消失
「よし、それでは引き上げるとしよう。アブナー・フレンザーよ、大儀であった」
国王が西地区を訪れて四時間程、あと数刻もすれば日が暮れてくるであろう時分。アーロンたちは国王一行を見送るため、西地区の門の前に来ていた。
「いえ、陛下たってのご命令とあればこのアブナー、如何なる時にでもその期待に応えましょう」
「うむ、それでは‥‥‥」
今まさに王城へと帰るため、御者に馬車を進めさせようとしていた王に、王子が遮るように言った。
「父上!」
「どうした? オーウェン?」
自分の横に座るオーウェンに対し、先程までの威厳は無く、ただ親としてのやさしさを含んだ声で答える王。
この時アーロンとアンは、まさか王子のその言葉が自分たちの人生を大きく動かすことになるとは思いもしなかった。
「私は、あのアンという女が欲しいです!」
(なッ!?)
アーロンに、これまでの人生で感じたことのない程の衝撃が走った。しかし名前を呼ばれた当人、アンの衝撃はそれすらも上回るものであったに違いない。
「ふむ、では、アンなる娘。お前を特例として、王城へと招待しよう」
「え‥‥‥?」
王子に名を呼ばれ、続いて王にも呼ばれたアンの頭は、先の衝撃も相まって真っ白となっていた。
「済まぬがオーウェンの望みなのでな。拒否は許さぬぞ」
(あ、アンが王城に‥‥‥!?)
国王が王子に甘く、彼の望んだ物を無理に手に入れたり。人間……最近聞いた話だと街で人気の大道芸人などを、王城へと拉致に近い召喚をするという話はアーロンも知っていたが、それがまさか自分たちに降りかかることになるとは露ほども考えたことは無かったのだ。
「馬は‥‥‥アレクシス! お前の馬に乗せてやれ。丁重に扱うのだぞ」
「はっ!」
アレクシスが、馬より降りてアンへと手を差し伸べる。
「失礼ですが、お名前は?」
「あ、アン・コレット‥‥‥」
「ありがとうございます。それでは、アン・コレット様、私の馬にお乗りください」
優し気にアンの手を掴み、引くアレクシスだったが、アンの足は震え、ついていくことが出来ない。
「あ、アーロンっ!!」
そんな中、振り向きながら、
「アン‥‥‥!!」
アンがこの土壇場で自分の名を呼んでくれたことを嬉しく思うも、この状況でアーロンに出来ることは何一つもなかった。
(俺は、一体どうすれば‥‥‥!)
静観するか、それとも抗議の意味を兼ねて抵抗するか。この状況に至って、アーロンの頭に思い浮かんだのはその二択のみであった。
「アーロン・フレンザー、六ヶ月ぶりですね」
「っ!?」
思考に意識を飛ばすあまり、アンより手を放したアレクシスが己の眼前に歩み寄ってきたことにすらアーロンは気づいていなかった。
「彼女は私たちが丁重にお守りします。ですから、ご心配には及びません。どうか何も言わずに見送って差し上げてください」
アーロンがラトランド家に引き取られていたときと、何ら変わらぬ、極めて丁寧で落ち着いた声であったが、しかし今のアーロンにとって、その言葉は何も邪魔をするなと言われているように感じられてならない。
「アン・コレット様、私の背中へお掴まり下さい」
アレクシスに促されるまま、彼の背中へと掴まるアン。その眼は未だにアーロンを見ていた。
だがアーロンは、そのような様子のアンに対し、行動はおろか言葉一つ発することも出来なかったのである。
「よし! では改めて、帰還するぞ!!」
王の号令と共に、王族の乗る馬車を囲むように走り出す騎馬の一団。
アレクシスの馬に乗せられたアンは、走る馬がどれだけ離れても、その目に映る限りアーロンの事を見続けていたのであった。
その後、アーロンはアンが帰ってくるのを待ちながら、死人のように覇気なく一年を過ごした。いや、確かにその時のアーロンは死人に他ならなかったのかもしれない。己の生きる意味も同然であったアンが、その手より離れていったのだから。生きる意味を亡くした人間が、人間らしく生きることなど叶うはずもないのだから。
そして一年と一月を数える間もなく、アーロンはショートソード一振りを携えて、商人の馬車へと潜み、イーニアス王国を抜け出した。
新たに生きる意味を探そうとしたのか、それともただ単に自棄になっただけか、当のアーロンをして、今はもう思い出せない。
11歳の時の話であった。
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