4.気になる
「ふあああ」
机から顔を上げたら大きなあくびが出た。
俺は暑さに弱い。気温が上がると怠くなるのもそうだが、途端に睡魔に襲われる。特に授業中は酷い。先生の呪文みたいな喋り方とメトロノームみたいに一定なリズムのチョークを黒板に打ち付ける音も噛み合ってしまえばもうギブアップ。俺は睡魔に完全降伏して机に突っ伏すことを選択する。あの机の丁度いい冷たさがたまらないんだよな。
「お前さ、相変わらず寝不足かよ。心優しい俺が助言したっていうのになあ、もうノート貸してやらないぞ?」
後ろから中島の声がした。直後、ノートが振り下ろされて角が俺の後頭部に直撃する。痛ってえ。
「いやあ、この天気だと、眠くなっちゃうよね」
後頭部をさすりながら俺は中島の方を向いた。
「嘘つけ。寝不足だからだろ。トイレに行って顔洗ってついでに目のクマ見てみろよ。テストも近いんだぞ。夜更かしも程々にしろよな」
中島は呆れた様子でため息をついた。
トイレへ行き、バシャバシャと顔洗って眠気を飛ばした。タオルなんて持ってきていないし、ハンカチも無いもんだからワイシャツの袖で顔を拭った。鏡に映る自分の顔を見てみると、目は充血してうすい赤色になっていてその下に真っ黒で大きなクマがぶら下がっていた。
前言撤回。こんなに眠いのは暑いからでも、先生のせいでもない。明らかに睡眠不足のせいだ。
はあ、なんでこうなったんだろう。
柚華が俺の部屋に来なくなってから一週間経っていた。
柚華が来なくなったんだから、夜中に起こされることもなく俺の夜に平穏が戻って安眠できると思っていた。が、どうしたものか。柚華が来そうな時間になると目覚めてしまい、そのまま悶々と時間が過ぎていくのだ。
俺の体は柚華が夜中に来る生活に慣れてしまったようである。そればかりでなく、背中が心細いのだ。こう、先端がある程度尖った、ペンで背中を押して欲しい気もする。
いや、別に俺にそういう趣味に目覚めたわけじゃないぞ。ただ、心残りがあるのだ。
俺は柚華になんで夜な夜な俺の家に来て添い寝まがいの事をするのか聞いてなかった。女の子が幼馴染とはいえ、異性の部屋に夜中来るのは明らかに異常な行動だ。それなのに俺はあえてその理由を知ろうとしなかった。解決しようとしなかったのだ。
そして柚華を拒絶してから、俺はその理由が気になり、柚華がちゃんと夜に眠れているか気になっているのだ。
スマホを取り出して、柚華に連絡しようと思うが、自分から来るな、と行った手前どうも恥ずかしさが勝ってしまい、メッセージは送れなかった。
とぼとぼ教室に戻ると、机の上に数冊中島のノートが置かれていた。
「中島、毎度すまんな」
「いいってことよ。友達だろ。俺ら。それにお前にどんな事情があるのかわからんけど、早くどうにかしろよ」
「中島ぁ……頼れるのはお前だけだよ」
「キモいから目を潤ませてこっち見んな、くっつくな」
中島は照れ屋らしい。手で俺を押しのけて自分の席に戻ろうと踵を返した。
「あー、そうだ。これ、噂なんだけどさ、クラスの女子が浮気しているらしい。ほら、窓際の一番後ろの娘。あんなおとなしい性格の娘が不倫するなんてなあ」
「は? なんだよそれ」
「どうだ。 びっくりする話題で目は覚めたか?」
中島のいきなりの発言で驚いた。しかし、俺はさらに仰天することになる。
「いやまあ……俺が通っている予備校の話なんだけどさ、どうにもその相手は一個上の先輩で、陸上部の部長らしいぜ。すげえ話だよな。俺なんか女子に持てる気配すらないのにあっちは浮気なんかできるのかよ」
待て待て。俺は記憶を巡らす。柚華は陸上部だ。で、柚華の彼氏は確か同じ部活の先輩なはずだ。まさか……そんなわけないよな。
窓から見える空は初夏の様相をしており、一面の青地に、縦長に渦を巻いた入道雲がぽつんとひとつ浮かんでいた。
たらりと冷えた汗がこめかみからもみあげをなぞった。すっかり目は覚めていた。
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