第24話 桜(3)
あの日も、最後に見た桜の顔は笑っていた。
簡単な仕事だと言っていたが、彼女にとっての簡単が、他の冒険者に出来るようなことでは無いことは、シオンも分かっていた。
たった一年足らずで、熟練の冒険者に引けを取らない実績を積み上げていた彼女は、協会が定めたレベルを一気に飛ばし、協会に信頼されて、難しい仕事を幾つも任され、難なくこなしていた。
強さと大胆さの中に、意外な慎重さを持って仕事をこなす彼女を、同じセンターに通う冒険者に、駆け出し扱いする者などいなかった。若い人間の女だと笑う者もいなかった。
実力だけの世界で、桜は文字通り自分の実力で成り上がっていった。
「大丈夫よ。アンタって、いつも置いてかれる犬みたいな目で、見送ってくれるわね。猫なのに」
背中に愛用の大剣を担ぎ、片手を腰に当てる。駆け出しのころに適当に揃えたという革の軽鎧ではなく、金をかけた装備に変わっていた。といっても変わったのは素材だけで、覆う部分の少ない軽鎧を相変わらず好んでいた。
細かった身体は、相変わらず華奢には変わりなかったが、くぐり抜けた修羅場のぶんだけ逞しく見えるようになった。ますます堂々とした振る舞いには、自信が満ち溢れていた。
まだ若く、肉体も精神もこれからピークを迎える少女に、すでにこれだけの力が備わっている。
底知れない才能に、誰もが期待し、憧れた。
「ちゃんと、勉強しなさいよ」
「分かってるよ」
「三日は帰んないわ。早く終わるか、長くかかるかも分かんないから、終わったら電話する。なんにせよ、帰ったらご飯、肉がいいわ。でかいやつ」
「明日ちょうど特売日だから、いっぱい買っとくよ」
よりによって、最後の会話が「肉食べたい」なんて、桜本人が一番笑いそうだ。
虫の知らせなんてものを、信じるわけではない。
もしそうだったら、もっとあの日、嫌な予感でもしていたら、彼女を必死で引き止めたかもしれない。
そんなわけでもない、ごく普通の日に、彼女はいつもと変わらず、出かけていったのだ。
ただあのときの桜の笑顔は、いつもよりずっと綺麗に見えた。圧倒的な輝きを持っていた。かりに時を戻し、何度あの桜に会ったとしても、これから死んでしまう人間だなんて思わない。
最後に見送ったのは、小さな背中だ。外に仲間の車が来た音がして、彼女は古風な引き戸をガラガラと開けた。玄関で見送るシオンに、彼女は一度、振り返って告げた。
「じゃあね。シオン」
それは、永遠の別れの挨拶ではなかった。
でも、結果としてそうなった。
誰よりも強く頼もしかった自慢の姉は、父とともにシオンの誰よりも一番近いところにいて、最後まで愛してくれた。弟としても、男としても。
もっと楽な生き方もあっただろうに、とても辛い恋をしながら、それを貫いた。
あんなに明るく美しかった彼女が、暗くて湿っぽいダンジョン内で、一人で死んでいって、どんなに寂しく、辛かっただろう。
なのに、シオンは彼女に、何もしてあげられなかった。何もかも彼女にもらったばかりだ。彼女の願いを叶えてやることさえしなかった。
そんなことばかり考え、後悔した。嘘でも抱き締めればよかった。女として見れなくても、彼女の愛に応えればよかった。どうせそのくらいしか自分には出来なかったのに。
そんな考えの傲慢さに気付かず、自分を責めていたとき、父親にも突き放された。
どんなときも優しかった父に、厳しい言葉を突きつけられたのは、初めてだった。だが、父はあえてそうしたのだと、分かっていた。そうでなければ、シオンはもうそこから一歩も動くことが出来なかった。
自分にも、父にも、癒しが必要だった。それはただじっと耐える時間だ。そうすることでしか、人は悲しみをやり過ごせないのだ。それは父と二人では出来なかった。
父の冒険者時代の友人に、人間魔道士がいた。かつてパーティーを組んでいた仲間であり、シオンを拾ったダンジョンでも、一緒だったという。
父の勧めで、彼の家に一時身を寄せることになった。当時は何もかもどうでもよく、何もしたくない気分だったが、やはり他人に世話になっているという遠慮から、すすんで彼の仕事を手伝ったり、家事をしたりと、嫌でも体を動かすことになった。
言われて、勉強もした。将来どうするのかと尋ねられ、やはり人間の中で普通に働くのは怖かったので、冒険者になるしかないと気付いた。
そして、冒険者になるための鍛錬も、再開した。
何も考えず、訓練に費やす時間は、少しずつシオンの頭を冷やした。
桜や父に訓練をつけてもらったことを思い出しながら、身体を動かしていると、いかに彼女が強かったかを、改めて思い出した。
父の友人に、魔法への対処法もいくつか教わった。魔力を持つ魔物もいる。攻撃魔法はともかく、ワーキャットは魔法や催眠における精神耐性が人間や他の亜人種に比べて格段に低いと教わった。
桜が初仕事で取ってきてくれた魔石は、結局|首飾り(チョーカー)にして、ダンジョンに行くようになったら肌身離さず身につけるように、と言われていたが、シオンはその言葉を深く受け取っていなかった。
自分の与えたものを身につけさせたいという、桜らしいわがままくらいにしか思っていた。
その魔石のチョーカーを偶然父の友人が見たとき、これは身につける者の精神耐性を格段に上げてくれる効果を持つ、相当に魔力凝縮度の高いものだと教えてくれた。
それを知ったとき、また泣いた。
泣きながら、ようやく理解(わか)った。
彼女が死んだことは、可哀相なんかじゃない。
好きになった男に女として愛されなかったくらいで、彼女はくよくよもしなかったし、それでもいつだって、シオンのことを一番に考えてくれていた。
桜は輝くように生きて、死んだ。
それを否定することは、彼女の生き方や強さを否定することになる。
時は戻せない。だから、一度失ってしまい、もう二度と取り返せないものというのは、当たり前のようにそこにあったときよりも、美しく心に残り続ける。
もしも、時を戻せる魔法があったら、どれだけの人間がそれを追い求め、大金を出してでも、人を殺してでも、手に入れたいと思うだろう。
けれど、多分、そんなことではないのだ。
少しばかりの時が経ち、そう思えるようにもなってきた。
割りきれたわけではない。いまでも彼女のことを想って、何度も夢に見て、苦しいし、涙も出る。ふと、彼女の声を思い出し、その笑顔を、怒った顔を、あのときの泣きそうな顔を、思い出す。思い出して、辛くなる。
それでも、何度、時を巻き戻したとしても、彼女は彼女の決めた人生を進むのだろうし、最後に見送ったあの日に戻っても、自分は彼女を信じ、見送るのだろう。
――だいじょうぶよ。
幼いころ、姉の背中の大きな傷を、自分が付けたものだと知ったとき、泣きべそをかいて謝ったシオンに、姉は頼もしく笑って言った。
(これはあたしが、シオンのお姉ちゃんだって、しるしなの。キズじゃないの。だいじょうぶよ。あたしが、シオンのことまもってあげる。ずっと。ずっとね)
少女が大切にした傷痕は、自分もまた彼のものであるという証であり、それはシオンにも永遠に明かされなかった、彼女だけの誓いだった。
消さない傷痕こそ、彼女がとっくの昔に、弟からもらったものだった。
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