第4話 アニマル・サマー・バケーション

あれから一週間後、俺は再び彼らに会うためにあの山へと向かっていた。


あのあとなんとか解放され無事に帰路へとついた俺は爺ちゃんに彼らのことを秘密にしたまま山での出来事を話した。バナナを全部食べたと聞いて最初は唖然としてた爺ちゃんだったが、「そんなに気に入ったのか。ならもってけ」と豪快に笑いながら大量のバナナを渡してきた。理由を聞いてみると、趣味で作ったのはいいものの、食べてくれる者がほとんどいなかったため、腐らせてしまうのを心配していたようだ。最後に一言「糖尿には気を付けろよ」と釘を刺してきた。俺が腹ペコ小僧もしくは糖尿病予備軍みたいに扱われるのはなんとも言いがたいことではあるが、少女のあの喜ぶ様子をまた見るためならこのくらいは我慢しようと思えてしまう。

あと「孝、肩揉んで♪」と肩叩きを催促してきた親父は肩叩きののちにぶっ飛ばした。



彼らとの遭遇地点へと辿り着く。辺りを見渡してみるも、彼らの姿はない。


「おーい!いるかー!」


叫んでみるも、反応はない。耳に届くのは樹々の葉が擦れ合う音のみ。


てっきりここに来れば会えると思ったのだが……。それならこっちから探しにいくか。


俺は未だ通ったことのない山道を進み、彼らを捜索する。しかし、やはり敷地が広いだけあってそうそう簡単には見つからない。手がかりと呼べるようなものもないため、足でひたすら探すしかないのである。そうして体感的にかなりの距離を歩いて「疲れてきたな」と感じた頃。


バシャン!と水が弾けるような音が俺の鼓膜を震わせた。あっちの方角か。


音の聞こえた方へと進むにつれ、ボチャン!パシャパシャ!と音は大きくなり、辺りの樹々が少しずつ開けてくる。


長い道を抜け視界が完全に開けると。


「……すげぇな」


そこには大自然が広がっていた。


底が見えるほどに清みきった川がせせらぎを奏でながら悠々と流れていく。歩くたびに粗く削れた砂利が小気味良く音を鳴らす。樹々の合間から降り注ぐ光が水面に反射され、様々な色彩を映し出す。川の傍で優しく吹く風が俺の身体を包み込み、汗で不快だった感触を掻き消して清涼感を与えてくれる。


……ずっと都会に住んでたら、こんな風景は見られなかっただろうな。


俺がかつて感じたことのない感慨に耽りながら景色を見ていると。


「……お、こんなところにいたのか」


目の前では熊が川の浅瀬に四足を突っ込んで、じっと川面を見つめていた。すると突如、腕を俊敏に動かし横から掬いとるように川へと突っ込むと、魚が打ち上げられ宙を舞った。


「おおっ!」


魚が、蒼穹と降り注ぐ碧玉の滴によって煌々と輝く。やがて音を立てて地面に落ちた魚は活きがよく必死にパタパタと跳ねていた。


俺が再び熊に視線を向けると、熊はこちらをチラリと見て「グルルッ」と鳴くだけである。


ところであの少女の姿が見えないが、いったいどこに……。


あ、いた。熊から少し離れた場所で同じように両手両足を水に突っ込んで川を睨んでいる。熊と体格も骨格も違うためか、その体勢は少し辛そうだ。


……そして全裸だった。いや、分かる、分かるよ?水に入るなら服が邪魔なのは。でもさ、せめて水着みたいなものでも着てくれないと非常に困る。俺の平常心と理性が。


彼女もまた腕をこれでもかと大きく振り上げると、まるで大地を穿つかのように全力で叩きつける。熊のときよりも大量の水飛沫が舞い、俺がいる方へと……。


いてえっ!!」


水が身体全体へと錐のごとく打ち付けられる。加えて熊がやったように弧を描かずに矢のごとく飛んで来た魚が俺の鼻っ面へと突き刺さった。突然の出来事と衝撃に俺は尻餅をつく。


「いつつっ、いきなりなにす……っ!?」


鼻を抑えて俯いていた俺が涙目で抗議しようと顔をあげると、いつの間にか少女が目の前に佇んでいた。全裸で・・・


見上げる体勢だと逆光のおかげで大事な部分はなんとか見えなくなってはいるが……。


濡れそぼってしっとりした艶やかな髪。華奢ながらも柔らかそうな肢体。そして普段布で覆われている、白雪のような肌と小麦肌のアンバランスさ。幼げな表情も相まって、実に蠱惑的だった。



ふと、俺の鼻に違和感を覚える。なんとなく予想はできたものの、手の甲で鼻を擦る。そこにはべっとりと真っ赤な液体が付着していた。


先程の一撃のせいだろうが、タイミングが悪すぎる。


「違うからな!?お前に欲情して血を流したとかそんな変態じゃないからな俺!?」


「ガウッ!?」


俺の迫真の弁解に少女がたじろぐ。その直後、俺は誰かに頭をぐわしと鷲掴みにされる。


「グルルッ……」


違います!本当に違うんです!決してこの子に興奮したわけじゃないんです信じてください熊さんあばばばば!?







……ああ、酷い目にあった。


血は止まらないは、熊さんに器用にアイアンヘッドかまされるは、とんだとばっちりだよ……。


「ガウッ!ガウッ!」


俺の目の前では少女が木の板を地面に置き、その上に藁を乗せると、木の棒を両の掌で挟み込んでくるくると左右に回転させている。擦り続けると、接触面から徐々に徐々にと細い煙が上がる。


そうこうしてるうちに大きくなった火を囲い、その周りにワタを取り除いて串に刺した15センチ程の魚を並べていく。後は焼けるのを待つのみだが。


「グルルッ」


「ガウッ」


野生児と熊が岩の上に律儀に座ってるのを、現代育ちの俺はどう見ればいいのか。とにかく異様な光景なのは確かだろう。


やがて食事の準備ができると、二人は豪快に焼き魚へと食らいつく。まさしく肉食系!と呼べる食いっぷりである。


「ガウッ」


「……くれるのか?ありがとう」


少女が差し出してきたそれを頬を掻きながら受けとり、俺も見よう見まねでかじりつく。


……うめぇ。魚ってこんなにうまいものだったのか。祖母の作る魚料理も美味しいが、それは様々な食材や調味料が相まっての美味さだ。だがこの魚は違う。ただ焼いただけの武骨なものなのに、このパリッとした食感。口の中でホロホロと身が崩れ、油がじんわりと溶けて優しく口内を満たしていく。加えて骨も軟骨で全部食べられる。


気付いたときには俺は他の二人と同じように魚を貪り尽くしていたのだった。


後にこの魚がヤマメということ、そして15センチ以下は漁業協同組合の規定によりリリース対象であったことを祖父に教えられたのだが、そんなこと知ったことじゃねぇ都会人と獣二人ということで許してほしい。






「いいか?俺の名前は孝」


「ハカイシ?」


「違う、たかし」


「カカシ?」


「た・か・し!」


「ダ・ガ・シ!」


「なんでだー!!」


それからというもの、俺は暇を見つけては彼女達の元へと訪れている。少女達との触れ合いは俺にとってはまさに未知そのもの。だからこそ新鮮であり、だからこそ心踊った。家族は「孝はアウトドア満喫してるなぁ、東京だとインドア派だったのに」と、俺の行動を感心こそするものの、まったく疑っていないがゆえに気を遣う必要がないため、あらゆるしがらみに解放された気分だった。


とりあえず少女には意思疏通のために人語を教えることにしたのだが、これが結構難しい。知性は決して低くはないのだろうが、動物として過ごしてきた期間が長すぎるせいか、発音などが独特なのだ。その結果、俺の名前は『ダガシ』になった。


「グルルッ」


俺達の様子を、ゲンさんは仁王立ちしながら見守っている。ちなみにゲンさんというのは熊の名前だ。ゲンさんは『ツキノワグマ』という、胸元に白い曲線の毛を生やした全身黒毛が特徴の熊で、熊の中でも危険な部類らしい。なんか堂々としてて怖いと思いはするも、そのどこか頼れる親分的な風格にちなんで名付けてみた。そのことを伝えたら、彼は「グルルッ……」と俺から見る分には満更でもなさそうだった。顔は怖いけど。


そして少女のほうは。


「カルル、バナナ食うか?」


「カルル、クウ!」


この通り、呼ばれて反応するくらいにはすっかりと定着していた。俺の名前は覚えないのに……。


目の前で少女と一緒にバナナ食う雑食のゲンさんという光景はマジトラウマだったが、見てるうちに慣れた。それにしても本当に美味そうに食べるなカルル。




「ゲンさん!猪見つけました!」


「グルルッ」


行けとでも言わんばかりに首をくいっと動かすゲンさんに俺は敬礼して猪の前に躍り出る。俺を視界に捉えた猪は真っ直ぐに突っ込んでくるも、俺は震える足を押さえて踏み止まる。


「カルル、今だ!」


「ガウッ」


猪が距離を半ば詰めると、木の上からカルルが猪目掛けて落ちていく。そして両手に握った斧を落下の速度を利用して猪の脳天へと振り下ろす。衝撃に猪は膝を折り、ぴくぴくと痙攣すると、やがて物音一つたてなくなった。


「や、やれた……」


「ガウッ」


「グルルッ」


ゲンさんとカルルが突き出してきた拳に俺は自分の拳を小気味良く打ち付けた。


俺は初めての狩りを無事達成できて、緊張とは別の何かが心を満たしていくのを感じていた。




「ガウッ!」


カルルは木と木の間をジャンプして移動すると、木に実った果実をもぎ取っていく。実に手慣れた動作だ。俺も自然の中で生きてればあれくらい身軽になれるのだろうか。まあ、それはいい。


「なかなかやるな、カルル。だが俺を舐めてもらっては困るぜ!」


俺の手にはエルマーバッグから取り出した万能ナイフ。そして持ち手の先端には輪ゴムが外れないように取り付けてあり、大量の輪を形成している。何本もの輪ゴムを鎖の様に繋げることで取りに行かずとも手元に戻ってくる即席投げナイフの完成だ!


「行くぞ!ふん!」


俺が力強く投げたナイフは重力を受けながら弧を描くように進み。


「あ」


木の実ではなく、木の側面にぶっ刺さった。投げる技術がないのだから当然の帰結である。


だが慌てる必要はない。この鎖状のゴムを引っ張ればたちまちに戻ってくるのだから。


「うぎぎぎぎ……っ!」


しかし引っ張れど引っ張れど、深く刺さったのかなかなか抜けない。そして力を込めすぎた結果。


「あ」


ゴムが千切れると同時に、ナイフが抜ける。ナイフは回転しながら避ける間もなく俺の頬を掠めていき、地面へと突き立った。頬から熱いものが流れる。


……所詮、俺ではエルマーになれぬのか。


「ダガシ」


カルルの差し出してきた木の実をもらい、俺は果実の甘さとともに、悔しさを噛み締め飲み込んだ。そして忘れるために豪快に笑うと、ゲンさんもカルルも吊られるように笑い声と雄叫びをあげた。





時に狩りをし、時に木の実を取り、時に食事をし、時に一緒に眠り、時に大自然の中で叫ぶ。


そんな自分の常識の中では絶対にやらないことを、やれないことをただ望むままにする。


それはきっと、今のご時世では馬鹿みたいなことで、獣じみているのかもしれないけど、とても心地よく、そしてなによりも自由だった。


ここにはありのままの自由があった。


「じゃあな、カルル、ゲンさん。また明日」


「ガーウーッ」


「グルルッ」


手を軽く振ると、カルルはブンブンと手を振り回し、ゲンさんはこくこくと頷いている。


こんな生活も、もうすぐ終わるのか……。


俺は残り短い夏休みに寂しさを覚えるも、考えないようにして帰路へとついた。


「ただいま爺ちゃん」


「おう、孝か」


家に帰ると祖父は手に握った何かを俺に投げ渡してきた。俺は慌ててそれをキャッチする。見間違えるはずもない、どこからどう見ても新聞紙だ。ボロボロになっている点を除いて。


「爺ちゃん、これは?」


「お前さんが頼んでた探し物だよ。まったく、11年前の新聞紙なんていきなり言うから探すのに苦労したぞ」


「それでも探してくれたんだね。ありがとう」


「……けっ。婆さんがとってなけりゃ、わざわざ探そうなんて思わないさ」


祖父は頭をボリボリ掻き、そそくさと奥の部屋へと消えていった。まったく照れちゃって。素直になればいいのに。




俺はそこで思考を切り替え、祖父の渡してきた新聞紙を広げる。そこに載っていた一つの見出しに視線を這わせる。


俺が祖父に頼んでいたもの。


それは今から11年前にあったとある事件。


『幼児山林不法遺棄事件』に関する内容のものだった。

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