2.今夜も幼馴染が来る

――今夜もお願いね――


 このメッセージは柚華が今夜俺の部屋に来るという合図だ。だいたい週二回送られてくる。時間はマチマチだが、最初みたいに真夜中には送られてこないのが救いだ。


 俺はメッセージを確認すると、念のために部屋を片付けて、柚華が入れるように掃き出し窓の鍵を開ける。


 柚華は俺の家族が完全に寝静まる午前二時頃を狙って来る。柚華は俺を起こさないようにそろりそろりと窓を開けて部屋に入るが、開けた拍子にヒンヤリした夜風が部屋に吹き込んでくるから結局目が覚めてしまう。


 柚華はペタペタと足音を立ててベッドに近づき、掛け布団の端から体を滑り込ませた。


 布団の中に柚華の柑橘系の匂いが広がる。俺の心臓が跳ね上がる。


 そして、柚華は「ありがと」と囁いて俺の背中にボールペンを突き立てる。ペン先は出していない。



 数分後、後ろからすうすうと寝息が聞こえてきた。しかし、ボールペンは突きつけられたままである。器用なもんだ。寝ているのにボールペンはちゃんと持っている。


 柚華がボールペンを突き立てるのは俺とそれなりの距離感を保ちたいからだろう。どうしてか俺はその距離感に心がもどかしくなる。


 ボールペンの長さは大体15センチ。どうして柚華はその距離にこだわるんだろう?


 柚華が後ろで寝ていると、俺は柚華のことばかり考えてしまう。


 小さい頃は俺と姉貴と柚華の三人でよく遊んでいた。仲良くなった理由は家が近くて同い年だったから。あと俺に姉貴がいたからだと思う。姉貴のおかげで俺は柚華と仲良しなんだろうと考えていた。


 けど、姉貴が大学進学で家を出たあとも、俺と柚華の中は相変わらず良かった。学校に行くときはいつも一緒で、互いの家に遊びに行くこともしばしばあった。柚華に彼氏ができるまでは。


 あーもう。考えるのは止めよう。


 俺はきつく瞼を閉じて睡眠に努める。


 柚華の事を考えると、どうしても彼氏が出て来ちまう。忘れもしない彼氏の顔。確か柚華と同じ部活で先輩なんだっけ? 思い出すだけで良い夢が悪夢になっちまいそうだ。


 そういえば、俺はそいつの名前を知らない。まあ、いいや。そいつの名前を知ったところで俺には一切得が無い。



 朝になって起きると、そこにあったであろう柚華の姿はもうない。俺は眠り足りない目を擦って起き上がった。やけに明かりが眩しく感じる。全身がじんと熱い。明らかな睡眠不足だ。


 でも、それは心地よい感覚だった。


 俺は左右を見て、ついでに母親がキッチンでスクランブルエッグを作っているのも確かめてから、生唾を飲んで、柚華が寝ていたであろう場所に顔を埋めた。


 柚華の匂いがする。昨日柚華はたしかに俺の部屋に居たんだ。


 …………何やってんだ、俺?


 すっくと立ち上がってそそくさと制服に着替えた。


 朝早く家を出て高校へ向かう。柚華と彼氏が待ち合わせをしているコンビニの前を通ったが、二人はまだ来ていなかった。


 向かい風が湿っていて髪がやたらと額にまとわりつく。空は灰色の何層にもなっている厚い雲で覆われていて太陽が見えなかった。梅雨の訪れを肌で感じる。


 結局のところ、俺は柚華がどうして夜中に俺の部屋を訪れて、そのうえ添い寝をするのか分からなかった。柚華は、理由は聞かないで、と言ったきりで話そうとしない。それに俺も理由を追求しなかった。けど、明らかにこの状況はおかしい。幼馴染の女の子が夜な夜な来ては添い寝しているのだ。しかも彼氏がいる幼馴染だ。


 でも、一方で俺はこの状況が嬉しかった。どうであれ疎遠になっていた柚華とまた距離が縮まったのだ。睡眠不足だけど心は充実している。


 鶴の恩返しじゃないけど、理由を聞いたら柚華はもう俺のところに来てくれないんじゃないかと不安だ。


 だから、俺はこの異常な現状をキープするために、あえて柚華に添い寝する理由は聞かずにいる。それが良いかどうかわからない。ただ、柚華が俺の家に来るのを自らの手で止めたくはなかった。

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