第3話 水族館-1


翌朝は、秋晴れと言うにはまだ少し早いが空気が澄んで青空が広がり良い天気だった。

約束どおり病院のロビーに行く。

面会時間まではまだ時間があったが彼女のお母さんともう1人男の人が待っていた。

俺より少し歳は下くらいで少し気になるのが俺を見る目がとても厳く感じる。

確か美緒には兄貴が居ると聞いたことがあった。

そんな事を挨拶を交わす間に考えているとお母さんが先に挨拶をしてきた。

「おはようございます。八雲君」

「おはようございます。美緒は部屋ですか」

「ええ、紹介しておくわね。美緒の兄の哲也よ」

「はじめまして、八雲と申します」

「宜しく」

とってもぶっきらぼうな挨拶だった。

まぁ気持ちは判る様な気がする、病気の妹の所に元彼が来たのだから気分が良い筈がないのだから。

3人で殆ど会話も交わさずに美緒の待つ病室に向かう。


病室のドアを開けるとそこには昨日のパジャマ姿とは打って変わって、細かいグラデーションボーダーと言うのだろうか。

ピンクやブルーの少しアジアンチックなワンピースを着て、柔らかそうな茶色のジャケットを羽織りレギンスにスニーカー姿の彼女が車椅子に座っていた。

「やっ君、デートしよう」

悪戯っ子の様な笑顔で彼女がいきなり放った言葉が俺の心を揺らす。

「えっ? デート?」

「駄目かな? 知り合いの人のお見舞いに行かなきゃならないの?」

いきなり予想すらしていなかった事を言われて、一瞬頭の中が真っ白になる。

後ろから誰かの咳払いが聞こえてなんとか平静を装う。

「いや、今日じゃなくても知り合いのところは構わないけれど。デートって? 外出しても大丈夫なのか?」

「大丈夫だよ、先生にちゃんと外出許可もらったんだから」

「でも、電車じゃ無理だろ。俺は車なんて持ってないぞ」

「それも大丈夫。お兄ちゃんに車借りたから。ね、お兄ちゃん」

「ああ」

その時、なぜここに彼女の兄が居るのかを納得する事が出来たし何故ぶっきら棒なのか理由がはっきりした。

そして両親に会うよりも兄弟に会うほうがこれほど緊張するものだと思ってもみなかった。

「どこに行きたいんだ?」

「水族館だよ」

「水族館か、東京だと葛西かサンシャイン、それと品川かなぁ」

「やっ君の知ってる所で良いよ」

「俺より美緒の方が知ってるんじゃないのか?」

「えへへ、海には良く行ってたんだけどね」

そんな事を話していると病室のドアをノックする音が聞こえて見覚えのある看護婦さんがドアから顔を出した。

「美緒ちゃん、今日の付き添いの人はお兄さん?」

「違うよ、友達かな」

美緒が微妙な返事をして俺の顔をうかがう様に見上げていた。

「そうなんだ。高柳先生が付き添いの人に話があるからって」

「それじゃ、やっ君。先生の所に行こう。お母さん」

美緒が母親に声をかけて車椅子で動こうとすると哲也さんが口を開いた。

「美緒、俺が先生の所に連れて行くからお袋と忘れ物が無いように準備しておけ」

「う、うん。判った」

「それじゃ八雲さん行きましょうか」

哲也さんに促されて病室を後にする。

気が重かった、どう説明すべきか思い悩みながら哲也さんの後を歩いていると看護士さんと美緒の会話が少しだけ聞こえてきた。

「美緒ちゃんも隅に置けないな、彼氏なんでしょ。背が高くってとても素敵な人だよね」

「もう、島中さん。そんなんじゃ無いです。ただの友達です」

俺の心境とは裏腹な。そんな、明るい会話だった。


ナースセンターに行くと、白髪交じりのメガネを掛けた白衣姿の高柳先生が椅子に腰掛け俺達に気付いて気さくそうな笑顔で話しかけてきた。

「八雲君だったよね、確か。そうか君が美緒さんの付き添いなのか」

「ええ、僕に何か?」

「少し外出するに当たっての注意事項を伝えておきたくてね。まぁ、立ったままで居ないで腰掛けなさい」

俺が先生の前に座ると哲也さんは少し後ろで立ったままで話を聞いていた。

10分位だろうか一通り説明を受けると先生が最後にこう付け加えた。

「お互いに無理をしない事だよ」

「はい、判りました」

ナースセンターを出ると哲也さんは車を回してくるからとエレベーターで1階に下りていき。

俺は哲也さんと別れて美緒の病室に戻り美緒を迎えに歩き出した。


「遅いよ、やっ君。待ちくたびれた」

「ゴメン、ゴメン」

「それで、先生は何て言ってたの?」

「無理はしないようにって」

「それだけ?」

「それだけかな?」

「もう、昔から変らないね格好も真面目なんだか判らない所も」

「変ってないか? おじさんになっただろ」

「だって、やっ君の歳でGパンにスニーカーでシャツの裾を出してジャケット着ている人なんか居ないよ」

美緒の言うとおりだった。

俺の普段着は下からコンバースのスニーカーにリーバイス501、この時期はTシャツかTシャツの上にシャツを羽織るくらいでこのスタイルは20代の頃から全く変っていなかった。

「それに、おじさんなんかに見えないもん。あの頃と全然変ってないんだね」

「島で暮らしているからかな」

「羨ましいな」

「美緒は少し大人ぽくなったよな」

少しだけ昔の事を思い出して美緒を見つめていると、美緒が怒った様な顔をする。

「失礼だよ、これでもアラサーなんだから十分すぎるくらい大人なの」

「そんな拗ねた、美緒も好きだぞ」

「ば、馬鹿。変な事言わないで」

「冗談だよ」

「もう、そう言えばお兄ちゃんは?」

「車を回して来るって、行こうか美緒」

「うん」

美緒はお母さんに車椅子を押してもらいながら、俺はその横をゆっくり歩いて玄関ホールに向かった。


玄関ホールに着くと赤いSUV車の横に哲也さんが待っているのが見えてくる。

「へぇ、日産のエクストレイルか」

「格好良いでしょ、お兄ちゃんの車」

「そう言えば前にテラノに乗ってるって言ってたよな」

「良く憶えてるねそんな事」

「そうか、普通だろ」

車を見て兄妹そろってサーファーだったのを思い出した。

エクストレイルも車高がアップされ良い感じにヤンチャ仕様になっているようだ。

美緒が助手席側に回りこむと俺の事を呼んで両手を差し出した。

「ほら、やっ君。今日はデートなんだから男の子が女の子をエスコートしなきゃ」

「かしこまりました。お姫様」

美緒を抱き上げてドアを開けてシートに座らせてシートベルトを締める。

すると哲也さんが車椅子を畳んで後部座席に積み込むのを見て運転席側に向かい哲也さんからキーを受け取った。

「妹さんをお預かりします」

「宜しくお願いします」

そう言って哲也さんは俺と目を合わせずに頭を下げた。

俺を見る厳しい視線はもうそこにはもう無かった。

「大丈夫ですよ、ちゃんと連れて戻りますから。何かあれば直ぐに連絡しますので行ってきます」

そう哲也さんに告げて運転席に乗り込んでエンジンを掛ける。

少し大きめのバナナ型をした大き目の黒いショルダーバックからゴソゴソとメガネケースを取り出しメガネを掛けて車を出した。

バックミラーを見ると哲也さんとお母さんが頭を下げているのが見えた。


「あれ? やっ君メガネなんて掛けてなかったよね」

「寄る年波には勝てなくってな」

「もう、そんな事しか言わないんだから」

「PCのやり過ぎで目が悪くなったんだよ」

「PCで何をしているの?」

「色々かな、ブログもしているし。自作のホームページも持っているしな」

「そうなんだ。見てみたいなぁ」

「後で見せてやるよ」

「本当に? 約束ね。やっ君、今日はどこに連れて行ってもらえるの?」

「しながわ水族館だよ」

そう言いながらナビに行き先をインプットすると美緒が突っ込んできた。

「ああ、ナビに頼るんだ」

「仕方が無いだろ、長いこと島に住んでいるんだから」

「でも、車の運転は上手いよね」

「デリカに乗っていた事があるからな。この位の大きさの車の運転には慣れてるんだよ」

「そうだよね、子どももいるんだもんね」

美緒がなんだか寂しい様な羨ましい様な微妙な顔つきをしているが気にせずに話をする。

「もう、みんな高校も卒業して長女は結婚して子どもが居たりするけどな」

「ええ、それじゃやっ君はお爺ちゃんなの?」

「そうなるかな、こんな言い方は語弊があるかもしれないけれど子ども達とは血は繋がってないけどな」

「そうなんだ。美緒は子どもが居るって聞いてたからてっきり……」

「血は繋がっていないけれど、俺の子ども達だよ。今でもメールとか来るから」

「優しいお父さんでお爺ちゃんなんだろうな」

「そんな事ないぞ、ギャーギャー口煩く文句は言うし戸惑いながらだったから大変だったぞ」

「ふうん」

心はここに在らず、そんな感じの美緒の生返事だった。

「どうして別れちゃったの?」

「子ども達が手を離れたからかなぁ」

「それじゃ、まるで子育てする為に結婚したみたいじゃない」

「お袋にも同じ事を言われたけれど違うよ、そうじゃない。お互いに自由になろうって別れたんだよ。言い訳がましいかもしれないけれどね。美緒はどうしてたんだ?」

「私は……やっぱり駄目だった。何人かの人と付き合ったけれど無理って感じ。やっ君は優しいから女の人からアプローチされたんじゃないの?」

「独りになったら独りの方が楽でね」

「ああ、モテモテだったんだ」

「誰とも付き合ったりしてないよ」

「私だって、付き合っていたけれどキスもしてないからね」

「何をむきになってるんだ? さぁ、着いたぞ」

「馬鹿……」

美緒が何かを呟いて俯いて赤くなっていた。


病院を出て銀座を通り抜け汐留めから首都高に乗るとあっと言う間だった。

駐車場に車を止めて後部座席から車椅子を下ろして広げブレーキを確認してから助手席のドアを開けるとシートベルトを自分で外して美緒が飛びついてきた。

「えい、おっぱい爆弾だ」

「美緒! 危ないだろ」

美緒の柔らかい体を受け止めて後ずさりをした。

「どう? 10年ぶりの美緒の抱き心地は? やっ君なら良いよ」

「何が良いんだよ? 心臓が止まるかと思ったよ」

「私だって立って歩けるんだよ。直ぐ疲れちゃうけどね」

「頼むから無茶な事はしないでくれ」

美緒を抱きしめたまま言うと美緒が顔を上げて俺の顔を見た。

「ごめんね、やっ君と居ると悪戯したくなるんだもん。あっ、本当に心臓がドキドキいってる」

俺の左胸に美緒が耳を当てた。

「驚いたからだよ」

「なぁんだ、美緒のボディにドキドキなのかと思った」

「さぁ、車椅子に座ってくれ」

「うん」

心臓がドキドキして止まらなかった。

確かに最初は驚いてドキドキしていたが、今は違うこのまま抱きしめていたら何かが1人歩きしてしまいそうで怖かった。

深呼吸をして車椅子のブレーキを解除して水族館へと歩き出す。

「ねぇ、やっ君」

「なんだ?」

「あっ、なんでもない。早く行こう」

美緒が何か言いたそうにして前を向いてしまった。

振り返ると遊びに来たのだろう何人かが周りの車に居るのが見える、俺が大きな声を出してしまったため注目を集める嵌めになってしまたようだ。

こちらを見てクスクス笑っている人たちを見て美緒は恥ずかしかったのだろう。

受付で入場券を買い水族館に入る。

俺もここに来たのは始めてで東京湾に注ぐ川と言う水槽から始まっていた。

案内に従い車椅子を押しながらゆっくり見ていく事にした。

「やっ君とこうして東京でデートなんてなんだか不思議だな」

「そうだな、俺も東京でデートなんかした事、1度も無いからな」

「えっ、そうなんだ。初体験?」

「なんだか嫌な言い方だな」

「あってるじゃん」

俺が眉を顰めると美緒が口をとがらせ抗議している。

「あってはいるけどな」

「東京にいた時は彼女とか居なかったの?」

「居なかったな男友達と遊んでばかりいたからな」

「そうなんだ。ああ、ペンギンさんだ。可愛いね」

美緒が嬉しそうに手摺を掴んで体を乗り出してペンギン達を見て何かを思い出したように俺の顔を見た。

「そう言えば、やっ君の髪型ってあのペンギンさんみたいな時があったよね」

「イワトビペンギンと同じ髪型ってなぁ、確かにツンツンヘアーの時もあるけれど。あれは仕事の時だけだろ」

「そうだっけ」

美緒の言うとおりホテルでサービスをしていた時は大抵ジェルで髪をセットしていた。

長い時はオールバックにして短めの時は髪質が硬いのでツンツンヘアーだったのは確かだ。

そんな話をしながら色々な水槽を見て回る。

イルカのショーなどもやっている様だったが時間が合わず見る事が出来なかった。

エレベーターに乗り地下1階に下りる。


エレベーターを降りると目の前にこの水族館一押しのトンネル水槽が見えた。

「うわぁ、凄い! やっ君、早く早く」

「慌てなくても大丈夫だよ」

「まるで海の中に居るみたいだね」

「本当だな」

頭上をゆっくりと泳ぐ魚達を見上げながらゆっくりと進む。

エイが優雅に泳いでいて海亀やロクセンフエダイか何かの群れだろうか黄色い魚が群れて泳いでいた。

「私も、また潜りたいな」

「島に遊びに来た時に連れて行ってやるよ」

「そうだね……」

22mのトンネル水槽を抜けると海月の世界になっている。

ふわふわと泳いでいるその姿は照明が落されているせいもあって神秘的でさえあった。

「良いもの見つけた」

美緒が指差す方を見るとクラゲフォトスタジオと案内がありミズクラゲが泳いでいる水槽越しに写真が撮れる様になっているみたいだった。

「やっ君、カメラ持ってるんでしょ。誰かに撮ってもらおうよ」

「そんな事、言っても誰もいないぞ……」

「いるじゃん、可愛い」

辺りを見渡すが平日と言う事もあってか周りには他のお客さんの姿はなく。

美緒が指差す先には神秘的な海月の世界には似つかわしくないハロウィーンの衣装を着けた女の子が2人歩いていた。

「トリック オア トリートって言ったらお菓子くれるかな」

「言ってみれば良いだろ」

「やっ君が言ってよ、恥ずかしいじゃんか」

そんな会話が聞こえたのかハロウィーンの衣装を着けた女の子がこちらに来て声を掛けてきた。

「写真、撮りましょうか?」

「ありがとう、お願いします。やっ君、早く」

女の子にシャッターを押せば良いようにセットした1眼レフのデジカメを渡して、目をキラキラと輝かせている美緒に急かされて水槽の後ろに回り込んだ。

美緒の腰に手を当てて美緒を支えながら2人で寄り添うように水槽のそばに立った。

何でもハロウィーン期間中は衣装も貸してくれるとの事だったがそれは丁重にお断りした。

美緒を車椅子に座らせてカメラを受け取る。

ハロウィーンの衣装を着けた女の子はかぼちゃっ子と言う水族館のスタッフらしい。

「ありがとうございました」

「トリック オア トリートって言っていたのが聞こえたのでこれプレゼントです」

そう言いながら女の子の1人がキャンディーを渡してくれた。

「はい、彼女さんにも。とても優しそうで素敵な彼氏さんだね」

「あ、ありがとう」

美緒が照れたような少し困ったような顔をしてキャンディーを受け取ってポーチにいれている。

海月の水槽の反対側に進むとそこには海の宝石箱と名付けられた熱帯の珊瑚礁を再現した大きな水槽があった。

水槽の中ではチョウチョウオや綺麗な色とりどりのスズメダイやハギの仲間が泳いでいる。

「綺麗だね」

「そうだな」

「でも、島の海はもっと綺麗だったよね」

「今も変らなく綺麗だぞ」

「…………」

美緒が黙り込んでしまい不思議に思い顔を覗き込もうとすると手を俺の顔の前に突き出してきた。

「どうしたんだ?」

「なんだかやっ君に悪いような気がしてさ。まわりから見れば私達恋人同士に見えちゃうんだよね」

「美緒は嫌なのか?」

「美緒は嫌じゃないけれど、やっぱり……」

「今日はデートなんだろう、美緒が気にする事じゃないよ」

「優しすぎるんだよ。やっ君は誰にでも」

デートをしに来たはずなのに美緒が何故だか少し感情的に声を荒げた。

「それじゃ駄目なのか?」

「駄目じゃないけど、良くないと思う」

「はっきりしない奴だな。次に行くぞ」

「う、うん」





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