災厄


 フェンライは夢でも見ているようだった。アシュの宣言聞き、一度だけ、ほっぺたをつねり、やはりこれが悪夢ではないことを悟り、背中から大量の油汗をかいた。


「ブッ、ブヒィイイイイイッ!?」

「喜んでくれたようだね、よかった」


 アシュはニッコリと笑顔を浮かべる。


「どっ、どっ、どう言うことだ? えっ、いったい……」

「細かい事は彼女に説明させるよ。ミラ」

「はい」


 いつの間にか、隣にいた有能執事は、写しの書類を豪奢な机の上に置いた。


「アシュ様が経営している魔法研究所に、遺伝子鑑定を依頼しました。そこでは、フェンライ様とエロール様の毛髪などで親子鑑定が可能です」

「自慢ではないが、彼らはもちろん優秀だよ。そして、これ以上の証明方法はない。貴族だろうと、王族だろうと、公にも必ず証明できるほどの実績のある中立機関だ」

「はっ……くっ……」


 聞いたことがある。学術都市ザグレブにある魔法研究所『ルナリア』。一切の忖度が効かない、むしろ、圧力を掛けた者が不審な破滅をもたらすと言う機関。都市伝説かと思っていたが、まさか、この男が運営していたとは。


「ほら、こう言うのはハッキリさせた方がいいからね。君たちも、疑念を抱いたまま生きていたんじゃモヤモヤするだろう?」

「ふ、ふざけるなよ……そんなもの、対象者の同意を取らずにできるものか!」

「同意?」


 アシュは不思議そうな表情を浮かべてミラを見る。


「ミラ、同意ってどう言うことだい?」

「……一般的には親子鑑定や手術には、当人もしくは保護者の同意が必要とされています」

「そ、そうなのか? なぜ?」

「まさに、今のような当人が望んでいないケースを避けるためであると思われます」

「……えっ、もしかして、フェンライ君、エロール君。君たちは望んでいないのか?」

「言ってるだろう!? さっきから、ずーっと! ずーっと、言っている!」


 フェンライは地団駄を踏みながら喚き叫ぶ。


「す、すまないね。てっきり、僕の個人的な判断が信用できないからだと思ってた」

「てっきりじゃない! それじゃ、済まない! 今すぐにキッパリとその鑑定依頼を撤回しろ!」

「それはできない」

「……っ」


 キッパリと。


 闇魔法使いは自信満々に答えた。


「魔法研究所『ルナリア』は、一切の外部からの圧力を排除するために作り上げた僕の自信作だ。設立者の僕であったとしても、それは例外ではない。干渉しようとすると、僕でさえ、解除できないほどの膨大な罠が対象者に襲いかかる仕組みになっている」

「な、なんてことだ」


 フェンライは思わず頭を抱えた。


「すまないね。少し誤解があったと思う」

「そ、それで済むと思ってるのか?」


 そもそも、正室ランドル=キャンベルとは政略結婚だった。彼女の派閥と自身の派閥を合わせることでダルーダ連合国最大の派閥が形成されて、昨今の権勢を奮うようになった。しかし、その時点では、彼女の方が影響力が強かった。


 その後、類い稀なフェンライの政才で五分まで盛り返したが、エロールがフェンライとの親子関係が否定されれば、間違いなく権力が分裂し、国中を巻き込む抗争が起こる。


 それこそ、数万の血では済まない。


「いや、申し訳ない。本当に。だが、君にも非があったと思う」

「な、なに?」

「なぜ、親子鑑定を望んでいないのか、ハッキリと言えばこんなことにはならなかった。それを、『信じる』だの、『根拠がない』だの言われたら、『ああ、根拠を示して信じさせればいいんだな』となるじゃないか」

「……っ」


 こいつの脳内はどうなってるんだと、心の底から思った。やはり、招き入れるべきではなかった。1日の滞在にして、ダルーダ連合国内部紛争のカードを握られてしまった。


「た、頼むから。鑑定結果は他言にしないでくれ。いや、私たちにも見せないでくれ。どうか、この通りだ」


 フェンライは深々と土下座をした。


「そ、そんなに望んでいないのか。ふぅ……わかったよ。この結果は、僕だけの胸の内に留めておくようにするよ」

「もう、帰ってくれないか? 頼むから!」

「そ、そんなにショックだったのか。わかった。もう、失礼するとしよう。では……」


 アシュは逃げるように、部屋から出て行った。


「ふぅ……」

「お、お父様」

「これでいいんだ。やはり、あの災厄に逆らおうとするのが無駄だったんだ」


 最悪の手札を握りしめられてしまった状態で、逆らうのは得策ではない。先日、ミラに握られた全スキャンダルの証拠を、やっとのことで叩き潰したのに。奴と関わると本当にロクな事はない。


「まあ、だが、ヤツの罪悪感につけ込んでこの国から出てくれたのは良かった」


 アシュが珍しく、申し訳なさそうにしていた。まあ、部類の女好きだから、泣かれたことに狼狽えたのかもしれない。


「ああ、神よ……私は無事生き残ることができました」


 明日からはまた日常が始まる。いつものように、普通の生活を送れるのだ。何気ないひとつひとつの日々が煌びやかに見える。



















「おはよう」

「「「「「おはようございます」」」」」

「……っ」


 翌日、当然のようにアシュと生徒たちが食卓に座っていた。

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