第18話 訳ありソーサラー(3)

「姉さんは本当の父さんの子で、人間だ。浅羽みたいに、高校に行ってたけど、学校がつまらなかったみたいで、父さんの許可をもらって冒険者になった。父さんが許すほど、姉さんは強かった。本当に強かった。初めて潜ったダンジョンでゴブリンの群れに出くわして、十数体ぶち殺して平然と戻ってきた」


 ゴブリンは魔妖精に分類されるモンスターだ。人間の腰くらいまでの身長だが、子供ではない。顔はみな老人のように皺くちゃだが、老人でもない。彼らに子供や大人というものはない。魔妖精は、亜人のように人間が生み出した使い魔だとされている。

 ただし、生み出したのは、魔道士(ソーサラー)でなく霊媒士(シャーマン)で、その命を吹き込むために邪悪な魂を使用したために、人の命令に従わず、野に放たれたという。

 亜人と同じく、その誕生に関しては、あくまで伝承程度の話しか残っていないが、実際に存在している。亜人と違うのは、人間と共存する者はなく、種すべてがモンスターである。


 ゴブリンは性交はしないが、繁殖の手段はあるという。謎に包まれた種である。その生態を知ろうと捕獲しても、人間に生け捕りにされると、いかなる手段を使ってでも自殺をするので、飼育が出来ない。

 かつては、日本にはいなかった外来種で、海を泳いで渡ってきたとか、人間が持ち込んだとか言われているが、はっきりしない。繁殖力がとにかく高く、たびたび討伐依頼も出される。

 他の魔物と同じく、人間に追われ、ダンジョンに好んで生息するが、森に潜んでいることもある。年に数回、地上に現れて人間を襲撃する事件も起こっている。

 二足歩行で歩き、魔獣より知性があり、道具を使うことも出来る。武器を手に人間を襲ったり、殺した者の装備を奪って収集したりもする。

 火を起こしてその周りを囲んだり、料理をする者もいたりと、遠目に見ると、まるで人間が生活を営んでいるような姿に、心を通わせることさえ出来るのではと思う人間もいるが、それは間違いだ。

 彼らに知性はあっても、理性はない。高い知性から道具を使ったり、人間の振る舞いを真似たりもするが、それは彼らの狩りのためであったり、近づいてきた人間を油断させて、殺すためでしかない。


 リーダーを中心に、十数体の群れを作り、行動する。俊敏な動きと、小柄だが丈夫な身体を持ち、執念深く獲物を追う。下手に反撃して傷つけると、群れ全体から執拗に追われる羽目になる。

 一体でもそれなりに手強く、数体いれば、慣れた冒険者でも手を焼く。群れに遭遇したなら、戦うより逃げる選択のほうが賢い。

 ゴブリンの群れは、初心者で対処できるものではない。


 しかし、「襲われたから、全員ぶち殺してきてやったわ」と言う姉の武勇伝は、少しも誇張されていなかった。

 女性誌の付録に付いていたという花柄トートバッグに、ゴブリンから奪った武器や宝石や魔石をたくさん詰めて、持ち帰ってきたのだ。

 それらの戦利品はいずれも黒く生臭い血にまみれ、指輪や腕輪など外すのが面倒だったものは、指や腕ごと切り落として袋に放り込んでいた。


(ただいま! シオン)


 玄関で迎えたシオンは、唖然とした。姉の姿を見た瞬間、あまりのグロテスクさと臭いに、吐くかと思った。

 ポニーテールにした頭からブーツの先まで、全身がぐっしょりと赤黒い血で濡れていた。用意したタオルでは足りないほどのおびただしい血の中にまみれ、彼女は微笑んでいた。

 送り出したはいいもののやはり心配で、ダンジョンのそばまで車で迎えに行った父を、過保護過ぎる、恥ずかしい、と姉はきつく言い捨てたが、父の選択は結果として正しかった。

 これでは、電車やバスには絶対に乗れなかっただろう。


 シオンは姉の怪我を心配し、真っ青になったが、彼女自身は幾つかの擦り傷を作った以外は、すべて返り血だった。

 姉は鉄の臭いをさせながら、おぞましい花柄バッグをシオンに押し付けた。

(いいでしょ? 明日、一緒に換金行ってよね。あ、でもね。これはアンタにあげる)

 と、まるで呪いのアイテムのような血まみれバッグに手を突っ込み、血で濡れて本来の輝きも分からない小さな魔石を取り出した。

(ね、キレイでしょ? これはねー、心を護る石なのよ。ヘタレなアンタにあげるわよ。一緒に行ったヘボソーサラー、ギャアギャア騒ぐばっかりで、クソの役にも立たなかったけどね。長い詠唱して勿体つけて出した火も、ライターで点けたほうが早いわよって感じ。でもうんちくだけは上等だったわ。これはいい魔石だって長々語ってくれるもんだから、貰ってあげたの。まああたしがいなきゃアイツ死んでたから、ちょうだい、って頼んだらくれたわ)

 言い分は分かるが、脅して奪い取ったのだとシオンには分かった。

 ゴブリンの集団を血祭りに上げたあげく、仲間からむりやり奪い取った戦利品は、出所からしてかなり不吉なアイテムだったが、よほど気に入ったのか、姉はごきげんだった。

(あたしの初仕事の成果だしね。明日、なんかに加工してあげるわ。首輪がいいかな。アンタ首輪似合いそうね。そうしましょう。ピアスする男って嫌いだし)

 首輪は、ネックレスのことを言っているのだと信じたいと、シオンは思った。

(一生肌身離さず大事にしなさい。じゃないとゴブリンに呪われるわよ。で、お風呂沸いてんの? あ、これ片付けといて)

 背負った大剣(グレートソード)を軽々と、玄関先にぽいと放り投げ、血まみれの姉はお構いなしに、ずかずかと家に上がった。

 疲れたー、と言いながら、風呂場に向かっていく。廊下に点々と血の痕を残しながら。

 あとで、父とシオンがこの血の痕を拭いて回ることになるだろう。

 シオンは溜息をつき、貰った心を護る魔石とやらをジャージのズボンのポケットにしまうと、ゴブリンの怨念の声がいまにも聴こえそうな血まみれバッグを下に置いた。そして、しっかり腰を入れながら、姉が放り出していったグレートソードを、渾身の力でようやく持ち上げ、なんとか壁に立てかけた。


「本当に強かった。腕も、度胸も、頭も良くて。何度もダンジョンに潜って、どんどん仕事をこなして、どんどんレベルを上げて、強い仲間もたくさんいた」

 シオンの語る言葉がすべて過去形であることに、紅子は気付いたのだろう。好奇心の強い彼女が、このときばかりは何も言葉を挟まなかった。静かに話を聞いていた。

「けど、死んだ。あんなに強かったのに、何があったのか分からない。死ぬような奴じゃないと思ってたのに、帰って来なかった。オレは、サクラの……姉さんの死体すら、見てない。ダンジョンでは、よくあることだから」


 話しながら、悲しくなるだろうかと思ったが、口にする言葉は妙に乾いていた。

 ただ、初めて人に語って、桜は死んだのだ、と改めて思い知った。

 紅子にではなく、自分に向かって言い聞かせるように。


 遺体の入っていない棺だけを火葬しても、実感なんて沸くわけがなかった。

 死んだなんてウソで、どこかで生きているんじゃないかと思った。

 けれど、一緒にダンジョンに入った彼女の仲間が、生きて戻って来られる状況ではなかったと、はっきり証言しているし、その後の探索でも、彼女の遺品や、様々な痕跡が発見され、そう断言された。

 遺体すら残らないなど、よくあることなのだ。


「オレが、冒険者になる前の話だ。ダンジョンは、そういう場所だし、冒険者はそういう仕事だ」

 シオンは、向かいに座る紅子を、真っ直ぐ見た。


 姉が死んだのは、仕方無い。もう終わってしまったことだ。

 けれど、彼女はこれからの人間だ。

 そして、せっかく憧れの冒険者になっても、初仕事をしたその日に死んでしまうかもしれないのだ。

 この前の、ガルムに殺された冒険者たちのように。


「浅羽は、どうして冒険者になりたいんだ? 家族は、どうしたんだ? 許してるのか? 冒険者になりたいなんてことを」


 彼女の選んだ人生に、自分は関係ない。

 これはお節介だと分かっている。

 それでも、真剣にシオンは問いかけた。



 紅子もシオンの目を真っ直ぐ見返しながら、ぽつりと言った。


「私のお父さんとお兄ちゃんも、ダンジョンで死んだの」

「え?」

 目を見開いたシオンに、紅子は安心させるように、少し笑った。

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