第50話 最後の猪

秋に母と弟が殺された。

そして、他の弟達も・・・


あの開けた場所の回りはヤバい。


猪の本能はそう警告した。


だが、まだ若い猪である。

相手から縄張りを奪うには体力も経験も無かった。

だからこの場所に残ったのだ。


あの足に噛みつく蛇のような奴・・・

あれが居る所は嫌な臭いがする。

だが場所が判れば・・・此処はもう怖くない。大丈夫だ。


猪は我が物顔で餌をあさった。

朽ちた倒木を崩しては虫を喰らい、

畑の畦を掘ってはミミズを探した。

葛の根、笹の葉、何でも食べた。生きる為に・・・


2月も半ばのある日、夕方から雪がちらついた。

雪が積もると臭いが判らない。

落ち葉の下に隠れている、数少ないドングリも見つからない。

猪はイラついていた。

虫の少なくなった倒木を牙で転がした。


ええぃ、腹が減った。

何でもいい、喰える物はないか?


気がつくと畑に居た。

雪はいつの間にか止んで月が辺りを照らしている。

物音一つしない。


辺りを見回すと、

雪化粧をまとった森の木々が月明かりに照らされ、

キラキラ浮き上がって見える。


森の木々は、そこは危険だと囁く。


慣れた場所だ、危ない事なんて無い。

怖いものなんて無い。

ふん、と鼻を鳴らして畑を出る。


積もった雪で臭いは取れないが、何時もの道である。

何時もの倒木さえ避ければ良いのだ。


だが、それは・・・


慢心であった。油断であった。蛮勇であった。



倒木の横を通った瞬間、ガシャっと言う音と共に・・・後ろ足を取られた。


やられた、あの蛇だ。


猪は思った。

弟達がこの蛇にやられた時、蛇を食いちぎろうと必死で噛んだ。

顎は痺れ、口から血が出る。

だが、どれだけ噛もうが、どれだけ引っ張ろうが、蛇は口を離さないのだ。


それは・・・解っていた。

だが、猪は罠を噛んで、そして引っ張った。

口から血泡を吹き、喉はカラカラである。

しかし、積もった雪を食べる事もせず、ただひたすら抗った。


そして・・・

ボロボロになった猪は、夜の縁が白く成る頃、気を失ってしまった。


・・・・・・

・・・・・・

・・・・・・


「ターケールーっ、そろそろ見回り行くわよっ!

ミラも与作っちも、もう待ってんのよっ!」

「ヤオにぃちゃ、さっさと回って弓さ射るだ」

「ヤオにーちゃ、オラにも弓さ教えてけれ」


今日は朝から賑やかだ。

どこから嗅ぎ付けたんだか、ミラと与作が弓を習いたいとやって来た。

べるではひさびさのポチにしっぽを振っている。

あ、逆か・・・


外に出た。

朝日が雪に反射して、眩しかった。

木々は積もった雪がキラキラ輝き、まるで異世界のようである。

あ、ここは異世界か・・・


うっすらとは言え、一面の銀世界である。

一行はそれぞれ思い思いに足跡を刻んだ。

寒い朝の空気に雪は締まり、サクッサクッと音を立てた。


ポチが鼻をヒクヒクさせ、耳を動かした。


畑には一筋の足跡が有った。


雪が降ったのは、夕方から夜更けまでだ。足は生である。

八尾は、与作に説明するように、足を確認する。

時間帯、何をしてたか、種類やサイズ等々。


ポチは耳を立てて、ジッと森を見つめている。

ひょっとして掛かったのか? 確か罠を増設した方向だ。


全員ワクワクである。


そーっと回り込んで遠くから眺める。

これはもし掛かって無くても罠周辺に人間の匂いが付くのを防ぐためだ。



居た。居た。掛かっていた。

猪は倒木脇に新設した罠に掛っている。

そして、ふてぶてしくも寝ているようだ。


八尾は与作に手本を見せようとした。

与作が駆除を行うなら止め刺しは槍か何かだ。

相手は猪だが、ここは一つ鉄砲を使わずに仕留めよう、と。

良い所を見せようと言う気が無かった訳でも無い、かも知れない。


八尾はストレージから棒とブ〇シュマンナイフを取り出す。

棒に取り付けると、そーっと獲物に寄っていった。


ここで二つ、八尾はミスを犯していた。


一つは罠のセットである。

近場に立木が無かったので、倒木に罠を固定したのだ。

もう一つは、掛かった罠の状態、獲物の状態を確認していない事。

獲物が寝ていることで油断してしまっていた。


猪は八尾が雪面を歩く足音で目を覚ました。


身の毛がよだった。


即、臨戦態勢に入る猪。

ざわっとタテガミが逆立つ。

そして、八尾を見つけると、いきなり突進した。


だが、一発目は罠が猪の脚を捕らえ、八尾の手前でつんのめって転がった。


そこで八尾は初めて罠の掛かり具合を見た。いや、見えた。

蹴爪の上に罠は掛かっている。

だが、足は血だらけで足が変な方向に曲がって3本脚で立っている。

非常に危険な状態である。

棒に付けたナイフなんか持っている場合ではない。


八尾は慌てた。銃だ、直ぐに銃で仕留めなければ危険だ。

ストレージを開き、銃を出そうとした。その瞬間、猪が飛んだ。


溜めもなにもない、一瞬だった。

八尾に向かって一直線である。


そして、罠が張り詰めた時、猪の後ろ足は蹴爪の上からねじ切れた。

猪は、八尾の内またを狙っていた。牙で吹き飛ばそうと。

人間、内またを牙で突き上げられると、太い動脈を切られて死ぬこともある。

実際、その手の事故も話を聞く。


幸いに後ろ足を罠に引っ張られた後、足はねじ切れた。

急にテンションが無くなり、猪はバランスを崩した。

そして鼻先が八尾に直接ぶつかった。牙は幸運にも空振りとなった。


それでも40キロ以上の猪である。


八尾は簡単に吹き飛ばされた。

片足の無い猪もそのまま転がった。


猪突猛進と言うが、奴らは小回りが利く。

直ぐに体制を整えると、再び八尾を視界に捕らえた。

八尾は雪面に転がってまだ立ち上がれてない。


「ポチ、アタック!」

べるでが悲鳴の様な声で叫ぶ。


ポチが走る。

こちらも食事は貰っているものの野生だ。

朝晩の散歩は欠かさないが野生だ。


速かった。アタックのアの字でべるでの足元から飛んで行った。


八尾に向かって突進を始めた猪の後ろ足を牙で捕らえた。

電光石火の早業である。銀の靴は履いていない。


八尾はそれに気が付くと、腰の剣鉈を抜いて猪に駆け寄る。

ポチは暴れる猪の後ろ足を離さない。

八尾は猪の横面を蹴り倒すと左手で前足を持ち上げ、剣鉈を沈めた。


幸運だった。

猪のファーストアタックが失敗した事。

ポチのアタックが成功した事。

八尾の攻撃が成功した事。


どれか一つ欠けていれば、八尾は死ぬか、良くても大けがを負っていただろう。


油断、驕り、それは死に繋がる。かなり直接的に・・・

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