第8話 過去

翌朝、リハビリルームが見える廊下に俺はいた。

約束は昼後だったけれど、もう1つの待ち合わせのためだった。

リハビリルームの中では数人の患者さん達がリハビリを行っていて、その中で筋力を付けるために必死にリハビリをする美緒の姿があった。

しばらくすると後ろから聞きなれた声で呼ばれた。

「八雲さん? 中に入れば良いのに」

「島中さん、おはよー」

「おはよう、早いんだね。駄目だよ、そんな顔してたら」

「そんな顔って?」

「今、凄く寂しいような切ないような顔してた。あんな顔を美緒ちゃんが見たら悲しがるよ、きっと。でも、何でこんなに早いの? 約束は午後からでしょ」

「待ち合わせだよ。ちょうど良い、島中さんにも紹介しようと思ってたんだ。もう直ぐ来るはずだから」

「えっ? そう言えば、初めてリアルで会ったのもここだったよね。その時も同じ様な顔をしてた」

「少し、子どもの頃の事を思い出していたんだよ」

「子どもの頃? 入院していた頃の事? 婦長とも知り合いみたいだし」

「美緒と同じ南病棟に入院していたんだよ」

「ええ? 南病棟って……」

島中が『南病棟』と言う言葉に反応して動揺している。

その時、待合室の方から呼び声がした。

「島中さん!」

「はーい」

呼び声のするほうを見ると事務員だろうか島中さんを手招きしているのが見え島中さんが急いで向った。



しばらくするとノータイで白いシャツに黒っぽいスーツ姿の男と一緒に島中さんが俺の居る方に向ってきた。

「八雲、探したぞ。久しぶりのOFFだって言うのにこんな所に呼びつけやがって」

「水沢、リハビリルームの前に居るって言っただろ」

「この病院がでか過ぎるんだよ。ほれ、頼まれていた物だ」

「悪いな」

小さな黒いリングケースを受け取りながら水沢に言うと胸に拳を軽く打ち込んできた。

「本当に久しぶりに会ったと思ったら。無茶苦茶な事言いやがって」

「お前だから無茶言うんだよ。お前がまだあの店に居てくれて助かったよ」

「で、どの人なんだ相手は? まさかこの綺麗な看護婦さんなんて事無いよな!」

水沢が俺の肩に腕を回してきて島中さんを指差した。

「失礼だぞ。彼女は友達だよ」

「や、八雲さん。こちらは?」

「高校時代の同級生の水沢だよ」

「そのケースって、もしかして指輪ですか?」

島中さんが少し緊張した面持ちで俺の右手のケースを見て聞いてきた。

「ビンゴ! ペアのリングだよな、または結婚指輪って言うのかな。で、相手を紹介しろ」

「まだ、渡せるとは決まって無いんだよ。今日が最後の審判の日だからな」

水沢が高校時代から変らない軽い乗りで答えた。

「でも、美緒ちゃんは……」

「へぇ、美緒ちゃんって言うのか。で、島中さんって言ったっけどんな女の子なの?」

「あそこで、リハビリしている女の子です」

島中さんがリハビリルームの窓越しに必死にリハビリをしている美緒を指差すと水沢がリハビリルームを覗き込んだ。

「うわぁ、可愛らしいじゃんか。しかし、お前もスケールが違うって言うか最初はバツイチのコブ付きで今度は儚げな女の子か。お前らしいちゃ、お前らしいけどな。まぁ、命に代えても守りたくなるわな」

「余計な事を言うな、口の減らない奴だな。相変わらず」

堪らず水沢の尻に蹴りを入れる。

「痛いなぁ、親友に何てことするんだ!」

「騒ぐなよ、病院だぞ。ちょっと電話してくるけど、島中さんに要らねぇ事ベラベラ喋るなよな」

「俺の口が軽いのは生まれつきだ」

「後でギャフンと言わせてやるからな。そこで待っておけ」

水沢の足元を指差して俺は携帯を取り出し玄関ホールに向った。



少しだけ微妙な間があり島中さんが先に気まずい雰囲気を断ち切った。

「水沢さんって八雲さんの高校時代の同級生なんですよね。八雲さんてどんな高校生だったんですか?」

「う~ん。一言で言うと一撃必殺かな」

「へぇ? 一撃必殺?」

「判りづらいよね、でもその言葉がぴったりなんだ。あいつはあまり人と係わろうとしなかったんだよ。クールって言うかなぁ、でも学校では知らない奴はいない位だったんだ」

「そんなに有名だったんだ」

「もの凄く喧嘩が強かったんだ。あいつは無愛想だから1年の時に直ぐ上級生に目をつけられてね。でも、あいつは凄かったどんな相手も瞬殺だったよ」

「それで一撃必殺かぁ」

「それだけじゃないんだ。人の事をよく見ていると言うか、不思議な力があるって言うかなぁ。ある日クラスで問題が起きてね。文化祭の前だったかな展示物を壊してしまった奴がいたんだけど誰も名乗り出なかった。クラス中が険悪な雰囲気になりそうになった時に、あいつが口を開いたんだ『木下と武田、何か言う事無いのか』って。そうしたら2人が一斉に謝り出して事なきを得て文化祭も無事に終わったなんて事が何回かあったんだよ。ピンポイントで的を得てる事を口数少なく言うんだ。追い詰めるでもなく、そっと後押しをするだけクールに見えるけれどとても優しくね」

「へぇ、そうだったんですか。それじゃモテたんでしょうね」

「それが全然駄目。駄目って言うか、超ド級のクールだからね。勉強もそこそこ出来たんだけど体育や球技大会には一切出なかったんだ」

「ええ、どうして? 喧嘩は強かったんでしょ」

「一撃必殺には理由があったんだよ。その理由を知ってるのはたぶん俺と先公くらいじゃないかな。その理由を知ったのがあいつと親友になるきっかけだったんだけどね」

「聞かせてもらって良いですか」

「良いよ。あれは高校1年の2学期かな、俺が街で他の高校の奴に絡まれてね。そこにたまたま八雲が通りかかって助けてくれたんだ。でも人数が多すぎた。今までは頭の奴を潰せばそれでよかったかもしれないけれど、その時は違った。全員を叩きのめしたんだ、凄かったよあんな熱いあいつを見たのは初めてだった。相手が逃げるのを見ながら『俺の仲間に手を出してみろ、2度目は無いからな!』って叫んで。その直後、胸を押さえて崩れ落ちたんだ。焦ったよ正直、でも大丈夫だって直ぐに治るからって」

「もしかして心臓の?」

「そう、軽い異常を抱えてるって言ってたよ。だから急に激しい運動をすると動悸がするんだって。そんな事があってから俺には色々話してくれたよ。子どもの頃に辛い別れをして人との距離をとる様になった事、それでも守りたくって空手の道場に通った事なんかをね」

「でも、激しい運動なんかしたら心臓が」

「どんなに大変でどんなに苦しい思いをしたらあそこまで強くなれるのかな、俺には理解出来ないよ。ただ、言える事はあいつは守りたい者の為なら躊躇わず命を掛けるそう言う熱い男だよ」

「そうなんだ、だからあんなに優しいんだ。優しさは強さだもんね」

「で、島中さんもヤスケ に一撃必殺ぅ?」

水沢が悪ふざけをして学生時代の俺のニックネームを暴露して手で島中さんを指差していた。

「そんなんじゃ、大切な友達です」

「嫌われるぞ、水沢。そんな事してると」

「八雲さん……」

島中さんが電話を終えて戻って来た俺の顔を見てほっとした様な表情をして直ぐに赤くなった。



「八雲、もう用事は済んだだろ俺はもう帰るぞ。すみませんでした、島中さん。なんだかベラベラと要らない事喋ってしまって、なんだか初対面って気がしなくって」

「そんな事無いですよ。私もなんだか初対面って気がしなくって」

水沢と島中さんはお互いに顔を見合わせて照れていた。

「良いのか? 水沢。今、帰ったら一生後悔するぞ」

「何を訳判らない事言ってるんだ」

「お前、まだ独身だったよな」

「悪かったな、仕事が忙しくってこんな可愛い看護婦さんとお知り合いになる機会なんて無いんだよ。お前みたいに暇人じゃないんだ、俺は」

水沢が不機嫌そうに嫌味を込めて俺に言い放ちそっぽを向いた。

「だから、紹介してやるよ。可愛い看護婦の島中あずみさんことアズアズさんだ」

「……い、今、なんて言った? ヤスケ」

「会いたかったんだろ、アズアズさんだよ」

島中さんのHNを聞いた瞬間、水沢の意識がぶっ飛び道端の電柱の様に棒立ちになっている。

その姿を見て島中さんが不思議そうな顔をしていた。

「島中さん、こいつはジュエリー・タツミのチーフデザイナーのAKIこと水沢明人(みずさわあきひと)だよ」

「ジュ、ジュエリーデザイナーのAKIさんって、あの凄い素敵なブログの? kohさんのブログ仲間のでしょ?」

「ビンゴ! 会いたかったんでしょ?」

「え? でも憧れの人で。kohさんと一緒で雲の上の人だと」

島中さんも水沢同様、棒立ちになり顔が真っ赤になっていた。

「水沢、ギャフンと言ったら指輪のお礼に良いものやるよ」

「ギャフン……」

水沢が棒立ちのまま気が抜けたように言った。

それを聞いた瞬間、笑いが止まらなくなった。

危うくリハビリルームに居る美緒にここに居るのがばれてしまうんじゃないかと思い笑いを堪えるのに必死になった。

「お前、知っていて」

「八雲さん、最初から」

水沢と島中さんの言葉が重なり、お互いに顔を見つめ合わせて再び真っ赤になっていた。

「水沢、お前に仕事先で貰った映画の試写会のチケットを2枚やるから島中さんと2人で見て来いよ。島中さんも夜勤まで時間があるんでしょ」

「な、なんでそんな事まで?」

「お前、はじめからそのつもりで俺を名指しでここに呼んだな」

2人が俺の顔を見ながら一斉に詰め寄ってきた。

「嫌なら良いんだ。話題のラブロマンス映画の試写会なんだけどな。で、どうするんだ?」

「アズアズさん、いや島中さんが良ければ」

「私で、良いんですか?」

「後は、2人で決めてくれ。俺は用事があるから一旦出るよ、美緒に様子を見に来たのがばれたら怒られるからな」

チケットを水沢に渡して玄関に向うと、後ろから『……時に玄関ロビーで』と水沢の声がして追いかけるように走ってくる足音が聞こえた。

「水沢、病院の中で走ったら島中さんに怒られるぞ」

そう俺が言うと後ろから島中さんの声がした。

「走らないで!」

「ご、ゴメンなさい」

水沢が振り返り頭を掻きながら満面の笑顔で謝っている。

そして水沢が俺の肩に手置いて目頭を押さえた。

「感謝するよ、この恩は一生忘れないからな」

「泣く事は無いだろ」

そんな事を話しながら病院を後にした。



八雲と水沢を見送りながら胸のところで可愛らしく島中が手を振っていると後ろから声がした。

「島中さん、もう中抜けの時間じゃないの?」

「あっ、師長。これからです」

そう答えて師長と2人で並んで歩き出す。

「今の隆志君じゃないの?」

「ええ、友達に指輪を頼んでいたみたいで」

「そうなの、それでそのお友達を紹介してもらって」

「な、何を言うんですか?」

「違うの?」 

「違わないけど……」

「隆志君が頼み事するくらいの友達なら素敵な人なんでしょうね」

「はい、凄く素敵な憧れの人でした。あっ」

島中さんが自分で言った言葉に恥ずかしくなり俯いて赤くなった。

「本当に正直なのね。島中さんは」

「そう言えば師長は八雲さんが子どもの頃に入院していた時の事を良く知っているんですよね」

「ええ、忘れる事は出来ないわ。私が南病棟勤務を続ける事になったきっかけが隆志君、つまり八雲さんだもの」

「やっぱり、八雲さんは南病棟に……でも」

「そう、南病棟は特殊な症状の患者さんが入院しているわよね。彼もそんな患者の1人だったの、私が看護婦になりたての頃に担当していたわ。そして良くリハビリルームを覗いてた。友達が欲しかったんでしょうね、そうやって友達を作っていたの」

「どんな感じだったんですか? 八雲さんて」

「今も変っていないと思うけれど。とても優しくって、良く気付く子だった。手間の掛からない子だったわよ。でも時々突拍子の無い事をして回りを困らせた」

「突拍子の無い事ですか」

「そう病院を抜け出して動物園にいたり、大学の構内で倒れていたりして大騒ぎになったのよ」

「でも、お母さん達は」

「隆志君の両親は共働きでね、あまり病院には来れなかった。良い子で居たのはその為なのかも知れないわね」

「寂しい思いをしてたんでしょうね」

「でも、泣いたりはしなかった。どんなに辛い思いをしても」

「子どもの頃も変らず強い子だったんですね」

「島中さんは、本当にそう思うの?」

「そう言えば、ブログでも時々辛そうな時があるけれど」

「一時期ね、問題ばかり起こして私達を困らせていた時期があるの。私も困り果てて疲れ果てていたわ。どうしたら良いのか悩んで悩んで看護婦を辞めようかとさえ思っていたの。そんな時に当時の婦長に言われたわ。『あの子がいつ問題を起こしているか考えて見なさい』って」

「いつ問題を起こしていたんですか?」

島中が不思議そうな顔をして師長の顔をみると師長が大きく息をついてゆっくりと話し始めた。

「婦長に言われたとおり私はカレンダーに印をつけてみた。そうして判った事があるの」

「何が判ったんですか?」

「隆志君と仲良くなった友達が病院から姿が見えなくなった日とほぼ同じだった」

「退院しちゃったんですね」

師長は静かに目を閉じて、ただ横に首を振るだけだった。

「そんな……」

「南病棟から退院するのは残念な事だけど稀なの、あなたも知らない訳じゃないでしょ。そして隆志君は泣かなかったんじゃなくって泣けなかったんじゃないかなって」

島中は胸が押し潰されそうで何も言えなかった。

それを察したのか師長は話を続けた。

「そして、問題を起こしている隆志君を思いっきり後ろから抱きしめたわ。すると抱きしめている私の腕に熱い物がポタポタと垂れていたの。『泣きたい時は泣いて良いんだよ』って声を掛けたら何て答えたと思う?」

「判りません……」

「僕は1人で頑張らなきゃいけないんだ、そうしないとお父さんやお母さんが困るからって。小学生の子がそんな事を言うの、胸が張り裂けそうで私も泣き出しちゃって。2人で大泣きしたの病棟の廊下で」

「そんな辛い思いをしてたんですね。八雲さん」

「それ以上に怖かったんでしょうね、たぶん。次は自分じゃないかって」

2人がロッカールームに着く頃には島中の目からは大粒の涙が溢れていた。

八雲がなんであんな寂しいような切ないような顔してリハビリルームを見ていたのか理由が判った瞬間で。

「師長、ゴメンなさい。私、それ以上話を聞く事出来ません。駄目だ私……」

「島中さんはなぜ、南病棟勤務を志願したの?」

「そ、それは師長に憧れて」

「それなら、話をちゃんと聞きなさい。今の私があるのは隆志君のお陰なの」

「判りました」

島中はロッカールームの椅子に座り、師長は彼女の横にすわり話を続けた。

「彼、本当は凄く泣き虫なとても優しい男の子なの。それからも友達との別れはあった。でも、私の前では泣くけど決して両親の前では泣かずに明るく振舞っていた。落ち込んでも必ず1人で立ち上がってきたわ。涙を流しても誰にも頼る事はしなかった、しばらくすると彼がとても強くなっているのに気付いたの」

「強くなっている?」

「理由は恐らくひとつだけ」

「その理由って、もしかして……」

「自分の死を受け入れる事。そうすると人は強くなる、覚悟が決まれば怖い物が無くなる。でも人間なんて完璧じゃない揺れる事もあるでしょう、人との別れが辛いのは変らない。彼の中では別れは失うものなのよ、永遠にね。それが大切な友達や愛する人だったらどんなに怖いか、ましてや彼は自分の病気の事を知っている。自分が友達と同じ様に突然消えてしまったらどんなに哀しい思いをする人が居るかって考えたら、私なら誰も愛せないし友達なんて作れやしないでしょね」

「だから、人と係わろうとしなかったって」

「八雲君のお友達から聞いたのね」

「はい」

「彼は私の希望なの、奇跡って言っても良いかもしれない南病棟から退院して。また出会えたんですもの。私は彼を応援したいの」

「私もそう思います。あの2人の為なら何でもしてあげたいって。私も八雲さんにどん底から救われたんです。でも八雲さんの病気って?」

師長が島中さんに何かを耳打ちすると、島中の全身から力が抜けた。

「そんな、それじゃ……八雲さんは、まさか……」

「コラ、島中さん。今、言った言葉は嘘なの? 人の時間なんて誰にも判らない、あなたは身を以って判っている筈よ。だから今を精一杯生きるの。そんな精一杯生きている人を手伝うのが私達の仕事でしょ。しっかりしなさい。それとあなた自身も精一杯生きなさい。恋も仕事にもね」

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