第4話 山を下る

遭難者の朝は早い。

東の空が漸く青白くなるころ、寒さで目が覚める。

男の朝は、焚き木を拾い集める処から始まる。

細い木を下に敷き詰めた後、枯れ枝を折って積み重ねていく。

焚き木の組み方には熟練の技があり、重ね3年積5年と言われている。

・・・

もちろん嘘である。

・・・

コッヘルに残っていた脂を上から垂らして、まだ灯っている炎を細い木に近づける。

たき火始動である。


八尾はコッヘルを眺めた。

昨夜ローソク代わりにしたので、コッヘルの内側に煤が焦げ付いてしまっている。


唯一の調理器具であり、貴重な水作りの道具なのに判断を誤った・・・

・・・まぁ素材はチタンだし、たき火で焼き切ってしまおう。


火に放り込むと薄いチタンが虹色に変わっていく。

雪を入れるとジューっと音がして、煤を含んだ水が少し溜まる。

水を捨てて笹の葉っぱで拭い、もう一度雪を入れる。

あらかた綺麗になった所で雪を溶かして肉を煮る。


朝食は遭難風豚丼、ヌキで。


・・・・つまり薄めに切ったバラ肉を塩茹でしただけ。


肉を喰らいながら考えた。


相変わらず捜索隊の姿もヘリも見ない。上空に飛行機雲もない。


ここで粘っても駄目だ、谷に降りよう。

そう、ここは標高が高いから寒い。南斜面を下ればましなはずだ。

犬が鳴いていたんだから人家ぐらいあるだろう。


そう遠くは無い距離だが、貴重な食料なので猪はバラシて持っていくことにした。


皮を剥ぐ。


皮を剥ぐナイフはスキナーとか皮剥ぎと言われるRがきついものを使う。

流石に重いからと、解体用のナイフは車に置いて山に入っている。

つまり、今手持ちは剣鉈とモーラナイフである。

仕方がないからモーラナイフで皮を剥ぐことにする。

吊るしたまま足と・・前足の皮に切れ目を入れる。

腹側は既に切ってある。 

コツは毛の流れに沿って切ることだ。

反対に切ると毛が散って肉が汚染される。


「あ~逆から切るんじゃねぇぞ。毛に沿って切らねぇと短い毛が散るだろ」

「昔は猪なんて小僧にゃ触らせて貰えなかったんだぞ、気合い入れて剥け」


と猟隊の人によく言われた。口は悪いが割と良い人だった。

順目に切ってても言われたが・・・


腹側から皮と脂の間を丁寧にこそいで行く。

皮のギリギリに刃先を進めていくのがコツで、へまをすると脂が切れて松ぼっくり状になる。

逆に思い切りが良すぎると皮を割いて毛が入る。

加減が難しいのだ。


皮を剥いだら下において、肉置き場にする。

吊るした状態で腰から内側にかけて筋膜を割いていく。

股関節の周りを切って、骨盤に沿ってナイフを進める。真っすぐ切ると無駄が多いので注意。

関節から背中側にかけて、相当抉れているのだ。


足が外れる。 

もう片側も同様に切る。

前足の付け根は肩甲骨と同じように羽子板状の骨であり、関節になっていないのでそのまま筋膜に沿って外す。

内側から肋骨にそって切れ目を入れた後、背骨側から背ロース部分に切れ目を入れてバラを外す。

頭と背骨とちょっと臭いそうな内ロースは放棄する。

狩猟法違反だが遭難中特権?で狸かなんかの餌としよう。

首から片方の前足はスラッグを喰っていたので穴を深く掘って埋める。

流石に鉛の破片が散っている肉が野生動物の餌になるのは問題だ。

ライフルやサボットなら銅の弾頭があるのだが、スラッグは未だ鉛なのだ。


大バラにした肉は細目の木に結わいて天秤にした。


下りはさして問題が無い 強いて言えば足元がふかふかの腐葉土で踏ん張りが効かないのと、つかみ所が無い斜面があることぐらいだ。

そんなところも15メートルのロープを木に回してなんとか降りていく。

ロープの端はカラビナをつけてあり、細引きと併用すれば15メートルの距離を降りられる。


斜面がなだらかになると軽口も出る。


「え~唐茄子屋でござい」 シシ肉だが・・・ 馬鹿やっているうちに昼になる。

たき火を焚いて肉を茹でる。 手慣れたもんである。

「お天道様と肉の飯はいつでも付いてくらぁ」と食べる。

しっぺ返しを喰らうフラグを立てたような気がしないでもない。

夜は二番煎じにした方が良いかな。


再び歩き出す。

「火の用~心 火の~廻~り~」 夜でもないのに馬鹿である。

一人ぼっちで行動するときは、ある程度、独り言でも口を動かした方が精神衛生上良いのだ。


辺りはすっかり葉が落ちた広葉樹で青木が所々に見える。

ここまで林道はおろか登山道らしきものも見ていない。

幸い太陽が見えるので方向は間違えていないだろう。


ふと目の前が開けた。遠くの山々が見える。

どうやら大きめの川にあたったようだ。 

道志川のハズだが、舗装道路は無く急斜面になっている。一般的に言うと崖だ。

どうみても15メートルのロープで降りられるような所ではない。

垂直では無いが、よく風化した岩と砂利っぽい崖は人の立ち入りを拒んでいるようだ。


迂回するか? つか迂回するしかないよなぁ。

上流か?下流か? そういえば犬の声はどこからだったかな。

見回しても人家がありそうな感じではない。


考えた。 降りてきた斜面の西はおそらく川だ。

それが目の前の川に合流しているのだろう。


取りあえず東京方面なら向かって左側か。


少し戻った所で斜面を西に下ると川に突き当たった。水がほぼ無い枯れ沢だ。

軽く飛び越せそうな量でチョロチョロと流れている。


そろそろ日が傾いてきたな。今日はここでビバークしよう。


倒木の影で焚き火を起こし、沢の水を汲んで肉を炊く。


いい加減に違うものが食べたい。

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