第11話 悪の科学者


 マリヤは見たことのない部屋にいた。

 見たことのない豪奢な部屋にいた。

 屋敷とは異なる豪華さだ。

 そして椅子に座らせられ、ガタガタと震えていた。

 滝汗を垂らし、萎縮しきっていた。

 誰もいない部屋で、怯えていた。

 ガチャリと扉が開く音に、びくりと身体を振るわせる。

 見たことのない、背丈の大きい男性が入ってきた。

 男性はお茶のポットとカップをもってくると、カップに紅色のお茶を濯ぐと、シュガーポットとミルクと一緒にマリヤの前においた。

「飲むといい」

 男性にそういわれても飲む気にはなれなかった。

 過呼吸を今にも起こしそうなこの状況で、マリヤはじっと耐えることで乗り切っているからだ。

 第一、毒が入ってないともいえない。

 男性は一向に手を着けないマリヤを見て、ふうとため息をついて別のカップを取り出し、それにお茶を濯いで、ミルクと砂糖を淹れて飲み干した。

 飲んでも問題がないと、いうかのように。

 一つの安全が確保されたかのように見えたが、マリヤはどうしても飲む気にはなれなかった。

 男性はため息を再度ついて、ポットをおく。

「飲みたくなったら飲むといい」

 そういって男性は出て行った。

 男性がでていくと、マリヤはふうと息を吐いた。


 男性の存在がマリヤにとって負荷にもなっていたのだ。

 マリヤはため息をついて、その場を見渡す。

 出口は先ほどの扉しかないようだった。

 窓も高くて届かない。

 装置も今は何も持ってきていない。

 新しく作ろうにも材料がない。

 八方ふさがりの中じっと待っていると、再び扉が開いた。

 今度入ってきたのは、自分を誘拐した男性だった。


 男性はよくみると大柄で、先ほどの男性よりも巨躯だった。

 マリヤは恐怖からさらに萎縮し、その場に縮こまった。

「マリヤ」

 男性はきわめて優しい声色でマリヤを呼ぶ。

 マリヤはおそるおそる顔を上げると、男性の顔が近くにあった。

「あびゃあ?!」

 思わずいつも通りの奇声を上げてひっくり返りそうになると、男性はマリヤの椅子を掴んでひっくり返るのを阻止した。

「マリヤはよく驚くのだね」

 男性は穏やかに微笑みながら、マリヤの頬を撫でる。

 マリヤはぞわぞわする感触に耐えながら、ブラッドの助けを待った。

「マリヤ、どうしてそこまで緊張するのだ?」

「だ、だって、私、貴方のことしらないし、仮にあのとき助けたのが貴方であっても、私はよく知らない、なんで」

「ああ、そうか。マリヤは私の事を何も知らないから、仕方ない」

 男性はそういうと、空のカップを手で遊びながら続けた。

「J・C・ルーン。ルーンでもJでも構わない」

「じぇ、Jさん。何で私をここに、つ、つれてきた、んですか」

「そうだな、マリヤ。単刀直入に言おう」


「ブラッドクライムを抜けなさい」


 Jの言葉に、マリヤは目を見開いた。

 信じられない言葉を聞いたかのように、目を開いている。

「ヴィランは危ない。今回私だったからよかったものの、次回同じことがあるとは限らない、だから抜けなさい」

 Jはマリヤの目を見据えて言う。

 マリヤは冷や汗をだらだらかきながら必死に視線をそらそうとするが、Jがそれを許してはくれなかった。

 マリヤは必死にでているはずの答えを探して、言おうとするがうまく言葉にできなかった。

「君を思って危険な事から遠ざけたんだ、君は穏やかに暮らしてほしい、外はどろどろしていて汚らしいから」

 Jの言葉に、マリヤははっとし、そして唇を噛んでから、必死に彼の目を見据えた。

「な、ならできませんだって私は――」



 マリヤはどこの企業からも求められなかった。

 企業が求めるものと違うと言われ、拒否された。

 自分の作ったもの、自分を否定されたようで、マリヤはひどく落ち込んだ。

 職の決まらない姪を気にした叔父が、町の小さな工場を紹介し、マリヤはそこで働くこととなった。

 働く時、すでに鬱になっていたが、それでも工場の人たちは暖かく迎え入れてくれた。

 しかし、小さな工場だからこそ、できない事が多く、結果研究などもできず日々業務に明け暮れていた。

 そんな時、マリヤの元に二人の人物が訪れたのだ。

 身なりのよい紳士服の男性と、目つきの鋭い容姿端麗な女性が。

 それが、ブラッドとレアだった。

「私の組織ブラッドクライムに所属すればいくらでも貴様の望む研究をさせてやろう! 何悪い話ではないだろう?」

「安心しろ、危害は加えさせない、まぁ君が拒否すれば君の記憶から私達の会話がなかったことになるんだが、それはすまない」

 ブラッドの申し出、それはとても魅力的なものだった。

 自分がしたかった研究ができる、悪の組織に所属する結果になっても。

 今までとは違う、自分のやりたいことができる。

 思う存分、考えることができる。

 マリヤはためらうことなく、ブラッドの申し出を受け入れた。

 そして一ヶ月後、工場をやめて、ブラッドの元へと訪れた。

「よく選んだ、歓迎しようドクター・マリヤ。貴様はこれからこの組織の科学者だ、よく働くように、だがほどほどにな」

「鬱らしいと聞いたからな、私が相談にのろう。これでもれっきとした医者だ、精神面も相談や治療にあたれる」

 二人の言葉に、報われたような気持ちになりながら、その日からマリヤの悪の組織の科学者としての生活が始まった。



「自分で選んで、悪の組織の科学者になったんです。自分がやりたいことのために」

 Jはマリヤの言葉に無言になった。

 そして、マリヤの腕を掴むとテーブルを倒してから抱き寄せた。

「あびゃ……?!」

「なら、ここで働くといい。ここなら安全だ」

「……は?!」

 マリヤはJの言葉に目を白黒させる。

 そして、再び冷や汗をかきはじめた。

 彼にある意味話が通じないと理解できたからだ。

 だらだらと冷や汗をかいていると、何か騒音が耳に届いた。

 正確には破壊音だが。

「……何の音……」

「……侵入者か、ここで待っていなさ――」

 Jが最後まで言い切る前に、扉が木っ端みじんに破壊された。

 マリヤが待ちわび、Jにとっては招かれざる異邦者――ブラッドによって。

「貴様か――!! 私のマリヤを横取りしようとした奴は!! 面だせ面!!」

「ぶ、ブラッド様!!」

 若干言語崩壊気味なブラッドに驚きつつも、マリヤは喜びの表情を隠せなかった。

「よし、マリヤ、無事だな!! あと貴様か!! 私のマリヤに対して『私のマリヤ』なんて抜かした馬鹿は!!」

「……馬鹿とはなんだ、貴様は。うっとうしい蠅め」

 マリヤはJの腕がゆるんだのを見逃さず、急いで腕から抜け出すとブラッドに駆け寄った。

「ブラッド様!!」

 そして、思わず抱きついた。

「迎えにきてくださったんですね……ありがとうございます……!!」

「迎えというか助けにだな、というか貴様は不用心すぎるとなんど言えば解るんだ!!」

「ぴぃっ!」

 抱きついたマリヤを抱き締めながら怒鳴るブラッドに、マリヤはいつもの調子で答えて萎縮する、しかし抱きついた手ははなさなかった。

「……腹が立つな、知らない間に悪い虫にたぶらかされていたとは」

「誰が悪い虫だ!! 私にとっては貴様が悪い虫だ!!」

「貴様も相当悪い虫だ」

 ブラッドの後頭部を何者かががつんと殴る。

 マリヤが驚いた顔で見上げるとそこには、分厚い本を持ったレアが立っていた。

「レア!! 貴様!!」

「レア先生!!」

 マリヤは嬉しそうに、レアにも抱きついた。

 レアは少し驚いた表情をしてから、淡く微笑みマリヤの髪を撫でる。

「よく無事だったね、マリヤ」

「あ、あの先生お怪我は……?」

「私はない、むしろ私がさせる側になってしまった。医者だというのに」

 レアがそう言って肩をおろすと同時に、ブラッドがレアからマリヤをひったくるように奪い抱き寄せた。

「足止めはすんだのか?!」

「勿論、というかその大人げないというかガキっぽい行動はやめろ、貴様いくつだ」

 レアは呆れた表情でブラッドを見た。

 マリヤは部屋にいる三人を交互に見ながらうろたえていた。

「なるほど、保護者もいるというわけか」

「当然だ。マリヤは私の大事な患者でもあるしな」

 Jの言葉にレアが返した。

「ならば一端退こう。だが、マリヤに危害が加わったら容赦はしないぞ」

「安心しろ、危害が加わったら、加えた連中地獄をみるだけだ、貴様らより私とこいつの方が何十倍も強いからな」

 レアはそう返すと、ブラッドに視線を送った。

「では、帰るぞ」

「は、はい!」

 そういうと、ブラッド達の姿がその場から消えた――



 マリヤが瞬きをすると、すでにいつもの屋敷に戻っていた。

「マリヤ怪我はないか、発信器とかは?」

「怪我も発信器もないぞ。だがあの男勝手にマリヤに触って何様のつもりだ!!」

「保護者のつもり、だったんだろうよ」

「え?」

「何?」

 ブラッドの問いに、レアが答えると、マリヤとブラッドは驚きの声を上げた。

「たった一回のさしのべた手が、マリヤを守らないとという使命感に突き立てるほどのことだったんだろう」

 レアはそう言うと、マリヤの頭をぽんと撫でて基地へと移動した。

「フン、やっかいな奴だ」

「あ、あのブラッド様」

「なんだ?」

 ブラッドが不機嫌そうに見えたので、マリヤは萎縮しつつも問いかけた。

「わ、『私のマリヤ』ってどういうことですか?」

「な……?! その、今は気にするな!! いいな!!」

「は、はい?!」

 ブラッドが怒鳴ったので、マリヤは萎縮して返事をする。

 そのとき、ブラッドの顔がわずかに赤くなっていたのを、マリヤが気づくことはなかった。


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