2 通話

日射しにぬくもる昼休みの教室で、直人は机に突っ伏して寝ていた。三十分以上寝ていられる貴重な睡眠時間、チャイムが目覚ましだ。

 しかしその日に限って、思いもよらないモノに起こされた。

 ――二年B組、常川直人くん。事務室にお電話です。至急事務室に来てください。

「常川。おい、常川。事務室に電話だってよ」

 とどめに、近藤が直人を揺り起こす。近藤は一年のときからのクラスメートで、マイペース同士なんとなく気が合う。

「聞こえたか? 事務室に電話だってよ」

「聞いてた。今行く」

 豪快にあくびをして席を立った。まだ寝て十分も経っていないと知り、校内放送を恨む。

 学校にわざわざ電話するなんて、家でなにかあったんだろうか。こんなことは二回目だ。一回目は両親が事故に遭った事を知らせる電話で、シゲちゃんが小学校まで迎えに来てくれた。連れていかれた先は病院のベッドじゃなく、霊安室だったけど。

 だからまた電話が入ったなら家族が……。

 まさか。

 直人は廊下を全速力で走り出した。



 息を切らせて事務室のドアを叩くと、事務員がドア脇の小窓を開けて受話器を差し出した。

 小窓から事務員が申し訳なさそうに言う。

「常川君、ごめんね。生徒への電話は廊下でって決まりなの。ほら事務室って色々あるから」

「なあ、コレどこからの電話!? 家!?」

「常川義男っていう方。自分は親戚だ、急ぎだから出せって言うんだけど、家族以外取り次げないって言ってもダメで、困っちゃって」

「義男おじさん? 家じゃなくて?」

 直人は自宅じゃないと知ってほっと胸をなで下ろした。

 受話器を受け取ると、小窓はコードをはさんだ状態で閉められた。広く暗い廊下の隅で壁に寄りかかる。廊下には誰もおらず、変に広い電話ボックスみたいで、なんとも落ち着かない。

 そうか、義男おじさんか。最後に会ったのは親の葬式だったが、姉ちゃんじゃなく俺になんて、いったいなんの用だろう。

「もしもし。直人だけど」

‘常川直人くん、だね’

 直人はすぐに警戒した。男の声がどこか鋭いせいもあるが、姓から確認するなんて親戚じゃない。

「あんた誰だ」

‘変な行動はしないほうが身のためだよ、常川くん。額が赤いけど、昼寝でもしていたのかな’

 直人は驚いて額に手をやり、あたりを見た。暗い廊下が伸びているだけで、人の気配はない。どこにいるかわからないが、丸見えということだ。

 直人は観念して息をついた。相手がわからない場合は変に抵抗しないほうがいいだろう。

「わかったよ、おじさん」

 声は満足したらしく、穏やかになった。

‘早いうちにわかってくれて嬉しいね。素直なキミに免じて単刀直入に言おう。実はここにキミの両親がいる。常川のご両親ではなく、キミの本当の父親と母親だ’

「は」

‘信じられないだろうが、本当だ。いきなり学校に電話して驚いただろうが、先にキミに話をしておきたくてね。本当の親に会いたくないかい?’

「ちょっと待てよ、本当に本当なのか」

‘ああ。ここはキミに信用してもらわないとならないが、本当にいる。そして会うことができるんだ。会いたくないかい?’

「ちょっと……マジかよ」

 思いもよらない言葉に、直人は動揺した。しばらく忘れていた感情が、重苦しさを持って沸き上がってきたのだ。

 自分は捨て子だ。おむつ一枚で段ボールに入れられてたのを姉の奏に拾われ、常川の家で育てられた。このことについて、自分が不幸だと思ったことはない。

 だけど拾われたと聞いてから、実の親が気にならない日もなかった。捨てられた事実や赤い髪を理由に周囲から弾かれるたび、自分が嫌いになった。そして捨てた親にすべての憤りをぶつけていた。

 自分を捨てた親の顔は見たくない。

 だけど、もしも会えたとしたら、思う存分罵ってやりたい。お前らにいらないと捨てられたオレは、今はここでこんなふうに生きてる、ざまみろと。悔しさで泣くだろう顔に向かって、お前らなんかこっちから捨ててやると怒鳴りつけてやる。

 どうして忘れていたんだろう、あんなにもはっきりくっきりと何度も想像していたのに。それだけ過去の想いになっている。

 忘れていた怒りが今、現実になる。

 今さら思い出させるな。やめてくれ。そんなことどうでもいい。

 しかし、苦い想いは自己主張を止めない。これは良い機会じゃないか。

 ふたつの想いに揺さぶられ、直人はすぐに返事ができなかった。

 悩む直人に、声はやさしく語りかけてくる。

‘急な話で驚いただろうね。無理もない。ご両親が会いたがっているなんて、知らなかっただろう。親権を申し出るわけじゃなく、ただ大きくなった息子に一目会いたいだけと言っている’

 息子と言われて、直人はむずむずした。自分を捨てた人間に息子呼ばわりされたくない。ここまで会いにくるんだろうけど、面と向かって言われたら殴りそうだ。

‘それでキミからこちらへ来てほしい’

「おい待てよ、なんだそれ。会いたいから来いってどういう意味だっ」

 怒鳴りかけ、あわてて奥歯を噛みしめてこらえた。ここは学校廊下の事務室前、大きな声はどうしても目立つ。しかし髪まで怒りにざわつきだし、空いてる手でぐしゃぐしゃにしてごまかした。自分の感情に合わせて勝手に動く赤い髪は、特異体質とはいえ自分自身でも時々気持ち悪い。

 それにしても無神経な親だ。捨ててから、会いたいだなんて。

‘キミが怒るのも当然な話だ。実を言うとご両親は事情があって、キミの元へ会いに行けないらしい。だから私がキミを連れていく事になった’

「事情ってなんだよ。見るだけなら勝手に来て見てけばいいだろ」

‘それが無理だから、私のような仲介を立てているんだよ’

「わけわかんねえ」

‘直人くん。学校が終わったら、今から言う場所に直接来てもらう。そこから私がキミを両親の元へ案内するからね。場所は駅前通りの’

 聞きながら、直人は会う気が失せていった。

 見たいだけで来いと呼びつけて、それも事情があるからって人づてときた。オレが動くしかない状態がなにより気にくわない。第一、オレはまだ返事をしていないのに、話はどんどん進んでいく。

 ばからしい。なにもかも勝手すぎて、話を聞く気すら起きない。

‘キミが店に入って来たら、こちらから声をかける。そのほうがいいだろうからな。じゃあそういうことで待っているから’

「待ってるって言われても困るんだけど。オレが行けるかどうかも、まだ言ってないだろ」

‘キミに選択肢はない。来い。両親にも時間がないんだ。いいか、もう一度場所を言う’

 断ったら命令口調かよ。直人は相手の態度を冷たく見た。

 よく考えてみると、かなりうさんくさい話だ。知らない相手、一方的に進む約束、そして命令。なにもかもが強引すぎる。隠れてこっちを見ているようなヤツには、絶対に関わらないほうがいい。適当に話をつけて電話を切ろう。

 なにより嫌な予感がしてしかたない。これ以上話を聞いていると平穏な日々に戻れないような、嫌な予感。

「悪いけどオレ行かない。早く帰って店を手伝っ」

‘お姉さんにはもう話してある’

 最大の言い訳になる姉の存在を抑えられ、直人は返答に詰まった。

 声は優越感にひたる。

‘ゆっくりしてきてほしいと言っていたよ。店もひとりで大丈夫だからと’

「本当にそう言ってたのか?」

‘ああ’

 直人の決意は一瞬で固まった。

 こいつは嘘をついている。

 一輝がうちに居候を始めて三年、従兄弟が一緒に住んでいるような感じだと、奏は笑って話していた。今や店も一輝がなくてはならない存在になりつつある。今の奏なら、ひとりじゃなく、店のことはふたりで大丈夫と言うだろう。

「オレ行かない」

‘どうしてだ? キミの本当の親に会えるんだよ、願ってもないチャンスのはずだ’

「親も嘘なんだろ」

‘ふむ……キミは思っていた以上に頭が回るようだな’

 男はすこし感心したように言った。ただしおだやかな声色はない。

‘キミの親がいるのは本当だ。だが、来ないなら仕方ない。常川奏さんに来てもらおう’

「は?」

 直人は耳を疑った。

‘お姉さんに、一足先に来てもらうよ。遅くても今日の放課後までには、キミの親と面会くらいしているだろう。そしてお姉さんは、キミが迎えに来るまで帰さないでおく。命は保証するから、急がなくてもいい。だからキミは学校が終わった後で来るんだ。いいな?’

 直人は受話器に食ってかかる。奏が関わってくるなら話は別だ。

「おい、姉ちゃんは関係ないだろ!?」

‘でも常川奏が居るなら、キミは必ずここに来る。……だろう?’

 その通りだ。直人はどうにも言い返せず、言葉を詰まらせる。

「こ、このっ! 姉ちゃんになにかしてみろ、ブッ殺すからな」

‘威勢がいいのは結構だが、それはこちらの台詞だ。……グリーンフォレストは本当に緑の温室のようで、なかなかいい店だね。適度に見晴らしが良くて、緑の中にお姉さんの赤いエプロンがよく映える。特に、胸元のタイは狙撃にいい目印だ。直人くん、こちらからキミは丸見えなんだということを忘れたのかい?’

 相手に見られているのに、相手がわからなければ手出しできない。先手は既に打たれているのだ。

「くそっ!」

‘そういうことだ。拉致することを警察や誰かに言った時は、お姉さんの命は無い。早退する動きでも見せたり、家に伝えてもいけない。いいな。指定場所は、家に帰ればわかるようにしておく。キミは今日一日、学生の勤めをしてから下校するんだ’

「わかったよっ!! でも姉ちゃんになにかしてみろ、絶対許さないからな!!」

‘大事なお客だ、キミが来るまでは乱暴はしない。しかし……抵抗されたらどうなるか保証しかねる’

「保証しかねるって、おい、どういう意味だよ!?」

‘言葉通りだ。まだ昼休みが終わるまで時間があるな。最後に、お姉さんと話す時間くらい許そう。賢いキミにご褒美だ。購買横の公衆電話がある。そこで昼休みの間だけ家への通話を許そう。もちろん、バラすそぶりでも見せたらわかっているね。直人くん、お姉さんと別れる前に、言いたいことや謝る事があったら言っておくといい。それだけでも後悔は少ないものだよ’

「うるせえ!!」

 言うだけ言って、電話は切れた。

 直人は受話器を持ったまましばらく動けなかった。



 店は会社が昼休みの時間帯になると常にほぼ満席状態だ。昼休み終了二十分前から空席ができはじめ、十分前に一斉に席が空く。

 一輝がカウンター席の皿を洗い場へ置いた時、レジ横の電話が鳴った。出前依頼が来るにはめずらしい時間だなと時計を見る。十二時四十三分。

「一輝くん、ごめん!」

 厨房から奏がせわしなくフライパンを振りながら声をあげた。電話を頼むという意味に手を上げて応え、受話器を取った。

「はい、グリーンフォレストです」

‘一輝! 姉ちゃん、姉ちゃんは!? 無事!?’

 電話の先は直人だった。

 直人の妙に焦っている声に対し、一輝は落ち着いて返答する。

「直人か。どこから電話してるんだ?」

‘学校!’

「学校って……ああ、今は休み時間か。なに焦ってるんだ、虫のしらせでもあったか?」

‘そんなんじゃねえって! 姉ちゃん無事かって聞いてんだよ!! 店にいる?!’

 一輝は面倒くさそうに息を吐いた。

「直人、落ち着け。奏さんはちゃんと店にいる」

‘本当だな、まだ変なヤツとか来てないよなっ?!’

「来てたら店を閉めてる。バカ言ってないでとっとと教室に戻れ」

 そこまで言った時、横から受話器を取られた。

 奏が頬をゆるめて耳にあてる。

「直人?」

‘姉ちゃん!!’

 受話器の向こうから飛び込んできそうな勢いの直人に、奏はくすくす笑う。

「はいはい。直人、姉ちゃんだよっ」

‘姉ちゃん、良かった、まだ居た……’

 奏は一輝に指を差して合図した。こっちは大丈夫だから、アレお願い。

 一輝は電話の内容の予想がついたのだろう、笑みを残して、できたての料理を運びに行った。

「いきなりどうしたの、直人。なにかあったの?」

‘ありすぎ、いいや、なんでもないって! ちょっと変な電話があって、姉ちゃんは大丈夫かなって’

「変な電話?」

 とたんに直人は焦りだした。

‘あ、あ、あの、ほらほらあれだよ、詐欺とかセールスとか! それにアレ、どっかの店に強盗が入ったってニュースで言ってただろ。姉ちゃん、ぼーっとしてるから大丈夫か心配で’

 心配性の弟に、姉は笑う。

「なに心配してんの、そんなの相手にしないわよ。強盗が来たら捕まえてやるし。それに一輝くんもいるし。ふたりで店にいるから、なにかあっても大丈夫」

‘そうだよな。一輝もいるもんな。……うん、大丈夫だよな、姉ちゃん’

「うん。でも姉ちゃんは逆に直人のほうが心配だなあ。午後も寝ないでちゃんと勉強してきなさいよっ」

‘う。わかったよ’

 ふてくされた声の向こうから、学校のチャイムが聞こえてきた。

「そろそろ時間でしょ。切るわよ」

‘え、いやあの、ちょっと待って、姉ちゃん!!’

 直人がすがるように言うので、奏は首をかしげた。

「なあに?」

‘……いや、なんでも、ない’

「なによ、しょんぼりしちゃって。ほら時間でしょう、切るわよ?」

 間を置いて、直人がはっきり言った。

‘姉ちゃん、オレ必ず行くから’

 奏は店に顔を出すことかと思い、いつもの笑顔でうなずく。

「うん。気をつけて帰ってきてね」

‘絶対に行くからな! 学校終わったら、姉ちゃんトコにすぐに行くから!!’

「うん。姉ちゃん、ここで直人を待ってるからね。じゃあ切るよ」

 受話器を置いて、苦笑する。もう、直人は心配性なんだから。

 しかしまた電話が鳴り出した。直人ったら、言い忘れたことでもあるのかな。

「直人、姉ちゃんは大丈夫だっ……。はいっ! ここはグリーンフォレストです!」



 海堂社の会議室、二時半頃にホット四つ。

 奏は赤面しながら、出前の内容をホワイトボードに書いていった。

「うちははじめてですよね。住所と電話番号を教えていただけませんか?」



 同じ頃、直人の通う学校グランド脇の木影に、一台の黒いワンボックスカーが止まっていた。

 助手席の男が携帯電話をたたむ。

「無い会社まで出前よろしく。……そっちはどうだ」

 後部座席にいた別の男が、イヤホンを外して顔を上げる。

「授業が始まったところだ。これといったおかしい動きはない」

「よし。出るぞ」

 ほかの後部座席から抗議の声が上がる。

「待て。家に向かうのはやはり早すぎないか」

「ここは慎重に進めたほうがいい。もうすこし時間を」

 助手席から男が身を乗り出して、声を諫めた。

「だめだ。聖課長はすこしでも早くと言っている」

「あそこには真田がいるんだぞ!」

 抗議とも恐怖ともとれる言葉に、男は当然といった顔でうなずいた。

「そうだ、あそこには真田一輝がいる。俺の同僚があの事件でやられた。ヤツに首を引きちぎられて死んだよ」

「ならば、やはり」

「やはり、なんだ。女の隣にいる真田が恐いから逃げるのか。ただひとりの小娘を無傷で捕らえる事もできずに?」

 黙りこむ車内を男は一瞥した。

「真田がそこにいなければ終わる仕事だ。女を外に出して、あとは引っ掛ければいい」

「そう簡単に女が店を出るか? 最近のデータは、真田だけが出前に出ていると報告がある」

「じゃあ俺が女を店に引き留める。出前の仕事はいつも通り真田がするだろう。これで店には女と俺だけになる。あとはいつものように迎えに来い」

「途中で真田に感づかれたらどうする」

「そこはヤツの性格を利用するまでだ。こちらが完全に手を引くとか条件を出せば、納得して送り出してくれるさ。元々、一緒にいる人間が目の前で殺されても自分が無事ならそれでいいってヤツだからな」

 車内は鎮まる。

「できるんだろうな」

「できる。だから行け。時間が惜しい」

 車は荒々しくエンジンをふかすと、その場を走り去っていった。

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