09

 また一夜明け、昼休み。仁は一年B組を訪れた。

 先日に引き続いて二度目の生徒会長乱入に、教室内の生徒達が一斉に彼の方を見てざわめく。

 そして今日、仁は確信を持ってこの教室を訪れていた。昨日の放課後、一年B組このクラスの担任に確認したのだ。

 このクラス内に居る『カオル』という名の生徒。担任ですら記憶していない程目立たないらしいが、名簿には間違いなくその名があり、写真も見せてもらった。

『日野香』

 薄茶の髪はさっぱりと短く整えられているが、男らしい顔つきはしておらず軟弱そうな印象の男子生徒。先日の放課後、屋上で見かけた少年と同一人物。

 そう、同一人物だ。そこでようやく思い出した。あの日、すぐに忘れてしまったあの少年。彼に絶対音感があったということだ。あまりの音痴さを思い返すと、とてもそうは思えないが。

 とにもかくにも、彼一人を求めてこの教室に来た。だが、教室内をどれだけ見回しても、少年の姿は見えなかった。

 教室を特定して乗り込んだのに、目的の人物が見つからない。確かにそこに居る筈なのに。

 先日、確かに顔を見た筈の彼を覚えていなかったことに関係しているのか、それとも本当に今日は居ないのか。

 普通に探しても埒が明かないと判断した仁は、すっと息を吸った。

「一年B組、日野香! 俺は、アンタの“才”と“声”が欲しい!」

 その声に、言葉に、先日と同じように昼食を摂る為に教室を出ようとしていた所だった香は立ち止まって驚きに目を見開いた。

「……僕、の……?」

 小さく、小さく。よく耳を澄ませてようやく聞き取れる程度の声が、仁の言葉で静まり返っていた教室内でぽつりと落ちる。

 声の主は何処かと、仁は再度教室内を見渡す。やはり登校はしてきているのだ。この教室内に居るのは確かなのだ。

「そうだ。昨日と一昨日のメール、『カオル』ってアンタだろ? それに、こないだ屋上で歌ってたのも」

 ああ、やっぱり聴かれていた。香はぐっと息を詰まらせる。

「下手な歌だ。でも良い声だった。俺がずっと求めてた声だ」

 いくら探しても見付からない、見えない相手に、仁は言葉だけを返す。

 二人だけの会話の外で、また教室内がざわめきだした。

 知らない名前、覚えの無い人物。知覚出来ない人間と、彼は話している。クラスメイトでさえ知らなかった者を、生徒会長ほどの人物が求めてやって来た。

 他の生徒達には、状況が掴みきれなかった。

 だが、

「こんな僕を求めてくれて、ありがとうございます。でも僕は、部活をするつもりはありません」

 そう言って香は、仁の横を抜けて教室を出て行った。

 それでもやはり仁は、彼を視認することは出来ず。

 見えないままの、目的の人物。聴こえなくなった声。また見失ってしまった。

 ふ、と小さく息をつき、仁は教室を出た。

「ダメってワケ」

 教室の前にずっと居たらしい麗が、振り返った仁の視線の先で腕を組んで仁王立ちしている。

 だが仁は苦笑するだけだった。

「何だ、いたのか」

 そして再び、まだざわついている教室の中に目を向けた。

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