第25話 やりたくない仕事(1)
紅子とセンターで出会った三日後、彼女から連絡があった。
シオンは家に居て、夕飯のカップラーメンを啜った後だった。
六畳一間のアパートは、実家を思い出す古さだが、それがかえって落ち着く。畳の部屋の真ん中に背の低いテーブルが置いてあり、食事をしたりとりあえず何か物を置くのに使っている。
家にいるときは、携帯電話はそのテーブルの端に置きっぱなしだ。それが突然震えて、着信を告げたので、シオンは相手の名前も見ずに、慌てて電話を取った。
「……もしもし?」
〈あ、小野原くん? あ、えっと、紅子です!〉
勢いあまったような声が、受話口から飛び出す。
「こう……ああ、浅羽か」
〈あ、うん! 誰だと思ったの?〉
「名前見てなくて。仕事かと思って」
電話がかかってくること自体がまれだし、たいていは仕事絡みだ。
ワーウルフの笹岡と知り合ってからは、よく飲みに行こうと誘われるが、どう考えても酒だろうから、断っている。亜人とはいえ人間の目から見れば未成年だし、そもそも酒なんて一滴も口にしたことが無い。
〈あ、何かお仕事中? いま、電話ダメだったかな?〉
電話の向こうから、申し訳なさげな声がした。
「いや、大丈夫だ。何もしてなかったから。ただ、たまにセンターのほうから電話があって、あっちから仕事振ってくれるときがあるから、それかと思って」
〈そうなんだ。けっこう親切なんだね〉
「普通は仕事は自分で取りにいくもんだけど、誰もやらなくて余ってるのとか、やれる奴が限られてる依頼とかは、やってくれる奴を探してるみたいだな。オレはヒマなら大体受けるから、声かけやすいのかもな」
〈へー。色々あるんだね〉
「オレくらいのレベルだと、えり好みしてたら仕事無いからな。多分だけど、レベル10から20くらいまでの間で仕事してる奴が多いんじゃないかな。……話それたな。オレに何か用じゃないのか?」
もう冒険者になったのだろうかと思ったが、いくらなんでも早過ぎる。
〈あ、ううん。用っていうか。いまね、バイトの帰りなの〉
「バイト? ああ……いま、生活苦しいんだっけ」
前に《オデュッセイア》で話したときに、デザートを食べながら聞いた彼女の家庭事情について、シオンは思い出していた。
父と兄が死んでからは、叔父の家に身を寄せているという。叔父夫婦と、年上の男のイトコがいるそうだが、不景気で叔父の給料が減り、生活が苦しいとか言っていた。
〈うん。中学のときからね。新聞配達してたの。それと高校に入ってからだけど、コンビニとファミレスで〉
「三つも?」
シオンは感心した。
〈あ、新聞配達は先月辞めたから、いまは二つだけ。冒険者になりたかったからね、シフトの都合が付きやすいバイト探してて、ファミレスの面接受けたの。でもそれだけじゃちょっと足りなかったから、近所のコンビニでちょっとだけ。いまはファミレスのバイトの帰りだよ。始めたばっかりだし、まだまだ憶えることいっぱいあって大変だけど〉
声だけだが、元気そうな様子はよく分かる。
「……えらいな、お前」
〈そんなことないよ。働くのって楽しいし。バイトだから気楽だもの。小野原くんのほうがえらいよ〉
「オレは学校行ってねーから……当然というか」
〈小野原くんは、同じ歳でも私よりずっとしっかりしてると思うな。私はお小遣いが無いってだけで、叔父さんたちのおかげで、住む場所とか食べるものの苦労は無いから、ほんとに自分のためなの。何するにもお金はあったほうがいいでしょ?〉
たしかにシオンは一人で、つねに生活のことを考えなければならないが、そのぶん誰に気を遣うこともないし、気楽な身分だ。
離れているが父は健在だし、面倒を見てくれた父の友人もいる。
紅子の場合は、誰かと住む家があり、一緒に食事を取る家族もいるかもしれないが、気楽な身分というわけではなさそうだ。
〈あ、また話それたね〉
と今度は紅子が言った。へへ、と笑い声がした。
「そうだな。どうしたんだ?」
〈んー、用っていうほどじゃないんだけど。あのね、あのあと調べてみたら、やっぱり認定に、三週間か四週間はかかりそうなの。いま、四月でしょ?〉
「うん」
〈三月から四月にかけては、学校を卒業したばかりの冒険者さんが多いから、登録数がすっごく増えちゃうんだって。だから、処理にいつもより時間がかかっちゃうんだって〉
「ああ、そういうのは、あるみたいだな」
この時期はセンターの窓口も混んでいる。
〈特に人間だったら、私みたいに時間がいるみたいだし〉
「でも、そういう冒険者の学校って卒業と同時に認可が下りるらしいから、新規が増えるのはむしろ三月で、四月は少し落ち着いてるって聞いたけどな」
〈あ、そうなんだ〉
「まあ、しばらくセンターが混んでることには変わりないけど。それでも浅羽みたいなのは珍しいだろうから、認定も慎重になるのかもな」
〈んー、そうだよね。私、訓練とか受けてないもん。普通の学校だし〉
受話口から、残念そうな紅子の声が漏れる。
訓練の有無は、実はあまり関係ない。親の推薦付きとはいえ、十代であっさりと認定をもらった桜のような例もある。これは桜の才能もあるが、父が実績のある冒険者であったことも大きい。
紅子の場合も、保護者が承認しているのなら、認定は難しくないかもしれないと、シオンは思っていた。
実績あるソーサラーの家系というのは、説得力がある。祖父、父、兄が冒険者だったと言っていたし、代々そういう家柄だと言えば、協会もそこは尊重するはずだ。
その点をクリアしている紅子は、案外早く認可が下りるような気がした。根拠は無いので、言わなかった。
〈……あ、あのね〉
「ん?」
話が途切れたところで、紅子が上ずった声で、おずおずと言った。
〈あの、ごめんね。ほんと、別に、用は無かったの〉
「ああ、うん。いいけど」
〈えと、あの、私、ちゃんと冒険者になれるのかなって心配になって、色々調べたりして……授業中でも、バイトしてても、そのことばっかり考えちゃって。高校受験の合格発表待ってるみたいな気分でね、毎日ソワソワしてるの。冒険者になれるかな? とか、なったらちゃんとできるかな? とか、考えてね……そしたらね、小野原くんのこと気になっちゃって〉
「オレ?」
〈う……うん、その、あれからね、どうしてるかなあって。それだけなの。この前会ったばっかりなのにね。また色々お話したくなっちゃって。簡単に電話していいのかなって悩んだけど、かけちゃった。ごめんなさい、忙しいのに〉
電話越しにも、彼女が照れているのが分かる。顔はまた赤くなっているんだろう。正直な奴だ。シオンは思った。別に、用なんて適当にでっちあげてもいいのに。
〈ただ、お話したかっただけなの。小野原くんと〉
そう取り繕わずに言う紅子に、シオンは好感を持った。
「そっか。ありがとう」
〈えっ? ぜんぜん、お礼言われることじゃないよ?〉
「そうか?」
〈こっちこそ、いきなりかけて、迷惑だったらどうしようかって悩んでたもん。小野原くんって、本当にいい人だね〉
そう言ってくれる彼女のほうが良い奴だ。
〈ねえ、もう少しだけ、お話してもいい? あの、用はほんと、無いんだけど〉
「ああ、いいよ」
どうせヒマだ。家では食事をするか、寝るか、ぼんやりしているしか、することが無い。テレビも観ないし、そもそも部屋に無い。
〈えっと、ほんとに話題は何も考えてなかったんだけど〉
「何でもいいよ」
〈そう? じゃあ、小野原くん、いま、なにしてたの?〉
本当に何も話題が無いようだ。シオンは少し笑って答えた。
「メシ食い終わったから、風呂入って寝ようかと思ってた」
〈晩ごはん、何だったの?〉
「カップラーメン」
〈それだけ?〉
「それだけ」
〈だめだよー。色々食べないと元気出ないよ〉
「そうだな。家だと、あんま食べないから」
〈えー、どうして?〉
「さあ。面倒だからかな」
〈そうなんだ。私はどんなときでもご飯は楽しみにしてるんだけど。小野原くんて、自分でちゃんと料理しそうだね〉
「しねーよ。ラーメンにお湯入れるくらい」
〈そうなの? ラーメン以外食べたくなったらどうするの?〉
「……買ってくるかな。それか、外で食うか。家の近くに行きやすいメシ屋があるから、そこに行くかな」
〈行きやすいって? 美味しいの?〉
「いや、亜人がやってる店で、客も亜人がよく来てるから、なんか行きやすいってだけ」
〈そっかぁ。私はね、バイト先でまかない食べたよー。ハンバーグセット〉
「ファミレスだっけ?」
〈うん。今度、割引券あげるよ。チェーン店だから、他の店舗でもどこでも使えるよ。大盛り無料券使ってね。小野原くん、すごく細いから〉
「そうかな。あんまり重くても動きづらくなるから、このぐらいがちょうどいいんだけど」
〈そっかー、そういうのも考えてるんだね。えーと、ウェイトコントロールっていうの? スポーツ選手みたいな?〉
「そこまできっちり管理してるわけじゃないけど。増えたり減ったりすると、なんとなく動きにくいって感じる」
〈そうなんだ。なんかすごいね。……んと、男の子には体重訊いても失礼じゃないのかな?」
「ごじゅう……」
〈あー! やっぱり言わなくていい! いいです! ごめんなさい!〉
その急な大声にびっくりして、シオンは電話を離した。
ちなみに、シオンの耳は人間と違って頭の上にあるので、人間用の携帯電話は受話口と耳の位置が合っていない。亜人用の携帯電話も無くはないのだが、人間用のほうがやはり種類が豊富だし、多少耳から離していても優れた聴力で音は充分拾える。
「びっくりした……」
思わず呟くと、紅子の慌てた声が返ってきた。
「あっ、ご、ごめんなさい……つい」
と言ってからも、しばらく電話の向こうで、紅子はうーうーと唸っていた。
「どうしたんだ? ……オレ、そんなに貧相か?」
〈ええっ! ち、違うよ! こ、これは私の問題なの……!〉
「なんかよく分かんないけど」
〈わ、私が勝手に自己反省してるだけというか……今日もセットのライスおかわりしちゃったし……ドリンクバー四杯飲んで、サンドイッチも食べちゃったし……さっきコンビニでお菓子も買っちゃったし……!〉
「いいんじゃないか。浅羽らしくて」
〈うう……またそんな優しい言葉をかけられたら、自分を甘やかしちゃうよ……。あの、でも小野原くんが貧相とか、そういうのじゃないからね!〉
「あ、うん」
〈全然かっこいいよ! 手とか、ちゃんとがっしりしてるもん!〉
「なんでオレの身体の話してんだ。いま、家にいるのか?」
〈あ、え、えっとね、公園。かめのこ公園〉
「何だそれ……」
〈あ、昔からそう呼ばれてるの。おうちの近所の公園なの。池があってカメがいっぱいいるの〉
「なんでまたそんなとこで……危ねーぞ」
薄暗い公園のベンチで、ぽつりと一人と座る紅子の姿が思い浮かんだ。
部屋に置いている目覚まし時計を見ると、もう夜の十時を回っている。
〈うん。すぐ帰るよ。おうちからじゃかけづらいから〉
「怒られるのか?」
〈ちょっとね〉
女子高生が一人で外で過ごすぶんには遅い時間だが、家で友達に電話をするくらいは許されていい気がする。
他人の家のことなので、シオンが口を挟むことでもないが。
「ケータイ代って、自分で払ってんのか?」
〈うん。叔父さんは、私が携帯電話持つの、反対だったんだけどね。自分で払うならいいって許してもらうまで、説得したんだ。友達と連絡取るのに、おうちの電話使いにくいから、便利なんだ。こうして小野原くんと連絡取れるし〉
「お前って、しっかりしてんだな」
中学時代は、大人しくておっとりした奴だとばかり思っていたが、芯は強かったのだ。
クラスが変わっても、シオンに笑顔で挨拶してくれたのは、彼女だけだった。
いつでも女子のほうが、自分より大人びている。
桜も、有無を言わせないパワーと行動力は大人顔負けだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます