5.ワケ
夜八時過ぎの駅前は、学生とサラリーマンでごった返していた。片や帰路を急ぎ、片やまだ家に帰りたくないとゲーセンやら飲み屋に繰り出す。祭りにも似た異様な喧騒ができていた。
俺はというと、一時間ほど前から駅前通りのベンチに腰掛けてスマホをいじりつつ、道路を挟んで向こうにある予備校の入り口を眺めていた。
意外と俺は考えるより先に体が動いてしまう人間らしい。噂話だけを頼りにここまで来て張り込み紛いのことをしていた。
中島によると、柚華の彼氏の先輩は部活を引退してからは毎日駅前の予備校に来て受験勉強に励んでいるそうだ。
一時間経ったが、件の先輩は一向に姿を見せない。俺は予備校についての知識がなく、授業の時間割がどうなっているとか、何時まで開いているのかも分からない。これならそこらへんの情報を中島から聞いとけばよかったと今更になって後悔した。
最初はスマホをいじることでその場をしのいでいたが、一時間経っても先輩は現れないのでしびれを切らしかけていた。
立ち上がって、道路を渡って予備校の入り口まで来てみたが、中の様子は全くわからない。いっその事、予備校の中に入ってみようか。でも、部外者が入っていいのか? そうだ。入塾希望とか理由をつければいいんじゃないか?
俺が入り口でうろちょろしていると背後から、
「えっ、りょー君?」
と、声をかけられた。 振り向くとそこには目を丸くした柚華が立っていた。
「ゆ、柚華」
柚華はまさかここに俺がいるとは予想外だったようだ。「こっちに来て」と柚華に袖を引っ張られ、入り口から離れたところに移動させられた。
焦った様子の柚華は横目でこちらをにらみつけている。
「どうしてここに居るの?」
「まあ、なんというか、塾の……見学っていうか、どこにあるのか見たくてさ」
お前の彼氏が浮気している現場を突き止めに来たとは言えないから適当にごまかした。
「てか、柚華こそどうして此処にいるんだよ。ひょっとしてさ、彼氏のお迎えにでも来たのか――」
しまった。余計なことを口にしてしまった。おそるおそる柚華を見ると、柚華は唇をきゅっと結んで、
「…………うん」
と、気まずそうにうつむいてコクリと頷いた。その顔には頬を赤らめた照れは一切なく、むしろ高校入試の合格発表の瞬間を今か今かと待ちわびている受験生みたいだった。
それから、お互い会話することはなかった。俺は居心地が悪いので目の前を歩く人を数えて気を紛らわしていた。
もうすぐ時計が九時を廻ろうとした頃、予備校の入り口からどっと学生が出てきた。どうやら授業が終わったらしい。いろんな高校の制服が見えた。その中には見知った顔がちらほら見え、先輩の姿もそこにあった。そして、その隣にはクラスメートの女子の姿もあった。
そのとき、柚華がゆらりと歩き始めた。俺も柚華の後ろを追いかける。
先輩たちは二人でおしゃべりをしながら歩いていて、柚華と俺は二人に気づかれない程度の距離を保って尾行した。彼らの歩調はゆったりと遅くて、気をつけないと追いつきそうだった。
心のどこかで、彼らは仲が良くて家が近い友だちなだけで、周囲がカップルだって勘違いしているだけじゃないかと思っていた。が、ふたりの距離は友達のそれよりも明らかに近く、時おり肩と肩が触れ合っていてカップル同然だった。多分、中島の噂通りなんだろう。
柚華の顔をちらりと見ると、まるでつまらない映画を見ているように目が据わっていた。
そして、彼らは通りを曲がって住宅街に入ると、人気がなくなったのを機にふたりは指と指を絡めて手を繋ぎだした。
柚華が気の毒で仕方がなかった。もう先輩らはデキているのは確実だ。先輩は浮気していたんだ。俺は怒りで唇を噛んだ。
瞬間、柚華はズカズカと小走りで彼らの元へと向かった。
突然柚華が現れて驚いた二人は、固く繋いでいた手を離してさっと二人の距離を空けた。
俺も三人の元へ駆けつけると、柚華はじっと先輩を見つめていて、先輩は額に手を当てて顔を隠していた。そしてクラスメートの女子はこの状況を理解できていないようだったが、俺に気がつくとばつが悪そうに後ずさりした。
「ねえ、なにこれ?」
涼しけな声色で柚華は先輩に尋ねる。怒りも悲しみもなく、彼の口から本当の事を聞きたい、ただそれだけのような表情をしていた。
対して、先輩は目を泳がせて左右に首を振っては何度も頭をかいていた。
「柚華……これはさ、違うんだよ。この人はただの塾で仲良くなった友達さ」
「うそ。ホントのこと言って」
先輩が言うあやふやな言い訳を柚華はばさりと切り落とした。
「……私、友達なの?」とクラスメートの女子がポツリと言うと、その場に座り込んで泣き出した。
「いや、マジだって。俺はなんも変なことなんてしてないし。今日だってたまたま、この子と帰り道が一緒で帰ってるだけだよ。俺はさ、柚華が一番だからさ、信じてくれよ」
先輩がなんとか取り繕おうと声を大にして言い訳をしていた。それに伴って身振り手振りも大きくなる。嘘をついているのがバレバレでその姿は滑稽だった。
先輩が何を言っても柚華は動かない。一方でクラスメートの女子は先輩が言い訳を重ねるたびに涙を流して鼻をすすっていた。
なんだよ、この状況。見苦しいにも程がある。取ってつけたような言い訳を繰り返してばかりの先輩はなんて往生際が悪いんだ。こんな男が柚華の彼氏で、柚華を傷つけていたっていうのか。
「呆れた。お前みたいな男、彼氏失格だ」
柚華の手を取ると俺は一目散にその場を後にした。
「ねえ、先輩から告白してきたんだよ。ねえ、どうして? 私、何か彼にわるいことでもしたのかな――」
後ろでポツポツと柚華が俺に尋ねてくる。声が震えていて、もしかしたら泣いているのかもしれない。けど、俺は柚華の問に対して答えを持ち合わせていないし、慰めの言葉も見つからない。だから、聞こえるように相槌を打つことしかできなかった。
柚華は俺に手を引かれて力なくおとなしく付いてきた。こうやって柚華に触れたのはいつぶりだろう。柚華の手は熱かった。俺が柚華の手を強く握っても、柚華から握り返してくることはなかった。きっと、柚華は俺なんかじゃなくて先輩にその手を握ってほしかったんだろう。
俺じゃ力不足だな。
柚華は俺じゃなくて先輩に傍に居てほしかったのだ。そう実感するたびに悔しくてたまらなかった。
夜空には雲ひとつなくて散らばった星がよく見えた。いっその事、土砂降りでも降ってほしかった。
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