第11話 冒険者志願の少女(1)
故郷がどこかと言われれば、生まれた場所の記憶は無い。
シオンが生まれたのは、関東のどこかにあるダンジョンだという。
どのダンジョンなのかまで父は言わなかったし、シオンも知りたいとは思わなかった。これからも思わないだろう。
シオンはダンジョンで、魔物の子として生まれた。
自分が魔物だったときのことを、シオンは知らない。
赤ん坊のとき、冒険者のパーティーに連れ出されたのだ。
地上で人とともに生きれば《亜人》と呼ばれ、迷宮に巣食う魔物に墜ちれば《魔獣》となる。
同じものなのに、生きる場所とその生き方が違うというだけで、彼らはただ生きる権利を失うのだ。
人間が支配するこの世界ではそれが道理と、多くの亜人たちは受け止めている。
そうして人の世界で生きる亜人は、ダンジョンで人を喰らって生きる同族を《獣墜ち》と呼び、蔑んでいる。同じ種族であっても、同族とは見なしていない。
シオンの本当の親は、魔獣に墜ちたワーキャットだった。ダンジョンにやって来た冒険者を襲い、喰らう。そんな《獣墜ち》の群れの中で、シオンは生み落とされたようだ。
そしてとうとう、群れは冒険者に討伐された。
討伐隊としてやってきたパーティーの中に、シオンを育てた父がいた。
赤ん坊とはいえ、《獣墜ち》のワーキャットを助けようと、全員が思ったわけではないだろう。
親と一緒に殺してしまおうという選択肢もあったはずだ。
だが、シオンは殺されなかった。その辺りの経緯を、父はほとんど語らなかった。それきり冒険者を辞め、シオンを自分の子として引き取り、育て始めた。
シオンはそうした自分の生い立ちを、物心ついたときには父に教えられていた。
父も姉も人間なのに、どうして自分だけが亜人なのか、シオンが初めて疑問に持ち、父に尋ねたとき、すべて教えてくれたのだ。
父の話が本当なら、シオンの両親は人間に殺され、その人間の中に父が居たということだ。
そして実の両親は、人間を殺して喰っていたモンスターだった。
幼いシオンは、ひどくショックを受けたような気もするし、まだ深く理解できなかったような気もする。
あまり憶えがないほど、その後の長い時間を、父と姉に愛してもらった。
それだけで、生まれてきて良かったと思う。
昔の夢を見た。
(
父の大きな手が、小さな自分の手をきゅっと優しく握る。
ひどく幼いときは、よく抱いて歩いてもらっていた。自分で走り回れるほどになると、シオンは手を伸ばし、父は多少かがんで、いつも手を繋ぎ、歩いていた。
(あんたなんかが迷子になったら、もう、もどってこれないからね)
二歳年上の姉が、そう脅かすように言いながら、反対の手を握った。
シオンより大きな、大勢の人間たち。
多分、春祭りの記憶だ。
桜の季節、満開に咲き誇る花を観に、大勢の人が押し寄せ、花火まで上がるというので、まともに歩くことも出来ないほどだった。
会場前で幼いシオンがまごつき、大きな公園の入り口で、家族は立ち往生をしてしまった。
(これじゃあ、お祭りじゃなくて、人間すし詰め会場だなあ)
なおも会場内に押し寄せる人間を眺めながら、父はのん気に、不穏なことを言った。
(おお。すごいな。人が掃除機でバキュームされるみたいに入ってく)
(もー、ぜったいたのしいっていったの、おとーさんだよ!)
はりきって浴衣を着ていた姉は、せっかく近所の人に頼んで綺麗にしてもらったのに、髪も着物もめちゃくちゃだと不機嫌だった。
身なりにあまり構わない父は、家にいるのと変わらないTシャツとジーンズ姿に、ぞうりを履いている。床屋にもたまにしか行かず、髪はいつも無造作で、前髪やえり足が鬱陶しく伸びていた。黒ぶち眼鏡をかけた父は、見た目はかなり若く見えるようで、よく大学生に間違われていた。
シオンも最初は普通に服を着ていたのだが、それじゃダメだと姉が言い出し、彼女が去年着ていたお下がりの甚平を、タンスから引っ張り出されて着せられた。しかもお下がりなのでピンク色だった。
祭りの日にそうした格好でいると、人とは違う猫の耳や尻尾もアクセサリーのようで、違和感が無いようだった。
会場から出てきてすれ違った子供がシオンを指差し、自分の親に「あの耳とシッポほしい!」とねだっているのを見た姉は、何故か得意げだった。
(よかったね、あんた。みんながもってないもの、もってて)
そうなのだろうか? 父や姉にない尻尾よりも、その子供が頭にかぶっている屋台で買ったのだろう子供番組のキャラクターのお面のほうが、シオンは羨ましかった。
初めての祭りに、楽しみに出かけて行ったのに、いざやって来ると、自分より大きな人間たちに踏み潰されるんじゃないかとシオンは気が気でなかった。
そのうえ、迷子になったら戻って来られない、という姉の言葉を間に受け、シオンは半べそをかいていた。
周りは人間ばかりだ。時折亜人も見かけたが、人間以上に見慣れないその姿形に、人間よりずっと得体の知れないものに見えた。
(いい? ちゃんとにぎってないと、だめだからね)
あの頃は自分より少し大きかった姉の手が、力強くシオンを引っ張る。
ピンクのリボンで結んだポニーテールが、ふわりと揺れた。
(だいじょうぶよ。おねえちゃんといっしょにいたら、なんにもこわくないんだからね!)
姉の言うとおり、この手が離れると、知らない人間たちの波に飲み込まれ、どこか怖いところに行ってしまうのだ。そうして家族とは二度と会えなくなるのだと思って、シオンは恐ろしかった。だから命綱のように、シオンは二人の手をしっかりと握った。
それでも、よく姉に泣き虫と言われるように、シオンは臆病な子供だった。慣れない人混みに圧倒され、足はすっかりすくんで、一歩も動けなかった。
(そうだね。紫苑、
父の言葉は、姉よりさらに力強かった。
(僕たちはパーティーだから、離れちゃダメだぞ)
(……それ、なに?)
鼻を啜りながら、シオンは尋ねた。
(なかまってことよ)
姉が答える。
(そう。今回のダンジョンは、この、人間すし詰め公園だ!)
(やめてよ、おとうーさん。なんかこわいし、シオンがまたなくから)
(あ、そうかい? ごめんよ。じゃあ、今回のクエストの内容は、このたくさんの人の中で、無事にお花見を楽しんで、屋台でご飯食べて、花火を見て帰ることだ。無事クリアしたら、おもちゃ屋さんの屋台で、なんでもおもちゃ買ってあげよう)
(じゃーあたし、プリナイのおもちゃかう! ぶきがいいなー)
(おー、『魔女っこ☆剣士プリティーナイト』かー。あのアニメ始まったばかりなのに、そんなに面白かったかい?)
(おもしろかった! ダンジョンからよみがえったダークモンスターをね、ボッコボコにすんの!)
(ボッコボコかー。女の子に使ってほしくない言葉だなー。紫苑も、好きなもの買っていいからね。なにがいいかな?)
シオンは涙目を上げ、つまる声で答えた。
(おめん)
(よーし、買ってあげよう。ただし、クエストをクリアしたら、だよ。ほら、ベソかいてないで)
(うん)
父は繋いでいないほうの手にハンカチを持つと、シオンの目許をぬぐった。
(あっちの、人が少ないほうから回ろう。いいかい? お父さんがリーダーだ。お父さんは道をよく知ってるし、薬草にも詳しいし、トラップなんかも解除出来るぞ。紫苑はファイターかな?)
(あたし、まほうけんし!)
(よし。お姉ちゃんはルーンファイターだ。中々バランスがいいパーティーだぞ)
(ぼく、なにするの?)
(ファイターは、頼りになるぞ。敵をやっつけて、味方を守るんだ)
(このなか、もんすたーがいるの?)
拭いてもらったそばから再び涙が滲み出し、父はしまったという顔をした。
美しい桜が咲き誇り、大勢の人で賑わう公園が、本当に得体の知れないダンジョンのように、シオンには見えてきた。
ややあって、シオンの泣き声があたりに響いた。
(ああ、やぶへびだったか……)
(もー、おとーさんのばか! ばか!)
下駄を履いた姉が地団太を踏み、カラコロと可愛い音を立てた。
目を醒ますと、カーテン越しに外が白んでいるのが分かった。
まだ少し早い。こんな時間に起きてもすることは無いし、腹も空いていない。
シオンは布団の中で、目を擦った。
起きようと思えば起きられる。
けれど、早く起きると一日が妙に長く感じる。
ダンジョンに潜らない日は、他にやることが無い。
今日は冒険者センターに行って、仕事を探そうと思っている。とはいえ窓口が開くのは午前十時からだ。いまは多分五時くらいだろう。早過ぎる。
どうしようか悩んで、結局、布団の中で背中を丸めた。
眠れないのにむりやり瞼を閉じると、昔のことばかり思い出す。
今日は、そんなに嫌な夢を見なかった。
父と、姉と、三人で過ごした、幼い頃の夢。
このまま目覚めなければ、懐かしくて、優しい夢ばかり見ていられるのだろうか。
昔は、早く大人になりたいと思っていたのに。
いまは、大人になっていく自分が、自分ではないように思える。
自分はいまもずっと、弱虫で臆病なのだろう。
(バカね)
と姉が笑ったような気がした。
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