第6話 デート

翌日も八雲は見舞いには現れずに昼過ぎに母親が様子を見に来て美緒は起こされた。

「いつまで寝ているの? 八雲君は来なかったの?」

「来ないよ、もう」

「しょうがない子ね。それじゃママが連絡してあげるから」

「余計な事しないで!」

自分の体の事、そして知りたいけれど知る勇気が無い彼の過去。

そして島中の正々堂々とした宣戦布告、頭の中がパニック状態で何も考えられずに居た。

「気分転換に散歩に行こうか? 今日はママが一緒に」

「うん」

母親に心配かけまいと車椅子で病室を出て1階に向かう。

外来の前に差し掛かったところで八雲と島中の姿が目に飛び込んできて2人は楽しそうに何かを話していた。

少しすると八雲は診察室へ入り、島中が美緒達に気付き嬉しそうな顔で近づいてきた。

「美緒ちゃん、おはよー」

「おはよ」

「元気ないな、もう」

「島中さんは嬉しそうですね」

「うん、八雲さんにデート申し込んじゃった。そうしたら午後からならOKって言ってくれたんだ」

「そうですか」

美緒の顔が曇り、島中から視線を外した。

「あれ? 彼、美緒ちゃんの所に行かなかったの?」

「えっ?!」

「もしかして寝ていたんでしょ。だからかぁな」

「どう言うこと?」

複雑な感情が入り混じり美緒の心臓の鼓動が跳ね上がる。

「昨日の午前中も美緒ちゃんに会いに来たんだよ、八雲さん。でもノックをしても返事が無いからって。部屋に入れば良いのにって言ったら、寝ている女の子の部屋に入るのはマナー違反だからって」

「そ、そうだったんだ」

「それともう1つ、八雲さんは美緒ちゃんに酷い事を言われたなんてこれぽっちも思ってないわよ。自分が軽率な事をしたからだって自分の責任だからって」

「それもブログに?」

「そう、たぶんあれは美緒ちゃんの事だと思う。最後の恋だったて」

「でも、やっ君は結婚して」

「人にはそれぞれ事情があるんだよ。どうしようもなく辛い時、美緒ちゃんならどうする? 誰かに側に居て欲しくない? それがお互い同じ様な気持ちなら」

「そんな、それじゃ……」

「誰の所為でも無いんだよ。運命って言うのかな、こんな事も書いてあった。恋をして愛に変わり恋も愛も無くなったら情だけが残るのかなって、それなら情から始まる事もありなんだろうって」

「それは私がやっ君に言った言葉……」

「ええ、ご、ゴメン」

「う、ううん。良いの昔の事だもん。彼とデート楽しんで来てね。お母さん、部屋に戻ろう」

母親が島中に会釈をして車椅子を押して病室に向かった。


検査を終えてロビーに向かうと島中さんは既に仕事を終えて着替えを済ませて待っていてくれた。

「ゴメン、待たせちゃって」

「女の子を待たせるなんて非常識だぞ」

「色々と時間が掛かってしまって、本当にすまない」

「良いよ、私がお願いしたんだもん」

照れ隠しもあって、頭を下げると島中さんが笑顔で答えてくれた。

島中さんはネイビーのシャツワンピースの上にベージュのロングカーディガンを羽織り、黒いレギンスに茶色いエンジニアブーツを履いていた。

「島中さんって普段はそんな格好なんだ」

「えっ、う、うん。今日は特別かな、憧れのkohさんとお出かけだから」

「恥ずかしいから憧れなんて言わないでよ。それに俺は検査があるって言われたからこんな格好だし。もう少しオシャレしてくるべきだったかな」

「十分、素敵ですよ」

俺の格好はゆったり目のカーキ色のパンツを穿き水色のシャツに薄手の萌黄色のセーターを着てスニーカーと言う出で立ちだった。

「それじゃ行こうか」

「はい」


2人で病院の玄関に向かおうとすると数人のストリート系の格好をしたガラの悪そうな男達が入ってくるのが見える。

すると待合室に居た人達がざわつき、その中の1人が俺を指差して何かを言っていた。

良く見るとその男の顔に見覚えがる。

鼻に大きなガーゼを張っていたが確かに水族館で美緒にちょっかいを出した男だった。

「島中さん、少し離れていてくれませんか」

「えっ、どうして?」

「あいつ等は多分、俺に話があるんですよ」

そう島中さんに告げて男達に向かい歩き出す、男達が俺に気付き立ち止まって俺に睨みをきかせている。

気にせずにこの間叩きのめした男の前に立った。

「兄貴、こいつがこの間の」

「ケンジは黙ってろ」

リーダーらしき男が低い声で言った。

「お前が俺達の仲間をボコったのか?」

「美緒の昔の仲間か何か知らないが、美緒にちょっかい出すようなら情け容赦しない。2度目は無いはずだとこいつに言ったはずだが」

リーダーらしき男の鋭い目を真っ直ぐに見据えた。

しばらくすると根負けしたのか男の瞳の奥が少しだけ揺ら具のを感じる。

「ケンジ、お前。美緒に何かしたのか?」

「あ、あの。あんまり楽しそうだったんで」

「この馬鹿が!」

ケンジと呼ばれている男の顔が少し引き引き攣りケンジと呼ばれている男の顔に左で裏拳を入れようとする。

咄嗟に右手で男の拳を掴んだ。

「ここは病院だぞ、場所をわきまえろ」

「なんだと!」

男が声を荒げて俺の事を睨みつけている。

このままじゃ埒が明かないと察して半身の構えから膝を着いて拳を床につけて土下座した。

「美緒の事はそっとしておいてやってくれ。頼む」

そう男に告げると突然土下座をする俺を見て辺りが静まり返った。

「だせっ、馬鹿馬鹿しいから帰るぞ」

男がそう言い残して踵を返して玄関に向かうと、周りの男達が唖然として男の後を追いかけた。

「兄貴、帰るんすか?」

「あいつは俺の裏拳を止めたんだぞ。それにあの目は覚悟の出来ている目だ。あいつの言うように2度目は無いんだよ」

男達が玄関を出るのを確認して立ち上がり、パンツを手で払っていると島中さんが駆け寄ってきた。

「八雲さん、大丈夫ですか? あの人たちは?」

「大丈夫ですよ。あいつ等の1人と美緒と出かけたときにトラブちゃって」

「でも、あんな事しなくても」

「あれ位しなきゃ、あいつ等の顔が立たないでしょ。バスの時間だ、急がないと」

「えっ、でも」

「早く行きますよ」

島中さんを促して早足で構内を抜けてバス停に向かった。


バス停に着くと直ぐにバスが来て慌てて乗り込み秋葉原へ向かい家電量販店のパソコンコーナーに俺達は居た。

最新機種のパソコンが沢山並んでいる。

「へぇ、最近は色んなパソコンがあるんだ」

「ノート型、デスクトップ、それに最近流行のネットブックと言う小型の持ち運びに便利なパソコンかな」

「はぁ~悩んじゃうな」

「島中さんの家にもパソコンあるんでしょ」

「最近調子悪いんだよね、古いせいか。やっぱり使い慣れたノート型が良いかな」

「それじゃ、ノート型の所に行きましょう」

「うわぁ、いっぱいある」

島中さんがあまりの種類の多さに驚いていた。

「後は予算だけですね」

「良し決めた、これにしよう。綺麗なパソコンだし」

「早! 即決ですか? まぁ、最新機種だからハズレは無いと思うけれど」

「こんなのはインスピレーションが大切なの。それに今まで使っていたパソコンと同じメーカーだしね」

「って、高!」

俺は島中さんが手にしたパソコンの価格を見て驚いた。

「えへへ、仕事柄あんまりお金使わないからね。こんな時は奮発しないと」

島中さんが嬉しそうに店員にパソコンを指差しカウンターに向かい店員を呼んだ。

そして俺も使い易く値段も手ごろなネットブックパソコンを店員に伝え購入し持ち帰る事告げる。


店を出ると島中さんの提案で少し歩く事になり上野の方に向かいながら歩き出した。

「不思議だな、こうしてネットの中だけだったkohさんとこうして一緒に歩けるなんて」

「出会いは奇跡だからね」

「うふふ、そうだね。変らないんだね、ネットの中と」

「同一人物だからね。それにリアルでも楽って言うか、ある意味心の中を知られているみたいで気兼ねしなくていいしね」

「そうなんだ、それでかな。凄く親近感があるのは」

「でも、それは決して恋じゃないはずだよ」

「えへへ、釘を刺されちゃった。まいったな八雲さんには、そんな事も判っちゃうんだ」

「まぁ、少しだけね。年の功って言うのかな」

「うふふ、不思議」

しばらく歩いていると不忍池が見えてきて9月と言う事もありまだ木々は青々としている。

蓮池の近くまで来るとそろそろ時期的には終わりなのだろうが所々にピンク色の蕾が見えた。

「早い時間なら咲いていたのかなぁ?」

「朝、早くならね。綺麗だよね、清浄っていうか可憐って言うのかな。あの弁天橋からの眺めがまた良いんだよ」

「詳しいんですね」

「この辺は、子どもの頃に良く遊びまわっていたからね」

「近くに住んでいたんですか?」

「赤門前に住んでいた事があるんだよ。親父の職場が本郷通り沿いにあってね」

「ええ、それじゃ。地元なんじゃないですか」

「しばらくして引っ越したからね」

池沿いの歩道をゆっくりと歩いていると島中さんが俺の持っている紙袋を見て聞いてきた。

「八雲さんも何か買ったんですか?」

「ああ、これはネットブックだよ。美緒がブログを見たいって言ってたからね」

「美緒ちゃんの事、好きなんですね」

「どうなのかなぁ、付き合っていたのは10年以上前の事だし。でも、あいつには幸せになって欲しいって思ってる。いつも笑っていて欲しいんだ」

「それならいつも一緒に居てあげれば」

「あいつが望むならね」

あまり触れられたくない事だけどブログで胸の内まで曝け出しているのを知っている島中さんには隠せないだろう。

「それじゃ。もし、もしもですよ美緒ちゃんが望まなかったらどうするんですか?」

「離れて見守るだけだよ、俺じゃ駄目だって事だろうからね。他の誰かと幸せになってくれればそれで良いんだよ。覚悟は出来ているけれど、俺にその資格があるかはあいつ次第だよ」

「なんで、そこまで出来るんですか?」

島中さんが、俺の前に駆け出してきて俺の目を見つめていた。

その視線の真っ直ぐさに息を呑んで立ち止まった。

「理由なんか無いよ。俺に出来る事なら何でもしてやりたい、ただの自己満足さ」

「私じゃ、駄目なんですか?」

「島中さんの気持ちは嬉しいけれど、その気持ちには答えられない。ゴメンね」

「それじゃ、八雲さんが……とっても優しくって頼りになる人でだから私は」

「島中さん、そこまで。それ以上は勘弁してもらえないかな、覚悟が揺らいじゃいそうだから。自分自身の事になると周りが見えなくなってしまうんだ。それで人を傷つけてしまった。だからいつも一歩引いた所に居る。怖いんだよ」

「判りました。これですっきりした、これからもお友達でいてくれますか?」

「もちろんだよ」

告白されても島中さんとなら友達でいられる気がするのは何故だろう。

「ああ、あんな姿見せられたら普通の女の子はイチコロなのにな」

「美緒には内緒にしてくれないかなぁ、格好悪いから」

「素敵じゃないですか」

「心配を掛けたくないんだよ。あいつだけには」

「本当に、もどかしいんだから。私が何とかしてあげます」

「ありがとう、でも自然体で居たいんだ。それが俺の流儀だからね」

「無理をせず、流れに身を任せてですか?」

島中さんが俺の横を歩きながら見上げる様に聞いてきた。

「出来る限りね。力でねじ伏せれば必ずその反動が返ってくるから」

「それじゃ、愛でねじ伏せましょう。そうすればきっと愛が返ってくるはずだから」

「島中さんは面白い事言うね」

そんな会話をしていると病院の建物が左手に見えてきた。


大きな通りを渡り病院の方に歩いて向うと途中で美緒のお母さんが歩いているのが見えた。

「おばさん、これから美緒の所ですか?」

「あら、八雲君。そうよ着替えを届けにね。あれ? 島中さんも一緒なんだ。八雲君はモテモテなのね」

「そんなんじゃ無いですよ。買い物に付き合っていただけで」

「あ、なんだか酷い事言ってる。女の子と買い物に行くのをデートって言うんじゃないの?」

島中さんが拗ねた様な素振りを見せて悪戯ぽっく笑って言った。

「ゴメンゴメン、おばさん。そう言うことらしいです、少しだけ良いですか?」

「構わないけれど、今日は美緒ご機嫌斜めだから」

「俺、また何かしちゃったかなぁ」

「八雲さんは本当に美緒ちゃんの言うとおりニブチンなんだね。優しいのも程ほどにね」

島中さんに訳も判らずに小突かれて裏手にある門から3人で病院に向う。


南側の3階に行くとナースステーションの前で呼び止められた。

「八雲さん、はいこれ。高柳先生がどうせここに来るから渡しておいてくれって」

「ありがとうございます。でも何でここの看護婦さんはそんな悪戯顔で俺の事を見るかなぁ」

「八雲さんが素敵だからですよ。今日はありがとう」

看護婦さんが意味ありげな笑顔でA4サイズの茶封筒を手渡してくれて。

そんな事を言い残して島中さんと看護婦さんがナースセンターに入っていた。

島中さんと別れて美緒のお母さんと病室に向うと美緒は眠っていた。

俺は窓際のカウンターに座って買ってきたネットブックを取り出しセットアップを始める。

おばさんは少し出てくるから美緒が起きたらお願いねと言い残して病室から出て行った。

しばらくしてネットに繋がるのを確認して電源を落とそうとした時に美緒が目を覚ました。

「起こしちゃったかな、おばさんは少し出てくるからって」

「八雲君、もう来ないで。私の病気の事何も知らないくせに、これ以上優しくしないで!」

振り向き様にそう言うと美緒が真面目な顔で俺の目を見て言い放った。

「急にどうしたんだよ。美緒」

「下の名前で呼ばないで! 恋人でも何でも無いでしょ! ただの友達でしょ! それとも私が病気だから元恋人だから哀れんでいるの?」

「そんな訳……」

それ以上、何も言えなかった。

美緒の目からは大粒の涙が溢れ出していた。

あの時と同じ様に……

「悪かった、もう2度とここには来ない。俺にはここに居る資格が無いんだな、すまなかった。荷物が少しあるけれど処分してくれ」

そう言って茶封筒だけを持って病室を後にした。


その頃、ナースステーションでは島中が同僚からからかわれていた。

「島、今日のデートはどうだったの? ラブラブ?」

「ただ買い物に付き合ってもらっただけだよ。パソコンの事が良く判らないから」

「宣戦布告したんでしょ。手はもう繋いだの? それとも」

「そんなんじゃ無いってば。八雲さんは憧れの人だもん」

「ほら、噂をすれば彼が……」

「何かあったのかな、怖い顔して」


俺は病室を出てナースセンターの前にあるゴミ箱に茶封筒を握りつぶして投げ込んだ。

そしてエレベータホールの前まで来て島中さんに呼び止められた。

「八雲さん、どうしたの?」

「美緒の事、宜しく頼みます」

そう言ってエレベーターのボタンを押そう振り返った瞬間に目の前が真っ白になり意識がフェードアウトした。


「八雲さん! 八雲さん! 誰か来て!」

島中の声が廊下に響き渡る。

ナースセンターから島中の声に驚いて看護婦さんが出てくると同時にエレベーター横の階段から年配の看護婦が1人現れた。

「何を慌てているの? 島中さん」

「師長、八雲さんが倒れて」

「落ち着きなさい、あなたは看護師なのよ。急いでストレッチャーで処置室に運びなさい。それと畠田さん直ぐに高柳先生に連絡して点滴の準備を」

師長の指示が的確に飛び、看護婦達が的確に指示に従った。

1人を除いては……

島中はガタガタと震えながら座り込んでいた。

「隆志君は大丈夫だから、安心なさい」

師長が島中に優しく声を掛けた。

「でも……」

「そうね、あなたは初めてなのよね。こんな状況、大切な人が目の前で倒れたんですものね。だからこそなんじゃないの? あなたは看護師なのよ、今回は周りに助けてくれる人が居た。もし1人の時にこんな状況になったらどうするの? あなたにしか助けられないのよ」

「取り乱してすいませんでした」

島中が落ち着きを取り戻し立ち上がった。

「ただの過労だと思うわ、隆志君は昔から何も変ってないのね」

「師長? 昔からって?」

「今の問題はそこじゃないわよね。あなたなら判るはずよ彼に何があったのか」

「だけど、私は……」

「確かにあなたは看護師よ。でも今はOFFなんでしょ。今のあなたは看護師の島中じゃなくて1人の女の子の島中でしょ。思いっきり行って来なさい、そして全身でぶつかって来なさい。そうじゃないと隆志君にも美緒さんにも失礼よ。お母さんの方は私から説明しておくから」

「ありがとうございます」

島中が師長に頭を深々と下げて美緒の病室に向った。


師長が島中を見送り処置室から出てきた看護婦に声を掛けた。

「それじゃ、私も久しぶりにワクワクさせてもらいますか。畠田さん、点滴は?」

「はい、先生の指示通りに」

「それじゃ、ちょっと耳を貸しなさい」

「はい?」

師長が畠田に耳打ちをすると畠田が驚いた顔をしている。

「ええ、でも」

「責任は私が取ります。誰のおかげでこんなにいっぱいの綺麗な花や海の写真を飾っていられると思っているの? 恩返しはこんな時じゃないと出来ないのよ」

「わ、判りました」

畠田が再び処置室に駆け込んだ。

それを師長が楽しそうに見ていた。

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