グレン

偵察から戻ったグレンの眼に飛び込んできたものは、実に惨憺さんたんたる殺戮の跡であった。


 首を両断された御者の遺骸、同じく首を刎ねられたバッカスの遺骸、そして頭部を切り込まれたジェフの遺骸。そのそれぞれが流出させる血液によって、緑に溢れていた草原の一部に見るも禍々しい血だまりを作り出していた。


「な‥‥‥んで?」


 その有様を前にして、しかしグレンは一言呟くのみであった。悲鳴も、慟哭も上げることは叶わぬ。そんなことを許さぬほどに、この光景は精神的な凶暴性を帯びていたのである。


「ひっ!?」


 屍肉にたかる羽虫が腕にぶつかった。ただそれだけだがグレンは恐怖に彩られた悲鳴を上げた。その惨状を見たときには上げなかった悲鳴を、たかが羽虫程度で。その差は危機が己に迫っているか否か。単純にそれのみであった。


「グレンか」


「っ!? そ‥‥‥の声は!?」


 血だまりに車輪を浸す馬車のその裏より、地の底からでも聞こえてくるような、低く、身を竦ませるような声。しかし、グレンにとっては尊敬してやまない人物の声であった。


「‥‥‥団長、ですか?」


「ああ」


 グレンが応えると、馬車の裏から血に塗れたアーロンが姿を現した。


「団長っ! これは‥‥‥一体どういうことですかっ!? 何があったんですかっ!?」


 アーロンの姿を見た安堵から、極度の緊張状態から脱し、そのまま恐慌状態となって問い詰めるように状況の説明を求めるグレン。しかしアーロンがこの惨状を作り出したとは考えていないようである。


 そのような様相のグレンを前にしても、アーロンはいつもと同じく表情を変えずに答えた。


「分からん。俺がこの場を離れた数分の間にやられた」


「えっ? な、なんで離れてたんですか!?」


 非難を含んだ言葉であった。だがそれでもやはりアーロンは表情を変えない。


「遠方に馬車の連隊を確認したからだ。俺はそれが何者なのかを偵察に行っていた。結局、連隊の正体はイーニアス領への関所が封鎖されたことで立ち往生している商隊だったが」


「なんで団長が確認に行ったんです!? 関所の偵察には私を行かせたのに!」


 アーロンの説明に、納得できないとでも言わんばかりに追及するグレン。その眼には普段の彼女からは想像もつかぬほどの激情を滾らせていた。


「彼らがそれぞれ、鍛錬と剣の手入れに勤しんでいたからだ。暇を持て余していたのは俺だけだった。ならば俺が行こうと考えたのだ」


「貴方はっ! 団長としての意識が低いんじゃないですかッ!?」


 やり場のない怒りを、うまく整理できないままにアーロンへとぶつけようとするグレンの言葉をアーロンは静かに遮った。


「落ち着け。俺がなぜ馬車の裏に隠れていたのか分らんのか。この惨劇を生み出した者が未だ付近にいるのかもしれん」


「っ!」


 すぐさま辺りを見回すグレンだったが、人の影はない。


「すみません‥‥‥。取り乱しました」


「構わん。無理もないことだ」


 謝罪を口にするグレンだったが、その表情は青ざめている。未だその胸中には、仲間を失ったことへの喪心と怒りがあるのだろう。それでも謝罪を口にしたのは兵士としての矜持であろうか。


「それより三人の遺体を見ろ。殺害方法はどれも間違いなく刃物によるものだろうが、しかし奇妙な点がある」


 言われて、グレンは薄目にて彼らの遺体を見やる。たかる羽虫や蛆に目を背けたくなるものの、それに耐えて観察する。


「‥‥‥あっ」


 グレンの目に留まったのは、三人の遺体の至る所に見受けられる焦げ跡であった。初めは血に染まっているようにも見えたが、しかしそれは確かに焦げているように見える。


「気づいたか。彼らの遺体のどれにも、焦げ跡のようなものが見られるのだ」


 そこに正体不明の恐怖を感じて、グレンは無意識に一歩後ずさった。


「これは俺の私見なのだが、前回、俺が大規模発火事件の主犯と戦った時のことがあっただろう?」


「は、はぁ‥‥‥」


 話の要点が掴めずに首をかしげるグレンに、アーロンは話を続ける。


「あのとき主犯は、俺の前で何処からともなく氷塊を生み出すという芸当をやってみせたのだ」


「え? そ、そんなこと初めて聞きました‥‥‥」


「王宮の人間にしか話していないからな‥‥‥。そしてその後鉱山での戦いの折、俺が持ち帰った書物があっただろう。あれには魔法技術といって、大気から氷を生み出す術や、炎を生み出す術が書かれていたのだ。それらを攻撃に転用した技術も書かれていた。これらはベルンフリートでは老若男女が一般的に扱える技術なのだそうだ」


 アーロンの話を聞き、彼に懐疑の眼を向けるグレンだが、しかし言いたいことは理解が出来たようだった。


「つまり、ベルンフリートの人間は魔法技術というものが扱えて、炎や氷を出して攻撃が出来る。そしてバッカスたちの遺体に残る焦げ跡から、三人を殺したのはベルンフリートの人だって言いたいんですか?」


「察しが良くて助かる。どうやら賛同は得られなかったようだが」


「当然です! 魔法技術なんてものがあるだなんて思えません! 私には三人の遺体を前にして、団長が荒唐無稽な世迷言を言っているようにしか見えませんよ!」


 再びグレンは烈火のごとく怒り始めた。イーニアス王国で暮らす者として、当然の反応であった。


「ベルンフリート帝国は情報統制が激しいというのはよく商人たちの間でも有名な話だろう。それに大規模火災事件についての説明にもなる」


 グレンを納得させようと考えてか、話を続けようとするアーロンであったが、しかし彼女は聞く耳を持たずに遺体に群がる虫を払うのであった。

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