第3話 ワーキャットの少年(3)


 ワーキャットは聴力に優れ、自分たちの足音に紛れた、遠くにいるオオネズミの甲高い声さえ聴き分けられる。それだけでなく、距離感すら掴める。

「……二十メートルくらい先だ」

 正確に測っているわけでもないが、シオンは経験から適当にそう言った。

 このくらいなら、警戒されない距離だ。

「この先は、分岐があったはずだ」

 仲間の一人がそう言った。

「左はどん詰まりになるが、右に進めば少し開けた場所に出る。そこが最深部だ」

 言った男は、人間の体つきをしているが、猿の頭を持っていた。

 猿亜人アルマスだ。

 アルマスは猿がすっと立ち上がったかのような姿で、全身が毛深い。猿と人間の中間のような顔で、たてがみのような毛が首までふさふさと生えている。

 彼らはたいてい手先が器用で、運動能力も高いため、武具の扱いに長けている。

 男は高価そうな板金鎧プレートアーマーを着込み、右手に片手剣ショートソード、左手に円盾ラウンドシールドを構えている。ファイターの見本のようだ。

「そうだっけか。ここ来たのだいぶ前だから、忘れたな」

 シオンはそう答えながらも、猫の耳はダンジョン内の物音に警戒し、ピンと立っている。

 尻尾は、シオンの意識しないところで、勝手に動いている。自分の心を表しているのか、慣れているつもりのダンジョン内で、いつも落ち着きなく左右にゆらゆらと動いている。

 頭ではそう思っていなくても、潜在的な恐怖や緊張が尻尾の動きに出てしまうのだろう。『ワーキャットの浮気はすぐバレる』という定番のジョークがあるくらいだ。

「マップくらい、来る前に叩き込んでおくべきだ」

 とアルマスがつっけんどんに言い、その口調はやや高圧的だが、言うことはもっともだ。シオンは逆らわず、頷いておいた。

「そうだな」

 しかし二人の後ろから、別の男が口を挟む。

 狼の頭を持った犬亜人ワーウルフだ。

「でもまー、オレだってマップなんて憶えてねーよ? 駆け出しの頃には、けっこう潜ったと思うんだけどなー。ここ」

 手には自前の懐中電灯を持っている。

 彼はシオンと違い、顔まで狼だ。

 何故かは分からないが、人間の特徴が残りやすいワーキャットより、ワーウルフは犬の特徴のほうが出やすい傾向にあると聞いたことがある。

 いや、犬でなくて狼なのか。

 どっちでもいい。シオンにしてみれば、区別はつかない。

 その顔だけでは年齢は分からないが、本人がまだ大学生だというので、そうなのだろう。


 亜人としての特徴は、種族や遺伝による個人差がある。

 見た目がどこまで人に似るかは、同じ種族内でさえ違うことがある。ワーキャットとワーウルフは特に、その傾向が顕著だ。耳や尻尾だけが獣である者も居れば、獣の特徴が大きい者もいる。

 この場では、シオンがもっとも人間に近い外見をしている。


 ワーウルフのふさふさとした尻尾は、シオンと違ってあまり揺れていない。

 ダンジョンに入ってから、彼の尻尾が大きく揺れていることはそう無い。

 意識していなくても感情の出てしまう尻尾だが、これはワーウルフ本人がある程度リラックスしていることの表れである。

「ここ来んのも久しぶりだからよー。昨日の晩さ、マップをネットで探して、プリントアウトしたんだよ」

 楽しげに、ワーウルフが言った。

 実際何かが楽しいのではなく、この男は何でも楽しげに話すようだった。危険なダンジョン内だというのに、友人と遊びに来たかのようだ。

「でも、今朝出かける前に便所行きたくなっちまって、そのまま玄関にファイルごと忘れちまってよー。ってことを、いま思い出したわ」

 そう言って、一人でゲラゲラと笑う。静かな通路にその声だけが響く。

 一緒になって笑う者はいないが、本人はまったく意に介していないようだ。

 彼の装備は、動きやすそうなシャツとズボン姿に、その上から皮の胸当てブレストアーマーだけを装備し、腰には長剣ロングソードを差している。盾は持たないようで、武器を手にしたまま進むシオンとアルマスの後ろを歩き、懐中電灯で先を照らしてくれていた。

 かなり高価な懐中電灯らしい。本当ならもっと先まで照らせるはずなのに、半分壊れているのだと言っていた。理由はシオンにもすぐに分かった。彼は敵が現れるたびに、これを乱暴に放り投げて戦っていたのだ。

「オレさ、いっつも出かける前になんか便所行きたくなるんだよな」

「知るかよ」

 呆れたような顔で答えたのは、片手に鉈のような大剣を手にした蜥蜴亜人リザードマンだ。

 反対の手には大きなランタンを掲げている。

「行きたくなるって分かってんなら、玄関出る前に行っときゃいいだろ」

 ダンジョンの入り口からよく喋るワーウルフの話に唯一付き合ってやっているのは、このリザードマンなのだが、動きの制限されるランタン係を自ら買って出たりと、なかなか親切な男である。

「や、だから、行っとくんだよ。で、家出ようとしたときに、また行きたくなるんだよな。何故か」

「永遠にそれやんのかよ。一生家から出られねーじゃねーか」

「何言ってんだ。出られなかったらここにいないだろーが」

「知るかよ。だいたいお前、そんなに便所近くて、よく冒険者出来るな」

「これがダンジョン行くと、わりと平気なんだよな。ほら、家出たあとはガスの元栓閉めたか心配になるけど、すぐ忘れるじゃん? あんなかんじだよ。あるだろ?」

「そもそも元栓閉めたかくらい憶えとけよ」

「いやいや、それくらい不安ってことよ。オレ、こう見えて几帳面で、繊細だからよ」

「几帳面な奴は、元栓締めたことを絶対忘れんと思うぞ」

「あ、それもそーだな」

 ゲラゲラとワーウルフが笑い、リザードマンはふうと息をついた。

 見ると、アルマスはかなり渋い顔をしていた。

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