03

 キミと出会って一年がち、また桃の花が咲き始めた。僕はキミと桃の花を見上げながら、

「モモをいつか僕のおよめさんにしてあげる」

と、何気なにげなく口にしていた。小さな子供の夢語りで言葉の意味や重さも知らない純粋な言葉で――キミはあまりにも自然に言われたものだから、いつものように「うん、いいよ」と返事をする。しかし、答えた先で首をひねり、疑問符ぎもんふをいくつも浮かべ始める。

「ねえ、ミチ。お嫁さんって、どういうこと?」

「言葉の通りだよ。僕はモモといつも一緒にいたいんだ。ほんとは指輪とかプレゼントするみたいなんだけど……ごめんね、持ってなくて」

「いや、そうじゃなくて……なんで私?」

「そんなの好きだからだよ。それ以外に何かある?」

「えっと……うん。そうだね」

 いつもは見た目以上にしっかりして落ち着いているキミが顔を真っ赤にして照れていて、その姿がなんだか珍しかった。

 そんなとき、ポツッ……ポツッと晴れた空から雨が落ちだし、それは次第に強くなっていった。僕とキミは雨から逃げるように社の屋根の下に逃げ込んだ。そして、僕は賽銭箱さいせんばこを背にして座り、キミはいつものように隣には座らず、賽銭箱をはさんで反対側に座る。

「晴れてるのに、雨が降るなんて不思議だねー」

 僕は空を見上げながらキミに声を掛ける。返事のないキミのことが気になりこっそりのぞくと、キミは抱えた膝に顔をうずめ、体をゆっくり揺らしていた。

 晴れていた空はその後くもりだし、雨は本降りになった。雨のせいで帰ることのできなくなった僕は、雨が参道の石畳に降り注ぐ音や、社の屋根に当たる音を聞いていた。雨の音がなんだか心地よく、キミが隣にいる安心感からか、ついうとうととしてしまい眠りに落ちた。

 しばらくすると、「――て、ミチ。ねえ――」と、キミの声が聞こえてきた。僕は体をゆっくり起こしながら眠たい目をこする。

「ねえ、起きて。ミチ」

「なに? モモ。何かあった?」

「よかった、やっと起きた」

 僕は寝ていたんだと気付き、体を起こして辺りを見回すと太陽は遠く山の向こうに沈んだのか、空は残光ざんこうに照らされるのみだった。眠る前にあんなに降っていた雨は上がっているようだったが、空の色合いからすると家に着くどころか山から下りている最中で真っ暗になってしまうだろう。

 そして、山を下りても、ろくに街灯がいとうすらないこの辺りではやみつつまれ足元さえも見えなくなる。遠くに見える人家の明かりだけを頼りに記憶にある道を辿たどるしかないのだ。

「ごめん、モモ。起こしてくれてありがとう。でも、もう帰らなくちゃ……」

「そう……あっ! ちょっと待って、ミチ」

 僕はキミに呼び止められて立ち止まる。キミは社の軒下のきしたをごそごそし始める。そして、ぽっとあかりがともる。軒下から戻ったキミは赤い光のともる提灯ちょうちんを手にしていた。

「山を出るところあたりまでは送っていってあげるよ。夜の山は危ないし」

 キミは提灯の灯をたよりに僕の前を歩く。僕はキミについていき山を下りていく。そして、あとわずかで開けた場所というところでキミは立ち止まり、

「ここまでくれば大丈夫よね。それに――」

キミは僕の帰るべき方向を指差す。指差す方に顔を向けると懐中電灯かいちゅうでんとうであろう光の筋が揺れるのが見えた。さらには、風に乗って僕の名前を呼びながら探す声が聞こえた。

「ありがとう、モモ。それじゃあ、またね」

 僕は歩き出し、振り返ってキミに手を振る。キミは小さく手を振り返していた。そして、目の前が開け道路に出たところで、もう一度振り返るが提灯の赤い光はもう見えなかった。

 僕は懐中電灯の方に向かって歩き出した。その日、帰りが遅くなったことを両親にしかられ、どこにいたのか尋ねられ、正直に山の中にある神社と答えるも首をかしげられた。ただ祖父だけが、「ああ。神社はたしかにあったなあ。今は誰も管理しとらんかったような……」と、日本酒の入ったコップを片手に頷いていた。

 そして、僕は帰りが遅くなった罰として、しばらく山に行くのを禁止された。


 キミに会えない間、僕はキミに渡すための指輪作りをすることにした。さすがに金属を加工してとかできるわけもないので、母に教えてもらいイージーリングを作ることにした。

 ゴム製のてぐすに色とりどりのビーズを通していく。なんだかビーズだけでは味気なく感じ、僕は今は亡き祖母からもらった御守おまもりについていた小さな二つの鈴のうち一つを、一緒に通すことにした。御守りといっても、中に乾燥させた桃の花弁かべんが入っている匂い袋のような手製の御守りだった。祖母が大切にしていたものを分解するということに心は痛んだが、それ以上にキミの喜ぶ顔が見たいという気持ちが強く、鈴だけを丁寧に取り外した。

 そして、完成した可愛らしい指輪――母は「上手に出来たわね。これを貰う子がうらやましいなー」と言ってくれた。僕は「いつか母さんにも作ってあげるよ」と思ってもないことを言い、もう一つ自分用に同じようにビーズと鈴でストラップを作った。


 数日後、禁をかれた僕は久しぶりにキミに会いに行った。

 キミは境内の掃除をしていて、その背中に「モモー!」と、声を掛ける。キミは僕の方に手を振って答えてくれる。僕はキミのいるところまで走っていき、

「これ前に言ってたお嫁さんになるための指輪。モモにあげる」

と、指輪を差し出す。

「私なんかが貰っていいの?」

「当たり前じゃん。モモのために作ったんだから」

 僕はキミの左手をとり薬指に指輪をはめる――。キミは指輪をはめた左手を空にかざしながら、指輪の感触を確かめる。

 リンッ――

 小さく鈴が鳴り――キミは笑顔になった。キミは嬉しそうに胸の前で左手に右手を重ね、

「ありがとう、ミチ。大事にするね」

と、感謝の言葉を口にする。僕はキミの幸せそうな笑顔をまぶたに焼き付けた。




 そして、それが僕がキミを見た最後の日になった――。

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