第4話 水族館-2


車椅子を押して次の水槽に向かう。

ナポレオンフィッシュやバンドウイルカにサメの水槽などを見て美緒の体調を考えドリンクコーナーで一休みする事にした。

「やっ君、ちょっとおトイレに行ってくるね」

「1人で大丈夫か?」

「このくらいなら平気だよ。でもあまり遠くに行かないでね」

「ここに居るから」

美緒を多目的化粧室の前まで連れて行き近くのドリンクコーナーでコーヒーを買ってベンチに腰掛け、バックからバイオのノートブックパソコンを取り出し近場のスポットを検索する。

ちょうど昼時だったので食事が出来る場所と次の楽しめそうな場所を大まかに決めておきたかった。

しばらくすると後ろから美緒が声がする。

「お待たせ、あれ? 何をしているの?」

「次はどこに美緒をエスコートするか考えてたんだよ」

「相変わらずマメだね」

「性分だからな。悪いけど俺もトイレに行ってくる」

「それじゃ、バック持っててあげるよ」

パソコンを閉じてバックに突っ込んで美緒に渡しトイレに向かう。

入れ違いで美緒の方に歩いていく男がいたけれど気にも留めなかった。

「やっ君のバッグって何が入ってるんだろう。カメラにパソコンに不思議だな相変わらず」

「美緒、久しぶりだな。車椅子なんかに乗ってどうしたんだ?」

「えっ、止めてよ。人を待ってるんだから」

「良いから少し付き合えよ」

トイレから出てくるとそこに美緒の姿は無く辺りを見渡すが1組のカップルがいるだけだった。

「あいつどこに行ったんだ、1人じゃそう遠くには行けないはずだ」

近くにいたカップルに車椅子に乗った女の子を見なかったか聞くと少し前に誰かに連れられて出口の方に行ったと教えてくれ礼を言い駆け出す。


外に出るとそこにはレストランやマリンショップがありその先で美緒の声がした。

「返してよ、私のポーチ。返してお願いだから」

「返してやるから俺のお願いも聞けよ」

「ふざけないで」

男が美緒のポーチを取り上げて美緒が届かないように片手で持ち上げていて。

美緒は俺のバッグを左手で抑えながら右手を伸ばしてポーチを取ろうとしているのが見える。

そんな美緒の必死になっている姿を見た瞬間にスイッチが入ってしまった。

怒りの感情を押し殺しながら男の背後に近づきポーチを取り上げると男が驚いて振り向いた。

「なんだテメエ?」

「俺の美緒に何をした?」

「なめんな!」

「やっ君、駄目! 止めて!」

目つきの悪い男が殴りかかってきて美緒が止めようと叫んだ。

しかし怒りの感情に飲み込まれて俺には美緒の叫びが届かなかった。

右手で殴りかかってきた男の拳を掴み受け流し。

勢いあまって前のめりになった男の顔面に右肘を叩き込んだ。

男の顔が苦痛に歪んで後ずさりをすると美緒の車椅子にぶつかって車椅子が反転する。

俺のバッグが落ちそうになり美緒が慌てて掴むとバランスを崩した車椅子が緩やかな坂を下り出した。

「美緒! バッグを放すんだ!」

「嫌だ!」

「クソ!」

鼻を押さえながら掴みかかってくる男の足を払い飛ばし、男の体を地面に叩きつけて美緒の車椅子を追いかける。


美緒は落ちそうになった俺のバッグを掴むのに精一杯で車椅子を止めようとはしなかった。

道が緩やかにカーブしていてその先は芝生があり木が植えられていた。

車椅子の前タイヤが浅い側溝にはまり美緒が投げ出されそうになる。

寸でのところで追いつき美緒の体を抱きしめて背中から芝生に倒れ込むと一瞬息がつまり慌てて美緒に声を掛けた。

「美緒、大丈夫か? 怪我は無いか?」

「うん」

「何で止めないんだ!」

「だってやっ君のバッグが……」

「バッグなんてどうでも良いんだ。美緒に何かあったら俺はどうすればいいんだ?」

「でも、カメラやパソコンが入ってるんでしょ」

美緒が今にも泣き出しそうな顔になった。

「カメラやパソコンなんていくらでも買い換えれば良いんだ。美緒はこの世界に1人しか居ないんだぞ」

「ご、ゴメンなさい」

「怪我をしていないんならそれで良い。大きな声を出してしまってすまなかった。バッグありがとうな」

少し起き上がると美緒のポーチの中身が少し出てしまっている事に気が付いて拾おうとすると美緒が俺の腕を掴んだ。

「大丈夫、美緒が拾うから」

美緒が俺から離れて拾おうとしているのを見て手伝おうと体を動かした時に心臓が激しく波打った。

「くぅ……」

「やっ君? どうしたの? 大丈夫?」

「大丈夫だ、直ぐに治るから」

俺が芝生の上に体を預けると心配そうに美緒が俺の肩に手を置き美緒が驚いて俺の左胸に耳を当てた。

サーファーだった美緒にはファーストエイドが体に染み付いているのだろう。

「えっ? これって心臓の鼓動なの? こんなの普通じゃないよ」

「大丈夫だから、心配するな」

「大丈夫じゃないでしょ、動かないで。誰か」

美緒が不安そうに辺りを見渡して人影を探している。

「大丈夫だ。美緒」

静かに深く深呼吸をして起き上がり美緒の頭に軽く手を置くと美緒が手を払いのけた。

「起きちゃ駄目!」

「もう、治まったよ。ほら」

「本当だ。良かった」

美緒の手をとり左胸にあてると少しだけ美緒の表情が緩み安心したのか俺の横に座りなおして俺の顔を覗き込んで再度確認をしてきた。

「大丈夫なんだよね」

「しつこいぞ、美緒」

「ああ、ポーチの中身がでちゃった。やっ君、ゴメンけど病院に帰ろう、薬がこぼれちゃった」

美緒の手のひらにはシンプルなシルバーのピルケースが乗せられて薬が殆ど零れ落ちてしまっていた。

「薬はいつ飲むんだ? 食後だろ」

「そうだけど、予備なんて持ってないもん」

「そうか、それじゃ行こうか」

「うん」

美緒がポーチに落ちてしまったものを入れ終わるのを確認して美緒を抱き上げて車椅子に乗せて男の方に歩いていく。

地面に叩き付けられたのがかなり効いたのだろう男はまだ地面に倒れたままだった。

倒れている男の首を右手で軽く締め上げると男が『ウッ』と苦しそうに声を漏らした。

「2度は無いと思え、また美緒に何かしたらこの程度じゃ済まさないからな」

冷たく言い放つと男は必死な顔をして頷いるのを見て来た時の遊歩道から駐車場にでて水族館を後にする。


車に乗り込むと美緒が申し訳なさそうに話し出した。

「昨日再会したばかりのやっ君を無理矢理デートに誘って迷惑掛けてばかりだね」

「気にするなって言っているだろ」

「だって、あんな事に巻き込んじゃって……実はあいつは昔よくつるんでいた仲間なの」

「もう心配ないよ」

「でも、他の仲間を連れてくるかも」

「大丈夫だって言っているだろ。俺がギッタンギッタンのボコボコにしてやるよ」

心配そうな美緒を笑わそうと思ったのに冗談に聞こえなかったらしい。

「やっ君って怒った時はメチャメチャ怖いよね」

「怒った時に怖くない人なんて居ないだろ」

「そうじゃなくって、普段はあんなに優しいやっ君なのにギャップが凄いって言うか」

「ゴメンな。あそこまでするつもりは無かったんだけどつい頭に血が上っちゃって、抑えきらなかったんだ。車を出すぞ」

「う、うん」

駐車場の出口に向かうためにゆっくりと車を出すといきなり美緒が声を上げて手を付きだしブレーキを踏んだ。

「止めて!」

「どうしたんだ? 忘れ物か?」

「駄目、やっぱり無理。聞いておかないと美緒の気が収まらない。やっ君、美緒に隠してる事があるでしょう」

前を向いたままため息をつくとと美緒が真っ直に俺の方を見て言った。

「別に無いぞ」

「嘘つき! さっきのあれは何?」

「体の事か?」

「そうだよ。やっ君が美緒の体を心配なように、美緒はやっ君の事が心配だよ」

美緒が知りたいのは発作の様なものの事なのだろう。

「しょうがないなぁ。完全右脚ブロックと言って少しだけ心臓を動かす電気信号が途切れているんだ。だから急に激しい運動をしたりすると動悸が起きたりするんだよ」

「でも、とっても苦しそうだったじゃん」

「少しだけな」

「治らないの?」

どこまでも真っ直ぐな美緒の瞳に見つめられて誤魔化す様なことだけはしたくなかったし、そんな事が出来る訳もなく。

「医者に聞いたら一生治らないって言われたよ。でもフルマラソンみたいな運動をしなければ平気だって笑ってたよ」

「そんな、一生治らないって……」

「心配のしすぎだ。いきなりあの世なんて事にはならないよ」

「でも、体の中で一番大切な心臓なんだよ」

瞳が揺れ不安が溢れ出していようだ。

「そんな事は俺が一番知っているよ。心臓に軽度の異常があるって判ってから、もう何年も付き合っているんだから」

「何年もって……」

「そんな顔をしないでくれよ、仕切りなおしだ」

「病院に戻ろうよ。薬も無いし、少し休もう」

美緒がとても不安そうな顔で俺の顔を見ているがこの話はこれで終わりにする為に車を出した。

「どこに行くの?」

「内緒。美緒と居ると美緒に意地悪したくなるんだ」

「やっ君の意地悪。酷い」

「これでお相子だ」


車を出して第一京浜を東京駅方面に向かい10分も走ると次の目的地が見えてきた。

「品川プリンスホテルに向かってるの?」

「ビンゴ!」

品川プリンスホテルの地下駐車場に車を止めて美緒を車椅子に降ろすと美緒は府に落ちない顔をして俺に聞いて来た。

「どこに行くの? 教えてよ」

「俺のお願いを聞いてくれたら良いものをあげるよ」

「やっ君のお願いかぁ、変な事しないよね」

「人聞きの悪い事を言うなよな」

小悪魔の様に微笑みながら上目づかいで俺を見ているので思わず脱力してしまう。

「どんなお願いなの?」

「俺が良いって言うまで目を瞑っていて欲しいんだけど」

「簡単じゃん。でも目を開けたらホテルの部屋だったりしないよね」

「美緒は俺のことそんな風に見ていたんだな」

冗談とも本気とも取れない事を言うのでため息をつき肩を落とした。

「ち、違うよ。やっ君は、その男の人の中では一番信用できる人で……判った。やっ君の言う通りにする。これで良いでしょ」

「少しだけ辛抱してくれ」

「平気だよ」

目を瞑っている美緒が怖がらない程度の速さで車椅子を押しながら歩き出す。

しばらくすると賑やかな音楽が流れてきた。

「遊園地じゃないよね?」

「ハズレ、もう少しで着くからな」

「ふぁ~なんだか眠くなってきた」

エレベーターに乗り2階に上がるともう目的地は目の前で中に入ると直ぐに声を掛けてくれた。

「いらっしゃいませ」

「予約をした、八雲です。遅くなってすいません」

「八雲様ですね。こちらへどうぞ」

案内されて奥の席に着くと係りの人が笑顔で椅子を運んで行ってくれた。

椅子が運び出された所に美緒が座っている車いすうぃ入れてブレーキを掛けて、俺は隣の席に座りパチンと指を鳴らして美緒に合図する。

美緒がゆっくりと目を開けた先にはブルーの世界が広がっていた。

「お姫様、目を開けてください」

「うわぁ、凄い。まるで海の中に居るみたい」

美緒の言葉どおり海の中に居るような幻想的な雰囲気で、目の前の水槽では色とりどりの魚達が泳いでいて。

周りを見渡すとそこは青い照明でライトアップされた沢山の水槽に囲まれているレストランだった。

「やっ君、ありがとう。でも、ゆっくりしたいけどあまり時間が」

「薬の事か?」

「うん」

美緒が申し訳なさそうな顔をしている。

俺は堪らず美緒が守ってくれたバッグを膝の上において美緒に向かい話し始めた。

不思議そうな顔をしていたが俺の話しに耳を傾けてくれるようだ。


ある所に女の子が住んでいました。

その女の子は体調を崩し毎日薬を飲んでいました。

ある日、とても体調が良かったのでお弁当を持って近くの海に行きました。

海辺の岩場でお弁当を食べていると何かの拍子に薬の入った小箱を海に落としてしまいました。

『どうしよう、薬が無いと困るのに』

すると海の水が渦巻きマンタに乗った神様が現れました。

『どうしたんじゃ。娘っ子よ』

『大切な薬が入った小箱を海に落としてしまったのです』

『どれ、わしが取って来てやろう』

そう言うと神様は海の中に潜っていきました。

しばらくすると神様は右手に小さな箱を持って現れました。

『落とした箱はこれかな?』

その箱は綺麗な金色の小箱でした。

そう言って俺がバッグの中から右手に金色のアンティーク調の模様があるピルケースを美緒の前に出すと笑いながら美緒は付き合ってくれた。

「美緒のとは違うよ」

すると神様はまた海の中に潜り今度は左手に銀色の小箱を持って現れました。

今度は左手でバッグの中から銀色のアンティーク調の模様があるピルケースを美緒の前に出した。

「色は似ているけど違うよ、美緒のはこんな感じのピルケースだもん」

美緒がポーチからピルケースを取り出して俺に見せた。

素直な良い子じゃ。それではこの銀の小箱をプレゼントしよう。

そう言って銀色のピルケースを美緒の前に置いた。

「もらっても良いの?」

「どうぞ」

不思議そうに美緒がピルケースを開けると中には薬が入っていた。

「えっ、いつもの薬だ。やっ君、これどうしたの?」

「念の為に主治医の高柳先生が処方してくれたんだよ、これでまだ時間は大丈夫だろ」

「うん、あれ? それと似たお話は正直な人には金も銀も両方もらえるんじゃなかったけ」

「そうだったか? 忘れたなぁ」

「ああ、ずるいよ」

「こっちが約束の本命のプレゼントだよ」

笑いながらつまらない小話に付き合ってくれた金色のピルケースを美緒に手渡した。

「開けても良いの?」

「開けてごらん」

美緒が金色のピルケースを開けると中にはピアスが入っていた。

綺麗な紺碧のガラスの中に小さな泡と星の砂が1つ入っている可愛らしい丸いピアスだった。


そのピアスは俺がayaさんのお店に行ったあの日、ayaさんから受け取った物だった。

「koh君、彼女に会いに行くんでしょ」

「とりあえず話を聞いてみないと」

「駄目だよ、絶対に会いに行かないと後悔すると思う」

「なんで後悔すると思うんですか?」

「女の感かな、それにこんな偶然って奇跡以外に有り得ないじゃない」

「でも、俺にも予定があるわけで」

「四の五の言ってないで、会いに行きなさい。これは運命なんだよ」

「奇跡とか運命って大袈裟だな」

「ああ、もう。これをkoh君にプレゼントするから彼女に必ず渡す事良いわね。奇跡を信じなさい」

そう言ってayaさんから渡されたのがこのピアスだった。


「まるで島の海を切り取って丸くしたピアスみたいだね。青くって綺麗。着けてみて良いかな?」

美緒が耳に手を当ててピアスを着けている。

「とても良く似合ってるぞ」

「ありがとう、ピアスなんて久しぶりだな」

「さぁ、食事にしよう」

「うん、でも美緒はあんまり食べられないよ」

「食べたい物を食べられるだけ食べれば良いさ」

日替わりショートパスタのランチを2つ注文する。

今日はトマトのショートパスタらしいバジルとパルメザンチーズが良い香りを漂わせていた。

「美味しそう、いただきまーす。んん、おいひい」

「美緒、食べながら話すなよ。食べるか喋るかどっちかにしろ」

「えへへ、怒られちゃった」

美緒が怒られたのに嬉しそうに笑っている。

「ねぇ、やっ君はまた結婚とかしないの?」

「いきなり何を聞いてくるかなぁ。そんな相手も居ないからな」

「そうなんだ」

「どうしたんだ?」

「なんでもないよ、聞いてみただけ。でも俺のとかあんまり良くないと思うよ」

「そんな事言ったか?」

「言ったじゃん、『俺の美緒に何をした』って」

「気に障ったなら謝るよ、あの時は自分でも良く判らなくなるくらい怒りに飲み込まれていたから。ゴメンな」

「守ってくれるのは嬉しいけれど、やっ君が怪我なんかしたら嫌だもん」

「心に留めておくよ」

「それじゃ、あれは本心から出た言葉なのかなぁ」

「何か言ったか?」

俺にははっきり聞き取れなかったが、美緒がどこと無く寂しいような複雑な表情を見せたような気がした。

「さぁ、そろそろ行こうか」

「うん、帰らないとね。もうそんな時間なんだ、楽しい時間ってあっという間なんだね」

「まだ、帰りたくないのか?」

「だって、外出した時はお母さんもお兄ちゃんも心配していつもはお家に帰るだけだもん」

「仕方が無い、少し待ってろよ」

今から病院に戻れば余裕で帰れる時間だったがアクシデントが遭ったりしたので今後の予定を消化出来るほどの時間は無く。

俺は席を外しレストランから出て病院に連絡を入れ美緒の体調の事をきちんと話して1時間だけ延長する許可をどうにか取り付けた。


レストランに戻ると美緒が詰まらなそうに水槽の魚達を見ている。

「お待たせ」

「何をしていたの?」

「電話だよ。それじゃ行こうか」

「そうだね。って水族館だ」

レストランを出て真っ直ぐにエレベーターには向かわずに右手の通路に向かうと美緒が驚いた顔をしている。

美緒は目を瞑ったままレストランに来たために判らなかったのも当然で美緒の驚く顔を見るのも予定の内だった。

「今日のリクエストは水族館だからな」

「でも、時間が無いんじゃないの?」

「病院に連絡を入れて許可をもらったよ」

「本当に、やっ君って優しいよね。優し過ぎるんだよ」

「それじゃ、お姫様。帰りますか?」

「嫌! 絶対に見る」

車椅子を押して水族館に入ると目の前には巨大な海中トンネルが目に飛び込んできた。

「凄い。ここにもトンネル水槽があるんだね」

「あまり時間が無いからイルカやアシカは見れないぞ」

「その分、ゆっくり見たい」

「了承した」

トンネルに入ると頭の上をノコギリエイの中でもっとも小型のドワーフソーフィッシュや巨大なオニイトマキエイが悠然と泳いでいる。

ドワーフソーフィッシュの展示は世界唯一らしい。

「うふふ、神様が乗っていたマンタだ」

「あれは、俺の作り話だよ」

「あれって何て言うんだっけ、島の言葉でさ」

美緒が銀色に輝く大きな魚を指差した。

「ガーラだよ、島ではアジの事をそう呼ぶんだ」

「それじゃ、あれは?」

「フエダイは確かビタローだったかな」

「やっ君って物知りだよね」

「そんな事は無いと思うけどな」

マンボウや深海の生き物達を見て回り冷たい海や東京湾に住む魚達を見て珊瑚礁の水槽に来ると美緒の瞳に寂しさが宿る。

「やっぱり珊瑚礁の魚が一番綺麗だな」

「保護色らしいけどな」

「こんなにカラフルなのに保護色なんだ」

「不思議だよな。でも詳しい事は良く判らないらしいぞ」

「ああ、これは私も知ってるアバサーだ」

ハリセンボンが小さな鰭を器用に動かして泳いでいた。

「でも、クマノミが一番可愛いかも」

「映画で一躍有名になったからな」

それ程大きくない水族館だったがデートなどにはぴったりなのだろう。

この日も平日の午後だと言うのにカップルが多かった。

「ここもカップルばっかりだね」

「結構有名なデートスポットだからな魚の名前のプレートなんかがほとんど無いだろ」

「そうなんだ、そのうちやっ君も誰かと来たりするのかなぁ」

「未来の事なんか誰にも判らないだろ。今、楽しいって思えることが一番なんだよ」

「やっ君は、その……楽しい?」

美緒が振り向いて少し不安そうな顔で俺に聞いてくるので素直に答える。

「楽しいよ、こうして久しぶりに会った美緒と一緒に居られるんだから」

「そんな事言ったら、普通の女の子は勘違いしちゃうよ」

「そうなのか?」

「ニブチンだよね、やっ君は」

「よく言われるけれど、俺には良く判らないな」


車椅子を押しながら水族館を後にしてエレベーターに向かうと下の階に出ると賑やかな音楽が流れてきた。

「あっ、さっき流れてた音楽だ……」

美緒がキラキラと潤んだ瞳をまん丸として見つめている。

その先にはメリーゴーランドがあった。

普通のメリーゴーランドは馬だけど、ここのは全てイルカや貝などの海の生き物をモチーフになっていて幻想的な感じになっていた。

「乗りたいのか?」

「うん、でも……」

車椅子の自分では無理だろうと思ったのだろう、俺は直ぐに係員の所に行き事情を話すと快く了承してもらえた。

「さぁ、行きますか」

「えっ?」

車椅子にブレーキをして美緒に手を差し出した。

「付き添いが居ればOKだって、乗りたいんだろ」

「うん!」

美緒を抱き上げてドルフィンパーティーと名付けられたメリーゴーランドに向かう。

貝の形をした椅子になっている奴に美緒を先に乗せてベルトを締めて美緒の横に座り美緒の体を支える。

すぐにメリーゴーランドが華やかな音楽と共に動き始め、美緒は楽しそうに音楽に合わせて体を左右に揺らしている。

「楽しいか?」

「うん、最高に楽しいよ」

「そうか、美緒が楽しいならそれで良い」

「えっ、何か言った?」

「なんでもないよ」

幻想的なBGMに言葉がかき消されしばらくするとメリーゴーランドの動きがゆっくりになった。

美緒を抱き上げて車椅子に乗せ係員に一礼をしてアクアスタジアムを後にして駐車場に向かう。

「それじゃ、帰ろう」

「ねぇ、やっ君。さっきから静かだね」

「悪い、目が回った。実は苦手なんだよ回転する乗り物」

「もう、何で無理に美緒に付き合おうとするかなぁ」

あんなにキラキラ輝いている女の子の目を見たら俺じゃなくても乗れないなんて言う訳無いじゃないか。

なんて事を考えながら言葉少なげに歩いた。


駐車場に着き美緒を助手席に座らせて車椅子を積み込み運転席に乗り込む。

「美緒、ちょっと良いか」

そう言って美緒の前に体を出して美緒のシートを倒した。

「やっ君、何で倒すの?」

「病院に着いたら起こすから少し寝ておけ」

「まだ、大丈夫だよ。疲れてないもん」

「良いから言う事を聞くんだ」

「もう、意地悪」

美緒の体が疲れていない訳が無い。

たまの外出も家に帰るだけと言っていたし、こうして出歩く事など殆ど無かったのだろう。

今は美緒の体が最優先事項なのだから。

車を出すと直ぐに美緒は眠りについてしまった。

コンポのスイッチを入れボリュームを落とすと今井美樹だろうか静かなバラードが流れていた。

揺りかごを運ぶように静かに車を走らせ病院に向かう。

病院に着くと彼女の母親と兄が出迎えてくれた、横を見ると美緒が幸せそうな顔をして寝息をたてていた。






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