第16話 訳ありソーサラー(1)

《新宿冒険者支援センター》の窓口は、その名も《新宿冒険者支援センタービル》というビルの二階にある。

 三階から上は事務所や資料室、冒険者向けのカウンセリングルームなどもあるらしいが、シオンはそこまで足を踏み入れたことは無い。

 ビル丸ごとが、冒険者を支援する為の施設というわけだ。

 そして一階には飲食店と、冒険者向けの装備やアイテムを売る店舗が並んでいる。


《喫茶室・オデュッセイア》は、シオンがよく利用する店だ。

 別にコーヒーを飲むわけではないが、飯がけっこう美味い。

 同じフロアにあるラーメントカゲ亭も安いのでたまに行くが、亜人向けの濃い味付けで、店内には亜人の冒険者がひしめいているから、人間の女子と二人でゆっくり喋れるような場所ではない。

 

 センターから出てきたシオンと紅子は、早めの昼食をとることにした。

 紅子の用は終わっているし、そこで別れてもよかったのだが、自分から場所を変えようと言って引っ張ってきておいて、それじゃさよならというのは、あまりに失礼かと思い、シオンは彼女を食事に誘った。


 それに、なんとなく彼女が放っておけない、というのもあった。

 彼女のような一見普通の人間の少女が、せっかく通っている学校にも行かず、慌てて冒険者になる必要があるのだろうか。

 もし、何か事情があるのなら。シオンも一応冒険者だ。力になれることがあるかもしれない。他人に干渉するほど自分に自信や余裕があるわけではないが、このときは自然とそう思った。


「別に、センター内の店じゃなくてもいいんだぞ」

「ううん。このビルのお店に入ってみたい」

「外にある店と変わんないって。普通の店ばっかだぜ」

「みたいだね」

「まあ、亜人向けの店も多いけど」

「どう違うの?」

「味付けが違ったり、座席が広いとか……リザードマンとかミノタウロスとか、身体がでかいのも多いから」

「へー」

 紅子は歩きながら、並んだ店を一つ一つ、物珍しげに眺めていた。

「冒険者になったら、この中で装備とかも買ったらいいのかな?」

「いや、よそで買ったほうがいいよ。このへんのはほとんど定価で、高いし」

「あ、でもあそこ、閉店セールだって」

「ああ、あそこはオレが冒険者になったときから、ずっと閉店セールしてるけど」

「そうなんだ。ネット通販のほうがいいのかな?」

「見て買ったほうがいい」

「通販見てたらね、すごく安い杖(スタッフ)があったの。大魔道士の杖だって」

「……やめたほうがいいんじゃないか」

「おうちの倉庫にも何本かあったんだけど、勝手に持って行ったら怒られちゃいそうだし。近所のホームセンターに売ってるかなあ」

「さあ……」

 ソーサラーのことには詳しくないので、シオンは曖昧に頷いた。

 それにしても、中学時代、隣の席だった少女が、まさかソーサラーだったとは思いもよらなかった。


 魔道士(ソーサラー)は誰でもなれるクラスではない。


 戦士(ファイター)の強さは鍛錬によって培われる。

 才能があっても、磨かなければ、努力を惜しまなかった凡人に打ち負ける。

 冒険者ならばなおさら、ただ強ければ優れたファイターになるわけではない。

 パーティーの剣であり盾であるという責任感。とっさの危機にいち早く対応できる機転。仲間を守るという覚悟。どんな状況であっても折れない意志力。それらは武器を扱う才能や、持って生まれた身体能力だけで、得られるものではない。


 ソーサラーは違う。

 魔力の有無は努力で覆せるものではない。

 生まれもった魔力の器は、人によって違う。

 魔力が少なくとも、魔道研究に優れた賢者(ワイズマン)にはなりえる。

 しかしやはり、冒険者としてのソーサラーは、魔法を使っての戦闘や治癒を期待される。

 強い魔法を使うには、豊かな魔力量が必要となる。

 その器の大きさは、それぞれ生まれたときから決まっているのだ。


 魔力の強さは、毎日こつこつと鍛錬して、どうにかなるものではない。

 ただでさえ、ソーサラーは貴重だ。

 そのうえ、彼女がそれなりの魔力を持っているとしたら、冒険者としては初心者であろうが関係ない。

 ソーサラーは、その力を求めるパーティーから、つねに引く手数多の状態だ。

 彼女にそう言えば、喜ぶに違いない。窓口での様子から、彼女がすぐにでも冒険者になって、パーティーを組んでダンジョンに潜りたいのだということは分かる。

 冒険者にさえなってしまえば、パーティーは簡単に集まるだろう。

 しかし、それが必ずしも、良いこととは限らない。

 

 シオンの不安をよそに、色々な店を外から見て回る紅子は楽しげだ。


「わぁ。ここ、美味しそうだね」

「え?」

 よりによって、《トカゲ亭》の前で、紅子は足を止めた。

 別に関係無いが、看板のトカゲという単語を目にしたとき、先日ダンジョンを一緒にしたリザードマン・鷲尾の顔がシオンの脳裏をよぎった。いや、別に関係無いのだが。


 紅子は入り口に飾ってあるラーメンのサンプルを見ていた。

 黒々としたスープやその表面にたっぷり浮かんだ白い油の塊まで、見事に再現してある。

 決して不味くはない。なにより安い。しかし疲れているときは胃にもたれる味である。

「……これが?」

「うん。こういうラーメンって好き。濃い味が好きなの」

 意外だ。

「そうか……でも、けっこう亜人向けだから」

「へえ。小野原くんも食べたことある?」

「まあ、安いから。でも、オレ猫舌だから。空いてるときしか来ねえな」

「あっ、小野原くん、やっぱり猫舌なの?」

 何故か一瞬、紅子の瞳がものすごく輝いたような気がした。

「ああ。食べるの時間かかるからな。中、狭いから。混んでたら、もたもた食いづらいだろ」

「けっこう、気遣い屋さんなんだね」

「そうか?」

 外から覗ける店内は、まだ満席ではない。しばらくしたら混むだろうとシオンは言った。


 別の店も覗いてみた。

 女性冒険者を狙ったような店もあるが、入ったことは無い。《スイーツハウス・ぽっぷすらいむ》という店の前を通ったとき、ガラスケースに並んでいるサンプルを一応は見たが、クレープやパンケーキではシオンの腹が膨れそうにない。

 やはり女性は好きなのか、わあ、と紅子はガラスケースの前で、嬉しそうな声を上げた。

「美味しそう! だけど、ご飯じゃないよね」

「そうだな」

「ここも、亜人さん向け?」

「入ったことないから分かんねーけど、多分違うと思う」

「でも、お昼はこういうのじゃないほうがいいよね。小野原くんは甘いもの好き?」

「普通かな。昼メシには食わないけど」

「そうだよね」

 と言いつつ、紅子の目は作りもののパフェに釘付けだ。

「食いたいのか?」

 とシオンは尋ねた。

「うん。あのパフェ、すっごく美味しそう……。でも、こういうのはやっぱり、ご飯のあとだよね」

「え?」

 その何気ない言葉に、シオンは目を丸くした。

 ガラスケースにずらりと並んだスイーツは、結構ボリュームがある。紅子が熱い視線を送っていたパフェなんて、座ったときにテーブルからシオンの胸の高さくらいまであるだろうか。そんな器に、生クリームやフルーツがぎっしりと詰まっている。

 見ているだけで、胸焼けを起こしそうだ。

「あんなの……メシ食ったあとに食うのか?」

「うん。だって、デザートだよ?」

 何もおかしいことはないように、紅子が平然と答える。

 姉もそうだった。夕飯を腹いっぱい食べて、お腹苦しいと言いながら、シオンにコンビニのデザートを買って来るように命じていた。

 甘味が絡むと人間の女は牛亜人ミノタウロス並みの大食漢になるらしい。

「そうか……」

「でも、別のお店にしよ」

 紅子がそう言い、この店の前も離れた。




 結局、いつも行く《オデュッセイア》に落ち着いた。

「ここでいいよな」

「うん」

 シオンの後をついてきた紅子が、こくんと頷く。それから《オデュッセイア》の店内を見渡した。

「普通のお店だね」

「普通の店だよ」

 冒険者センタービル内にあるという以外は、普通の喫茶店と変わらない。

「あらぁ、オノハラ様~。何名様ですかぁ?」

 ふわりと長い茶髪の中に、ロップイヤーのように垂れたウサギの耳をゆさゆさと動かしながら、馴染みのウエイトレスがやってきた。

「なぁんて、見れば分かりますねぇ~、カワイイお二人様、禁煙席にご案内しますぅ~」

 一言余計だが、何も言わなくても勝手に案内してくれた。

「これ、メニューですぅ~」

 ウサギ耳のウェイトレスが、向かい合わせに座る二人の前にメニューを置いた。

 そして意味ありげな笑みを浮かべる。

「オノハラ様が、お友達と一緒なんて、初めてですねぇ~。ふふ、こんなに若い人間の女の子の冒険者なんて、めずらしい~」

「あ、私、まだ冒険者じゃないんです。今日は届けを出しに来ただけで。まだ、審査に通るかは分からないので……」

「あらぁ、でも大丈夫ですよぉ~。お客様、ソーサラーさんですよねぇ~。魔力量が充分ありますからぁ。きっと通りますよぉ」

「えっ、そんなの分かるんですか?」

「ミサホ、兎亜人ワーラビットだからぁ、魔力には敏感なんですよぉ~」

 そう話すミサホの頭の動きに合わせ、長い垂れ耳がふさふさと揺れる。

 ワーラビットの一番の特徴は、やはり長い耳だ。兎の耳といえばピンと真っ直ぐ立っているものを想像しがちだが、ワーラビットの耳は垂れ耳である。

 ワーラビットはあらゆる感覚が鋭敏である。聴力、嗅覚、味覚が優れていることに並び、魔力感知に長けていることでも知られる。

 喋りかたは気が抜けているが、冒険者相手の商売で、見る目も肥えているミサホが言うのだから、紅子の魔力量は充分なものなのだろう。ふうんとシオンは鼻を鳴らした。ワーキャットも鼻は良いが、魔力感知は出来ない。

 そうなると、ますます不安だ。

 本当にソーサラーなら、仲間にしたいというパーティーはいくらでも現れる。

 稀有な能力が、人を惹きつける。

 それは良縁ばかりでなく、悪いものを引き寄せてしまうことも、あるだろう。


「オノハラ様の彼女さんじゃないのも、分かりますぅ~。ふふ、ちょっとぎこちないかんじ」

「えっ」

 と紅子は分かりやすく顔を赤らめ、シオンは顔をしかめた。

「余計なことはいいから」

「はぁい。今日の日替わりランチはぁ、今日のお客さん大ラッキー、デミオムランチですよぉ」

「わ、美味しそう」

 紅子が声を上げる。

「ごゆっくりお選びくださいねぇ~。では~、注文が決まったらお呼びくださぁい。いま、お水をお持ちしますねぇ」

 短いスカートから惜しげも無く足を晒し、ぴょんと跳ねるようにミサホが立ち去った。

「なんか食えよ」

「あ、うん。何にしようかな……」

 シオンが促すと、紅子はおずおずとメニューを開いた。

「うーん、どれも美味しそう……。なんだか、急にお腹空いてきちゃった」

「何でも食えよ。オレが出すから」

「あ、大丈夫! 私、自分のぶんは出すよ」

 紅子が慌てて顔を上げる。

「気にしなくていい。オレが誘ったんだし」

「でも」

「オレも仕事以外で人と話すの久々だし。上が空くまで、時間もまだあるから。付き合ってもらえればそれでいい」

 そう言うと、紅子はますます恐縮した。

「それって、私が邪魔しちゃったからだよね……。これから小野原くん、またあそこに並ぶんでしょう?」

「ああ……それは別に。いいんだよ。しばらくしたら空くだろ。別に急いでねーから。それより、食うもん決めろよ。オレ、もう決まってるから」

「あ、うん。じゃあ」

 と紅子はメニューにちらと目を落とし、またシオンを見た。

「小野原くんは、いつも同じなの?」

「同じ」

「じゃあ、遠慮なく……さっきの、日替わりランチにしようかな」

「うん」

 会話がいったん途切れたタイミングで、ちょうど良くウェイトレスのミサホが水を持って来た。

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