第9話 始まりの前(1)
ダンジョンを出た後、アルマスがパーティーを代表し、冒険者協会に連絡を入れた。
依頼の完遂と、状況の報告だ。
《北関東採石場跡》を攻略。
全フロア・通路をくまなく探索し、事件の原因とみられるモンスターを討伐。
ここ数日、中に入った冒険者が帰ってこなかったのは、いつの間にかダンジョンに入り込んでいたガルムの仕業であったこと。
魔狼は一頭のみ確認され、始末したこと。
そして、最深部まで調査した結果、生存者はいなかったということ。
ガルムの屍骸はそのままだ。肉や皮を解体して持ち帰るには、ガルムは大型過ぎるし、臭過ぎる。倒した証拠として一部の牙と爪を持ち帰り、後はそのまま残してきた。
これは後で、協会派遣の別の冒険者がやってきて、回収するということだ。
金になる部位などが残っていれば、手間賃を差し引いて、シオンたちに支払ってくれる。
本当は、なるべく自分たちで持ち帰ったほうが、高く売ることも出来るのだが、手間もかかるし、解体作業は骨が折れる。
そこまでするのも面倒だった。
それにガルムの肉は臭いし、人を喰ったのだから、腹の中から見たくない物が出てくるかもしれない。
端的な報告の後、報酬は全員の希望通り、平等に分配され、後日それぞれの口座に入るということになった。
「若いのに、大した奴だな」
リザードマンの戦士が、シオンに言った。
シオンは、全身に血を浴びていた。自分のものではなく、ガルムに最も攻撃を与えた結果、つまり殆どは返り血だ。
ガルムの口に押し込んだ左腕は、火傷を負った。ガルムの口内から溢れた血は溶岩のように熱く、シオンの腕を焼いた。
愛用の魔糸製のジャージがある程度守ってくれたが、袖の部分は千切れ、焼け焦げも出来てボロボロになってしまった。上だけで五万はするのだが、買い替えなければならない。
「正直、最初はガキだと思っていた。すまん」
とリザードマンが言った。
確か、
ダンジョンに居たときは、名前なんて忘れていた。
が、今思い出した。変な名前だ。トカゲなのに鷲尾。
「腕は大丈夫か?」
鷲尾はいたわるように言った。
戦闘時にはその見た目を裏切らない迫力で大鉈をふるっていたリザードマンは、普段の気の良い男に戻っていた。
シオンが腕を犠牲にして作った大きな隙を、鷲尾は見逃さなかった。
大鉈の一撃がガルムの額を叩き割り、同時にアルマスとワーウルフの剣が、腹を刺し貫いていた。
すべて急所を的確に貫く一撃であり、冒険者協会が選別しただけあって、全員が手練だった。
ガルムは単体でも恐るべき魔物だが、これだけの仲間がいればシオンが腕を犠牲にする必要も無く、時間をかければ被害も少なく始末できただろう。
「
「市販のだろ。火傷までは治らんだろ」
「大丈夫だよ」
こうなると分かっていてやったのだ。
何故そうまでして戦闘を早く終わらせたかったのか、鷲尾は怪訝に思ったようだが、何も訊かなかった。
代わりに、丁寧に礼を言ってくれた。
「ちょっと強引だったが、お陰で早く済んだ。ありがとな」
「別にいいよ。オレが早く終わらせたかっただけだ」
「そうか。ちゃんと腕、
「ああ」
「――おい! これ、使えよ」
ワーウルフだった。いつの間にか居ないと思ったら、駐車場に停めていた自分の車のトランクから、ペットボトルのミネラルウォーターとタオルを取って来たらしく、シオンに渡してくれた。
「軟膏もあるぜ。けっこう高価なやつだからな。火傷にも効くはずだ」
ワーウルフの名も思い出した。たしか、
猿の姿をしたアルマスにいたっては、
その名を付けたのは先祖か知らないが、理由を聞きたい。
ダンジョンまで、シオンは電車とバスを乗り継ぎ、それ以外はそれぞれの車で来ていた。犬井は用事があるとかで、報告を済ませた時点で、さっさと帰ってしまった。
「仲間がケガしたってのに、薄情な奴だなぁ? なぁ?」
タオルと水を貸してくれた笹岡が、シオンに言った。
「いや、一応、送ってやろうかとは訊かれたよ。でも、断った」
「ありゃりゃ、なんでよ?」
「あの人と、車の中で何話していいか、分かんなかったし」
特に悪気は無かったが、そうシオンが言うと、二人は笑った。
「なるほど。確かにな」
「帰りは乗せてやるよ。シートに血が付くのは構わないんだが、極力落としてくれよ。ガルムの血は臭いからな」
「お前の血も臭いのか?」
と鷲尾が、笑いながら言った。
魔狼と狼男、広く括れば、確かにどちらも狼をルーツに持つのだが、さすがにガルムと一緒するなよ、と笹岡は言った。
そしてにやついた顔で、ふんと鼻を鳴らした。
「じゃあお前の尻尾も、斬ったらまた生えてくるのかよ?」
鷲尾もシオンも笑った。
半日の付き合いだったが、リザードマンの鷲尾とワーウルフの笹岡の二人は気が合ったらしく、これからパーティーを組むという話をしていた。
先に帰ったアルマスの犬井は、普段はパーティーを組んでいる仲間が居るそうだが、仲間が怪我をしているので、その間ソロでやっているだけらしい。
鷲尾と笹岡のパーティーに、シオンも誘われた。
「どうだ? お前なら大歓迎だぜ」
鷲尾は運転しながら、助手席に乗ったシオンに言った。
帰りは結局、鷲尾が乗ってきた1トントラックに乗せてもらった。笹岡の車はスポーツタイプで、2シーターで狭かったからだ。
東京までの連れがいなくなり、笹岡は寂しそうだったが、シオンは腕の怪我があるので、少しでも広いほうがいいだろうという鷲尾の言葉に、しぶしぶ納得していた。
シオンとしても、賑やかな笹岡にずっと付き合える自信は無かったので、穏やかな鷲尾の車に乗せてもらえて助かった、と内心思っていた。
鷲尾は、シオンに楽に過ごしてくれていいと言い、シートに血が付いても構わないと気にとめなかった。
彼は冒険者が本業ではなく、親戚と運送業をやっていて、これは仕事で使っている車らしい。
「いや、オレはしばらくソロでやるよ」
鷲尾の誘いを、シオンは断った。
「そうか? まあ、俺も笹岡も剣しか使えん。今日もゴリ押しだったしなあ。お前にとっては、魅力は感じねえか」
「別に、そういうんじゃねーけど」
火傷した右腕は、二人がかりで処置された。軟膏を塗りたくられ、包帯でぐるぐる巻きにされ、何故か骨折の処置のように肩から吊られている。
「……アンタたちは、いい奴らだと思うけど」
一応フォローはしたが、鷲尾はあまり気にしていないようで、勝手に話を続ける。
「やっぱり、パーティーを組むならソーサラーが欲しいよな。でも、今日のパーティーも中々だったぜ。サル野郎がモタモタしてるのが参ったけどな」
「ああ……犬山さん? だっけ」
「犬井だろ」
もう忘れていた。覚えにくい。
鷲尾がははっと笑う。
「まあ分かるぜ。サルなのに犬ってインパクトのほうが強過ぎるからな。しかも犬は犬で居るしよ。紛らわしいよな」
「うん」
笹岡は犬じゃなくて狼だと思うが、別に細かく訂正することでもないので、シオンは頷いた。
言われてみれば、鷲尾の言うサル野郎・犬井は、ダンジョン内で死体を見つけるたびに、いちいち念入りに身許確認をしていた。几帳面そうなタイプだったので、あまり気にしてなかった。
もしかしたら探している人間でも居たのかもしれない。
シオンはぼんやりと、自由な左手をスカーフに絡め、その下の石に触れていた。
自分で飲んだ痛み止めのポーションは、近所のドラッグストアで買った。小さな容器に入った水薬をいくつかポーチに入れていた。安くても一本三千円くらいするが、気休めにはなる。それに笹岡から貰った高価だという軟膏を塗ると、ヒリヒリとした熱さが驚くほど引いた。それだけで痛みはずいぶん和らいでいた。
それでも少し皮膚の下が疼く気がするので、鎮静効果のある魔石を指先で転がした。
「痛むのか?」
いたわるように鷲尾が言った。
「いや」
「腕の良いヒーラーを知ってるから、東京まで我慢してくれ」
「大丈夫だ。慣れてるから」
「我慢することにか? ソロなら、まあ、そうだな。痛いなんて、言っても仕方ねえからな。お前は、ずっとソロか?」
シオンは頷いた。
「駆け出しの頃は?」
「一人だった」
「ずっとか」
また、頷く。
「若いのに、珍しい奴だな」
「そうかな」
「強いわけだ」
「アンタのほうが強い」
「そりゃそうだ。体力が違う。力も、経験もな。冒険者になって、二年とか言ってたな。俺がそんくらいのときは、お前より弱かった。根性も据わってなかったし、親父や叔父さんにいつもケツ叩かれてたし、正直カミさんのほうが強かったしな」
「アンタ、奥さんいんのか」
「ああ」
「リザードマン?」
「嫁か? ああ。リザードレディって呼べって怒るけどな。何だそれって思うけどな。リザードマンってのは種族名で、オスメスの区別じゃないだろ? マンってのは、ヒューマンのマンだ。でも、リザードマンって言うと、たいていの女は不機嫌になるんだよな」
「そうなのか」
いまのところ、女リザードマンの知り合いは居ないが、知り合うことになったら気をつけようと、シオンは思った。
「大体、レディって……。それならリザードウーマンだろーが、って思うんだけどな。だったら俺も、リザードジェントルマンと呼ぶべきだろ?」
「うん」
真顔で頷くシオンに、鷲尾は何故か温かい笑みを向けた。
「なんか、真面目だな、お前。ま、そんでレディにそう言ったら、アンタはリザード父ちゃんぐらいで充分だとか言うんだぜ。女って、勝手だよな」
「うん。でも、仲良さそうで、いいんじゃないか」
そういうと、鷲尾は少し照れたようだった。
「まあなー。つか、ほんと真面目だな、お前。今度うちにメシ食いに来いよ。嫁が喜ぶ」
「ありがとう。いいのか?」
「いいよ。家族多いから、狭くてウルセーけどな」
家族という言葉は、シオンにはしばらく遠いものだった。
冒険者になってから、一人で暮らしている。ここ二年ほど、大勢で食卓を囲んだことはない。
優しいリザードマンの家の食事は、楽しそうだ。
「あ。安心しろよ。メシは普通だからな。虫とかじゃねえから」
「分かってるよ」
別にシオンだって、猫亜人だからといってキャットフードを食べるわけではない。
そんなことを思ったのは、中学のとき、登校してきたら机の中に大量のキャットフードがぶちまけてあったというベタかつ陰湿な嫌がらせをされたことを思い出したからだった。
「ダンジョンも、また機会があったら潜ろうぜ」
「ああ」
「でも、お前なら、俺達よりももっと、腕の良い奴とパーティーが組めるだろうな」
それには、シオンは答えなかった。
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