第5話 島中さん

翌朝、美緒が目を覚ますとそこはいつもの病院のベッドの上だった。

窓の外は雲が立ち込めて雨が降って いる様だった。

「お目覚めかな? 朝の検温の時間だよ」

「おはよー、島中さん」

「疲れていたんだね、良く眠っていたから。デートは楽しかった?」

「うん」

「あら、楽しかった割には元気ないのね」

「私が無理に誘ったのにお礼、言えなかった」

美緒は体温計を脇に挟みながら布団に包まった。

「彼はそんな事気にしないと思うけどな。今日も来てくれるんじゃないの?」

「そんな約束してないから来ないと思う」

「あらあら、それじゃ会いに来てってメールでもすれば良いじゃない」

「連絡先聞けなかった」

そこで体温計が鳴り体温計を渡すと嶋中さんが体温を書き込んでいる。


その日の午前中は殆ど美緒は起きようとしなかった。

朝食を食べて回診の時間以外は殆どベッドの上で眠っているかゴロゴロしている。

そんな美緒を見かねて島中さんが部屋にやって来た。

「美緒ちゃん。院内を散歩しよう」

「今日は、行かない」

「そんな事言わないでほら起きて」

「もう、嫌だって言ってるのにしょうがないなぁ」

島中さんが少し強引に毛布を捲くると美緒が渋々起き上がり島中さんの手を借りて車椅子に乗り込み。

島中さんが美緒にカーディガンを羽織らせて車椅子を押しだした。

「楽しい事があった後はなんだか物悲しくなるものだからね」

「そうなのかなぁ……」

「付き合っていた事があるんでしょ、彼と」

「どうしてそんな事を聞くの?」

「だって普通は久しぶりに再会してファーストネームでは呼ばないでしょ」

「そうかなぁ」

「それに、彼の目を見ていると良く判る。美緒ちゃんを大切に思ってるんだなって」

「それは、元恋人だからで今は恋人でもなんでもない、ただの友達だもん」

「ただの友達か」

美緒が島中さんの顔を見上げると少し遠い目をして物思いげに見えた。

「島中さんは彼氏とか好きな人居ないの?」

「居るわよ、好きな人は」

「どんな人なの?」

「優しくって、とても気が利いて。ちゃんと叱ってくれる人」

「そうなんだ」

「でもね、名前は知っていたけど顔を知ったのは最近なの」

「ええ? どうして? 好きな人なんだよね」

「好きと言うか憧れの人かな」

「どこの人なの?」

「内緒、だって私には手が届かないから……美緒ちゃんにはちゃんと手の届く所に居てくれるじゃない」

「やっ君は、そんなんじゃ無いよ。だって私には無理だよ」

「そうかな彼なら何でも受け止めてくれると思うけどな」

「だから余計……やっ君? 何で?」

1階の外来から出てきた男の姿を見て美緒が固まり車いすを止めた。

「どうして? あそこは高柳先生の……」

「呼ばないの? 行っちゃうよ」

「駄目、島中さんお願いだから隠れて」

「しょうがない子ね」

島中さんが後ろに下がり壁の影に車椅子を入れると八雲は2人に気付かずに別の病棟に向かって歩き出した。

「私の病気の事聞きに来たのかなぁ」

「守秘義務があるからそんな事は出来無いわよ」

「それじゃ、何でやっ君が高柳先生の所に居たの? 島中さんお願い先生に聞いてみてくれない?」

「出来ないわ。私達、看護士にも守秘義務はあるのよ。本人に直接聞くしかないわね」

「私には出来ないよ、怖い」


昼食後に母親が訪ねてきたのに美緒は病室で塞ぎこんだままだった。

「今日の、美緒はご機嫌斜めなのね」

「女の子だからこんな日もあるの」

「八雲君に嫌われちゃうわよ、そんな顔してると」

「だって、私はこんな体で……私なんかじゃ……やっ君からしたらただの友達だもん」

「八雲君の事、嫌いなの?」

「そんなんじゃ無いけど」

「本人に聞いてみたの?」

「聞けるわけ無いじゃん。私がやっ君から離れたんだから、酷い事いっぱい言って」

「そんな酷い事を言われた相手をあんなに優しく抱き上げて運んでくれたのね」

「お母さん、それどう言うこと?」

美緒が不思議そうとも不安とも取れない様な顔をした。

「車で寝てしまった美緒をここまで運んでくれたのは八雲君よ。起こさないように赤ん坊を抱くようにとても優しく静かにね。そして遅くなった事を誠心誠意謝ってくれた、お母さんもお兄ちゃんも八雲君になら美緒を任せられるような気がしていたのに残念ね」

「やっ君の気持ちなんて怖くて聞けないよ、それに体の事何も言ってないし。それに」

「それに何なの?」

「…………」

美緒は何も答えなかった。


午後一番に看護婦の島中さんが腕まくりをしながらやって来た。

「まだ、そんな浮かない顔してるの? 午後は入浴の時間だよ、今日はいいなんて言わせないからね。綺麗にしてないと彼に嫌わちゃうぞ」

「いいもん、嫌われたって」

「それじゃ、八雲さんは私がアタックしちゃおうかな」

「やっ君の事、何も知らないくせに」

「美緒ちゃんよりは知っているかもよ」

「ど、どう言うこと?」

「お風呂で女同士のお話をしよう、お風呂なら誰にも話を聞かれる心配ないし少しだけ教えてあげる」

島中さんに八雲の事を言われ少し動揺しつつも美緒は浴場にやってきていた。

「島中さん、何でやっ君の事を知ってるの?」

「慌てないの、私が知っているのはkohさんの事」

「kohさん?」

「そうブログって知っているわよね」

「うん、やっ君もやっているって」

「彼と知り合ったのはそのブログでなの。私もブログをしていてたまたま彼が私のブログを見てくれてコメントを書き込んでくれたの、凄く嬉しかった。私、沖縄に憧れていて沖縄の離島に住んでいる人だったのもあるけれど、やり取りを繰り返すうちに優しい人なんだなって」

「そうだったんだ」

「院内に沢山の海や花の写真が飾られているでしょ、あれもkohさんが送ってくれたものなの」

「沖縄の海と花の写真だよね。美緒も大のお気に入りだよ。南の島が大好きだから」

「彼、海や花の写真をたくさんアップしていて、殺風景な病院の壁に飾りたいなってコメしたら許可が下りるのなら送るよって。それで病院に掛け合ってOKを貰ったんだけど予算は出せないって言われて困っていたら、数日後に何も連絡も無く私の部署あてに写真が沢山送られてきたの」

「でも、名前も知らないのに」

「私のハンドルネームが書かれていたの、そして彼の名前をその時に知ったの。そして手紙にこう書いてあった。『写真を見て決めてもらえるように先に送ります。プロではないのでお金等は要りません。自分の写真を見て喜んでもらえればそれだけで十分です』って」

美緒の体を洗いながら島中さんは話し続けた。

「ブログにはいろんな事がアップされていたわ。珍しいのよ、あそこまでオープンなのは。だから色んな人がブログで彼と知り合ってそして励まされてた。私もそんな中の1人」

「でもそれだけで、好きになったりするの?」


島中さんが少し遠い目になり何かを思い出すように言った。

「ある日、突然父が他界してしまってね。ぽっかり穴が開いたような気がしてただ毎日を過ごしていた。沖縄で暮らすっていう夢すら諦めかけて。でもkohさんはいつでも遊びにおいでって移住についても色々とアドバイスもしてくれた。それが嬉しくって、でも凄く落ち込んじゃう時があるでしょ、そんな時はブログに無理して楽しい事を書いていたの、だけれど彼には判っちゃうんだよね。不思議だけど。そんな時は必ず海の写真や花の写真をメールで送ってくれたの」

「本当に優しい人なんだね。メールには何て書いてあったの?」

「何も書いて無いわよ。写真だけ」

「写真だけって」

信じられないと言う顔で美緒が驚いたように島中を見た。

「だってそれだけで十分だったんだもん、彼には不思議な力があるのかも」

「良い人なんだね」

「美緒ちゃんも良く知ってる人だよ」

「誰? もしかして……」

「kohさんの名前は八雲隆志」

「それじゃ、島中さんの……好きな人って……」

「優しくいつも見守ってくれる八雲さん」

「やっ君は、ただ皆に優しいだけだよ」

「そう思うの? 美緒ちゃんは? 彼にだって辛い事や苦しい事がある筈でしょ」

「でも……」

「なんで別れちゃったの?」

一番聞かれたくない事を聞かれ美緒の瞳が揺れ視線を落とした。

「怖かった、優しさが。全て包み込んでくれそうな優しさが、私が経験した辛い事も何もかも包み込んでくれそうで。例えるなら海かな、深くって底が見えないと不安になるでしょ。それで酷い事を沢山言って」

「馬鹿ね、美緒ちゃんは。別れてみてどうだったの?」

「苦しかった、なぜか判らないけれど凄く苦しかった。でもそれに気付いた時にはやっ君は結婚していて」

「そうだったんだ。皮肉な物よね、人生なんて」

「もう、今更遅いよ」

「人生に遅い事なんか無いんだよ、その人がやり直す気持ちがあればそこがスタートなの」

「島中さんは凄いんだね。でもやっ君は名前のとおり雲みたいな人で」

「これはkohさんの受け売り。彼は雲って言うより空気みたいな人だからね」

「空気みたいな人?」

「そう、空気なんて意識しないでしょ。でも空気がないと苦しくって死んでしまう。何気なくそこに居てくれて、いつも見守ってくれている。そして必要な時だけそっと手を差し伸べてくれる。初めて会った時も初めて会った気がしなかった。ずーと近くに居てくれた気がしたの」

「そう言えば、美緒も長いこと会ってなかったのにそんな気がしなかった」

「だから居なくなってしまうと苦しいって感じるのかもしれない。本当はね、彼とリアルに会ったのは美緒ちゃんが彼に再会するちょっと前なの」

「ええ、でもやっ君は全然そんな素振りみせなかったじゃない」

「だって、ここは私の職場だもん。言うならON」

「そうか、やっ君は仕事中とても厳しい人だった」

「厳しい中にもちゃんと優しさはあったでしょ。初対面なのになんて言ってくれたと思う?」

「判らない」

湯船で体を温めていた美緒は困った顔をして島中さんを見上げた。

「アズアズさんですよねって。私の顔を見るなりハンドルネームで呼んでくれたの」

「どうして判ったんだろう」

「私も聞いてみたけれど教えてくれなかった。何となく雰囲気でとしか。私もkouさんの顔は知らなかったから不安でしょうがなかった。でも今なら判る気がする、彼は何をして欲しいのか何が今一番その人に必要なのか判るんだと思う。それくらい人の事をよく見て感じとっている」

「でも、凄いニブチンだよ。やっ君は」

「誰にでもそんな所はあるんじゃない? 特に彼は周りの人ばかりに気を使うから自分の事が疎かになるんじゃないのかなぁ。それに凄く良い人で優しいけれど不器用な生き方しか出来ない人なんだなって」

「そんな事も、ブログで判るの?」

「判るわよ、あのブログは彼の心の中を映し出しているから」

「美緒も見てみたい」

「美緒ちゃんには覚悟があるの?」

「覚悟?」

「そう、美緒ちゃんと離れてからの八雲さんの過去を知る覚悟」

美緒は島中さんに言われて気付かされた。

八雲にも歩いてきた10数年があることを。

「そうだよね。美緒にも色々あったんだから、やっ君にも色々あったんだよね。恋をしたりとか」

「生きる事に行き詰まったりとかね」

「そんな、やっ君が?」

「彼だって普通の人なんだよ。とても優しいけれど」

美緒は何も言えなくなってしまった。

知りたいけれど知ってしまえば後戻りできそうにないことは自分でも良く判ったから。

「もう、そんな顔しないの八雲さんの事を好きなんじゃないの?」

「それは……」

美緒が戸惑いの表情を見せると島中さんは真っ直ぐに美緒に向き合い美緒の目をしっかりと見つめた。

「これは、宣戦布告よ。患者と看護婦なんて関係ない、女と女の。美緒ちゃんも子どもじゃ無いんだから判るわよね。美緒ちゃんが八雲さんと再会したのが奇跡なら、私がこの病院で彼と出会えたのも奇跡なの。私は彼が好き、誰に何と言われようと構わない。私は彼に気持ちをはっきり伝える」

「いいよ」

それは美緒が今言える精一杯の言葉だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る