店から出ることはできない。目の前にいる相手は大男ばかりで、同性でも小柄な自分では絶対に太刀打ちできないだろう。
そんな自分が対抗できる術は、シゲちゃんに教えてもらったあの方法だ。
大きく息を吸って念じろ。恐くない。私は強い。絶対に負けないんだからっ!
奏はテーブルを力いっぱい叩いて怒鳴った。
「ヤクザに出す物なんかないわよ!! 帰って!! 私は行かない!!」
恐がらずに声をあげ、物を叩いたり壊して見せる。効果があれば相手はひるむと聞いた。
しかし男たちは身動きもせずに笑いを漏らすだけだった。
「残念、ヤクザじゃない。第一、一般人からもぎとれる金なんかタカが知れてる」
前に座る男がいきなり奏の片手をつかんだ。それは強く、どう抗っても取れない。
「常川奏がどうしても必要でね。来い」
「離して! 行かないったら行かない!」
「無駄に死体を増やすのは面倒だが、抵抗するなら殺してでも連れていく。どうする?」
おそろしい言葉に、奏は身がすくんで動けなくなった。
男は笑顔を崩さない。
「一緒に来てもらおう」
不意に入り口で重い物が倒れる音がした。
男が顎で合図し、背後の壁たちが振り返りざま銃を構える。しかし、真ん中の男が喉を押さえて倒れこんだ。指の間からボールペンを突き立たせて。
「白昼堂々いい度胸だ」
「一輝くん!」
頼もしい声に奏は駆け寄ろうとしたが、手首はより強固に握られ、引っぱられた。主犯格の男は奏をフロア奥へ連れていき、壁を背にして立った。その前を残りの男が立ちはだかる。
奏は首に回された腕をはがそうとしたが、右こめかみに冷たく小さな銃口が突きつけられて、身体の芯から硬直した。助けが目の前まで来ているのに、動けないなんて。
壁になっている男が叫んだ。
「真田、そこで止まれ!」
警告を無視して、一輝はゆっくり近づいていく。
「朝から嫌な予感はしていたんだが、こういうわけか。通りすがりのタクシー会社に道を聞いたら、海堂社は存在していなかった。電話一本で私を店から追い出し、戻る前にすべてを終わらせる寸法か。計画通りにいかなくて残念だったな。当然、貴様ら全員無事に帰れると思うなよ。彼女を放せ」
奏の後ろで男が舌打ちする。
一輝の険を持ったうす茶色の瞳が紫色に変化した。さらに冷たさを帯びた視線に、銃を構える男たちは怯えの色を見せはじめ、後ずさる。
一輝が床を蹴った。
「来るな!」
銃声とほぼ同時にひとりが悲鳴をあげた。常人の力ではありえない勢いで、顔面を真横から殴られて壁に崩れる。もうひとりは頭をつかまれて真下に折られ、そのまま床に叩きつけられた。
「私に楯つくと、こうなる」
一輝は首のうしろを抑えつけ、抑えつけられたほうは見る見る血の気が引いていった。指先から男の生気が吸い上げられているのだ。吸われると人は貧血のような症状に陥り、すべてうしなうと死に至る。
地球上の生き物は生気をまとって生きている。オーラ、バイオフォトンとも称されているそれを、ほかの生命体から吸うことで生きている一族がいた。姓は真田。彼らは一様に紫の瞳を持ち、長命で、心臓を潰しても死なず、自己治癒力も高い。指先から生気を吸う真田家を、人は吸血鬼と呼ぶ。
吸血鬼はゆっくり立ちあがり、主犯格の男を正面から見据えた。紫の眼が冷たく光る。
互いに手を伸ばせば届きそうだ。奏は一輝に手を伸ばしかけ、銃がわずかに動いたのを感じて手を引いた。
ただひとり残った男は、仲間が倒れたにも関わらず、一輝を恐がるそぶりすら見せない。
「真田。動くと撃つ」
「奏さんを放せ。私に用があるなら、人質なんか使わなくてもサシでやり合ってやる」
「断る。そもそも用があるのはお前じゃない。赤髪だ」
奏と一輝はハッとした。男は満足そうに笑う。
「そう。常川直人を無傷で入手する。昼にちょっと出てきてもらうように話したんだが、断られてね。しかたないから、お姉さんを人質に取ることにした。赤髪に言ったらとたんにおとなしくなってくれたよ。お姉さんの言ったとおり、良い子だ。あの調子ならどんな条件でも呑んでくれるだろう」
「私を使って直人を脅したのね、最低!」
「言ったはずだ。人質は死体でも構わない」
かちり。
固い音に奏は悲鳴を飲み込み、一輝は踏みだしかけた足を止めた。
男がそれに気づき、感心の声を上げる。
「ほう。真田が止まった。銃では止まらないのに」
「黙れ」
「この女は赤髪だけじゃなく真田にも有効なのか。聖課長もさぞ喜ぶだろう」
一輝は驚きに目を見開き、激昂した。
「聖だと……貴様ら、鷺宮《さぎみや》か!!」
一輝が動くより早く、銃口が奏の眉間に移動した。突きつけられた死に、奏は我慢していた悲鳴を上げ、一輝は悲鳴に身を止める。
「赤髪の次は真田、お前だ。いや、いっそふたりで来てもらおう。真田、聖課長の事は知っているな。課長の元まで赤髪を連れてこい。それまで彼女はこちらで預かる」
「ふざけるな! この場で貴様を殺してもいいんだぞ」
「やってもいいが、その前に女が死ぬ。このまま引き金を引けばいいんだからな」
「貴様!」
「両手を上げて、さがれ」
男の顎が指すとおり、一輝は数歩下がった。倒れた男たちを踏み越え、入り口近くで足を止める。
奏は黙って見ているしかなかった。手をどんなに伸ばしても届きそうにない距離だ。あきらめて、このまま捕まるしかないのだろうか。
「課長なのか、あのクズは」
怒りを露わにする一輝に、男は含んだ笑いを向ける。
「いや。課長ってのはあだ名。チョイ前に室長が出向いた先の肩書きが課長だったんで、俺たちがそう呼んでるだけだ。正式には室長だ。ま、室長でいられるのもどれくらいかわからんがね。これから手に入る素材ででっかいプロジェクトが動きだす。そいつが成功したら」
「おい、まさかその素材が直人か」
そうだ、と男はうなずいて見せる。
「させるか!!」
歯を剥く一輝に、奏に向けられた銃が牽制する。
奏が震える声で尋ねた。
「教えて。その人は直人をどうする気なの」
「さあ。二度と会えないだろうから、弟は死んだと思ってあきらめるんだな。それに今さらなにをしても無駄なあがきだ。いいな、赤髪を連れてこい。赤髪を置いて真田だけ来た時は、こいつが素材に」
「わかった。条件をのむ」
一輝が言葉を遮った。
「直人は責任持って連れていく。しかし、行ったら奏さんも直人も力ずくで返してもらうぞ。それにいい機会だ、私の用事も片づけさせてもらおう。貴様らも今のうちに平穏を味わっておけ」
「楽しみだな。真田の用事っていうのは報告しないでおいてやる。聞くが、真田の用事はなんだ。聖課長か」
「鷺宮だ」
一輝は男に指示されるまま侵入者たちを車に放りこんでいった。奏も銃をつきつけられたまま、タイとエプロンをテーブルに置いて外へ出る。
外は風が強かった。
駐車場には陽が当たっていているのに、奏は身震いする。きっとシャツ一枚にタイトスカートという薄着のせいだ。これから起こる事に対する恐怖からじゃない。そう思わないと、歩けない気がした。
すぐ後ろに立つ男に銃で腰のあたりをこづかれた。ポケット越しとはいえ、充分威圧感がある。
「お前は助手席だ。少しでもおかしい動きを見せたら撃つ。真田もだ。店の前に立ってろ」
一輝は言われた場所へ移動し、奏とは車をはさむ形になった。
うす茶色の目は奏に謝っているようにも見え、胸が痛んだ。一輝くんは悪くないのに。こうなったのは、私が油断したからだ。セールスマンを追い出せなかったから、だから――。
奏はうつむきがちに謝る。謝っても手遅れだけれども。
「一輝くん、こんなことになってごめん。直人にも、ごめんって……」
「あとで必ず、直人と一緒に行きます。それまでは」
奏は一度強く頷き、なにか言おうとして止めた。ふたたびこづかれたのだ。
「早く乗れ」
「わかったわよ!」
奏が乗り込み、一輝が動いていないのを確認し、男は運転席に座った。
ドアが閉められる寸前、一輝が声を上げた。
「奏さんを傷つけるな。約束しろ」
「課長に引き渡すまでは保証しよう。引き渡した後はどうなるかわからんぞ。課長の機嫌ひとつでどうなるか」
「聖に伝えておけ。お前は無様な悲鳴を上げて死ぬとな」
男の笑みと奏の不安な表情を乗せて、車は走り去った。
一輝は車が見えなくなるまで睨みつけていた。
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