第23話 桜(2)

 桜が得意とする魔法は、攻撃魔法フォースでも治癒魔法ヒールでもなく、肉体強化魔法エンハンスだ。

 本人いわく、魔力量はバリバリのソーサラーでやれるほどではないらしいが、肉体を強化する程度なら、それほどの魔力を要しない。むしろ、魔力で底上げした能力を、どう使いこなすかが重要だ。

 魔力と、そのコントロールと、運動神経と、剣の腕。

 彼女はかなり以前から、自分の特性を見極め、必要なスキルを絞って修練に修練を重ねた。才能だけでなく、努力も集中もすさまじい。

 ソーサラーでもファイターでもない、魔法戦士ルーンファイターになれる類稀な才能を持ち、またそれを、正しく鍛え上げている。

 そんな彼女が、本気で肉体強化をした指先なら、柔らかい頬くらい本当に抉り取ることが出来るだろう。

 そんなことを想像してぞっとしたシオンを、桜は落ち込んでいると誤解したようだった。 

「ほらほら、また元気無い顔して。ごめん、ごめん。あたしが学校のことなんか言ったから、イジメられたこと思い出しちゃったね。だからイジメっ子なんか、お姉ちゃんがぶち殺してあげるって言ってんのに」

「それはちょっと……つーか頬、離して」

 離してくれれば、すぐにでも元気になるだろう。

「あ、ごめん。赤くなっちゃったね」

 と桜は笑って言ったが、本当は赤を通り越して紫色になっていた。

「なんか、すさまじく痛いんだけど……オレ、怪我してないか?」

「き、気のせいでしょ。やだ、大げさね。それより、いいもの見たい?」

「だから、なに?」

 見せたいんだろ、と思いつつ、頬が無くなっては嫌なので、口にしなかった。

 しかしまだ不満げなので、シオンは仕方なく手を上げた。

「見たい」

「いい子ね。あのね、これよ」

 彼女が言い、誇らしげにシオンに見せたもの。

 それは、一枚のカードだった。真新しく、ピカピカと輝いている。

「これって、冒険者カード?」

 シオンも見たことはなかったが、それが冒険者が持つ身分証だということはすぐに分かった。

「あたしの。へへ、先に取っちゃった。見たいでしょ? 見ていいよ」

 と言われ、見てほしそうだったので、手に取ってシオンはそれを眺めた。

「運転免許みたいだな」

「同じよ。免許証だもん」

 彼女の顔写真。彼女の名前。レベルはまだ1。クラスはやはり、ルーンファイターだ。

 ルーンファイターは、他者には敬遠されがちなクラスである。

 そもそも武器と魔法が使えるのなら、ファイターかソーサラー、得意なほうで登録すれば良い。だが、そうするとファイターの数が多過ぎる。ファイターの中から新しくクラスを作れないかということで、出来たクラスだ。

 当然、資格もテストも無い。大抵は、ちょっと魔法が使えるファイターだったり、ちょっと剣が使えるソーサラーだったりする。

 他のクラスと同様に自己申告で登録出来るが、明確な基準が無いぶん、武器も魔法も使えます、と胸を張って名乗るのは、なかなか勇気がいる。

 自己顕示欲の強さが試されるクラスであり、そこを乗り越えてルーンファイターを名乗る奴は、全員ではないが、ちょっと痛い、と言われたりもする。

 桜は昔から、ルーンファイターになると言っていた。

 実際、それだけの力もあるのだから、問題は無いだろうが。

 むしろ問題は、別の部分にある。

 間違いなく、彼女は冒険者になったようだが、そんな彼女にシオンは、「おめでとう」では無く、一言こう返した。

「バカ」

「言うと思った」

 彼女は悪びれた様子も無く、シオンの手から冒険者カードを奪い取った。

 ポニーテールがふわりと揺れる。

「お前、いくつだよ。学校どうすんだよ。せっかく、冒険者になる学校ってのに行ってんだろ」

「行きながらでもいいじゃない。女子高生冒険者。良くない?」

 ひらひらと、冒険者カードをちらつかせる。

「良くねーだろ」

「ふふ、いいの。あんなとこ、辞めちゃった」

 笑いながら平然と言い放つ桜に、シオンはただ絶句した。

「……は?」

「今日、退学届出してきたわ」

「なにやってんだ。父さん知ってんのかよ」

「知ってるから、冒険者やらせてくれるのよ。だってさ、いままで訓練なんかしたことのないような奴に、一から剣術の型とか教えてんの。で、あたしも同じ授業を受けるのよ。バカバカしいでしょ?」

「なに考えてんだ。バカ。学校には違いねーだろ。行けるなら行けよ」

「いいの。大丈夫よ」

 なにがどう大丈夫なのか。シオンは呆れた。

「学校で初心者に混じって勉強したって、意味ないって分かったの。結局、実戦が一番じゃない。それよりも経験を積みたいの」

「じゃなくて、高校くらい出とけよって話だよ」

「中学も行ってないやつが、なに説教してんのよ。学歴なんかいらないのよ。あたし、どうせ冒険者になるんだから」

 本気のようだった。

「やめとけよ」

「やめない。なに、くやしいの?」

「何が?」

「あたしが先に、冒険者になっちゃうこと」

 悪戯っぽい瞳が、シオンの顔を覗き込む。

 甘い匂いが、鼻先にふわりと触れた。

 最近まで幼かった顔つきは、いつのまにかすっとした輪郭を持ち、手足もすらりと伸びていた。胸や尻は薄いが、腰のくびれがはっきりしているので、ちゃんと女性らしい体型に見える。

 昔みたいにじゃれていたらダメだろうとシオンは思うのに、彼女は幼いころと変わらず、屈託無く体を寄せてくる。

 顔をそむけたのを、弟が拗ねていると勘違いしたようだ。

「アンタ、自分が先に、冒険者になりたかったんでしょ?」

「そんなんじゃねーよ」

「平気よ。あたし、シオンより強いから」

「分かってる」

 シオンが彼女と剣で打ち合えば、十本に一本も取れない。

 彼女が鍛え上げた肉体強化魔法も、彼女の剣の腕を支えるだろう。大人の男でも振るえないような重たい剣だって、軽々と持つことが出来る。

 たしかに、冒険者の学校など、彼女には手ごたえがないだろう。幼少のうちより元冒険者の父親に戦闘の手ほどきを受け、類稀なルーンファイターの才能を持つ彼女には。

 冒険者の登録が出来たということは、父も冒険者協会もそれを許したということだ。これほどの才能を持つのなら、彼女の、父親の、そして冒険者協会の判断は、あながち間違いとは言えない。

 この若さから経験を積み、成熟すれば、素晴らしい冒険者として功績を残すのかもしれない。

 それでも。


「サクラ」

 シオンは手放しで、おめでとうとは言えなかった。

 がんばれよ、とも、言いたくなかった。

 シオンでは彼女に勝てない。彼女は強い、だが、シオンと魔物は違う。訓練と実戦も違う。魔物は彼女を斬りつけることを躊躇しない。

 心配でないわけがない。

「なんで、冒険者なんかになるんだよ。お前はオレと違って、人間の学校に行けるじゃねーか」

「何言ってんのよ。そんなの、いらないわ。あたしはね、シオン」

 意思の強そうなアーモンド形の目が、一瞬険しく細められた。

 そしてまた、シオンの顔を覗き込む。

「人間より、アンタのほうがずっと好き」

 さらっと言われ、シオンは言葉に詰まった。

 そんなシオンを見て、彼女はまた笑った。

 昔からそうだ。いつもシオンを困らせたり戸惑わせたりして、それで機嫌が良くなるのだからタチが悪い。

「ほんとよ。シオンをイジメる人間なんて、お姉ちゃんがやっつけたげる」

「イジメられてねーよ。それに、そうだとしても自分で何とかする。もうガキじゃねーんだから……」

 言いかけたところで、柔らかい手が、シオンの手を握った。

 反射的に、シオンの手がぴくりと震えたが、彼女は離さなかった。

「ねえ、そうやって、突き放さないで」

 悪戯っぽくシオンを見ていた目が、いつの間にか真剣なものになっていた。

「オレ、臭いぞ。……ワーキャットだから」

 シオンは顔を背けたまま、桜は握ったその手に、やんわり力を込めてきた。

「それ、思春期だけでしょ。成長臭だっけ? 体臭くらい人間だってするわよ。お父さんの枕とか最近すごい臭うし。男のくせに、ニオイくらいでナイーブになってんじゃないわよ」

 それは普通にナイーブになるだろとか、男女関係ないだろとか、父さんの枕は別にいいだろ、など、何か言い返そうと思ったが、相手のほうが弁も腕も立つのでやめた。

「学校で、何言われてんだか知らないけど。大丈夫よ。シオン。あんたのことは、あたしがずっと守ってあげる。学校は一緒に行ってあげられなかったけど」

「それは……学年違うから、仕方無いだろ」

「でも、学校なんていいのよ。辞めるならさっさと辞めちゃいなさい。シオンが冒険者になったら、あたしが一緒にダンジョンに行ってあげる。そのためにも、先にもっと強くなっとくから」

 それ以上先に強くなるのか……とシオンが思い、苦笑しかけたとき、細く柔らかい指がそっと、シオンの指の間に絡んだ。

 それは、姉弟がするような触れ方ではなく、シオンは思わず手を引きかけたが、思わず姉の顔を見た瞬間、彼女は不安げにシオンの目を見返した。

「……離さないで。分かるでしょ?」

 拒まれることを、恐れている目だった。

 彼女が、勇気を振り絞っているのだと、シオンにも分かった。

 気が強く、わがままで、いつも前向きな彼女が、シオンがその手を振り払いはしないかと恐れながらも、勇気を出して指を絡めてきている。

 いつの間にか、桜は泣きべそをかいていた。そのとき、シオンは初めて、彼女もただの少女なのだと、気付いた。この人の肩や腕は、こんなに小さかっただろうか。

「ねえ。もし、アンタが冒険者になっても」

 こんなに掠れている彼女の声は、初めてだ。

「……サクラ」

「あたし以外の人と、パーティー組まないでね」

「何の話だよ……」

 絡めた指が、きゅっと握られる。

「……特に女の子とは」

「分かったよ」

「分かってないでしょ」

「他に、どう言えばいいんだよ。嫌だって言っても怒るんだろ」

 俯き、頷く。

「怒る」

「だったら、どうしたらいいんだよ……」

 それでもシオンは指を振り払えず、かといって握り返すことも出来なかった。

「なに言ってんだ……お前、ほんとにどうかしてる。急に、冒険者なんかになったりして……」

「どうかしてない」

「姉弟だろ」

「分かってるよ」

 姉ぶっているくせに、姉になりきれない。

 彼女が、弟としてだけでなく、異性として自分を好きなのだということを、シオンも分かっていた。

 でも、彼女はやっぱり姉で、母のようでもあって。

 父にとっては、二人とも大事な子供で。

 それに、シオンは亜人だ。

 桜がどんなに強かろうと、その事実をぶち壊すなんて出来ない。

 シオンには、もっと出来ない。

「バカだ。……姉さんは、そんなことのために、冒険者になったのかよ」

「何よ、いきなり、姉さんなんて。そうよ……なにが悪いの?」

「オレのためにか? オレが亜人で、学校なんてさっさと辞めて、冒険者になるって言ったからか?」

「そうよ。だってアンタ、怖がりだもの。ダンジョンなんて、ほんとは行きたくないんでしょう? ただ、学校辞めたいだけでそんなこと言ってるの、知ってるんだから。亜人の子供だから、他に仕事なんて無いから、言ってるだけでしょ。バカはアンタよ。でも、あたしはアンタが可愛い。バカでも、好きなの」

「……それは、家族としてだろ」

「全部よ。あたしはアンタの、全部になりたい」

 弟を試すようにか細く繋がれた指を、シオンが握り返すことは無かった。

「オレは……サクラのこと、姉さんだと思ってる」

「知ってるわ」

「……家族でいたい」

「ええ」

 桜のほうから手を離し、シオンの顔を覗き込んだ。

 彼女はもう、泣いてはいなかった。強い、勝気な瞳で、シオンを真っ直ぐ見つめ返していた。

 そして、にこりと笑った。

「なに、アンタのほうが泣きそうになってんの。フッたくせに」

 そしてシオンの頭のほうへ手を伸ばし、くせのある髪に指をうずめ、小さく動く耳の裏を、指の腹でそっと撫でた。

 幼いとき、父も桜も、よくこうして撫でてくれた。いまはただくすぐったく、シオンは顔をしかめた。

「大丈夫よ。あたしは変わらない。ずっとアンタのお姉ちゃんだし、アンタのことを好きよ」

 どうしてこんなに優しく笑えるんだろう。

 触れる指の温かさに、胸が痛んだ。

 そのほっそりした身体に、縋りつきたかった。だがそれは、弟として彼女に甘えられるのなら、幼い子供のようにそう出来たら、というだけで、彼女に情欲を抱くなんて出来ない。

「ずっと守るわ。そのために、強くなったの」

 彼女の顔の中で、一番印象強いのが、目だ。睫毛が長く、目尻が僅かにつり上がっている。その綺麗な目の造形よりも、そこに宿る強い眼光は、誰にでも持ち得るものではない。

 彼女が少しの間見せた頼りない少女の顔は、とっくに潜められていた。

「だって、シオンは、あたしのなんだから」

 彼女らしい強さ、優しさで微笑み、誓うようにそう告げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る