第10話 始まりの前(2)
カーステレオから、女性ヴォーカルのアルバムが流れている。
鷲尾の好みなのか、「この曲好きなんだよ」とか「名曲だよな」などと言いながら、時折鼻歌で口ずさんでいる。
耳の良いシオンを気遣ってか、音量はごく小さくしてある。
鷲尾もそうだが、リザードマンはたいてい、長髪だ。
それが特に竜っぽい、とシオンは思う、首の下まで生えているその髪なのか、たてがみなのかを、短く切るのは彼らの間では格好悪いらしく、見かけるリザードマンはたいてい長く伸ばしている。
鷲尾は伸ばした髪を一つにくくっている。毛つやはあまりよくなく、白っぽい毛はバサバサと乾いていて、トウモロコシのヒゲに似ている。
角でもあれば、養父の言うとおり、リザードマンではなく竜亜人と呼ばれていたかもしれない。
ここに角があれば、と思う部分には、小さく妙に可愛らしい耳がぴょこんと突き出している。
それが好きな歌に合わせて、小さく動いている。
ぱっと見、迫力のある大きな直立歩行のトカゲだが、近くで見てみるとなかなか愛嬌があった。
猫耳と尻尾を生やした少年に、そうは思われたくはないだろうが。
鷲尾は時折歌を口ずさみながら、シオンの気を紛らわせるためか、色々と話をしてくれた。
腕の火傷が疼くのもあって、シオンはだんだんと返事する元気が無くなってきたが、話を聴いているのは気が紛れた。
「えーと、小野原だったな。ところで、つまらんこと聞くが、学生か?」
「いや、行ってない」
「そうか。まあ、そうだな」
「道が悪くてすまんな。傷に響くか?」
「大丈夫だ」
道が悪いのはなにも鷲尾が謝ることではない。
それにシオンからすれば、バスと電車で帰るよりマシだ。
電車やバスなど、持ち込む装備によっては、冒険者は公共の交通機関が使えない。
シオンはまだ良いほうだ。大鉈を持ったリザードマンなど、間違いなく電車には乗れない。シオンが長剣を持たないのも、自分に合わないという理由以外に、これがある。
冒険者ならマイカーか、せめてマイバイクは持っていたほうが良いのだが、シオンはまだ自動車免許が取れない年齢だ。バイクもあまり乗ろうと思えない。排気ガスの臭いが、鼻の良い亜人には気になるのだ。
なので、シオン自身に運転技術は無いが、鷲尾の運転は中々巧いように見える。
本来は長い爪を切り揃え、大きなハンドルを器用に操っている。
本業である運送業は、順調だそうだ。
「冒険者なんてしなくても食っていけるんじゃないか?」
そうシオンが言うと、いやいや、と頭を振る。
「厳しいぜ。なかなか。子供が六人居るからな」
リザードマンの年齢は、見た目ではちょっと分からない。鷲尾の年齢はシオンが思っていたよりもずっと若く、なんと二十五歳らしい。最初の子供はいつ作ったのか、年子ばかりなのか、それとも六つ子なのか、シオンは疑問に思ったが、それを訊く前に鷲尾が話を続けた。
「お前は、まだ中学生だろ?」
「ざけんな。十六だよ」
それまでぼんやり話を聴いていたシオンだったが、さすがに憮然とした。
「マジか。悪い」
と鷲尾が笑う。
確かに背は高くない。最後に測ったのは確か、半年前だった。冒険者カードの更新時、健康診断をしたときだ。確か168センチだった。まだ成長期だと信じたいが、そもそも顔立ちも幼く見える所為で、時折こうして中学生に間違われる。
そもそもワーキャットは総じて小柄で、若く見える者が多い。
「そうか。十四、五かと思ってな。すまん。ワーキャットの年齢は分からん」
「アンタが言うなよ」
「確かに。それでも昔の俺よりしっかりしてるぜ。行かねえのか。学校には」
「昔は行ってたけど……もういいよ、いまさら。アンタだって行ってねーだろ」
「ああ、まあな」
亜人は人間の学校に通えないわけではない。
だが、あえて通わずに、一族の中で亜人なりの生き方を身につけていくことのほうが多い。
「でも、俺なんか、このナリだろ? お前は見た目はほとんど人間に近いから、行けるもんなら、行ってもいいんじゃないかって思うけどな。まあ、色々あるんだろうけどな」
「そりゃアンタから見たら、ほとんど人間かもしれねえけど、人間から見たら、全然違うんだよ」
「そういうもんか?」
「そういうもんだろ」
シオンにとってはあまり続けたくない話題だったが、ふむ、と鷲尾は何か考えるように頷き、ふと遠い目をした。
「俺は、一度人間の学校に行ってみたかったんだよな。ガキの頃は、人間の友達が居たんだ。トカゲのトトちゃんって呼ばれてな。幼稚園までは行ったんだよな。でも小学校には行けなくてな。友達が皆行ったのに、すごく寂しかったぜ。ああいう思いを、自分のガキにはさせたくねえけど、ムズかしいよなあ」
しみじみと父親らしいことを言う。
しかめつらをしている横顔は完全にトカゲなのだが、人間の父親が持つ悩みと同じことを口にしている。
トカゲに似ているが、トカゲではない。シオンにしても、猫の耳や尻尾があっても、猫ではない。もちろん人間でもない。それでも人間の世界で生きている亜人達は、考え方自体は人間に近いし、感情も豊かだ。人間に混じって集団生活を営み、その社会で仲間外れにされれば、もちろん辛い。
(だったら、学校なんて行かなくていいのよ)
指でスカーフの下の石を弾きながら、シオンはフロントガラスの向こうに広がる空を眺めた。すっかり暗くなった山の中で、たくさんの星がくっきりと見える。
ダンジョンではない公道を、安全な車の中で、自分の体を一つも動かさずに移動出来る。日常ならごく当たり前のことが、こんなにありがたい。
(弱虫ね、シオンは。でも、大丈夫よ)
心から安心しきって、シオンは体をシートに預けた。体との間で潰れている尻尾もリラックスしきって、大人しく潰されている。
こんな安堵感の中で、仕事終わりに眺める満天の星空は、学校に通っていては味わえない景色だ。
(あたしが、ずっと守ってあげる)
スカーフの下で、小さな石の感触が、指に触れる。
この石は、心を護ってくれると、言っていた。
「……冒険者だって、悪くはねえよ」
「まあな」
そうは言ったが、本心では冒険者という仕事を、シオンは好きでも嫌いでもない。
中学を中退し、他に出来そうな仕事が思いつかなかったので、なったというだけだ。
「アンタは、今も人間の友達はいんの?」
「おう、居るぜー。仕事仲間にも人間は居るし、パパ友も居るし、幼稚園時代からの親友も居るぜ」
「じゃあ、学校なんかどうでもいいじゃん」
「そーかなー。うん。まあ、そうかもな。お、ちょっとカーブきついぞ」
急カーブにさしかかったところで、親切に声をかけてくれる。
ハンドルを切りながら、鷲尾はうんうんと頷いていた。
「……学校はどうでもいいけど、オレもそのうち、自分のガキは欲しいな」
とだけ言い、シオンはシートによりかかり、薄く目を閉じた。
「お、彼女が居んのか?」
鷲尾が楽しげに言う。
んなもんいない、と言おうとしたが、それ以上口を開く気力が無かった。
瞼の奥に、人を喰っていたガルムの醜悪な姿が蘇る。
体に着いて取れない血と肉の臭い。駆け出し冒険者じゃあるまいし、慣れてはいるが、慣れない。
鷲尾は悪い奴では無いが、今日は疲れた。喋っている間に、眠ってしまいそうだ。
「眠いなら、寝ていいぞ。もうすぐ東京だ。着いたら起こすから」
親切なリザードマンの言葉に甘えて、シオンはゆっくり眠りに落ちた。
人の好さそうな鷲尾と笹岡とは、連絡先を交換した。
鷲尾がすぐにヒーラーの許につれて行ってくれたので、シオンの腕の火傷も綺麗に治っていた。
男なので痕が残っても気にすることも無いが、治るにこしたことはない。
後日、冒険者協会からは報酬が振り込まれた。
するとその日のうちに笹岡から電話があり、犬井が抜け駆けをした、と怒っていた。
どうやら、犬井は二つの依頼を同時に受けていたということだった。
いちいち冒険者の遺体を確認していたのは、そのためだった。
ダンジョンでガルムの犠牲になった冒険者の親から、子供の救出を頼まれ、もし死んでいたら遺留品を持ち帰ってほしい、という依頼されていたというのだ。
その冒険者とは、人間の資産家の息子だったらしい。
それを笹岡がどうやって知ったのかについては、「オレって顔広いんだよな」という一言だけで、シオンは納得した。
詳しく訊くと、長話になりそうだったからだ。
二つの依頼を同時に受けることは、特に契約違反ではない。だが、それをパーティーメンバーに黙って、自分の目的の為に単独で行動することに、問題がある。
冒険者としてのモラルの問題なのだ。何があるか分からないダンジョンで、勝手な行動を取られれば、パーティーの危機を招くことにもなりかねない。
笹岡はそのことを憤っていた。
もちろん、黙って受けた依頼の報酬は、他のメンバーには知らされていないから、犬井の丸取りである。
「腹立つよなー。ネットの掲示板に書き込んだぜ。名前は伏せたけど」
電話の向こうで、笹岡は相当怒っているのか、時折犬の唸り声のようなものが聴こえた。
腹が立たないわけでは無いが、《要注意冒険者・通報用掲示板》にすでに笹岡が書き込んだというので、もう出来ることは無い。
「今度、見かけたら、どっか噛み千切ってやる」
と笹岡が言ったので、オレもそうする、とシオンも電話口で言い、電話を切った。
ソロの冒険者であるシオンは、見ず知らずの人間とこうして一時だけパーティーを組むことがよくある。
今回一緒になった鷲尾と笹岡は良い奴だったが、最後にケチが付いた。
しかし、全体としてみれば、悪い仕事ではなかった。知り合いも出来たし、まとまった金が入った。協会からの依頼だったので、報酬は悪くなかった。調査報酬と、ガルムを仕留めた討伐報酬も入った。
今月はもうダンジョンには潜らなくても良いくらいだが、かと言って自分には他の仕事があるわけでも、学校に行っているわけでも、家族が居るわけでもない。
週が明けたら、冒険者支援センターに行こう。あそこに行けば仕事がある。今回のような割の良いやつは中々無いだろうが。
無いなら無いで、適当なやつでいい。
アパートに敷きっぱなしの布団に横になり、シオンは目を閉じた。
この仕事に不満は無い。
達成感や満足感もそれなりに得られる。
冒険者という仕事が嫌いかと言われれば、別に、と答えるだろう。
そして、好きかと問われても、別に、と答える。
やりがいを感じたことも無い。
でも、生きていくには金が必要で、冒険者はその数少ない手段の一つだった。
魔石の欠片のついたチョーカーは、いまは外してテーブルの上に置いてある。
細い指が、それをシオンの首にかける。
それは記憶の中のことだ。
チョーカーはテーブルの上にある。
(大丈夫よ)
記憶に残る、甘い匂い。白い指先。
(なんにも、怖いことなんて、ないのよ)
そんなことはない。とシオンは思った。
ダンジョンは、まだ怖い。
暗闇も、敵も、いつ死ぬか分からない緊張感も、たまらなく怖い。
けれど、一人でこうして昔の夢を見ているより、ダンジョンの闇の中を這っているほうが、まだマシというだけだった。
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