03

 放課後になり、とある空き教室へ向かう仁の足取りは重かった。

 引き戸をそっと開いて中を覗くと、明かりを反射して輝く長いウエービーの髪が見える。どうやら相方はもう来ているようだ。

 当然だ。昨日あの後、やや強引に彼を呼びつけたのは仁自身なのだから。相方は約束を破るような者ではない。

 はぁっと諦めたように盛大なため息をつき、仁は教室に入った。

「悪ィ、れい。今日、会ってもらいてぇヤツが居たんだけど」

「仁」

 彼の言葉を遮るように、麗と呼ばれた少年は口を開く。

 振り返らず、パソコンの画面を見ながら。

「これ、『インフェルノ』の耳コピだよね。28小節目、『ド』じゃなくて『シ』だし」

「へ、マジで?」

 思わぬ指摘に、仁も横からパソコンの画面を覗き込み、その誤りを見付けた。

 自分の耳で聞き取った音を譜面に出したそれを、この昼休み――少年を探した後に昼食をとりながら公開したばかりのものだ。

 まだ原版は公開されていない楽譜だが、麗が言うのなら間違いは無い。

 彼――八千草麗は絶対音感と相対音感を持っており、若干十五歳にして広く世間に名を連ねるシンガーソングライターだ。彼の楽譜が間違っていたことなど、これまで一度として無い。

 やっちまった、と仁は息を吐き出した。

「で?」

 椅子ごとくるりと仁の方に向いた麗は、腕を組んで彼を見上げる。

「僕に会わせたい奴って?」

 もう既に仁が何を言うのか察しているのだろう。『見上げる』というよりは『睨み上げる』といった表現の方が適切に見える。

 ましてその整った顔で睨まれるのは、迫力もあって恐ろしい。

 比較的小柄な少年だとは思えない程の圧倒的なオーラに気圧されて、思わず仁は一歩後ずさった。

「いや、えっと……だから、『悪い』って……」

「で?」

 たった一言。発せられた言葉は、有無を言わせないもので。小綺麗な少年から発せられたとは思えない低い声が、その迫力を倍増させている。

「すんません、見付かりませんでした」

 素直に頭を下げるしか、選択肢は残されていなかった。

 へぇ、と麗の声が、今度は温度を下げる。

「あんな強引に呼びつけといて『見付かりませんでした』? ナメてんの?」

 鋭い眼光は、ふわふわと柔らかそうな髪とは対称的だ。

 どう話を逸らそうかと仁が視線を泳がせていると、パソコンの画面に『メール受信』の表示が出る。

「……この時間にメール?」

 ありがたい助け舟だが、珍しい。

 大抵はこの時間、部活なりバイトなりがあり、社会人なら仕事中の筈だ。

 メールが来るとすれば夜、帰宅した頃から夜中、明け方にかけてが多い。

 一度パソコンに目を向けてから麗が離れるなり、仁は画面を見たままパソコンの方に向かう。

 先ほどまで麗が座っていた椅子に腰かけ、マウスに手を添えてメール画面を開いた。

 送信者の名前は『カオル』、送信時間は昼休みの頃だ。

「途中、どっかで止まってたんだな。えーと……」

 呟きながら、本文を目で追う。

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